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興禅大燈国師遺戒 現代語訳|明石の禅寺 大蔵院


こうぜん だいとうこくし
ゆいかい

興禅 大燈国師
遺戒

興禅大燈国師遺戒は
宗峰妙超しゅうほうみょうちょう禅師
こと大燈国師の遺戒です

遺戒 ゆいかい
自分の死後,残された人々あるいは後世の人々が守るように,訓戒を残すこと。
また,
その残された戒めそのものをもいう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典



宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師

宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師
(1283年1月7日 – 1338年1月13日)は
鎌倉末~室町時代にかけて活躍された
臨済宗の禅僧です

一般に
大燈国師(だいとうこくし)という
勅諡号(ちょくしごう)で知られています

大燈国師の禅は
正面より極みを打ち出し 厳格を究め
大燈禅とも呼ばれます

とんち話で有名な一休宗純禅師や
臨済宗を中興された白隠禅師は
大燈国師を尊崇し
大燈国師の言葉や姿を
その書や画で 表しています
大燈国師上堂語(一休宗純筆
 大応・大燈・関山像(白隠慧鶴筆

大燈国師像(白隠慧鶴筆)
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)



宗峰妙超 禅師
(大燈 国師)年表

播磨浦上荘(兵庫県たつの市)の豪族
浦上一国(掃部入道覚性)の子として
生まれる
 ※母親は 後に播磨の守護大名となる
赤松則村(円心)の姉

※後年 生誕地に大徳寺が宝林寺を建立

11歳の時
書写山 圓教寺に登り
戒信律師の元で、天台宗を学ぶ

禅にめざめ、高峰顕日
南浦紹明(大応国師)に参禅

1307年
南浦紹明(大応国師)から印可を得 嗣法

京都 東山の雲居(うんご)庵にて
乞食(托鉢)行を10年以上行う

1315年(1319年とも)
叔父 赤松則村(円心)の帰依を受け
洛北 紫野の地に 
大徳寺の起源となる小さな堂を建立

※後、大徳寺は花園法皇、
後醍醐天皇から勅願寺とされた

 ※後年 大徳寺は
とんち話で有名な”一休宗純和尚”や
  たくあん漬けで有名な沢庵宗彭和尚ら
名僧を 排出

1325年 後醍醐天皇の命で行われた
正中の宗論(天台宗・真言宗との論戦)で
兄弟子通翁鏡円(南禅寺)の侍者として
論戦に臨み 活躍

1326年
正中の宗論の論戦相手だった
玄慧法印から支援を受ける
大徳寺に諸堂伽藍が揃いだす

1335年
興禅大燈国師遺戒を発表

1337年
重体となる 花園法皇に
後任者として 弟子の関山慧玄禅師を推挙

1337年
花園法皇が その離宮を寺にするにあたり
これに正法山 妙心寺と命名

1337年12月22日
遷化

 ※妙心寺は 1337年を開創の年とし
大燈国師の遺言通り
関山慧玄禅師を開山とした


遷化後
花園天皇から興禅大燈国師、
後醍醐天皇から正燈高照国師
の国師号を下賜された




能書家としても有名で、その墨蹟いくつかは国の重要文化財に指定されています(2022年時点)

大燈国師墨蹟 上堂語
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)




南浦紹明(大応国師)
|
宗峰妙超(大灯国師)
|
関山慧玄(無相大師)
と続く法系を
応灯関(おうとうかん)の一流と呼びます

日本の臨済宗の法脈は
応灯関の法系です

そのため
全国の臨済宗 専門道場では
興禅大燈国師遺誡が 読誦されています



網代笠(あじろがさ)の写真



こうぜん だいとうこくし ゆいかい

興禅 大燈国師 遺戒

 
 

汝(なんじ)ら 諸人(しょにん)

