1. HOME
  2. 一覧
  3. 仏教
  4. 理趣分 現代語訳

理趣分 現代語訳

.

.

( 理趣分 目次へ進む )
.
.
.


理趣分 略説



理趣分は
諸法皆空を説く大乗経典
一つです


般若部諸経の集大成である
大般若経(大般若波羅蜜多経)
600巻ある
膨大な経典群です


大般若波羅蜜多経
全16会(部)
275分
600巻

初会 全79分 (1-400巻)
第二会 全85分 (401-478巻)
第三会 全31分 (479-537巻)
第四会 全29分 (538-555巻)
第五会 全24分 (556-565巻)
第六会 全17分 (566-573巻)
第七会 「曼殊室利分」(574-575巻)
第八会 「那伽室利分」(576巻)
第九会 「能断金剛分」(577巻)
第十会 「般若理趣分」(578巻)
第十一会 「布施波羅蜜多分」(579-583巻)
第十二会 「持戒波羅蜜多分」(584-588巻)
第十三会 「忍辱波羅蜜多分」(589巻)
第十四会 「精進波羅蜜多分」(590巻)
第十五会 「静慮波羅蜜多分」(591-592巻)
第十六会 「般若波羅蜜多分」(593-600巻)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大般若波羅蜜多経



(般若)理趣分は
大般若経の578巻目の
10番目の会(部)です

そのため
(般若)理趣分の正式名称は
大般若波羅蜜多経
巻第五百七十八

第十
般若理趣分

と言います


(般若)理趣分の
般若(はんにゃ)とは
サンスクリット語prajñā
パーリ語のPaññā
の音写で
「悟りを得る智慧」
「真理を認識する智慧」
という意味であり

理趣(りしゅ)とは
「すじみち」「道理」
という意味です


つまり
大般若波羅蜜多経
巻第五百七十八
第十
般若理趣分
というのは

600巻ある
大般若波羅蜜多経の
578巻目の
10番目の分類の
真実を認識する智慧を至る道
といった意味合いです



西遊記でも有名な
玄奘三蔵(602-664)
7世紀にインドを訪れ
仏教を学ぶと
数多くの
仏典を唐に持ち帰り
サンスクリット語
記されていた仏典を
漢訳されました

理趣分も その一つです


類本に
不空三蔵(705-774)が漢訳された
理趣経があります

こちらは
密教の根本経典であり
真言宗では主要経典として
日常的に読誦されているそうです

転読と理趣分


平安時代初期に編纂された勅撰史書
続日本記」には
西暦703年(大宝3年)の3月
文武天皇は
国家安穏を祈願するために
勅令を出し
藤原京にあった
飛鳥寺、大官大寺、(本)薬師寺、川原寺の
四大寺で
大般若経の転読が行わせたことが
記載されています

これ以降
五穀豊穣、国家安泰などを祈祷する
大般若経転読祈祷法要が
全国の寺院で行われるようになりました

現在の他の宗派は分かませんが
臨済宗黄檗宗などの禅宗では

大般若経の経典を高く揚げ
パラパラと転じる転読が行われる
大般若経転読祈祷法要(大般若経会)や
お正月の修正会
導師を務める僧が
理趣分を読誦します



ちなみに
漢字の文字数を数えてみると
観音経(全文)は 約2000文字
観音経(偈)は 約600文字
般若心経は 約260文字

理趣分は約8000文字あり
読誦するだけでも
それなりの時間を要する
経典です











.
.

大般若波羅蜜多經
卷第五百七十八

第十 般若理趣分

.
.

一 讃薄伽梵品
二 菩薩句義清浄法門
三 性平等現等覚門
四 無戯論普勝法門
五 性清浄照明法門
六 一切施智蔵法門
七 菩提心金剛法門
八 無戯論性空法門
九 入広大輪平等性門
十 一切供養無上法門
十一 智密忿性調伏法門
十二 一切法性平等法門
十三 一切有情勝蔵法門
十四 一味無辺際究竟法門
十五 畢竟大楽最勝成就
十六 不空神呪疾証菩提
十七 讃般若理趣品







誕生仏と花御堂の写真

一 讃薄伽梵品

( 目次へ戻る )




如是我聞。一時薄伽梵。
妙善成就 一切如來
金剛住持平等性智種種希有殊勝功德。

是の如く我れ聞けり 一時 薄伽梵
一切の如来が金剛に住持せし平等性智と
種種の希有にして殊勝なる功徳を
妙善に成就せり

このように私は聞いた
ある時 世の中で最も尊い人(薄伽梵)は
一切の如来が
極めて堅固(金剛)に保持している(住持
あらゆる存在が差別なく平等であるとする
智慧(平等性智)と
様々な種類の稀なほど殊勝な善行(功徳)を
精妙かつ最善(妙善)に成就されていた





已能善獲一切如來灌頂寶冠超過三界。

已に能く善く
一切如来の潅頂したまえる宝冠を獲(え)て
三界を超過し

(お釈迦様は)すでに 十二分に(能く善く
一切の如来が 水を注いだ(灌頂)宝冠を獲得され
輪廻を繰り返す迷いの世界(三界)を
超越されていた





已能善得一切如來遍金剛智大觀自在。

已に 能く善く
一切如来に遍(あまね)く
金剛智を得て 自在に大観す

(お釈迦様は)すでに 十二分に(能く善く
一切の如来に遍く具わる
極めて堅固で壊れることの無い(金剛)智慧を
得られており
自由自在に 広く全体を見渡されていた(大観





已得圓滿一切如來決定諸法大妙智印。

已に 一切如來の諸法を決定する
大妙智印を圓滿を得

(お釈迦様は)すでに
一切の如来の
あらゆる存在・事物(諸法)を決定する
偉大な仏の智慧(妙智)の印を
十分に満たすこと(円満)が出来ていた




已善圓證一切如來畢竟空寂平等性印。

已に善く 一切如来の畢竟たる空寂の
平等性の印を円証し

(お釈迦様は)すでに よく
一切の如来の
究極(畢竟)である空寂の平等な本性の印を
円満に真理を体得されており(





於諸能作所作事業。皆得善巧成辦無餘。

諸の能作 所作の事業に於いては
皆善巧成辦するを得て 余すこと無し

諸々のはたらきかけ(能作)や
振舞い(所作)や 行為(事業)は
すべて 巧みに善へ教え導くこと(善巧)の
成就(成辦)であり
余すことが無かった





一切有情種種希願。隨其無罪皆能滿足。

一切有情の種種の希願
其の無罪なるに随い 皆能く満足し

一切の 心の働きを有するものたち(有情)の
種々の希望を
その罪の無さに応じて
すべて 十分に満足させておられ





已善安住三世平等 常無斷盡 廣大遍照身語心性。

已に善く三世平等にして 常に断尽する無く
広大にして遍照せし身語・心性なり

すでによく
過去・現在・未来(三世)を通じて平等であり
常に 断絶したり尽きることなく
広大に遍く世界を照らす(遍照
身体・言葉(語)・不変な心の本体(心性)だった





猶若金剛等諸如來無動無壞。

猶 金剛の若く
諸如来の無動無壊なるに等し

その上 壊れることの無い金剛のようであり
諸々の如来と 同様に 
動じることも無ければ(無動) 
壊れることも無かった






是薄伽梵。住欲界頂他化自在天王宮中。

是の薄伽梵は
欲界の頂の他化自在天の王宮中に住す

この世の中で最も尊い人(薄伽梵)は
欲界の頂上にある 他化自在天の王宮の中に
住(とど)まられていた





一切如來常所遊處。咸共稱美大寶藏殿。

一切の如来が常に遊び 処せし所
咸(ことごと)く 共に美を称せし 大宝蔵殿なり

(その王宮は)
一切の如来が 常に回遊され 身を置く場所であり
ことごとく 共に その美しさを称賛するほど
壮大な宝を蔵する宮殿であった





其殿無價末尼所成。種種珍奇間雜嚴飾。

其の殿は 無価の末尼の成す所の
種種の珍奇間雑し 厳飾し

その宮殿は
値がつけられないほど(無価)の
貴重な宝珠末尼)で形成された場所で
種々の珍しく変わったものが入り混じり(間雑
厳かに装飾されていた





衆色交暎放大光明。
寶鐸金鈴處處懸列。微風吹動出和雅音。

衆色交映して 大光明を放つ
宝鐸 金鈴 処処に懸列し
微風が吹動すれば 和雅の音を出す

数多くの色彩が交わり 美しく輝きながら
正大光明を放ち
大形の風鈴(宝鐸)や黄金の鈴が
処処に列して懸かっていて
そよ風が吹いて動くと
えも言えない素晴らしい(和雅)音を
出していた





綺蓋繒幡花幢綵拂。寶珠瓔珞半滿月等。

綺蓋、繒幡、花幢は
宝珠、瓔珞、半満月等を 綵払し

絹織物(綺羅)の天蓋
絹布()の飾り布()、
花の旗がついた鉾()が
宝珠瓔珞、半満月(飾りの類)等を
いろどり美しく なで払っていた





種種雜飾而用莊嚴。賢聖天仙之所愛樂。

種種の雜飾を用って荘厳し
賢聖、天仙の愛楽する所に

種々に入り雑じった装飾によって
おごそかに飾られ(荘厳
賢人・聖人・天界の仙人が求める(愛楽)場所に





與八十億大菩薩倶。
切皆具陀羅尼門三摩地門無礙妙辯。

八十億の大菩薩と倶(とも)に
一切は皆
陀羅尼門・三摩地門・無礙妙辯を
具(そな)え

八十億もの大勢の
求道者(菩薩)たちと倶(とも)に
(そして)
その一切、全員は
呪文(陀羅尼)の教え(法門
精神統一(三摩地)の教え(法門
妨げなく囚われのない(無礙
巧みな弁論(妙辯)を
備えていた





如是等類無量功徳。
設經多劫讃不能盡。

是れ等の類の無量の功徳は
設(も)し多劫を経て讃ずるとも
尽くす能わず

これらの仲間(部類)が持つ
無量の功徳
もし極めて長い時間(多劫)をかけて
讃えようと
讃え尽くせない程だった





其名曰
金剛手菩薩摩訶薩。觀自在菩薩摩訶薩。

虚空藏菩薩摩訶薩。金剛拳菩薩摩訶薩。
妙吉祥菩薩摩訶薩。大空藏菩薩摩訶薩。
發心即轉法輪菩薩摩訶薩。

摧伏一切魔怨菩薩摩訶薩。

其の名を曰く
金剛手菩薩摩訶薩 観自在菩薩摩訶薩
虚空蔵菩薩摩訶薩 金剛拳菩薩摩訶薩
妙吉祥菩薩摩訶薩 大空蔵菩薩摩訶薩
発心即転法輪菩薩摩訶薩
摧伏一切魔怨菩薩摩訶薩

その名を
金剛手菩薩摩訶薩 観自在菩薩摩訶薩
虚空蔵菩薩摩訶薩 金剛拳菩薩摩訶薩
妙吉祥菩薩摩訶薩 大空蔵菩薩摩訶薩
発心即転法輪菩薩摩訶薩
摧伏一切魔怨菩薩摩訶薩と言う





如是上首有八百萬大菩薩衆前後圍繞。

是の如き上首には
八百万の大菩薩衆有りて 前後を囲遶す

このような一座の 最上位の中心人物には
八百万もの大勢の菩薩衆がいて
間がないほど続いて(前後
中心人物の周囲を 取り囲んでいた(囲遶





宣説正法。初中後善文義巧妙純一圓滿清白梵行。

正法を宣説するに 初中後に善く
文義は 巧妙・純一にして円満・清白な梵行なり

(お釈迦様が)正しい教え(正法)を
説明された(宣説)が
(それは)初めも 中ごろも 終わりも
良善なものであった
(そして)
話された言葉(文)の内容(義)は
巧妙で偽りがなく(純一
円満で清らかな(精白
仏道修行(梵行)についてであった






誕生仏と花御堂の写真

二 菩薩句義清浄法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊爲諸菩薩。
説一切法甚深微妙般若理趣清淨法門。

爾の時 世尊は諸の菩薩の為に説きたまわく
一切法は甚深微妙なる般若の理趣にして
清浄なる法門なり

その時 お釈迦様(世尊)は
諸々の求道者(菩薩)たちの為に説かれた
あらゆる存在(一切法)は
甚だ深く 精微で深奥(微妙)な
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
清浄な仏の教え(法門)である





此門即是菩薩句義。

此の門は 即ち是れ菩薩の句義なり

この仏の教え(法門)は
すなわち 菩薩という言葉の意味(句義)である





云何名爲菩薩句義。

云何(いかん)が名づけて 菩薩の句義と為す

なぜ 菩薩という言葉の意味(句義)と名付けたのか





謂極妙樂清淨句義是菩薩句義。

謂れは 極めて妙楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

その理由は
極めて妙麗な幸福(
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である
だからだ





諸見永寂清淨句義是菩薩句義。

諸見は永寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

諸々の誤った考え方(邪険)が永遠に静まる
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





微妙適悦清淨句義是菩薩句義。

微妙にして適悦なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

趣深く繊細(微妙)にして こころに適う悦び
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





渇愛永息清淨句義是菩薩句義。

渇愛は永息せり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

激しい執着(渇愛)が 永遠に終息している
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





胎藏超越清淨句義是菩薩句義。

胎蔵は超越せり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

仏の大悲が衆生を守護し育てること(胎蔵
常識や限界を 遥かに超えたもの(超越)である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である




衆徳莊嚴清淨句義是菩薩句義。

衆徳で荘厳す
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり


数多く(衆多)積み上げた功徳で その身を飾る(荘厳
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





意極猗適清淨句義是菩薩句義。

意は極めて猗適なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

心の働き(意業)が極めて美しく(猗靡)適切である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





得大光明清淨句義是菩薩句義。

大光明を得たり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

巨大な光明を得る
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





身善安樂清淨句義是菩薩句義。

身は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

振る舞い(身業)が善くて(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





語善安樂清淨句義是菩薩句義。

語は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

話す言葉(口業・語業)が善く
(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





意善安樂清淨句義是菩薩句義。

意は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

心の働き(意業)が善くて(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色蘊空寂清淨句義是菩薩句義。

色蘊は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

五蘊の要素の)色蘊は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





受想行識蘊空寂清淨句義是菩薩句義。

受想行識蘊は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(五蘊の要素の)受蘊、想蘊、行蘊、識蘊
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼處空寂清淨句義是菩薩句義。

眼処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二処の中の 六根・六内処の一つの)
視覚器官(眼処)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意處空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根・六内処の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
意識をもたらす内的器官()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色處空寂清淨句義是菩薩句義。

色処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二処の中の 六境の一つの)
視覚器官が認識する対象は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





聲香味觸法處空寂清淨句義是菩薩句義。

声香味触法処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六境の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
意識をもたらす内的器官が認識する対象は
である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼界空寂清淨句義是菩薩句義。

眼界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六根の一つの)
視覚器官は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意界空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
そして
意識をもたらす内的器官は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色界空寂清淨句義是菩薩句義。

色界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六境の一つの)
視覚器官が 認識する対象は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





