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観音経(全文)ふりがな 現代語訳

観音経(全文)ふりがな 読経 明石の禅寺 大蔵院

.
観音経では
観世音菩薩の姿・名前・功徳を
心にとめて 忘れないように・・と
説いています
.
じょうねんくぎょう かんぜおんぼさつ
常念恭敬 観世音菩薩
.
ぜこしゅじょう じょうおうしんねん
是故衆生 常応心念
かんぜおんぼさつ みょうごう
観世音菩薩 名号

.
.
.
観音経は
元は単独の経典でしたが
時を経て
大乗仏教を代表する経典 法華経
取り入れられました

観音経
大乗仏教の経典の一つ。
詳しくは
《観世音菩薩普門品(ふもんぼん)》といい,
クマーラジーバ訳の
《妙法蓮華経》第二十五品をなす。

元来は,単独に読まれたのを,
中国で合体したもので,
後代はもっとも人気ある経典として,
再び独立して読まれるようになる。

観世音菩薩が
衆生の願いに応じて姿を変える三十三応身と,
十九の説法について説き,
衆生がその名をよぶことによって,
あらゆる願いが満足されるとするもの。

中国では,六朝以来,
種々の霊験集が編まれるとともに,
唐代に
密教系の千手千眼観音の信仰が
広まると,各地にその霊場が出現する。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典

.

木槿の写真

.
.
観音経は
大乗仏教の代表する経典
法華経
25番目の章として
組み込まれています
.
.
そのため
観音経の正式名称は
.
みょうほう れんげきょう
妙法 蓮華経
かんぜおん ぼさつ ふもんぼん
観世音 菩薩 普門品

だい にゅじゅうご
第 二十五
.
と言います
.
.
普門(ふもん)とは
観世音菩薩などが
広く衆生を済度しようとする
広大な慈悲の門のこと
また
広く衆生に救いの門を開けていること
.
(ぼん)は
章という意味合いです

国宝 千手観音像
出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

:げ

観音経は
約2000文字で記されているお経です

前の約1400字は
定型や韻律を持たない
散文形式で記されており
.
「世尊妙相具・・・」から始める
後ろの約600字は
五言長歌の韻文形式で記されています
.
そして
最後の数行だけ
また散文形式に戻っています
.
.
仏教では
仏徳の賛嘆・教理を
韻文や詩句の形式で述べたものを
(げ)」と言うことから
.
観音経の後の
約600字の五言長歌の韻文部分を
妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品
といいます
.
これを略し
普門品偈
または
世尊偈
と呼んだりします
.
観音経を詠む場合
全文ではなく
後半600字の
観音経偈を詠むことは
少なくありません
.
.
.
観音経の
元のサンスクリット語の原典に
韻文の部分が無いことや
.
西暦286年に漢訳した 竺法護の訳にも
西暦406年に漢訳した 鳩摩羅什の訳にも
韻文の部分が無い点
.
そして
が記された観音経というのは
601年に
闍那崛多じゃなくつた達磨だつまぎゅうが共訳した
「添品妙法蓮華経」が初めてである点から
.
観音経の
闍那崛多じゃなくつたが加筆したものと
推測されています
.
.
そのため
現在の観音経は
鳩摩羅什の漢訳に
闍那崛多じゃなくつたの偈が
加えられている形だと言えます
.
.
.
また
ここで扱っている
約2000文字の観音経に対し
.
わずか42文字で記された
延命 十句観音経
というお経もあります
.
江戸時代に臨済宗を再興した禅僧 白隠禅師
偽経ではあるが 功徳あるお経であると
人々に この延命 十句観音経
勧められました
.
こちらの観音経も
御覧になってみてください



ひらがな
臨済宗の読み方
.
漢文
.
現代語訳






みょうほうれんげきょう 

妙法蓮華經


かんぜおんぼさ ふもんぼん

觀世音菩薩 普門品

だいにじゅうご

第二十五





にじ むじに ぼさ
爾時 無盡意 菩薩
そくじゅう ざき
即從 座起
へんだん うけん
偏袒 右肩
がっしょう こうぶつ
合掌 向佛
にさ ぜごん
而作 是言

その時 無尽意菩薩は
即座に 座から立ち起きると
右の肩を肩脱ぎにして
仏陀に向かい 合掌し
このように言った




せそん
世尊
かんぜん おんぼさ
觀世音 菩薩
いが いんねん
以何 因縁
みょう かんