中峰和尚座右の銘 現代語訳
ちゅうほう みんぽん ぜんじ
中峰明本 禅師
生年 1263.11.2. 銭塘(現在の浙江省 杭州市)
没年 1323.8.14. 天目山(浙江省)
中峰明本 禅師は
中国の元時代を代表する
臨済宗の禅僧です
俗姓は 孫
号は 幻住道人
臨済宗 第十八世で
天目山 師子院の高峰原妙を師と仰ぎ
その印可を受けました
高峰原妙 禅師は
中峰明本 禅師に
寺を継がせようとしましたが
明本禅師は 固辞
他の僧に寺を継がせ
自身は 山を下りました
天目山を度々、訪ねることはあるものの
一寺の住持に 留まることはなく
官寺の招きに 応じることはありませんでした
自らを「幻住」と称し
「幻住庵」と名づけた庵を 各地に構え
仮寓しました
禅師の高徳を慕い
僧侶・俗人 関わらず
多くの人々が集りました
西域・高麗・雲南
そして日本からも来ました
中峰明本 禅師に参禅した日本人僧
古先印元 遠渓祖雄 復庵宗己 無隠元晦
明叟斉哲 寂室元光 孤峰覚明
あまりに集まるため
密かに庵を去り 別の場所に移りますが
人々が集まり
一ヶ所に 三年も留まれなかったそうです
明本 禅師の生き方は
日本の禅僧にも影響しました
京都や鎌倉から離れ 敢えて山間に草庵を結び
庶民と共に禅を修める禅僧たちが現れます
彼らは
中峰明本禅師(幻住道人)にちなみ
幻住派と呼ばれました
元の皇帝
第4代アユルバルワダ(仁宗)
第5代シッディバーラ(英宗)
からも尊崇され
仏慈円照広慧禅師という号を賜りました
中峰明本 禅師は
禅と教学を兼ねる「教禅一致」や
禅と浄土教を兼ねる
「禅浄一体」を主張されました
この中峰和尚座右の銘は
臨済宗の全国の専門道場や
各お寺の朝課で
毎日 誦まれています
中峰和尚座右の銘
末世の比丘
仏法が衰えた 末の世の出家者は
形 沙門に似て
姿かたちこそ 僧侶に似てるが
心に 慚愧無く
心に恥じることなく
※無慚:むざん・梵āhrīkya
身に法衣を着けて
僧侶の衣を身に着けながらも
思い 俗塵に染む
思うのは 世俗の雑事ばかり
口に 経典を誦して
口では 経典を唱えながら
意に 貪欲を憶い
心の中では
欲望・執着を 忘れないでいる
昼は 名利に耽り
昼は
世間的な名声や 現世的な利益に耽り
夜は 愛着に酔う
夜は
心惹かれる執着に酔う
外持戒を表し
外には 硬く戒めを守ると表明し
内密犯を為す
内では 密かに戒めを破る
常に 世路を営んで
常に 世渡りの道を励み
永く 出離を忘ず
永い間
迷いを離れ 解脱の境地に達することを
忘れている
偏に 妄想を執し
ひたすら 妄想に執着し
既に 正智を擲つ
既に(真実を捉える)智慧を
投げ捨てている
一つには
道心堅固にして
須く見性を要すべし
一つには
悟りを求める意志を 固く持ち
(自己に備わる)本性を見究められるよう
求めるべきだ
二つには
話頭を疑着して
生鉄を咬むが如くせよ
二つには
公案を疑い 固執しろ
鉄を咬むように
三つには
長坐蒲団
脇席に着くること莫れ
三つには
座布団に長座し
脇席に着くな
四つには
常に仏祖の語を看て
常に自ら慚愧せよ
四つには
常に釈迦様や祖師の語録を よく見て
常に 自らを恥じよ
五つには
戒体清浄にして
身心を穢すこと莫れ
五つには
(戒を受けて備わる)善を行う力を
清らかまま 保ち
身体と心を 汚すな
六つには
威儀寂浄にして
暴乱を恣にすること莫れ
六つには
規律にかなうように 立ち振る舞い
もの静かに過ごせ
荒々しい振る舞いをしたり
自由勝手をすることの無いように
七つには
少語低声
戯笑を好むこと莫れ
七つには
言葉を少なくし 声をひそめ
ふざけて笑うな
八つには
人の信ずるなしと雖も
人の謗りを受くること莫れ
八つには
人の信用が無くても
人から 誹られるな
九つには
常に苕箒を携えて
堂舎の塵を掃え
九つには
常に箒を携えて
寺の建物の塵を掃え
十には
道行倦むことなく
飽くまで飲食すること莫れ
十には
(思い通りにならなくても)
仏道の修行を 倦まずに続けよ
飽きるまで 飲み食いするな
生死事大 光陰惜しむべし
生き死にを繰り返す六道輪廻の迷いを捨て
悟りをひらくことは
人として生まれている 今この時をおいて他になく
今が最も大事である
時間を 惜しむべきだ
無常迅速 時人を待たず
世の移り変わりは 極めて速く
時間は 人を待たない
人身受け難し 今已に受く
人として生を受けることは
奇跡のように難しいことだが
今 すでに人として生を受けている
仏法聞き難し 今已に聞く
仏法を聞けることは
奇跡のように難しいことだが
今 すでに仏法を聞いている
此の身 今生に 向って度せずんば
更にいずれの処に向ってか
此の身を度せん
(人としての生を受け、仏教を聞いた)
この身体を
今 この世で 悟り(の世界)に向って
渡らせなければ
更に 何処に向って
この身体を 渡らせようというのか
明石の禅寺 大蔵院
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