聲香味觸法界空寂清淨句義是菩薩句義。

声香味触法界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六境の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
そして
意識をもたらす内的器官が認識する対象は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼識界空寂清淨句義是菩薩句義。

眼識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六識の一つの)
眼識は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意識界空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六識の)
耳界・鼻界・舌界・身界・意識界は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼觸空寂清淨句義是菩薩句義。

眼触は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

眼の感覚と対象と識別作用が
触れ合うこと()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意觸空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意触は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

耳・鼻・舌・身・意の
感覚と対象と識別作用が
触れ合うこと()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼觸爲縁所生諸受空寂清淨句義是菩薩句義。

眼触を縁と為して生ずる所の諸受は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六根の一つの)
眼の感覚を縁として生じる
諸々の感受作用は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意觸爲縁所生諸受空寂清淨句義
是菩薩句義。

耳鼻舌身意触を縁と為して生ずる所の諸受は
空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根である)
耳・鼻・舌・身・意の感覚を縁として生じる
諸々の感受作用は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





地界空寂清淨句義是菩薩句義。

地界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

「(六界六大の一つである)
地の要素(地界)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





水火風空識界空寂清淨句義是菩薩句義。

水火風空識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六界六大の)
水・火・風・空・識の要素は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





苦聖諦空寂清淨句義是菩薩句義。

苦聖諦は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四聖諦の一つである)
苦聖諦は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





集滅道聖諦空寂清淨句義是菩薩句義。

集滅道聖諦は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の四聖諦の)
集聖諦滅聖諦道聖諦は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





因縁空寂清淨句義是菩薩句義。

因縁は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四縁の一つ)
因縁は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





等無間縁所縁縁増上縁空寂清淨句義是菩薩句義。

等無間縁・所縁縁・増上縁は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の四縁の)
等無間縁所縁縁増上縁は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無明空寂清淨句義是菩薩句義。

無明は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二因縁の一つ)
根本的な無知(無明)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





行識名色六處觸受愛取有生老死空寂清淨句義
是菩薩句義。

行識名色六処触受愛取有生老死は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十二因縁の)
行・識・名・色・六処・触・受・愛・
取・有・生・老・死は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





布施波羅蜜多空寂清淨句義是菩薩句義。

布施波羅蜜多は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六波羅蜜の一つ)
施しを与える(布施)菩薩の修行(波羅蜜多)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多空寂清淨句義
是菩薩句義。

浄戒・安忍・精進・静慮・般若 波羅蜜多は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六波羅蜜の)
戒律を守る() 耐え忍ぶ(忍辱
励む(精進) 精神を集中させる(禅定
真理を認識する(般若
といった菩薩の修行(波羅蜜多)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眞如空寂清淨句義是菩薩句義。

真如は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

万物の本体としての永久不変の真理(真如)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





法界法性不虚妄性不變異性平等性離生性法定
法住實際虚空界不思議界空寂清淨句義是菩薩句義。


法界・法性・不虚妄性・不変異性・平等性
・離生性・法定・法住・実際・虚空界・不思議界は
空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

法界法性・不虚妄性・不変異性・平等性
・離生性・法定・法住・実際・虚空界・不思議界は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四靜慮空寂清淨句義是菩薩句義。

四静慮は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

 色界の4段階の禅・静慮(四静慮)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四無量四無色定空寂清淨句義是菩薩句義。

四無量心・四無色定は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

4種の哀れみの心(四無量心)と
心の働きだけの世界(無色界)に生じる
4種の禅定(四無色定)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である




四念住空寂清淨句義是菩薩句義。

四念住は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三十七道品の最初の修行法の)
四念住は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支空寂清淨句義是菩薩句義。

四正断・四神足・五根・五力
・七等覚支・八聖道支は 空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

「(その他の三十七道品の)
四正断四神足五根五力
七等覚支八聖道支は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





空解脱門空寂清淨句義是菩薩句義。

空解脱門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三解脱門の一つ)
空解脱門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無相無願解脱門空寂清淨句義是菩薩句義。

無相解脱門・無願解脱門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の三解脱門の)
無相解脱門・無願解脱門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八解脱空寂清淨句義是菩薩句義。

八解脱は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八解脱は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八勝處九次第定十遍處空寂清淨句義是菩薩句義。

八勝処・九次第定・十遍処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八勝処・九次第定・十遍処は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





極喜地空寂清淨句義是菩薩句義。

極喜地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

華厳経などが説く十地の一つ)
極喜地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





離垢地發光地焔慧地極難勝地現前地
遠行地不動地善慧地法雲地空寂
清淨句義是菩薩句義。

離垢地・発光地・焔慧地・極難勝地・現前地
・遠行地・不動地・善慧地・法雲地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十地の)
離垢地・発光地・焔慧地・極難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





淨觀地空寂清淨句義是菩薩句義。

浄観地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(大品般若経などが説く十地の一つ)
浄観地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





種性地第八地具見地薄地離欲地已辦地獨覺地菩薩地如來地空寂清淨句義是菩薩句義。

種性地・第八地・具見地・薄地・離欲地・已辦地・独覚地・菩薩地・如来地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十地の)
種性地・第八地・具見地・薄地・離欲地・已辦地
・独覚地・菩薩地・如来地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切陀羅尼門空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の陀羅尼門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の陀羅尼の仏の教え(法門)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切三摩地門空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の三摩地門は空寂なり
という清浄なる句 是れ菩薩の句義なり

一切の三摩地法門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





五眼空寂清淨句義是菩薩句義。

五眼は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

五眼は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





六神通空寂清淨句義是菩薩句義。

六神通は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六神通は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





如來十力空寂清淨句義是菩薩句義。

如来の十力は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

如来の十力は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨
十八佛不共法空寂
清淨句義是菩薩句義。

四無所畏・四無礙解・大慈・大悲・大喜・大捨
・十八仏不共法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四無所畏四無礙解大慈・大悲・大喜・大捨
十八仏不共法は 空寂であるという
清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





三十二相空寂清淨句義是菩薩句義。

三十二相は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三十二相は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八十隨好空寂清淨句義是菩薩句義。

八十随好は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八十随好は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無忘失法空寂清淨句義是菩薩句義。

無忘失法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

無忘失の法は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





恒住捨性空寂清淨句義是菩薩句義。

恒住する捨性は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

常に心を平静な状態に住まらせる
資性(恒住捨性)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切智空寂清淨句義。是菩薩句義。

一切智は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切智は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





道相智一切相智空寂清淨句義是菩薩句義。

道相智一切相智は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

道相智・一切相智は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)

※道相智:道種智
菩薩が衆生を教化する為に
道の種別を知り尽くす智慧

※一切相智:一切種智
すべての存在に関して平等の相に即して
差別の相をさらに精細に知る智慧





一切菩薩摩訶薩行空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の菩薩摩訶薩の行は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の菩薩 摩訶薩の仏道修行(行業)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





諸佛無上正等菩提空寂清淨句義是菩薩句義。

諸仏の無上正等菩提は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

諸々の仏の
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切異生法空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の異生の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の未だ悟りを得ていない者(異生)の
存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切預流一來不還阿羅漢獨覺菩薩如來法空寂
清淨句義是菩薩句義。

一切の預流・一来・不還・阿羅漢・独覚
・菩薩・如来の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の預流・一来・不還・阿羅漢独覚
菩薩如来の存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切善非善法空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の善・非善の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の善・非善の存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切有記無記法有漏無漏有爲無爲法
世間出世間法空寂
清淨句義是菩薩句義。

一切の有記・無記の法
有漏・無漏・有為・無為の法
 世間・出世間の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の有記・無記の存在(
有漏・無漏有為・無為の存在(
世間出世間の存在()は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





所以者何。

所以(ゆえ)は何(いか)ん

何故ならば





以一切法自性空故自性遠離。

一切法の自性空なるを以っての故に 自性を遠離す


あらゆる存在(一切法)の
本来の性質(自性)は
である だから
独立し存在する実体(自性)から
遠く離れている




由遠離故自性寂靜。

遠離に由るが故に 自性寂静たり

遠く離れているから
本来の性質(自性)は
寂静である





由寂靜故自性清淨。

寂静に由るが故に 自性清浄なり

寂静であるから
本来の性質(自性)は
清浄である





由清淨故甚深般若波羅蜜多最勝清淨。

清浄に由るが故に
甚深般若波羅蜜多は最勝清浄なり

清浄であるから
甚だ深遠な
真理を認識する(般若)智慧の完成(波羅蜜多)は
最も勝れて清浄である





如是般若波羅蜜多。當知即是菩薩句義。

是の如き般若波羅蜜多
当に知るべし 即ち是れ菩薩の句義なり


このような
真理を認識する智慧(般若)の完成(波羅蜜多
こそ
菩薩という言葉の意味(句義)であると
知るべきであり





諸菩薩衆皆應修學。

諸菩薩衆は 皆 応に修学すべしと

諸々の求道者たち(菩薩衆)は 皆
まさに学び修めるべきである




佛説如是菩薩句義般若理趣清淨法已。

仏は是の如き
菩薩の句義たる般若の理趣にして
清浄なる法を説き已りて

仏は このような
菩薩という言葉の意味(句義)という
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
清浄な仏の教え(仏法)を 説きおわると





告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて このように言われた





若有得聞此一切法
甚深微妙般若理趣清淨法門深信受者。

若し此の一切法の 甚深微妙なる般若理趣の
清浄法門を聞くを得て 深く信受すること有らば

もし この あらゆる存在(一切法)の
甚だ深淵で 趣深く繊細(微妙)な
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
清浄な仏の教え(法門)を
聞くことが出来て 深く信じ 受け入れるのなら





乃至當坐妙菩提座。一切障蓋皆不能染。

乃至 当に妙菩提座に坐すまで
一切の障蓋は皆 染する能はず

確実に 精妙な悟りの境地(菩提)という座に
坐る時まで
一切の仏道修行を妨げるもの(業蓋)は 皆
汚染することが出来ないだろう





謂煩惱障業障報障。雖多積集而不能染。

謂われは 煩悩障・業障・報障
多く積集すと雖も 染する能わず

その理由は
修行と その前段階の善根を妨げる
三つの障害(煩悩障・業障・報障)が
どれだけ多く積み集まっても
汚染することが出来ないからだ






雖造種種極重惡業而易消滅不墮惡趣。

種種の極重の悪業を造ると雖も
易(たやす)く消滅し 悪趣に堕ちるまじ

種々の極めて重い悪業を造ろうと
容易に消滅し 悪趣に堕ちないだろう





若能受持日日讀誦精勤無間如理思惟。

若し能く受持して日日読誦し
精勤無間にして 理の如く思惟せば

もし十分に受け止めて保持(受持)し 日々読誦し
間断なく精勤して 理のとおりに思惟すれば





彼於此生定得一切法平等性金剛等持。

彼れは此の生に於いて
一切法の平等性・金剛の等持を得て

その人は この生涯で
あらゆる存在(一切法)の平等なる本性と
壊れることの無い(金剛)不動の心(等持)を得て





於一切法皆得自在。恒受一切勝妙喜樂。

一切法に於いて 皆 自在を得て
恒に一切の勝妙なる喜楽を受け

あらゆる存在(一切法)において 皆 自在を得て
つねに 一切の勝れて妙なる喜びや楽しみを受け





當經十六大菩薩生。定得如來執金剛性

当に十六大菩薩の生を経て
定んで如来の執金剛性を得

間違いなく 十六大菩薩の生き方を経て
必ず 如来の執金剛の本性を得て





疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せんと

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう
.
.
.

爾時世尊爲諸菩薩。
説一切法甚深微妙般若理趣清淨法門。

爾の時 世尊は諸の菩薩の為に説きたまわく
一切法は甚深微妙なる般若の理趣にして
清浄なる法門なり

その時 お釈迦様(世尊)は
諸々の求道者(菩薩)たちの為に説かれた
あらゆる存在(一切法)は
甚だ深く 精微で深奥(微妙)な
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
清浄な仏の教え(法門)である





此門即是菩薩句義。

此の門は 即ち是れ菩薩の句義なり

この仏の教え(法門)は
すなわち 菩薩という言葉の意味(句義)である





云何名爲菩薩句義。

云何(いかん)が名づけて 菩薩の句義と為す

なぜ 菩薩という言葉の意味(句義)と名付けたのか





謂極妙樂清淨句義是菩薩句義。

謂れは 極めて妙楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

その理由は
極めて妙麗な幸福(
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である
だからだ





諸見永寂清淨句義是菩薩句義。

諸見は永寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

諸々の誤った考え方(邪険)が永遠に静まる
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





微妙適悦清淨句義是菩薩句義。

微妙にして適悦なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

趣深く繊細(微妙)にして こころに適う悦び
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





渇愛永息清淨句義是菩薩句義。

渇愛は永息せり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

激しい執着(渇愛)が 永遠に終息している
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





胎藏超越清淨句義是菩薩句義。

胎蔵は超越せり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

仏の大悲が衆生を守護し育てること(胎蔵
常識や限界を 遥かに超えたもの(超越)である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である




衆徳莊嚴清淨句義是菩薩句義。

衆徳で荘厳す
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり


数多く(衆多)積み上げた功徳
その身を飾る(荘厳
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





意極猗適清淨句義是菩薩句義。

意は極めて猗適なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

心の働き(意業)が極めて美しく(猗靡)適切である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





得大光明清淨句義是菩薩句義。

大光明を得たり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

巨大な光明を得る
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





身善安樂清淨句義是菩薩句義。

身は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

振る舞い(身業)が善くて(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





語善安樂清淨句義是菩薩句義。

語は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

話す言葉(口業・語業)が善くて
(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





意善安樂清淨句義是菩薩句義。

意は善にして安楽なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

心の働き(意業)が善くて
(心身が)安楽である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色蘊空寂清淨句義是菩薩句義。

色蘊は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

五蘊の要素の)色蘊は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





受想行識蘊空寂清淨句義是菩薩句義。

受想行識蘊は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(五蘊の要素の)受蘊、想蘊、行蘊、識蘊
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼處空寂清淨句義是菩薩句義。

眼処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二処の中の 六根・六内処の一つの)
視覚器官(眼処)は空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意處空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根・六内処の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
意識をもたらす内的器官()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色處空寂清淨句義是菩薩句義。

色処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二処の中の 六境の一つの)
視覚器官が認識する対象は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





聲香味觸法處空寂清淨句義是菩薩句義。

声香味触法処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六境の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官
意識をもたらす内的器官が認識する対象は
である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼界空寂清淨句義是菩薩句義。

眼界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六根の一つの)
視覚器官は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意界空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官 そして
意識をもたらす内的器官は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





色界空寂清淨句義是菩薩句義。

色界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六境の一つの)
視覚器官が 認識する対象は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





聲香味觸法界空寂清淨句義是菩薩句義。

声香味触法界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六境の)
聴覚器官 嗅覚器官 味覚器官 触覚器官 そして
意識をもたらす内的器官が 認識する対象は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼識界空寂清淨句義是菩薩句義。

眼識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十八界の中の 六識の一つの)
眼識は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意識界空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六識の)
耳界・鼻界・舌界・身界・意識界は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼觸空寂清淨句義是菩薩句義。

