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白隠禅師坐禅和讃 現代語訳|明石の禅寺 大蔵院

はくいんぜんじ
ざぜんわさん
白隠禅師 坐禅 和讃

白隠禅師坐禅和讃とは
臨済宗を中興された
白隠禅師が 創られた和讃です



和讃とは

インドの言葉:サンスクリット語や
中国の言葉:漢文でなく 
日本の言葉で記された
仏教の讃歌です

仏教歌謡の一種で,
仏・菩薩の教えやその功徳,
あるいは
高僧の行績をほめたたえる讃歌。

梵語による梵讃,
漢語による漢讃に対して,
日本語で詠われるためこの名がある。

その嚆矢(こうし)としては,平安中期に現れた《註本覚讃》があげられる。

天台の本覚論を七五調で詠ったもので,
良源の作といわれる。

その後,天台浄土教の人々によって
盛んに和讃が制作されはじめる。

当時の作品として明証のあるものは少なく,詳細は判明していないが,
法会の中で,声明(しようみよう)の旋律に乗せて諷誦したのが
人々の共感を得たらしい。

出典 平凡社 世界大百科事典





白隠(はくいん)慧鶴(えかく)禅師


生年
1686年1月19日(貞享2年12月25日)
没年
1769年1月18日(明和5年12月11日)

法名(ほうみょう)及び 諱(いみな)
慧鶴(えかく)
.

号(ごう)
鵠林(こうりん)
.
勅諡号(ちょくしごう)
神機独妙(しんきどくみょう)禅師
正宗(しょうしゅう)国師


駿河の浮島(静岡県沼津市)原の長沢家に生まれ
15歳で郷里の松蔭寺で得度(出家)、
慧鶴(えかく)の諱を授かりました

全国を遊歴

24歳の時、越後(新潟県)高田にあった
英巌寺で大悟したと自称
その折 信濃(長野県)飯山
道鏡慧端どうきょう-えたん
(正受老人の名で知られる)を知り
指導を受ける

その後も 駿河の松蔭寺に住しつつ
全国を行脚し 各地で講演など
臨済宗の復興・禅の普及に努力される

享保2(1717)年
33歳の時 松蔭寺の住職となる

享保3(1718)年、34歳の時
京都妙心寺の第一座となる

白隠禅師は
黒衣で 生涯 通されました




公案(禅の問答)の体系を整理され
独自の公案を創案された事でも有名です

隻手の音声

両掌(両手)打って音声あり、
隻手(片手)に何の音声かある

両手を打ち合わせると音がするが
片手だと なんの音があるのか

この公案は 世界的にも有名で
『ライ麦畑でつかまえて』で有名な
アメリカの小説家サリンジャー
その作品 ナインストーリーズ
引用しています



江戸中期に衰退していた臨済宗を
白隠禅師は復興されました
そのため
臨済宗の中興の祖と称されています

臨済宗では 現在でも
白隠禅師が著された
「白隠禅師 坐禅和讃」が
折に触れ 読誦されています




はくいんぜんじ ざぜんわさん

白隠禅師 坐禅和讃




衆生本来仏しゅじょうほんらいほとけなり

みずこおりごとくにて
すべての生き物は本来 仏である

それは ちょうど水と氷の様なもので


みずはなれてこおりなく

衆生しゅじょうほかほとけなし
水を離れて 氷が無い様に

人々の外に 仏はありません


衆生近しゅじょうちかきをらずして

とおもとむるはかなさよ
人々は (仏が)近い事を知らずに

遠くに求めているのは 儚いことです


たとえばみずの中にいて

かつさけぶがごとくなり
例えるなら
水の中に居ながら
「喉が渇く」と叫んでいるようなもの


長者ちょうじゃいえとなりて

貧里ひんりまようにことならず
裕福な家の子供なのに「貧しい」と

迷っていることと 違いはありません


六趣輪廻くしゅりんね因縁いんねん

おのれ愚痴ぐち闇路やみじなり
六道を輪廻する原因は

自らの愚かさで
煩悩にとらわれているから


闇路やみじ闇路やみじ

みそえて
(こだわる 執着するなど)

無明の道を歩んで


いつか生死しょうじはなるべき
いつ 迷いの世界を離れられるだろう


摩訶衍まかえん禅定ぜんじょうは 
(我々 大乗仏教の
瞑想
坐禅というものは


称歎しょうたんするにあまりあり
褒めたたえても余りあるもの


布施ふせ持戒じかいの 諸波羅蜜しょはらみつ
布施・持戒
などの
悟りを得るための諸々の修行

(六波羅蜜)