君たち 多くの人よ




この山中(さんちゅう)に
来(き)たって

この山の中に
来ている




道(どう)の為(ため)に 
頭(こうべ)をあつむ

仏道のため
寄り合っている



          
衣食(えじき)の為(ため)に 
すること莫(なか)れ

衣食を得る(生活の)為に
しては いけない



    
肩(かた)あって
着(き)ずということ無く

肩があるから
着ないということは無く




口(くち)あって
食(く)らわずということなし

口が有るから
食べないということは無い




只(ただ) 須(すべか)らく
十二時中(じゅうにじちゅう)

ただ そうすべきコトとして
一日中




無理会(むりえ)の処(ところ)に
向(むか)って、

分別や理解を越えた境地に
向かい




究(きわ)め来(きた)り
究(きわ)め去(さ)るべし

究め来て
究め去るべきだ
          



光陰(こういん) 箭(や)の如(ごと)し

月日が過ぎるのは 矢のように速い




慎(つつし)んで
(ぞう)用心すること勿(なか)れ

慎重に事をなし
用心(心配り)を 雑にするな




看取(かんしゅ)せよ
看取(かんしゅ)せよ

見定めよ
見定めよ




老僧(ろうそう)行脚(あんぎゃ)の後(のち)

老僧(大燈国師)が 行脚した(没)後に




あるいは 寺門(じもん)繁興(はんこう)

あるいは 寺が繁栄し
      
      


仏閣(ぶっかく)経巻(きょうかん)
金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め

寺の建物や経文の巻物に
金銀をちりばめ




多衆(たしゅう) 閙熱(にょうねつ)

多くの人が集まり 騒がしく混み合う
(かもしれない)




或(ある)いは
誦経(じゅきょう) 諷咒(ふうじゅ)

あるいは 
経文(きょうもん)や
偈頌(げじゅ)を暗唱し




長坐(ちょうざ) 不臥(ふが)

長く坐禅し 横にならず 




一食卯斎(いちじき ぼうさい)

食事は朝に一食だけ




六時行道(ろくじ ぎょうどう)

一日に六度の修行が行われる
(かもしれない)




たとい恁麼(いんも)に
し去(さ)るといえども

たとえ
このように 行い尽くしても




仏祖(ぶっそ)不伝(ふでん)の
妙道(みょうどう)を以(もっ)て
 
仏祖でも伝えられない
妙道(真実の道)を




胸間(きょうかん)に
掛在(かざい)せずんば

心(気)に掛けなければ


    
    
忽(たちま)ち 
因果(いんが)を 撥無(はつむ)し

たちまち
因果が 排除され




真風(しんぷう) 地(ち)に堕(お)つ

真風が 地に墜ちてしまう




みなこれ
邪魔(じゃま)の種族(しゅぞく)なり

これらは皆
修行をさまたげる魔の仲間である




老僧(ろうそう) 世(よ)を去(さ)ること
 久(ひさ)しくとも

老僧(大燈国師)が 世を去り
長い時間が過ぎたとしても




児孫(じそん)と 称(しょう)することを
許(ゆる)さじ

(我が仏法を継いだ)
子孫と名乗ることを 許さない




或(ある)いは 一人(いちにん)あり

あるいは 一人あり




野外(やがい)に 綿絶(めんぜつ)し

野外に 長い間(人々から)隔絶し




一把茅底(いっぱぼうてい)
折脚鐺(せっきゃくしょう)(ない)に

小さなあばら屋で
壊れた鍋の内に




野菜根(やさいこん)を煮(に)て喫して
日(ひ)を過(すご)すとも、

野菜根を煮て 食べて
日を過ごすとも



 
専一(せんいつ)に 己事(こじ)を
究明(きゅうめい)する底(てい)は

他をかえりみずに 己(おのれ)の事を
究明しようとする 心根の者は




老僧(ろうそう)
日日(にちにち) 相見(しょうけん)

老僧(大燈国師)と
毎日 顔を合わせているようなもので




報恩底(ほうおんてい)の人也(ひとなり)

恩返しの心根がある人である
    



(だれ)
敢(あ)えて 軽忽(きょうこつ)せんや

誰が
あえて 軽々しく見るだろうか




勉旃(べんせん) 勉旃(べんせん)

これを勉めよ これを勉めよ






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