眼触は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

眼の感覚と対象と識別作用が
触れ合うこと()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意觸空寂清淨句義是菩薩句義。

耳鼻舌身意触は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

耳・鼻・舌・身・意の
感覚と対象と識別作用が
触れ合うこと()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眼觸爲縁所生諸受空寂清淨句義是菩薩句義。

眼触を縁と為して生ずる所の諸受は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六根の一つの)
眼の感覚を縁として生じる
諸々の感受作用は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





耳鼻舌身意觸爲縁所生諸受空寂清淨句義
是菩薩句義。

耳鼻舌身意触を縁と為して生ずる所の
諸受は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六根である)
耳・鼻・舌・身・意の感覚を縁として生じる
諸々の感受作用は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





地界空寂清淨句義是菩薩句義。

地界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

「(六界六大の一つである)
地の要素(地界)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





水火風空識界空寂清淨句義是菩薩句義。

水火風空識界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六界六大の)
水・火・風・空・識の要素は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





苦聖諦空寂清淨句義是菩薩句義。

苦聖諦は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四聖諦の一つである)
苦聖諦は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





集滅道聖諦空寂清淨句義是菩薩句義。

集滅道聖諦は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の四聖諦の)
集聖諦滅聖諦道聖諦は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





因縁空寂清淨句義是菩薩句義。

因縁は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四縁の一つ)
因縁は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





等無間縁所縁縁増上縁空寂清淨句義是菩薩句義。

等無間縁・所縁縁・増上縁は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の四縁の)
等無間縁所縁縁増上縁は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無明空寂清淨句義是菩薩句義。

無明は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

十二因縁の一つ)
根本的な無知(無明)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





行識名色六處觸受愛取有生老死空寂清淨句義
是菩薩句義。

行識名色六処触受愛取有生老死は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十二因縁の)
行・識・名・色・六処・触・受・愛・
取・有・生・老・死は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





布施波羅蜜多空寂清淨句義是菩薩句義。

布施波羅蜜多は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六波羅蜜の一つ)
施しを与える(布施)菩薩の修行(波羅蜜多)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多空寂
清淨句義是菩薩句義。

浄戒・安忍・精進・静慮・般若 波羅蜜多は
空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の六波羅蜜の)
戒律を守る() 耐え忍ぶ(忍辱) 
励む(精進) 精神を集中させる(禅定
真理を認識する(般若
といった菩薩の修行(波羅蜜多)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





眞如空寂清淨句義是菩薩句義。

真如は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

万物の本体としての永久不変の真理(真如)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





法界法性不虚妄性不變異性平等性離生性法定
法住實際虚空界不思議界空寂清淨句義是菩薩句義。


法界・法性・不虚妄性・不変異性
・平等性・離生性・
法定・法住・実際・虚空界・不思議界は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

法界法性・不虚妄性・不変異性
・平等性・離生性・
法定・法住・実際・虚空界・不思議界は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四靜慮空寂清淨句義是菩薩句義。

四静慮は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

 色界の4段階の禅・静慮(四静慮)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四無量四無色定空寂清淨句義是菩薩句義。

四無量心・四無色定は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

4種の哀れみの心(四無量心)と
心の働きだけの世界(無色界)に生じる
4種の禅定(四無色定)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である




四念住空寂清淨句義是菩薩句義。

四念住は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三十七道品の最初の修行法の)
四念住は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支空寂
清淨句義是菩薩句義。

四正断・四神足・五根・五力
・七等覚支・八聖道支は 空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

「(その他の三十七道品の)
四正断四神足五根五力
七等覚支八聖道支は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





空解脱門空寂清淨句義是菩薩句義。

空解脱門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三解脱門の一つ)
空解脱門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無相無願解脱門空寂清淨句義是菩薩句義。

無相解脱門・無願解脱門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の三解脱門の)
無相解脱門・無願解脱門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八解脱空寂清淨句義是菩薩句義。

八解脱は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八解脱は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八勝處九次第定十遍處空寂清淨句義是菩薩句義。

八勝処・九次第定・十遍処は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八勝処・九次第定・十遍処は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





極喜地空寂清淨句義是菩薩句義。

極喜地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

華厳経などが説く十地の一つ)
極喜地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





離垢地發光地焔慧地極難勝地現前地遠行地不動地善慧地法雲地空寂清淨句義是菩薩句義。

離垢地・発光地・焔慧地・極難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十地の)
離垢地・発光地・焔慧地・極難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





淨觀地空寂清淨句義是菩薩句義。

浄観地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(大品般若経などが説く十地の一つ)
浄観地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





種性地第八地具見地薄地離欲地已辦地獨覺地菩薩地如來地空寂清淨句義是菩薩句義。

種性地・第八地・具見地・薄地・離欲地・已辦地・独覚地・菩薩地・如来地は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

(その他の十地の)
種性地・第八地・具見地・薄地・離欲地・已辦地・独覚地・菩薩地・如来地は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切陀羅尼門空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の陀羅尼門は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の陀羅尼の仏の教え(法門)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切三摩地門空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の三摩地門は空寂なり
という清浄なる句 是れ菩薩の句義なり

一切の三摩地法門は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





五眼空寂清淨句義是菩薩句義。

五眼は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

五眼は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





六神通空寂清淨句義是菩薩句義。

六神通は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

六神通は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





如來十力空寂清淨句義是菩薩句義。

如来の十力は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

如来の十力は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨
十八佛不共法空寂
清淨句義是菩薩句義。

四無所畏・四無礙解・大慈・大悲・大喜・大捨
・十八仏不共法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

四無所畏四無礙解大慈・大悲・大喜・大捨十八仏不共法
空寂であるという清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





三十二相空寂清淨句義是菩薩句義。

三十二相は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

三十二相は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





八十隨好空寂清淨句義是菩薩句義。

八十随好は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

八十随好は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





無忘失法空寂清淨句義是菩薩句義。

無忘失法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

無忘失の法は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





恒住捨性空寂清淨句義是菩薩句義。

恒住する捨性は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

常に心を平静な状態に住まらせる
資性(恒住捨性)は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切智空寂清淨句義。是菩薩句義。

一切智は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切智は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





道相智一切相智空寂清淨句義是菩薩句義。

道相智一切相智は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

道相智・一切相智は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)

※道相智:道種智
菩薩が衆生を教化する為に
道の種別を知り尽くす智慧

※一切相智:一切種智
すべての存在に関して平等の相に即して
差別の相をさらに精細に知る智慧





一切菩薩摩訶薩行空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の菩薩摩訶薩の行は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の菩薩 摩訶薩の仏道修行(行業)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





諸佛無上正等菩提空寂清淨句義是菩薩句義。

諸仏の無上正等菩提は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

諸々の仏の
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切異生法空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の異生の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の未だ悟りを得ていない者(異生)の存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切預流一來不還阿羅漢獨覺菩薩如來法空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の預流・一来・不還・阿羅漢・独覚
・菩薩・如来の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の預流・一来・不還・阿羅漢独覚
菩薩如来の存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切善非善法空寂清淨句義是菩薩句義。

一切の善・非善の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の善・非善の存在()は 空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





一切有記無記法有漏無漏有爲無爲法
世間出世間法空寂
清淨句義是菩薩句義。

一切の有記・無記の法
有漏・無漏・有為・無為の法
 世間・出世間の法は空寂なり
という清浄な句義 是れ菩薩の句義なり

一切の有記・無記の存在(
有漏・無漏有為・無為の存在(
世間出世間の存在()は
空寂である
という清浄な言葉の意味(句義)
これが菩薩という言葉の意味(句義)である





所以者何。

所以(ゆえ)は何(いか)ん

何故ならば





以一切法自性空故自性遠離。

一切法の自性空なるを以っての故に 自性を遠離す


あらゆる存在(一切法)の
本来の性質(自性)は
である だから
独立し存在する実体(自性)から
遠く離れている




由遠離故自性寂靜。

遠離に由るが故に 自性寂静たり

遠く離れているから
本来の性質(自性)は
寂静である





由寂靜故自性清淨。

寂静に由るが故に 自性清浄なり

寂静であるから
本来の性質(自性)は
清浄である





由清淨故甚深般若波羅蜜多最勝清淨。

清浄に由るが故に
甚深般若波羅蜜多は最勝清浄なり

清浄であるから
甚だ深遠な
真理を認識する(般若)智慧の完成(波羅蜜多)は
最も勝れて清浄である





如是般若波羅蜜多。當知即是菩薩句義。

是の如き般若波羅蜜多
当に知るべし 即ち是れ菩薩の句義なり


このような
真理を認識する智慧(般若)の完成(波羅蜜多)こそ
菩薩という言葉の意味(句義)であると
知るべきであり





諸菩薩衆皆應修學。

諸菩薩衆は 皆 応に修学すべしと

諸々の求道者たち(菩薩衆)は 皆
まさに学び修めるべきである




佛説如是菩薩句義般若理趣清淨法已。

仏は是の如き
菩薩の句義たる般若の理趣にして
清浄なる法を説き已りて

仏は このような
菩薩という言葉の意味(句義)という
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
清浄な仏の教え(仏法)を 説きおわると





告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて このように言われた





若有得聞
此一切法甚深微妙般若理趣清淨法門深信受者。

若し此の一切法の 甚深微妙なる般若理趣の
清浄法門を聞くを得て 深く信受すること有らば

もし この あらゆる存在(一切法)の
甚だ深淵で 趣深く繊細(微妙)な
真理を認識する智慧(般若)への筋道(理趣)にして
清浄な仏の教え(法門)を
聞くことが出来て 深く信じ 受け入れるのなら





乃至當坐妙菩提座。一切障蓋皆不能染。

乃至 当に妙菩提座に坐すまで
一切の障蓋は皆 染する能はず

確実に 精妙な悟りの境地(菩提)という座に
坐る時まで
一切の仏道修行を妨げるもの(業蓋)は 皆
汚染することが出来ないだろう





謂煩惱障業障報障。雖多積集而不能染。

謂われは 煩悩障・業障・報障
多く積集すと雖も 染する能わず

その理由は
修行と その前段階の善根を妨げる
三つの障害(煩悩障・業障・報障)が
どれだけ多く積み集まっても
汚染することが出来ないからだ






雖造種種極重惡業而易消滅不墮惡趣。

種種の極重の悪業を造ると雖も
易(たやす)く消滅し 悪趣に堕ちるまじ

種々の極めて重い悪業を造ろうと
容易に消滅し 悪趣に堕ちないだろう





若能受持日日讀誦精勤無間如理思惟。

若し能く受持して日日読誦し
精勤無間にして 理の如く思惟せば

もし十分に受け止めて保持(受持)し
日々読誦し
間断なく精勤して 理のとおりに思惟すれば





彼於此生定得一切法平等性金剛等持。

彼れは此の生に於いて
一切法の平等性・金剛の等持を得て

その人は この生涯で
あらゆる存在(一切法)の平等なる本性と
壊れることの無い(金剛)不動の心(等持)を得て





於一切法皆得自在。恒受一切勝妙喜樂。

一切法に於いて 皆 自在を得て
恒に一切の勝妙なる喜楽を受け

あらゆる存在(一切法)において 皆 自在を得て
つねに 一切の勝れて妙なる喜びや楽しみを受け





當經十六大菩薩生。定得如來執金剛性

当に十六大菩薩の生を経て
定んで如来の執金剛性を得

間違いなく 十六大菩薩の生き方を経て
必ず 如来の執金剛の本性を得て





疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せんと

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

三 性平等現等覚門

( 目次へ戻る )





.
爾時世尊復依遍照如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た 遍く照す如来の相に依りて
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 お釈迦様(世尊)はまた
遍く照らすもの という
如来(遍照如來・大日如来)の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説





般若波羅蜜多一切如來寂靜法性甚深理趣現等覺門。

般若波羅蜜多は
一切如来の寂静法性たる甚深の理趣にして
現等覚の門なり

真理を認識する智慧(般若)の完成(波羅蜜多)は
一切の如来の 寂静な真の本性(法性)であり
甚だ深淵な 真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
悟りの境地(現等覚)への門である





謂金剛平等性現等覺門。

謂れは 金剛の平等性は 現等覚の門なり

その理由は
壊れることの無い金剛の平等な本性は
悟りの境地(現等覚)への門であるからだ





以大菩提堅實難壞如金剛故。

大菩提の堅実にして難壊なること
金剛の如きを以っての故に

偉大な悟りの境地(菩提)が
堅実にして壊れ難いのは
金剛の様なものなのだから





義平等性現等覺門。

義の平等性は 現等覚の門なり

主体的な心のはたらき(の平等な本性は
悟りの境地(現等覚)への門である





以大菩提其義一故。

大菩提 其の義は 一なるを以っての故に

偉大な悟りの境地(菩提)
その意味する内容(意義)は一つなのだから





法平等性現等覺門。

法の平等性は 現等覚の門なり

の平等な本性は
悟りの境地(現等覚)への門である





以大菩提自性淨故。

大菩提は 自性浄なるを以っての故に

偉大な悟りの境地(菩提)は
本来の性質(自性)が清浄なのだから





一切法平等性現等覺門。

一切法の平等性は現等覚の門なり

あらゆる存在(一切法)の平等な本性は
悟りの境地(現等覚)への門である





以大菩提於一切法無分別故。

 大菩提は一切法に於いて分別無きを以っての故に

偉大な悟りの境地(菩提)というのは
あらゆる存在(一切法)に関して 分別が無いから





佛説如是寂靜法性般若理趣現等覺已。

仏は 是の如き寂静の法性なる
般若の理趣にして現等覚を説き已り

仏は このような 寂静な本性(法性)という
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
悟りの境地(現等覚)についてを 説きおえると





告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて このように言われた





若有得聞如是四種般若理趣現等覺門。

若し是の如き 四種の般若の理趣にして
現等覚の門を 聞くを得て

もし このような
四種類(金剛・義・法・一切法)の
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
現実的な仏への門を 聞くことが出来て





信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば





乃至當坐妙菩提座。

乃至 当に妙菩提の座に 坐すときまで

確実に
精妙な悟りの境地(菩提)の座に坐る時まで





雖造一切極重惡業。

一切の極重の悪業を 造ると雖も

一切の極く重い悪業を 造ろうとも





而能超越一切惡趣。

能く一切の悪趣を 超越し

一切の悪業の結果として堕ちる悪い境界(悪趣)を
超越することが出来





疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証すべし

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

四 無戯論普勝法門

( 目次へ戻る )






爾時世尊復依調伏一切惡法釋迦牟尼如來之相。
爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た 一切の悪法を調伏する
釈迦牟尼如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
一切の悪い存在(悪)・成道の妨げを取り除く(調伏)釈迦族の聖者(釈迦牟尼
という如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説





般若波羅蜜多攝受一切法平等性甚深理趣普勝法門。

般若波羅蜜多は 一切法を摂受する
平等性の甚深理趣にして普勝法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
あらゆる存在(一切法)を受け入れて
穏やかに説得すること(摂受)であり
平等で 甚だ深淵な真理を認識する
智慧(般若)への筋道(理趣)にして
普遍の 勝れた仏の教え(法門)である