念仏懺悔 修行等ねんぶつざんげ   しゅぎょうとう
念仏したり 懺悔したりする

諸々の修行など


其品多そのしなおおき 諸善行しょぜんぎょう
諸々の善行は 種目が多く
あります


みなこのうちに するなり
全て この坐禅に帰り着きます


一座いちざこうをなすひと
一度だけでも

坐禅するという功徳をつめば


みし無量むりょうつみほろぶ
(坐禅の間は)

過去に犯した全ての罪が
消え去っています


悪趣何処あくしゅいずくに りぬべき
死後の苦しみの世界など

何処にあるでしょうか


浄土即じょうどすなわち とおからず
仏の世界は今 目前にあります


かたじけなくも のり
畏れ多くも この大乗の教えを


ひとたびみみに ふるるとき
一度でも聞いて


讃歎随喜さんたんずいき するひと
教えに深く感心し

誉め讃え喜びを得る人は


ふく事 限こと  かぎりりなし
限りない福徳を 得るでしょう


いわんや みずから 回向えこうして
ましてや 自ら 坐禅を行い


じき自性じしょうを しょうすれば
無心を体験し 自分の中の仏に気付き


自性 即じしょう すなわち 無性むしょうにて
自分だと信じていたそれ自体が 本来

実体のない「空」であると気付けた時


すでに 戯論けろんを はなれたり
分別の世界や妄執の迷いから
離れられ


因果一如いんがいちにょの もんひらけ
仏と自分が本来一つであったという

大乗仏教の門が開け


無二無三むにむさんの 道直みちなお
ただ一つの教えの道を

まっすぐに歩いていくのです


無相むそうそうを そうとして
本来は「空」であることを 体験し


くもかえるも 余所よそならず
その「空」を 自分のものとすれば
どこに居ても 迷うことはないでしょう

無念むねんねんを ねんとして
本来は「空」であるという体験し
その「空の心」を 自分のものとすれば


うたうもうも のりこえ
歌っていても踊っていても

なすことすべてが
仏の教えに かなうことになるのです


三昧無碍ざんまいむげの そらひろく
心を落ちつけて

集中して坐禅をすることで
何もさえぎることのない空が広がり


四智円明しちえんみょうの つきさえん
心は自由で広く 空には
仏の知恵に輝く

丸い月が冴えわたっています


此時 何このとき なにをか もとむべき
自分の心に光り輝く月に気付いて
今更 何を求めるのでしょう


寂滅現前じゃくめつげんぜん するゆえに
今既に心が静まり
目の前に全ての事柄が

ありのままに現れているのだから


当所 即とうしょ すなわち 蓮華国れんげこく
迷いや悩みのある

此処こそが 極楽浄土であり


此身 即このみ  すなわち ほとけなり
この自分こそが 仏なのです




禅寺 大蔵院と白隠禅師

寛延3(1750)年の冬
66歳となられた白隠禅師は
請われ 明石の龍谷寺を訪れました
.
息耕録開筵普説」という
白隠禅師が話された事をまとめたモノを
人々に説かれました

白隠禅師は その年を明石で逗留され
儒者で漢詩人として有名だった梁田 蛻巖や 明石藩の家老などと会われました

白隠禅師の元へ
多くの人が訪れたようです

白隠禅師の年譜に
「大解、白隠につっこむ)」
とあるように
当時の大蔵院住職 大解宗脱和尚は
明石に滞在中の白隠禅師を訪れ
つっこみを入れたようです

◆寛延庚午三年(一七五〇)六十六歳
◆春、東嶺は江戸に滞在/庵原大乗寺で碧巌録会/◆『槐安国語』刊行間近/◆明石龍谷寺での虚堂録会が決まる/貞永寺で『槐安国語』を開講/◆碓叟全能像 に著賛/◆松茸画賛を描く/冬、播州明石の龍谷寺で息耕録会/◆明石大蔵院の大解宗脱/◆大解、白隠につっこむ/◆白隠、梁田蛻岩と会する/◆家老の小倉 公/◆池大雅の来参/◆十二月十三日、明石から書簡

新編 白隠禅師年譜 (芳澤勝弘 編著 2016/03/10)から一部抜粋



年が明けると
白隠禅師は
明石を立ち 岡山へ向かいました
大蔵院に伝わるところでは
大蔵院住職 大解和尚も
白隠禅師に同行したと伝わっています

寺の花の写真


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