謂貪欲性無戲論故瞋恚性亦無戲論。

謂れは 貪欲性は無戯論なり
故に瞋恚性も亦た無戯論なり

その理由は
欲深さ(貪欲)は 戯論では無い だから
憎しみ嫌うこと(瞋恚)の
本性(法性)もまた 戯論では無い
だからだ

※ 戯論
感覚と関係の無い 心の中で創られた形而上の妄想





瞋恚性無戲論故愚癡性亦無戲論。

瞋恚性は 無戯論なるが故に
愚癡性も亦た無戯論なり

憎しみ・嫌うこと(瞋恚)の本性は
戯論では無いのだから
無知で 真理に暗いこと(愚癡)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





愚癡性無戲論故猶預性亦無戲論。

愚癡性は 無戯論なるが故に
猶豫性も亦た無戯論なり

無知で真理に暗いこと(愚癡)の本性は
戯論では無いのだから
疑いためらうこと(猶豫)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





猶豫性無戲論故諸見性亦無戲論。

猶豫性は 無戯論なるが故に
諸見性も亦た無戯論なり

疑いためらうこと(猶豫)の本性は
戯論では無いのだから
諸々の間違った見解を持つこと(諸見)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





諸見性無戲論故憍慢性亦無戲論。

諸見性は 無戯論なるが故に
憍慢性も亦た無戯論なり

諸々の間違った見解を持つこと(諸見)の本性は
戯論では無いのだから
おごり高ぶり(憍慢)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





憍慢性無戲論故諸纒性亦無戲論。

憍慢性は 無戯論なるが故に
諸纏性も亦た無戯論なり

おごり高ぶり(憍慢)の本性は
戯論では無いのだから
諸々の 煩悩がわりつくことの
本性(法性)もまた 戯論では無い





諸纒性無戲論故煩惱垢性亦無戲論。

諸纏性は 無戯論なるが故に
煩悩垢性も亦た無戯論なり

諸々の 煩悩が まとわりつくこと()の本性は
戯論では無いのだから
絶ちがたい煩悩(煩悩垢)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





煩惱垢性無戲論故諸惡業性亦無戲論。

煩悩垢性は 無戯論なるが故に
諸悪業性も亦た無戯論なり

絶ちがたい煩悩(煩悩垢)の本性は
戯論では無いのだから
諸々の 悪い行い(悪業)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





諸惡業性無戲論故諸果報性亦無戲論。

諸悪業性は 無戯論なるが故に
諸果報性も亦た無戯論なり

諸々の 悪い行為(悪業)の本性は
戯論では無いのだから
諸々の行為の報いを受けること(果報)の
本性(法性)もまた 戯論では無い






諸果報性無戲論故雜染法性亦無戲論。

諸果報性は 無戯論なるが故に
雑染法性も亦た無戯論なり

諸々の行為の報いを受けること(果報)の本性は
戯論では無いのだから
煩悩が心を染め汚すこと(雑染)の
本性(法性)もまた 戯論では無い





雜染法性無戲論故清淨法性亦無戲論。

雑染法性は 無戯論なるが故に
清浄法性も亦た無戯論なり

煩悩が心を染め汚すこと(雑染)の
本性(法性)は
戯論では無いのだから
清浄
本性(法性)もまた 戯論では無い





清淨法性無戲論故一切法性亦無戲論。

清浄法性は 無戯論なるが故に
一切法性も亦た無戯論なり

清浄本性法性)は
戯論では無いのだから
一切の
本性(法性)もまた 戯論では無い





一切法性無戲論故當知般若波羅蜜多亦無戲論。

一切法性は 無戯論なるが故に
当に知るべし
般若波羅蜜多も亦た無戯論なりと

あらゆる存在(一切法)の本性は
戯論では無い
だから 知るべきである
真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)もまた
戯論では無いと




佛説如是調伏衆惡般若理趣普勝法已。

仏は 是の如き衆悪を調伏せし
般若の理趣・普勝の法を説き已え

仏は このような多くの悪を調伏する
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
普遍的な勝れた仏法(法門)を
説きおえると





告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて このように言われた





若有得聞如是般若波羅蜜多甚深理趣。

若し是の如き
般若波羅蜜多の
甚深の理趣を聞くを得て

もし このような
真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)であり
甚だ深淵な筋道(理趣)を 聞くことが出来て





信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば





假使殺害三界所攝一切有情。
而不由斯復墮於地獄傍生鬼界。

仮使(たとい)三界が摂する所の
一切の有情を殺害すとも
斯れに由りて復た地獄・傍生・鬼界に堕ちず

たとえ 迷いの世界(三界)が包摂する所の
一切の心の働きを有するもの(有情)を
殺害し尽くそうと
これが理由で また
地獄界・畜生界(傍生)・餓鬼界(三悪趣)に
堕ちることは無い・・





以能調伏一切煩惱及隨煩惱惡業等故。
常生善趣受勝妙樂。

能く一切の煩悩 及び 随煩悩・悪業等を
調伏するを以っての故に

常に善趣に生じて 勝妙の楽を受ける
一切の根本的煩悩(煩悩)や
根本的煩悩から派生した煩悩(随煩悩)や
悪業等を 調伏することが出来て
常に善趣に生き
勝れて妙なるを受けるだろう





修諸菩薩摩訶薩行。

諸菩薩 摩訶薩の行を修め

諸々の
求道者(菩薩)偉大な衆生(摩訶薩))の
勤めるべき行いを 習い修め





疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

五 性清浄照明法門

( 目次へ戻る )


爾時世尊復以性淨如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た 性浄なる如来の相に依りて
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
清浄なる本性
という如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多
一切法平等性觀自在妙智印甚深理趣清淨法門。

般若波羅蜜多は
一切法の平等性と 自在に観ずる妙智の印であり
甚深の理趣にして 清浄なる法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
あらゆる存在(一切法)の平等さと
自在に観る妙智を現した印であり
甚だ深淵な 真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
清浄な 仏の教え(法門)である




謂一切貪欲本性清淨極照明故能令世間瞋恚清淨。

謂れは 一切の貪欲の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の瞋恚をして清浄ならしむ

その理由は
一切の貪欲(貪り)の本性
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の怒り(瞋恚)を
清浄にすることが出来る
だからである




一切瞋恚本性清淨極照明故能令世間愚癡清淨。

一切の瞋恚の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の愚癡をして清浄ならしむ

一切の瞋恚(怒り)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の愚癡
清浄にすることが出来る




一切愚癡本性清淨極照明故能令世間疑惑清淨。

一切の愚癡の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の疑惑をして
清浄ならしむ

一切の 愚癡(無知)の本性
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の疑惑を
清浄にすることが出来る




一切疑惑本性清淨極照明故能令世間見趣清淨。

一切の疑惑の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の見趣をして清浄ならしむ

一切の疑惑の本性
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の見解(見趣)を
清浄にすることが出来る




一切見趣本性清淨極照明故能令世間憍慢清淨。

一切の見趣の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の憍慢をして清浄ならしむ

一切の見趣(考え方や価値判断)の本性
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)のおごり(憍慢)を
清浄にすることが出来る




一切憍慢本性清淨極照明故能令世間纒結清淨。

一切の憍慢の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の纏結をして清浄ならしむ

一切のおごり(憍慢)の本性
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の煩悩(纏結)を
清浄にすることが出来る




一切纒結本性清淨極照明故能令世間垢穢清淨。

一切の纏結の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の垢穢をして清浄ならしむ

一切の纏結(煩悩)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の汚れ(垢穢)を
清浄にすることが出来る




一切垢穢本性清淨極照明故能令世間惡法清淨。

一切の垢穢の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の悪法をして清浄ならしむ

一切の汚れ(垢穢)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の悪の根源(悪法)を
清浄にすることが出来る




一切惡法本性清淨極照明故能令世間生死清淨。

一切の悪法の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の生死をして清浄ならしむ

一切の悪法(悪の根源)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の生死(輪廻すること)を
清浄にすることが出来る




一切生死本性清淨極照明故能令世間諸法清淨。

一切の生死の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の諸法をして清浄ならしむ

一切の生死(輪廻すること)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の諸々の存在()を
清浄にすることが出来る




以一切法本性清淨極照明故能令世間有情清淨。

一切の法の本性は
清浄にして 極なる照明なる故を以って
能く世間の有情をして清浄ならしむ

一切の(存在・法則・真理)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の
心の働きを有するもの(有情)を
清浄にすることが出来る




一切有情本性清淨極照明故能令世間一切智清淨。

一切の有情の本性は
清浄にして 極なる照明なり
故に 能く世間の一切智をして清浄ならしむ

一切の心の働きを有するもの(有情)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の一切智(仏の智慧)を
清浄にすることが出来る




以一切智本性清淨極照明故能令世間甚深般若波羅蜜多最勝清淨。

一切智の本性は
清浄にして 極なる照明なる故を以って
能く世間の甚深般若波羅蜜多をして
最勝清浄ならしむ

一切智(仏の智慧)の本性は
清浄にして 究極の照明だから
迷いの世界(世間)の
甚だ深淵な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)を
最も勝れた清浄なものに出来る




佛説如是平等智印般若理趣清淨法已。

仏は 是の如き平等の智印であり
般若への理趣にして清浄な法を説き已りて

仏は このような平等な仏の智慧(智印)であり
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
清浄な 仏の教え(法門)を説きおえると・・




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是般若波羅蜜多清淨理趣。

若し是の如き
般若波羅蜜多・清浄の理趣を聞くを得て

もし このような
真理を認識する智慧(般若)の
完成(波羅蜜多)であり
清浄なる筋道(理趣)を 聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




雖住一切貪瞋癡等客塵煩惱垢穢聚中。

一切の貪瞋癡等の客塵煩悩
垢穢の聚中に住すと雖も

一切の 貪瞋癡等の心を外から汚す
塵のような煩悩(客塵煩悩)や
垢や穢れ(垢穢)が集まる中に住(とど)まろうと




而猶蓮華不爲一切客塵垢穢過失所染。

猶お 蓮華の
一切の客塵・垢穢・過失の染する所と為らず

ちょうど 泥中に咲きながらも
泥に染まらない蓮の花のように
一切の 煩悩(客塵)・汚れ(垢穢)・過失
染まることが無い




常能修習菩薩勝行。

常に能く菩薩の勝行を修習して

常に 求道者(菩薩)の
勝れた行いを修習することが出来るので




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

六 一切施智蔵法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復依一切三界勝主如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は 復た
一切の三界の勝主たる如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
三種の迷いの世界(三界)における
一切の勝れた主 という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多一切如來和合灌頂甚深理趣智藏法門。

般若波羅蜜多は
一切の如来の和合せし潅頂への甚深な理趣にして
智蔵の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
一切の如来が参集(和合)して行われる
潅頂への 甚だ深淵な筋道(理趣)にして
智慧を蔵する仏の教え(法門)である

※ 潅頂
水を注いで 仏の位に達したことを証明する儀式




謂以世間灌頂位施。當得三界法王位果。

謂れは 世間の潅頂位を以って施さば
当に三界の法王位の果を得べし

その理由は
迷いの世界(世間)の仏の位に達したと
証明された(潅頂
悟りの位(果位)を以って
施しを与えるなら
きっと三界の法王の位という果報を得るだろう




以出世間無上義施。當得一切希願滿足。

出世間の無上の義を以って施さば
当に一切の希願の満足することを得べし

悟りの境地(出世間)の
無上の寄進()を以って
施しを与えるなら
きっと一切の説なる願い(希願)が
満足する果報を得るだろう




以出世間無上法施。於一切法當得自在。

出世間の無上の法を以って施さば
一切の法に於いて 当に自在を得べし

悟りの境地(出世間)の無上の仏法を以って
施しを与えるなら
あらゆる存在(一切法)において
きっと なにものにも囚われない境地(自在)を
得るだろう




若以世間財食等施。當得一切身語心樂。

若し世間の財食等を以って施さば
当に一切の身語心の楽を得ん

もし世間の 財産や食料等を以って
施しを与えるなら
きっと一切の行為(三業)において安楽()を
得るだろう




若以種種財法等施。能令布施波羅蜜多速得圓滿。

若し種種の財法等を以って施さば
能く布施波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

もし種々の財産や仏の教え(仏法)等を以って
施しを与えるなら
布施する修行(波羅蜜多)が出来て
すみやかに円満の境地を得るだろう




受持種種清淨禁戒能令淨戒波羅蜜多速得圓滿。

種種の清浄の禁戒を受持せば
能く浄戒波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

もし 種々の清浄な戒めを受け入れて保持(禁戒)すれば
清浄な戒を守る(浄戒)修行(波羅蜜多)が出来て
すみやかに円満の境地を得るだろう




於一切事修學安忍能令安忍波羅蜜多速得圓滿。

一切の事に於いて 安忍を修学せば
能く安忍波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

一切の出来事において
耐え忍ぶこと(安受苦忍)を学び修めれば
耐え忍ぶ(安受苦忍)修行(波羅蜜多)が出来て
すみやかに円満の境地を得るだろう




於一切時修習精進能令精進波羅蜜多速得圓滿。

一切の時に於いて 精進を修習せば
能く精進波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

一切の時において
努力すること(精進)を習い修めれば
努力する(精進)という修行(波羅蜜多)が出来て
すみやかに円満の境地を得るだろう




於一切境修行靜慮能令靜慮波羅蜜多速得圓滿。

一切の境に於いて 静慮を修行せば
能く静慮波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

一切の境遇において
心を一つの対象に集中させること(静慮・禅定)を
修めて行えば
心を一つの対象に集中させる(静慮)という修行(波羅蜜多)が出来て
すみやかに円満の境地を得るだろう




於一切法常修妙慧能令般若波羅蜜多速得圓滿。

一切法に於いて 妙なる慧を常修せば
能く般若波羅蜜多をして 速かに円満を得ん

あらゆる存在(一切法)において
妙なる智慧を常に修めれば
真理を認識する智慧を完成(般若 波羅蜜多)することが出来て
すみやかに円満を得るだろう




佛説如是灌頂法門般若理趣智藏法已。

仏は 是の如き
潅頂法門なる般若の理趣にして
智蔵法を説き已りて

仏は このような
潅頂への仏の教え(法門)であり
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
智慧を蔵する仏の教え(法門)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是灌頂甚深理趣智藏法門。

若し是の如き潅頂の甚深の理趣にして
智蔵の法門を聞くを得て

もし このような潅頂への
甚だ深淵な筋道(理趣)にして
智慧を蔵する仏の教え(法門)を
聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




速能滿足諸菩薩行。

速かに能く諸の菩薩行を満足し

すみやかに
諸々の菩薩の修行を
満足に行うことが出来て・・




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう







誕生仏と花御堂の写真

七 菩提心金剛法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復
依一切如來智印持一切佛祕密法門如來之相。
爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
一切の如来の智印の
一切の仏の秘密法門を持す如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊(お釈迦様)は また
一切の如来に具わる智慧を象徴する印(智印)や
一切の如来の秘密の法門を持つもの
という如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多一切如來住持智印甚深理趣金剛法門

般若波羅蜜多は
一切の如来の住持する智印なる甚深の理趣にして
金剛の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
一切の如来がかたく守る(住持)智慧を象徴する
印(智印)への
甚だ深淵な筋道(理趣)にして
極めて強固で 壊れることのない(金剛
仏の教え(法門)である




謂具攝受一切如來金剛身印當證一切如來法身。

謂れは 一切如来の金剛なる身の印を
具(つぶさ)に摂受せば
当に一切の如来の法身を証すべし

その理由は
一切の如来の
壊れることのない(金剛)身体の法印を
ことごとく受け入れれば(摂受
一切の如来の永遠不滅の真理(法身)を
きっと悟り得る()からである




若具攝受一切如來金剛語印於一切法當得自在。

若し具に 一切の如来の金剛語の印を摂受せば
當(まさ)に 一切の法に於いて自在を得べし

もし一切の如来の壊れることのない(金剛
言語の法印を
ことごとく受け入れれば(摂受
一切の存在するもの()の中で
何物にも囚われない境地(自在)を
きっと得る




若具攝受一切如來金剛心印於一切定當得自在。

若し具に一切の如来の金剛心の印を摂受せば
當(まさ)に
一切の定に於いて 自在を得べし

もし一切の如来の壊れることのない(金剛)心(意)の法印を
ことごとく受け入れれば(摂受
一切の 精神統一(・三昧)において
何物にも囚われない境地(自在)を
きっと得る




若具攝受一切如來金剛智印能得最上妙身語心。
猶若金剛無動無壞。

若し一切の如来の金剛智の印を
具(つぶさ)に摂受せば
能く最上妙の身語心を得て
猶お 金剛の若く無動無壊なるべし

もし一切の如来の壊れることのない(金剛
智慧の印を
ことごとく受け入れれば(摂受
最上の絶妙な 身体・口・心の活動(身語心)を
得ることが出来
さらに 壊れることのない金剛のように
動じることが無く 壊れることも無い




佛説如是如來智印般若理趣金剛法已。

仏は、是の如き 如来の智印たる
般若の理趣にして金剛の法を 説き已りて

仏は このような
如来に具わる智慧を象徴する印(智印)であり
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
壊れることのない(金剛)仏の教え(仏法)を
説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是智印甚深理趣金剛法門。

若し 是の如き智印たる
甚深の理趣にして金剛の法門を聞くを得て

もし このような
智慧を象徴する印(智印)で
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
壊れることのない(金剛)仏の教え(法門)を
聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




一切事業皆能成辦。

一切の事業 皆を能く成辦す

一切の行い(事業)すべてを
成就(成辦)することが出来る




常與一切勝事和合。

常に一切の勝事と和合し

常に 一切のすばらしい出来事(勝事)と
混じり合い(和合




所欲修行一切勝智。諸勝福業皆速圓滿。

修行せんと欲する所の 一切の勝智
諸の勝れし福業を 皆速かに円満す

修行しようと欲する所の 一切の勝れた智慧や
諸々の勝れた 福楽を招く行い(福業)を
すべて すみやかに全うし(円満




當獲最勝淨身語心。

当に最勝浄の身語心を獲て

最も勝れた清浄な
身体・口・心の活動(身語心)を
きっと獲得するだろう




猶若金剛不可破壞。

猶お金剛の破壊すべからざるが若く

さらになお
金剛を破壊することが出来ないように




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

八 無戯論性空法門

( 目次へ戻る )





爾時世尊復依一切無戲論法如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は 復た
一切は無戯論法なる如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊(お釈迦様)は また
一切 戯論の無い真理(
という如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説

※ 戯論:けろん
感覚と関係がない、心で創られた形而上の妄想




般若波羅蜜多甚深理趣輪字法門。

般若波羅蜜多は 甚深の理趣にして輪字の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
甚だ深遠な筋道(理趣)であり
輪の字形をした仏の教え(法門)である




謂一切法空無自性故。

謂れは 一切法は空なり 自性無き故に

その理由は
あらゆる存在(一切法)は
空:śūnyatāだからだ
なぜなら
あらゆる存在には
自性(実体)が無いからだ




一切法無相離衆相故。

一切の法は無相なり 衆相を離るる故に

あらゆる存在(一切法)は
一定の定められた様相が無い(無相
なぜなら
諸々の様相から 離れているから




一切法無願無所願故。

一切の法は無願なり 願う所無き故に

あらゆる存在(一切法)は
無願(無作)である
なぜなら
願い求めるものが無いから




一切法遠離無所著故。

一切の法は 遠離なり 著する所の無き故に

あらゆる存在(一切法)は
遠離(悟りの境地)である
なぜなら
執着する所が無いから




一切法寂靜永寂滅故。

一切の法は寂静なり 永く寂滅する故に

あらゆる存在(一切法)は
寂静である
なぜなら
未来永劫
煩悩の境地を離れている(寂滅)から

※ 寂滅:煩悩の境地を離れた悟りの境地




一切法無常性常無故。

一切の法は無常なり 性の常無き故に

あらゆる存在(一切法)は
常に生滅流転するもの(無常)である
なぜなら
その本性は 常に移り変わるものだから




一切法無樂非可樂故。

一切の法は無楽なり 楽しむべきに非ざる故に

あらゆる存在(一切法)は
安楽()が無い
なぜなら
“楽しむべきもの“ではないからだ




一切法無我不自在故。

一切の法は無我なり 自在ならざる 故に

あらゆる存在(一切法)は
常一主宰実我が無い(無我)
なぜなら
我のように自在を有するものではないから




一切法無淨離淨相故。

一切の法は無浄なり 浄相を離るる故に

あらゆる存在(一切法)は
浄の概念が無い(無浄)
なぜなら
浄などという様相から離れたものだから




一切法不可得推尋其性不可得故。

一切の法は不可得なり
其の性は推尋しようと得ること不可なる故に


あらゆる存在(一切法)は 
求めても得られない(不可得
なぜなら
その本性は 推測し尋ねても(推尋
求め得ることが出来ないものだから




一切法不思議思議其性無所有故。

一切の法は不思議なり
其の性は思議しても所有無き故に

あらゆる存在(一切法)は
人間の認識・理解を越えたもの(不思議)である
なぜなら
その本性を思いはかろうと(思議
何も所有することが無いから




一切法無所有衆縁和合假施設故。

一切の法は無所有なり
衆縁の和合し仮の施設故に

あらゆる存在(一切法)は
所有するものが無い
なぜなら
さまざまな因縁(衆縁)がまじり合った(和合
一時的()な概念(施設)だから




一切法無戲論本性空寂離言説故。

一切の法は無戯論なり
本性は空寂にして 言説を離る故に

あらゆる存在(一切法)は
感覚と関係がない、形而上の妄想(戯論)では無い
なぜなら
あらゆる存在の本性というのは
実体・自性が無く(空寂
言説から離れたものだから




一切法本性淨甚深般若波羅蜜多本性淨故。

一切の法の本性は浄なり
甚深の般若波羅蜜多の本性は 浄なるが故に

あらゆる存在(一切法)の本性は
清浄である
なぜなら
甚だ深遠な真理を認識する
智慧(般若)の完成(波羅蜜多)の本性は
清浄だからだ




佛説如是離諸戲論般若理趣輪字法已。

仏は 是の如く諸の戯論を離れたる
般若の理趣の輪字法を説き已りて

仏は このような諸々の
戯論を離れた
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
輪の文形の仏の教え(仏法)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞此無戲論般若理趣輪字法門。

若し此の無戯論の
般若の理趣なる
輪字の法門を聞くを得て

もし この戯論の無い
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)である
輪の字形の仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




於一切法得無礙智。

一切法に於いて、無礙智を得

あらゆる存在(一切法)において
何ものにも妨げられることがない
智慧(無礙智)を得て




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

九 入広大輪平等性門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復依一切如來輪攝如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
一切の如来の輪を摂する如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊(お釈迦様)は また
一切の如来の輪を包摂するもの という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多入廣大輪甚深理趣平等性門。

般若波羅蜜多は
広大な輪に入る甚深の理趣にして
平等性の門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
広大な輪に入る 甚だ深遠な筋道(理趣)であり
平等な本質()についての
仏の教え(法門)である




謂入金剛平等性能入一切如來性輪故。

謂れは
金剛の平等性に入ることで
能く一切の如来の性に入る
輪である故に

その理由は
金剛の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入義平等性能入一切菩薩性輪故。

義の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入れる
(何故なら それらは)輪であるから




入法平等性能入一切法性輪故。

法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入れる
(何故なら それらは)輪であるから




入蘊平等性能入一切蘊性輪故。

蘊の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

五蘊の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入處平等性能入一切處性輪故。

処の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

十二処の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入界平等性能入一切界性輪故。

界の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

十八界の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入界平等性能入一切界性輪故。

諦の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

諦satyaの平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入縁起平等性能入一切縁起性輪故。

縁起の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

縁起の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入寶平等性能入一切寶性輪故。

宝の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

宝の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入食平等性能入一切食性輪故。

食の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

飲食の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入善法平等性能入一切善法性輪故。

善なる法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

善いの平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入非善法平等性能入一切非善法性輪故。

善にあらざる法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

善ではない法の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入有記法平等性能入一切有記法性輪故。

有記法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

有記(是非を記せるもの)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入無記法平等性能入一切無記法性輪故。

無記法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

無記(是とも非とも記せないもの)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入有漏法平等性能入一切有漏法性輪故。

有漏法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

(煩悩があり迷いの境地)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入無漏法平等性能入一切無漏法性輪故。

無漏法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

無漏(煩悩がない悟りの境地)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入有爲法平等性能入一切有爲法性輪故。

有為法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

有為(因縁によって起こる現象)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入無爲法平等性能入一切無爲法性輪故。

無為法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

無為(生滅変化しない永遠絶対の真実)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入世間法平等性能入一切世間法性輪故。

世間法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

世間(迷える世界)の法の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入出世間法平等性能入一切出世間法性輪故。

出世間法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

出世間(悟りの世界)の法の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入異生法平等性能入一切異生法性輪故。

異生法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

異生(凡夫)の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入聲聞法平等性能入一切聲聞法性輪故。

声聞法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

声聞の法の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入獨覺法平等性能入一切獨覺法性輪故。

独覚法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

独覚の法の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入菩薩法平等性能入一切菩薩法性輪故。

菩薩法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

菩薩の法の平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入如來法平等性能入一切如來法性輪故。

如来法の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に


如来の法の 平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入有情平等性能入一切有情性輪故。

有情の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

心の働きを有するもの(有情)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




入一切平等性能入一切性輪故。

一切の平等性に入れば
能く一切の如来性に入る
輪である故に

あらゆるもの(一切)の
平等な本性()に入れば
一切の如来の本性(性)に入ることが出来る
(何故なら それらは)輪であるから




佛説如是入廣大輪般若理趣平等性已。

仏は 是の如き広大なる輪に入る
般若の理趣の平等性を説き已りて

仏は このような広大な輪に入る
真理を認識する智慧(般若)への筋道(理趣)であり
平等な本性について説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是輪性甚深理趣平等性門。

若し是の如き輪の性への
甚深の理趣にして平等性の門を聞くを得て

もし このような法の輪の本質()で
甚だ深淵な筋道(理趣)にして
平等な本質()である
仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




能善悟入諸平等性。

能く善く諸の平等性に悟入して

諸々の平等な本質()に
よく入ることが出来




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十 一切供養無上法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復依一切廣受供養眞淨器田如來之相。
爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
一切の供養を広く受くる真浄の器田たる
如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
一切の供養を広く受ける
真(まこと)に清浄な器であり
供養することによって福報を受けるもの(福田)
という如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多一切供養甚深理趣無上法門。

般若波羅蜜多は
一切を供養する甚深の理趣にして
無上の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
一切を供養する甚だ深遠な筋道(理趣)であり
この上ない仏の教え(法門)である




謂發無上正等覺心於諸如來廣設供養。

謂れは
無上正等覚の心を発すは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

その理由は
この上なき最上のさとり(無上正等覚)を
求める心を起こすことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である
だからだ




攝護正法於諸如來廣設供養。

正法を摂護するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり


正しい教え(正法)を
摂取し護念する(摂護)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切波羅蜜多於諸如來廣設供養。

一切の波羅蜜多を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の菩薩道(波羅蜜多)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切菩提分法於諸如來廣設供養。

一切の菩提分法を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の菩提に到達するための方法(菩提分法)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切總持等持於諸如來廣設供養。

一切の総持・等持を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の陀羅尼(総持)や禅定・三摩地(等持)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切五眼六通於諸如來廣設供養。

一切の五眼・六通を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の真理を認識する能力(五眼)や
仏や菩薩に備わる六種の超人的な能力(六神通)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切靜慮解脱於諸如來廣設供養。

一切の静慮・解脱を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の禅定(静慮)や解脱の境地を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切慈悲喜捨於諸如來廣設供養。

一切の慈悲・喜捨を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の慈悲や寄付(喜捨)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




修行一切佛不共法於諸如來廣設供養。

一切の仏の不共法を修行するは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

一切の 仏陀だけが有する能力・徳目
仏の不共法)を
習い修める(修行)ことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




觀一切法若常若無常皆不可得。於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは常・若しくは無常
皆 不可得なると観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もしでも もし無常でも
皆 求めても得ることが出来ない(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である

:生滅・変化しないこと、常住




觀一切法若樂若苦皆不可得。於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは楽 若しは苦
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もしでも もしでも
皆 求めても得ることが出来ない(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




觀一切法若我若無我皆不可得。於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは我 若しは無我
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし我であれ もし無我であれ
皆 求めても得ることが出来ない(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




觀一切法若淨若不淨皆不可得。於諸如來廣設供養。

一切の法 若しは浄 若しは不浄
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし清浄でも もし不浄でも
皆 求めても得ることが出来ない(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




觀一切法若空若不空皆不可得。於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは空 若しは不空
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もしでも もし空でなくても
皆 求めても得ることが出来ないもの(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




觀一切法若有相若無相皆不可得。
於諸如來廣設供養。

一切法の 若しは有相 若しは無相

皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし有相でも もし無相でも
皆 求めても得ることが出来ないもの(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である

※ 有相:姿や形を有するもの




觀一切法若有願若無願皆不可得。
於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは有願 若しは無願
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし有願でも もし無願でも
皆 求めても得ることが出来ないもの(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である

有願:四弘誓願など誓願を有していること




觀一切法若遠離若不遠離皆不可得。
於諸如來廣設供養。

一切の法の 若しは遠離 若しは不遠離
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし遠離でも もし遠離でなくても
皆 求めても得ることが出来ないもの(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である

遠離:執着を捨てさった悟りの境界にあること




觀一切法若寂靜若不寂靜皆不可得。
於諸如來廣設供養。

一切の法の
若しは寂静にしても 若しは不寂静にしても
皆 不可得なるを観るは
諸如来に於ける広く設けし供養なり

あらゆる存在(一切法)が
もし寂静でも もし不寂静でも
皆 求めても得ることが出来ないもの(不可得
と観ることは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である

寂静:煩悩を滅した涅槃の境地にあること




於深般若波羅蜜多。
書寫聽聞受持讀誦思惟修習。廣爲有情宣説流布。
深き般若波羅蜜多に於ける
書写 聴聞 受持 読誦 思惟 修習
広く有情の為の
宣説・流布は・・

深遠な真理を認識する
智慧の完成(般若 波羅蜜多)を
書き写したり(書写
 聞いたり(聴聞
受け継いで保持したり(受持
声に出して読みあげたり(読誦
思いはからったり(思惟
習い修めたり(修習
心の働きを有するもの(有情)の為に
広く 説明(宣説)したり
流布することは・・





或自供養或轉施他於諸如來廣設供養。

或いは 自らの供養
或いは転じて他への施しにして
諸如来に於ける広く設けし供養なり

或いは 自分自身で供養することや
或いは転じて 他者へ施すことは
諸々の如来に対し
広壮に設ける供養である




佛説如是眞淨供養甚深理趣無上法已。

仏は 是の如き真浄にして供養すべき
甚深の理趣の無上の法を説き已りて

仏陀(お釈迦様)は
このような真(まこと)に清浄で供養すべき
甚だ深遠な筋道(理趣)である
この上無き仏法を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是供養般若理趣無上法門。

若し是の如き供養すべき
般若の理趣にして無上の法門を聞くを得て

もし このような 供養すべき
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)であり
無上の仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




速能圓滿諸菩薩行。

速かに能く諸の菩薩行を円満し

すみやかに
諸々の菩薩の修行徳目(波羅蜜)を
円満に行うことが出来




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十一 智密忿性調伏法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復依一切能善調伏如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時、世尊は復た
一切を能く善く調伏する如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
一切を 善く成道の妨げを
取り除くこと(調伏)が出来る という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多攝受智密調伏有情甚深理趣智藏法門。

般若波羅蜜多は智密を摂受し
有情を調伏する甚深の理趣にして
智蔵の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
秘密の智慧(智密)を受け収めた(摂受
心の働きを有するもの(有情)を調伏する
甚だ深遠な筋道(理趣)であり
智慧を蔵する仏の教え(法門)である




謂一切有情平等性即忿平等性。

謂れは
一切の有情が平等性ならば
即ち 忿も平等性なり

何故なら
一切の心の働きを有するもの(有情)が
平等を本性()とするなら
忿怒も 平等を本性()とする
だからだ




一切有情調伏性即忿調伏性。

一切の有情が調伏性ならば
即ち 忿も調伏性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
調伏(成道の妨げの除去)を本性()とするなら
忿怒も 調伏を本性(性)とする




一切有情眞法性即忿眞法性。

一切の有情が真法性ならば
即ち 忿も真法性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
真法(絶対不変の真理)を本性()とするなら
忿怒も 真法を本性(性)とする




一切有情眞如性即忿眞如性。

一切有情が真如性ならば
即ち 忿も真如性なり

一切の心の働きを有するもの()が
真如(永久不変の真理)を本性()とするなら
忿怒も 真如を本性(性)とする




一切有情法界性即忿法界性。

一切有情が法界性ならば
即ち 忿も法界性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
法界(あるがままの事理)を本性()とするなら
忿怒も 法界を本性とする




一切有情離生性即忿離生性。

一切の有情が離生性は
即ち 忿も離生性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
出離生死を本性()とするなら
忿怒も 出離生死を本性とする

出離生死:悟りを開いて 苦みの輪廻から脱するもの




一切有情實際性即忿實際性。

一切の有情が実際性ならば
即ち 忿も実際性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
実際(存在の究極的な姿)を本性()とするなら
忿怒も 実際を本性とする




一切有情本空性即忿本空性。

一切の有情が本空性ならば
即ち 忿も本空性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
本来皆空を本性()とするならば
忿怒も 本来皆空を本性とする




一切有情無相性即忿無相性。

一切有情が無相性ならば
即ち 忿も無相性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
無相(特定の姿形が無いこと)を
本性()とするならば
忿怒も 無相を本性とする




一切有情無願性即忿無願性。

一切の有情が無願性ならば
即ち 忿も無願性なり


一切の心の働きを有するもの(有情)が
無願を本性()とするならば
忿怒も 無願を本性とする

無願:願求や執着の対象が無いこと




一切有情遠離性即忿遠離性。

一切の有情が遠離性ならば
即ち 忿も遠離性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
遠離(執着を捨てた悟りの境界)を
本性()とするなら
忿怒も 遠離を本性とする




一切有情寂靜性即忿寂靜性。

一切の有情が寂静性ならば
即ち 忿も寂静性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
寂静(静かな涅槃の境地)を
本性()とするならば
忿怒も 寂静を本性とする




一切有情不可得性即忿不可得性。

一切の有情が不可得性ならば
即ち 忿も不可得性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
不可得(求めても得られないもの)を
本性()とするならば
忿怒も 不可得を本性とする




一切有情無所有性即忿無所有性。

一切の有情が無所有性ならば
即ち 忿も無所有性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
無所有(何も所有しない)を
本性()とするならば
忿怒も 無所有を本性とする




一切有情難思議性即忿難思議性。

一切の有情が難思議性ならば
即ち 忿も難思議性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
難思議(思い量ること【思議】が難しいもの)を
本性()とするならば
忿怒も 難思議を本性とする




一切有情無戲論性即忿無戲論性。

一切の有情が無戯論性ならば
即ち 忿も無戯論性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
戯論(感覚と関係がない
心で創られた形而上の妄想)は無いことを
本性()とするならば
忿怒も 戯論で無いことを本性とする




一切有情如金剛性即忿如金剛性。

一切の有情が如金剛性ならば
即ち 忿も如金剛性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)が
金剛のようなものを本性()とするなら
忿怒も 金剛のようなものを本性とする




所以者何。一切有情眞調伏性即是無上正等菩提。

所以は何(いか)ん
一切の有情が真の調伏性ならば
即ち是れ無上正等菩提なり

なぜならば
一切の心の働きを有するもの(有情)が
真(まこと)の調伏(成道に至る障害を除去)を
本性()とするなら
これこそ
この上無く完全な悟り(無上正等菩提
であるからだ




亦是般若波羅蜜多。亦是諸佛一切智智。

亦た是れ
般若波羅蜜多なり
亦た是れ諸仏の一切智智なり

また これは
真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)であり
諸々の仏の一切智智(全べてを知る知識)でもある




佛説如是能善調伏甚深理趣智藏法已。

仏は 是の如き
能く善く調伏する 甚深理趣にして
智蔵の法を説き已りて

仏は このような
善く成道の妨げを除去すること(調伏)出来
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
智慧を蔵した
仏の教え(仏法)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是調伏般若理趣智藏法門。

若し 是の如き
調伏する般若への理趣にして
智蔵法門を聞くを得て

もし このような
成道の妨げを除去する(調伏
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
智慧を蔵する
仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解、受持、読誦、修習すれば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




能自調伏忿恚等過。

能く自らの忿恚等の過を調伏す

自らの 憤り(忿恚)等の過(あやま)ちを
取り除く(調伏)ことが出来るだろう




亦能調伏一切有情。

亦た能く一切の有情を調伏す

また 一切の心の働きを有するもの(有情)を
取り除く(調伏)ことも出来るだろう




常生善趣受諸妙樂。

常に善趣に生じ 諸妙楽を受け

常に善趣に生まれ
諸々の絶妙な安楽・幸福を受け




現世怨敵皆起慈心。

現世の怨敵は 皆 慈心を起す

現世にある怨敵は 皆
慈しみの心を起こすだろう




能善修行諸菩薩行。

能く善く 諸菩薩行を修行し

諸々の菩薩行(波羅蜜)を
善く 修行出来るようになり




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十二 一切法性平等法門

( 目次へ戻る )




爾時世尊復依一切能善建立性平等法如來之相。
爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
一切性の平等の法を能く善く建立する
如来の相に依り

諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり
その時 世尊はまた
一切の本性は平等である
よく建立出来るもの という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多一切法性甚深理趣最勝法門。

般若波羅蜜多は
一切の法の性であり
甚深の理趣にして 最勝の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
一切のの本性であり
甚だ深遠な筋道(理趣)にして
最も勝れた
仏の教え(法門)である




謂一切有情性平等故甚深般若波羅蜜多亦性平等。

謂れは
一切の有情の性平等なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た
性平等なり

その理由は
一切の心の働きを有するもの(有情)の本性は
平等である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
平等である
だからだ




一切法性平等故甚深般若波羅蜜多亦性平等。

一切の法の性平等なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た 性平等なり

一切のの本性は
平等である だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性も
また 平等である




一切有情性調伏故甚深般若波羅蜜多亦性調伏。

一切の有情の性調伏なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た 性調伏なり

一切の心の働きを有するもの(有情)の本性は
成道の妨げを取り除いたもの(調伏)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
成道の妨げを取り除いたもの(調伏)である




一切法性調伏故甚深般若波羅蜜多亦性調伏。

一切の法の性調伏なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た 性調伏なり

一切のの本性は
成道の妨げを取り除いたもの(調伏)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
成道の妨げを取り除いたもの(調伏)である





一切有情有實義故甚深般若波羅蜜多亦有實義。

一切の有情は実義を有するが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た実義を有する

一切の心の働きを有するもの(有情)は
真実のことわり(実義)を有する
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
真実のことわり(実義)を有する




一切法有實義故甚深般若波羅蜜多亦有實義。

一切の法は実義を有するが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た実義を有する

一切の
真実のことわり(実義)を有する
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
真実のことわり(実義)を有する




一切有情即眞如故甚深般若波羅蜜多亦即眞如。

一切の有情は即ち真如なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち真如なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
不変の真理(真如)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
真如にほかならない




一切法即眞如故甚深般若波羅蜜多亦即眞如。

一切の法は即ち真如なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち真如なり

一切の
不変の真理(真如)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
真如にほかならない




一切有情即法界故甚深般若波羅蜜多亦即法界。

一切の有情は即ち法界なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち法界なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
一切の現象の本質的な姿(法界)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
一切の現象の本質的な姿(法界)にほかならない




一切法即法界故甚深般若波羅蜜多亦即法界。

一切の法は即ち法界なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち法界なり

一切の
一切の現象の本質的な姿(法界)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)の本性もまた
一切の現象の本質的な姿(法界)にほかならない




一切有情即法性故甚深般若波羅蜜多亦即法性。

一切の有情は即ち法性なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち法性なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
真の本性(法性)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
真の本性(法性)にほかならない




一切法即法性故甚深般若波羅蜜多亦即法性。

一切の法は即ち法性なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち法性なり

一切の
真の本性(法性)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
真の本性(法性)にほかならない




一切有情即實際故甚深般若波羅蜜多亦即實際。

一切の有情は即ち実際なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち実際なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
存在の究極的な姿(実際)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
存在の究極的な姿(実際)にほかならない




一切法即實際故甚深般若波羅蜜多亦即實際。

一切の法は即ち実際なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち実際なり

一切の
存在の究極的な姿(実際)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
存在の究極的な姿(実際)にほかならない




一切有情即本空故甚深般若波羅蜜多亦即本空。

一切の有情は即ち本空なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち本空なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
本来皆空である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
本来皆空にほかならない




一切法即本空故甚深般若波羅蜜多亦即本空。

一切の法は即ち本空なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た 即ち本空なり

一切の
本より(実体の無い移り変わるもの)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
本より空にほかならない




一切有情即無相故甚深般若波羅蜜多亦即無相。

一切の有情は即ち無相なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち無相なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
特定の姿形が無いもの(無相)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
特定の姿形が無いもの(無相)にほかならない




一切法即無相故甚深般若波羅蜜多亦即無相。

一切の法は即ち無相なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち無相なり

一切の
特定の姿形が無いもの(無相)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
特定の姿形が無いもの(無相)にほかならない




一切有情即無願故甚深般若波羅蜜多亦即無願。

一切の有情は即ち無願なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち無願なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
願求や執着の対象が無いもの(無願)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
願求や執着の対象が無いもの(無願)に
ほかならない




一切法即無願故甚深般若波羅蜜多亦即無願。

一切の法は即ち無願なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち無願なり

一切の
願求や執着の対象が無いもの(無願)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
願求や執着の対象が無いもの(無願)に
ほかならない




一切有情即遠離故甚深般若波羅蜜多亦即遠離。

一切の有情は即ち遠離なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち遠離なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
執着を捨てた悟りの境界(遠離)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
執着を捨てた悟りの境界(遠離)に
ほかならない




一切法即遠離故甚深般若波羅蜜多亦即遠離。

一切の法は即ち遠離なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち遠離なり

一切の
執着を捨てた悟りの境界(遠離)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
執着を捨てた悟りの境界(遠離)に
ほかならない




一切有情即寂靜故甚深般若波羅蜜多亦即寂靜。

一切の有情は即ち寂静なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち寂静なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
寂静(ひっそりともの静か)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
寂静(ひっそりともの静か)にほかならない




一切法即寂靜故甚深般若波羅蜜多亦即寂靜。

一切の法は即ち寂静なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た即ち寂静なり

一切の
寂静(ひっそりともの静か)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
寂静(ひっそりともの静か)にほかならない




一切有情不可得故甚深般若波羅蜜多亦不可得。

一切の有情は不可得なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た不可得なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
求めても得られないもの(不可得)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
求めても得られないもの(不可得)である




一切法不可得故甚深般若波羅蜜多亦不可得。

一切の法は不可得なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た不可得なり

一切の
求めても得られないもの(不可得)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
求めても得られないもの(不可得)である




一切有情無所有故甚深般若波羅蜜多亦無所有。

一切の有情は無所有なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無所有なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
無所有(何も所有しない)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
無所有である




一切法無所有故甚深般若波羅蜜多亦無所有。

一切の法は無所有なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無所有なり

一切の
無所有(何も所有しない)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
無所有である




一切有情不思議故甚深般若波羅蜜多亦不思議。

一切の有情は不思議なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た不思議なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
思いはかることが出来ないもの(不思議)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
 思いはかることが出来ないもの(不思議)である




一切法不思議故甚深般若波羅蜜多亦不思議。

一切の法は不思議なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も 亦た不思議なり

一切の
思いはかることが出来ないもの(不思議)である
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
思いはかることが出来ないもの(不思議)である




一切有情無戲論故甚深般若波羅蜜多亦無戲論。

一切の有情は無戯論なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無戯論なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
感覚と関係がない形而上の妄想(戯論)で無い
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
感覚と関係がない形而上の妄想(戯論)で無い




一切法無戲論故甚深般若波羅蜜多亦無戲論。

一切の法は無戯論なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無戯論なり

一切の
感覚と関係がない形而上の妄想(戯論)で無い
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
感覚と関係がない形而上の妄想(戯論)で無い




一切有情無邊際故甚深般若波羅蜜多亦無邊際。

一切の有情は無辺際なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無辺際なり

一切の心の働きを有するもの(有情)は
果てがない(無辺際
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
果てがない(無辺際)




一切法無邊際故甚深般若波羅蜜多亦無邊際。

一切の法は無辺際なるが故に
甚深の般若波羅蜜多も亦た無辺際なり

一切の
果てがない(無辺際
だから
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)もまた
果てがない(無辺際)




一切有情有業用故當知般若波羅蜜多亦有業用。

一切の有情は業用有るが故に
当に知るべし
般若波羅蜜多も亦た業用有りと

一切の心の働きを有するもの(有情)には
行為(業)と働き(用)が有る
だから 知るべきである
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)にもまた
行為(業)と働き(用)が有ると




一切法有業用故當知般若波羅蜜多亦有業用。

一切の法は業用有るが故に
当に知るべし
般若波羅蜜多も亦た業用有りと

一切のには
行為(業)と働き(用)が有る
だから 知るべきである
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)にもまた
行為(業)と働き(用)が有ると




佛説如是性平等性甚深理趣最勝法已。

仏は 是の如き
性平等性なる甚深の理趣にして
最勝の法を説き已りて

仏は このような
本性は平等であるという
甚だ深遠な筋道(理趣)にして
最も勝れた仏の教え(仏法)を
説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是平等般若理趣最勝法門。

若し是の如き
平等なる般若理趣にして
最勝法門を聞くを得て

もしこのような
平等な真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
最も勝れた仏の教え(法門)を
聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




則能通達平等法性甚深般若波羅蜜多。

則ち 能く平等の法性なる
甚深の般若波羅蜜多に通達し

その時は
平等な真の本性(法性)である
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)に
深く通じる(通達)ことが出来




於法有情心無罣礙。

法と有情の心に於いて 罣礙を無くし

存在するもの()と
心の働きを有するもの(有情)の心から
覆うものや妨げるもの(罣礙)が無くなり




疾證無上正等菩提

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十三 一切有情勝蔵法門

( 目次へ戻る )





爾時世尊復依一切住持藏法如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
一切の住持し蔵する法という如来の相に依りて
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
一切が保有し(住持)蔵する という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多一切有情住持遍滿甚深理趣勝藏法門。

般若波羅蜜多は
一切の有情が住持せし
遍満なる甚深の理趣にして
勝蔵の法門なり

甚だ深遠な 真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)は
一切の心の働きを有するもの(有情)が保有する
あまねく存在する(遍満
甚だ深遠な筋道(理趣)にして
勝れた蔵であるところの
仏の教え(法門)である




謂一切有情皆如來藏普賢菩薩自體遍故。

謂れは
一切の有情は皆 如来を蔵す
普賢菩薩の自体遍きが故に

その理由は
心の働きを有するもの(有情)は皆
如来を蔵している
なぜなら
如来の悟りの理法や禅定、修行の面を顕わした
普賢菩薩の存在自体が
遍在するものだからだ




一切有情皆金剛藏以金剛藏所灌灑故。

一切の有情は皆 金剛蔵なり
金剛蔵を以って 潅灑する故に

一切の心の働きを有するもの(有情)は皆
金剛(真理・菩提心などの比喩)を蔵する
なぜなら
金剛を蔵したときに
水を注ぐ儀式(潅灑)は行われるからだ




一切有情皆正法藏一切皆隨正語轉故。

一切の有情は皆 正法を蔵す
一切 皆は正語を随えて 転ずるが故に

一切の心の働きを有するもの(有情)は皆
正しい教え(正法)を蔵している
なぜなら
一切 皆が正しい言葉遣い(正語)で
仏の教えを説いて広めているからだ(転法輪




一切有情皆妙業藏一切事業加行依故。

一切の有情は皆 妙業を蔵す
一切の事業は 依の加行故に

一切の心の働きを有するもの(有情)は皆
すぐれた行い(妙業)を蔵している
なぜなら
一切の行為(事業)は
執着する元となる存在(依:upadhi)による
準備的な修行(加行)だから




佛説如是有情住持甚深理趣勝藏法已。

仏は 是の如き
有情が住持する甚深の理趣にして
勝蔵の法を説き已りて

仏は このような
心の働きを有するもの(有情)が保有する
甚だ深遠な筋道(理趣)にして
勝れた蔵である
仏の教え(仏法)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げ
このように言われた




若有得聞如是遍滿般若理趣勝藏法門。

若し 是の如く遍満する
般若の理趣にして
勝蔵たる法門を聞くを得て

もし このような遍満する
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
勝れた蔵である
仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




則能通達勝藏法性。

則ち能く勝蔵の法性に通達し

その時は 勝れた蔵(piṭaka籠・容れ物)の
存在や現象の真の本性(法性)に
深く通じること(通達)が出来




疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十四 一味無辺際究竟法門

( 目次へ戻る )





爾時世尊復依究竟無邊際法如來之相。
爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
究竟じて辺際の無き法なる如来の相に依り
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
究極(究竟)の限り(辺際)の無い という
如来の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多究竟住持法義平等金剛法門。

般若波羅蜜多は
法義の平等に究竟じて住持する
金剛の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
真理のことわり(法義)が平等であることを
絶対的(究竟)に保持(住持)するという
極めて堅固で 壊れることのない(金剛
仏の教え(法門)である




謂甚深般若波羅蜜多無邊故一切如來亦無邊。

謂れは甚深の般若波羅蜜多は
無辺であるが故に
一切の如来も亦た無辺である

その理由は
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)は
広大で果てし無い(無辺)から
一切の如来もまた 広大で果てし無い
だからだ




甚深般若波羅蜜多無際故一切如來亦無際。

甚深の般若波羅蜜多は無際であるが故に
一切の如来も亦た無際である
甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)は
際限がない(無際)から
一切の如来もまた 際限がない




甚深般若波羅蜜多一味故一切法亦一味。

甚深の般若波羅蜜多は一味であるが故に
一切の法も亦た一味である

甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)は
現象は多様だが 本質は同一(一味)である
だから
一切の如来もまた
現象は多様だが 本質は同一(一味)である




甚深般若波羅蜜多究竟故一切法亦究竟。

甚深の般若波羅蜜多は究竟であるが故に
一切の法も亦た究竟である

甚だ深遠な真理を認識する智慧の完成
般若 波羅蜜多)は
究極の境地(究竟:uttara)であるから
一切の如来もまた
究極の境地(究竟:uttara)である




佛説如是無邊無際究竟理趣金剛法已。

仏は 是の如き
無辺 無際 究竟の理趣にして金剛の法を説き已り

仏は このような
広大無辺で(無辺) 際限が無く(無際
究極の境地(究竟)への筋道(理趣)にして
壊れることの無い(金剛
仏の教え(仏法)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若有得聞如是究竟般若理趣金剛法門。

若し 是の如き 究竟なる般若の理趣にして
金剛の法門を聞くを得て

もし このような
究極の境地(究竟)である
真理を認識する智慧(般若)への
筋道(理趣)にして
極めて強固で 壊れることのない(金剛
仏の教え(法門)を聞くことが出来て




信解受持讀誦修習。

信解・受持・読誦・修習すること有らば

信じて理解し(信解
受け入れて保持し(受持
声にして読みあげ(読誦
習い修める(修習)ならば




一切障法皆悉消除。

一切の障法 皆 悉く消除し

一切の障害となる存在()を
皆 ことごとく消除して




定得如來執金剛性。

定んで 如来の執金剛性を得

きっと如来の金剛(真理の比喩)を執る
という本性を得て




疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十五 畢竟大楽最勝成就

( 目次へ戻る )





爾時世尊復依遍照如來之相。爲諸菩薩宣説

爾の時 世尊は復た
遍く照す如来の相に依りて
諸の菩薩の為に説き宣(のたま)えり

その時 世尊はまた
遍く照らすもの という
如来(遍照如來・大日如来)の様相に頼り(依怙
諸々の求道者(菩薩)たちの為に
説明された(宣説




般若波羅蜜多得諸如來祕密法性及一切法無戲論性大樂金剛不空神呪金剛法性。
初中後位最勝第一甚深理趣無上法門

般若波羅蜜多は 諸の如来の秘密の法性
及び 一切法の無戯論の性
大楽の金剛たる不空の神咒
金剛の法性 を得る
初中後位 最勝第一の
甚深の理趣にして無上の法門なり

真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)は
諸々の如来の秘密の真の本性(法性) 及び
一切法(あらゆる存在)の戯論の無い本性 と
安楽な心地よさ(大楽) と
極めて強固で 壊れることがなく(金剛
漏らさず成し遂げる(不空)神秘な呪文と
極めて強固で 壊れることのない
金剛)の真の本性(法性)を得る
最初・中間・最後まで
最も勝れ(最勝) 最も重要(第一)な
甚だ深淵な筋道(理趣)にして
この上ない仏の教え(法門)である




謂大貪等最勝成就。
令大菩薩大樂最勝成就大樂最勝成就。

謂れは 大貪等の最勝成就は
大菩薩をして大楽を最勝成就せしむ

その理由は
等の存在を
最も勝れて(最勝に)成就させる事とは
大勢の求道者(菩薩)に
安楽な心地よさ(大楽)を
最も勝れて(最勝に)成就させることである
だからだ




令大菩薩一切如來大覺最勝成就。

大楽の最勝成就は 大菩薩をして
一切の如来の大覚を 最勝成就せしむ

安楽な心地よさ(大楽)を
最も勝れて(最勝に)成就させる事とは
大量の求道者(菩薩)に
一切の如来の偉大な悟り(大覚)を
最も勝れて(最勝に)成就させることである




一切如來大覺最勝成就。令大菩薩降伏一切大魔最勝成就。

一切の如来の大覚の最勝成就は 大菩薩をして
一切の大魔の降伏を 最勝成就せしむ

一切の如来の偉大な悟り(大覚)を
最も勝れて(最勝に)成就させる事とは
大量の求道者(菩薩)に
一切の強大な悪魔(大魔)を
打ち負かすこと(降伏)を
最も勝れて(最勝に)成就させることである




降伏一切大魔最勝成就。令大菩薩普大三界自在最勝成就。

一切の大魔の降伏の最勝成就は 大菩薩をして
大三界に普く自在なるを 最勝成就せしむ

一切の強大な悪魔(大魔)を
打ち負かすこと(降伏)を
最も勝れて(最勝に)成就させる事とは
大量の求道者(菩薩)を 
迷える世界(三界)の全てに渡って
煩悩からの解放(自在)を
最も勝れて(最勝に)成就させることである




普大三界自在最勝成就。

大三界の普き自在の最勝成就は

迷える世界(三界)の 全体に渡って
煩悩からの解放(自在)を
最勝成就させる事とは




令大菩薩能無遺餘。拔有情界利益安樂一切有情。

大菩薩をして 能く遺余無く
有情界より抜かしめ
一切の有情を利益し安楽ならしめること

大勢の求道者(菩薩)に 
十分に 余すこと無く
心の働きを有するもの(有情)の境地から
抜け出させ
一切の心の働きを有するもの(有情)に
恵みをあたえ(利益
安楽にさせることである




畢竟大樂最勝成就。

畢竟
大楽を最勝成就せしむことなり

つまるところ(畢竟)
安楽な心地よさ(大楽)を
最も勝れて(最勝に)成就させることである




所以者何。
乃至生死流轉住處有勝智者齊此常能以無等法。
饒益有情不入寂滅。

所以(ゆえん)は何(いか)ん
乃至 生死流転住処 勝智有者斉(ひと)しく
此に 常に 能く無等の法を以って
有情を饒益し 寂滅に入らざればなり

なぜなら
生死流転する住み処でさえ(乃至
勝れた智慧を有する者は
勝れた智慧を有するがゆえに(此に
斉(ひと)しく
数多く(無等)の仏の教え()を用いて 
常に心の働きを有するもの(有情)に
十分に利益を与え(饒益
静かな悟りの境地(寂滅)に入らないからだ




又以般若波羅蜜多方便善巧成立勝智。
善辦一切清淨事業。能令諸有皆得清淨。

又 般若波羅蜜多・方便を以って
善巧し勝智を成立す
一切の清浄事業を善辦し 能く諸有をして
皆清浄を得しむればなり

また真理を認識する智慧の完成(般若 波羅蜜多)と
導くための便宜的な手段(方便)を以って
人々を巧みに教化し(善巧)勝れた智慧を成立させ
一切の清浄な行い(事業)を 善く取り扱い
あらゆるもの(諸有) 皆に
清浄な境地を得させることが出来るからだ




又以貪等調伏世間。
普遍恒時乃至諸有。皆令清淨自然調伏。

又貪等を以ち 世間を調伏す
普遍 恒時に乃至 諸有を
皆 清浄ならしめれば 自然に調伏するなり

また 貪欲などを以って
どこででも(普遍) 常日頃(恒時
迷いの世界(世間)の
成道の妨げを取り除いたり(調伏
または(乃至) 
あらゆるもの(諸有)全部を 清浄にするなら
自然と成道の妨げは取り除かれていく(調伏




又如蓮華形色光淨。不爲一切穢物所染。

又 蓮華の形色は光浄にして
一切の穢物の染むる所に為らざるが如く

また 蓮花の形体・色相は
光のように浄らかだが
一切の汚物(穢物)によって
染められることが無いように




如是貪等饒益世間。住過有過常不能染。

是の如き貪等は 世間を饒益するに
過に住して過有るも 常に染まること能わず

このような貪欲等は
迷いの世界(世間)で
人々に利益を供えるもの(饒益)であり
過ちの中に住もうと 過ちを有していようと
常に (汚物に)染められることが無い




又大貪等能得清淨大樂大財三界自在。
常能堅固饒益有情。

又 大貪等は
能く 清浄・大楽・大財・三界の自在を得しめ
常に能く堅固にして 有情を饒益す

また 大きな貪欲等は
清らかさ(清浄)や
安楽な心地よさ(大楽)や
大いなる財産や
三界(輪廻する迷いの世界)での自在
十分に 獲得させるので
常に 心の働きを有するもの(有情)へ
しっかりとした(堅固)利益を
与えること(饒益)が出来る






誕生仏と花御堂の写真

十六 不空神呪疾証菩提

( 目次へ戻る )





爾時如來即説神呪

爾の時 如来は 即ち神咒を説きたまわく

その時 如来は即座に神秘な呪文(神文)を説かれた




納慕薄伽筏帝 一

ナウボ バギャバテー

世の中で最も尊い人
(薄伽梵:bhagavat)に
帰依します




鉢刺壤波囉弭多曳 二

プラジュニャーパーラミターヤイ

慎み敬うべき 金剛




薄底(丁履反)筏攃(七葛反)羅曳 三
罨跛履弭多窶拏曳 四

バクリヴァジュラエー
アパリミタグナエー

測りしれない
功徳を有し




薩縛呾他掲多跛履布視多曳 五

サルヴァ タターガタ パリプージタエー

一切の如来によって供養され




薩縛咀他掲多奴壤多奴壤多邲壤多曳 六

サルヴァ タターガタ
アヌジュニャ アヌジュニャタ ヴィジュニャタエー

一切の如来の智慧により よく知られている
究極の智慧に帰依します




咀姪他 七

タニャタ

すなわち




鉢刺𠯋 (一弟反) 鉢刺𠯋 八

プラジュニェー プラジュニェー

真理を認識する智慧( 般若:prajñā)よ
真理を認識する智慧( 般若:prajñā)よ




莫訶鉢喇𠯋 九

マハー プラジュニェー

偉大な
真理を認識する智慧( 般若:prajñā)よ




鉢刺壤婆娑羯囇 十

プラジュニャー バサキャレイ

真理を認識する智慧( 般若:prajñā)を
明らかに現す(顕現)ものよ




鉢刺壤路迦羯囇 十一

プラジュニャ ロキャキャレイ

真理を認識する智慧( 般若:prajñā)の
世界にあるものよ




案馱迦囇毘談末埿 十二

アンダキャラ ヴィダマニ

煩悩を除滅するものよ




悉遞 十三
蘇悉遞 十四

シッデー ソシッデー

成就されたものよ




悉殿都漫薄伽筏底 十五

シッダントマーン  バガヴァティ

よく成就されたものよ 我を成就せよ
世の中で最も尊い人(薄伽梵)よ




薩防伽孫達囉 十六

サルヴァ アンギャ スンダレイ

一切の姿が美しく




薄底筏攃囇 十七

バクティ バスリジェー

信仰を生み出し




鉢刺娑履多喝悉帝 十八

プラサーリタ カシツテイ

手を差し伸べ




參磨濕嚩婆羯囇 十九

サンマジンバサキャレイ

よく救護するものよ




勃(口*陀) 勃(口*陀)  二十

ブッダ ブッダ

仏陀よ 仏陀




悉(口*陀) 悉(口*陀) 二十一

シッダ シッダ

成就した者よ 成就した者よ




劍波 劍波 二十二

ケンバ ケンバ

震動せよ 震動せよ




浙羅 浙羅 二十三

チャレ チャレ

行ぜよ 行ぜよ




曷邏嚩 曷邏嚩 二十四

キャラバ キャラバ

叫ばん 叫ばん




阿掲車 阿掲車 二十五

アガッチャ アガッチャ

来たれ 来たれ




薄伽筏底 二十六

バガヴァティン

覚世の中で最も尊い人
薄伽梵:bhagavat)よ




麼毘濫婆 二十七

アビランバ

歓喜せしめよ




莎訶 二十八

スヴァーハー

蘇婆訶:svāhā




如是神呪三世諸佛皆共宣説同所護念。

是の如き神呪は
三世の諸仏の皆が共に宣説し
同じく護念する所なり

このような神秘な呪文は
過去・現在・未来(三世)の諸々の仏が
皆 共に 説明したり(宣説
同じく 心にかけて念じたりする(護念) 所である




能受持者一切障滅。隨心所欲無不成辦。

能く受持せば
一切の障(さわり)滅し 心の欲する所に随い
成辦せざること無く

よく受け入れ保持する(受持)なら
一切の障害は消滅し 
心の欲する所にしたがい 成就(成辦)しないことが無くなり




疾證無上正等菩提。

疾かに 無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等)を
得る()だろう




爾時如來復説神呪

爾の時 如来は復た 神呪を説きたまわく

その時 如来はまた
神秘な呪文(神呪)を説かれた




納慕薄伽筏帝 一

ナウボ バギャバテイ

世の中で最も尊い人
(薄伽梵:bhagavat)に
帰依します




鉢刺壤波囉弭多臾 二

プラジュニャーパーラミターヤイ

真理を認識する智慧(般若:prajñā)に帰依します




咀姪他 三

タニャタ

すなわち




牟尼達謎 四

ムニダルメー

牟尼:muni法:dharma




僧掲洛訶達謎 五

ソウギャラカ ダルメー

包括する法:dharma




遏奴掲洛訶達謎 六

アドギャラカダルメー

救いとなる法:dharma




毘目底達謎 七

ビムクティチダルメー

解脱を得る法:dharma




薩馱奴掲洛訶達謎 八

サダー アヌギャラカ ダルメー

常に 救いとなる法:dharma




吠室洛末拏達謎 九

ベイシュラマナ ダルメー

寂静の法:dharma




參漫多奴跛履筏刺咀那達謎 十

サマンダ アヌハリヴァルタナ ダルメー

普遍的に広がっていく法:dharma




窶拏僧掲洛訶達謎 十一

グナ ソウギャラ カダルメー

功徳を包括する法:dharma




薩縛迦羅跛履波刺那達謎 十二

サルヴァ キャラ ハリプールナ ダルメー

一切の行為を完全に満たした法:dharma




莎訶 十三

ソハカ

蘇婆訶:svāhā




如是神呪是諸佛母。能誦持者一切罪滅。

是の如き神咒は 是れ諸仏の母なり
能く誦持すれば 一切の罪滅し

このような神秘な呪文(神呪)は
諸々の仏の母である
よく 声にだして読み覚えれば(誦持
一切の罪が消滅するだろう




常見諸佛得宿住智。

常に諸仏を見 宿住智を得

常に諸々の仏を見て
(過去の出来事や生活など)
前世を知る(宿住)智慧を得て




疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう




爾時如來復説神呪

爾の時 如来は 復た神呪を説きたまえり

その時 如来はまた神秘な呪文(神呪)を説かれた




納慕薄伽筏帝 一

ナウボ バギャバテイ

世の中で最も尊い人
(薄伽梵:bhagavat)に
帰依します




鉢刺壤波囉弭多臾 二

プラジュニャー パーラミタエイ

真理を認識する智慧(般若:prajñā)に
帰依します




咀姪他 三

タニャタ

すなわち




室囉曳 四
室囉曳 五
室囉曳 六

シュリイェー シュリイェー シュリイェー

吉祥よ 吉祥よ 吉祥




室囉曳細 七

シュリイェーセー

吉祥なるものよ




莎訶 八

スヴァーハー

蘇婆訶:svāhā





如是神呪具大威力。
能受持者業障消除。所聞正法總持不忘。

是の如き神咒は 大威力を具う
能く受持すれば 業障消除し
聞く所の正法を総持して忘れず

このような神秘の呪文は
壮大な威力を具えている
よく受け入れ保持(受持)すれば
悪い行いで生じた障害(業障)が
消えてなくなり(消除
聞いた所の正しい教え(正法)を
記憶(総持)し
忘れることがなく




疾證無上正等菩提。

疾かに無上正等菩提を証せん

すみやかに
この上無く完全な悟り(無上正等菩提)を
得る()だろう






誕生仏と花御堂の写真

十七 讃般若理趣品

( 目次へ戻る )






爾時世尊説是呪已。

爾の時 世尊は 是の咒を説き已りて

その時 世尊
この神秘な呪文(神呪)を説きおえると




告金剛手菩薩等言。

金剛手菩薩等に告げて言わく

金剛手菩薩らに告げて
このように言われた




若諸有情於毎日旦。

若し 諸の有情 日旦毎に於いて

もし
諸々の心の働きを有するもの(有情)が
毎朝(日旦




至心聽誦如是
般若波羅蜜多甚深理趣最勝法門無間斷者。

是の如き
般若波羅蜜多の甚深の理趣の最勝法門を
至心聴誦すること間断無くんば

このような
真理を認識する智慧(般若)の完成(波羅蜜多)の
甚だ深淵な筋道(理趣)であり
最も勝れた仏の教え(法門)を
誠実な心(至心)で
間断無く
聴いたり誦(とな)えたりするなら




諸惡業障皆得消滅。

諸の悪業の障の 皆消滅することを得

諸々の悪業の障害を
皆 消滅させることが出来




諸勝喜樂常現在前。

諸の勝喜楽 常に現じて 前に在らん

諸々の勝れた喜び・安楽を
常に現前させる




大樂金剛不空神呪現身必得。

大楽の金剛たる不空の神咒を
現身に必ず究竟に成満するを得


安楽な心地よさで(大楽
極めて強固で 壊れることがなく(金剛
漏らすことなく成し遂げる(不空)
神秘な呪文(神呪)を
現在 生を受けている この身体(現身)に
最上に(究竟) 必ず
成就(成満)させることも出来る




究竟成滿一切如來金剛祕密最勝成就。

一切の如来の金剛秘密を最勝に成就せしめ

一切の如来の壊れることのない(金剛)の秘密を
最も勝れて成就させ




不久當得大執金剛及如來性。

久しからずして 当に
大執金剛及び如来性を得しむべし

ほどなく(不久) 必ずや
偉大な金剛の境地を執る者(執金剛)
及び
如来の本性を獲得できるだろう




若有情類未多佛所植衆善根久發大願。

若し有情の類
未だ多くの仏の所に衆善根を植えず
久しく大願を発せずんば

もし心の働きを有するもの(有情)の仲間(類)が
未だに
多くの仏がいらっしゃる場所で
もろもろ(衆)の善を生じるもと(善根)を
植えずに
衆生を救おうとする誓願(大願)を
長い間 起こさなければ




於此般若波羅蜜多甚深理趣最勝法門。

此の 般若波羅蜜多の
甚深の理趣にして
最勝の法門に於いて

この真理を認識する智慧(般若)の完成
波羅蜜多)の
甚だ深遠な筋道(理趣)にして
最も勝れた仏の教え(法門)を




不能聽聞書寫讀誦供養恭敬思惟修習。

聴聞・書写・読誦・供養・
恭敬・思惟・修習すること能わず

耳にすること(聴聞)も
書き写すこと(書写)も
読み誦えること(読誦)も
供養することも
つつしみ敬うこと(恭敬)も
心に思い浮かべて よく考えること(思惟)も
習い修めること(修習)も 出来ない




要多佛所植衆善根久發大願。

多くの仏の所に衆善根を植え
久しく大願を発すことを要す


多くの仏がいらっしゃる場所で
もろもろ(衆)の善を生じるもと(善根)を
植えたり
長い間 衆生を救おうとする誓願(大願)を
起こすことが 必要である





乃能於此甚深理趣最勝法門。下至聽聞一句一字。

乃ち
能く此の甚深の理趣であり最勝の法門に於いて
下は一句一字を聴聞するに至れり

そこで はじめて
この甚だ深遠な筋道(理趣)であり
最も勝れた仏の教え(法門)の
一句一字を耳にする(聴聞)ことが出来る




況能具足讀誦受持。

況んや
能く具足して読誦・受持するをや

まして
十分に あますことなく(具足
読んだり誦えたり(読誦
教えを受けてしっかり覚えておく(受持)ことなど
なおさらだ




若諸有情
供養恭敬尊重讃歎八十殑伽沙等倶胝那庾多佛。

若し諸の有情
八十殑伽沙等俱胝那庾多の仏を供養し
恭敬・尊重・讃歎せば

若し諸々の心の働きを有するもの(有情
数え切れない程多くの(八十殑伽沙)等
はかりしれない きわめて多くの(俱胝那庾多)仏を供養し
恭しみ敬い 尊重し 讃歎するなら




乃能具足聞此般若波羅蜜多甚深理趣。

乃ち能く具足して
此の般若波羅蜜多の甚深の理趣を聞かん

そこではじめて(乃ち)
この真理を認識する智慧(般若)の完成
波羅蜜多)の
甚だ深遠な筋道(理趣)を
 完全に(具足) 聞くことが出来る




若地方所流行此經。

若し此の経が流行する所の地方に

もしこの経典が流行している地方があれば




一切天人阿素洛等。皆應供養如佛制多。

一切の天 人 阿素洛等は
皆 応に仏の制多の如く 供養すべし

一切の天人 人間 阿修羅(阿素洛)等は 皆
まさに仏の塔(制多)のように供養すべきである




有置此經在身或手。諸天人等皆應禮敬。

身 或いは 手に在る此の経を 置くこと有らば
諸の天人等は 皆 応に礼敬すべし

この経典が その身やその手に存在し
安置するなら
諸々の天人 人間等は 皆
礼をもって敬う(礼敬)べきである




若有情類受持此經。多倶胝劫。

若し有情の類
此の経を受持すること 多俱胝劫ならば

もし心の働きを有するもの(有情)の仲間(類)が
はかれない程きわめて長い多くの期間(多 俱胝
この経を受け入れ保持(受持)するなら





得宿住智常勤精進修諸善法。

宿住の智を得て 常に勤め 精進し
諸の善法を修む

過去の生涯(宿住)の智慧を得て
常に 勤めはげみ(精進
諸々の善き教え()を修めるだろう




惡魔外道不能稽留。

悪魔・外道も稽留する能わず

仏道修行を妨げる悪神・魔羅(悪魔)や
仏教以外の教え(外道)が
とどこおらせること(稽留)が出来ない




四大天王及餘天衆。常隨擁衞未曾暫捨。

四大天王 及び 余の天衆
常に随いて擁衛し 未だ曽て 暫くも捨てず

四天王(四大天王)や天の衆生(天衆)が
常にしたがい 守護(擁衛)する
いまだかつて 少しの間も 捨てることがない




終不横死抂遭衰患。

終(つい)には
横死 枉遭 衰患せず

終には
天命を全うしないで死ぬこと(横死)が無くなり
不当に扱われること(枉遭)が無くなり
衰ろえて患らうこと(衰患)が無くなる




諸佛菩薩常共護持。令一切時善増惡滅。

諸仏菩薩 常に共にし 護持し
一切の時をして 善を増し 悪を滅す

諸々の仏や菩薩が
常に共になって
大切に守護し(護持
どのような時でも
善を増加させ 悪を減少させる




於諸佛土隨願往生。乃至菩提不墮惡趣。

諸の仏土に於いて 願に随いて往生し
乃至 菩提まで悪趣に堕ちず

諸々の 仏が教え導く国土(仏土)において
願いにしたがい 成仏させる(往生
あるいは(乃至
煩悩を断ちきり 悟りの境地に達し(菩提
死後の苦悩の世界(悪趣)に堕ちることが無くなる




諸有情類受持此經。定獲無邊勝利功徳。

諸の有情の類 此の経を受持すれば
定めて 無辺の勝利の功徳を獲ん

諸々の心の働きを有するもの(有情)の仲間(類)が
この経を受け入れ保持(受持)すれば
必ず はてし無く 勝れた
仏菩薩が与える恵み(利益)と
すぐれた結果を招く力(功徳)を
獲得するだろう




我今略説如是少分。

我れは今 略して是の如き少分を説く

私は今 省略し
このように 少しの部分だけを説いた




時薄伽梵説是經已。

時に薄伽梵 是の経を説き已りたもう

その時
世の中で最も尊い人(薄伽梵)は
この経典を説き終えられた




金剛手等諸大菩薩及餘天衆。
聞佛所説皆大歡喜信受奉行

金剛手等の諸の大菩薩 及び 余の天衆は
仏の説きたもう所を聞きて
皆大いに歓喜し 信受し奉行せり

金剛杵を手に持つ求道者(菩薩)等や
諸々の大勢の求道者(菩薩
及び
その他の天界の衆生は
仏が説かれた所を聞いて
皆 大いに歓喜し
信じて受け入れた(信受
そして
仏の教えを奉じ 実践した(奉行







明石の禅寺 大蔵院
経典 記事一覧

.
金剛般若経
般若心経(大本・小本)梵語
.
観音経
延命十句観音経
.
大悲呪
開甘露門
.
消災呪
仏頂尊勝陀羅尼
.
坐禅儀
証道歌
.
中峰和尚座右の銘
興禅大燈国師遺戒
.
白隠禅師坐禅和讃.
雲水和讃
.
.
© 2025 kenkozan Daizoin

般若心経
大悲呪
昔の本堂の様子と 新本堂を再建する様子

[instagram-feed feed=1]

error: Content is protected !!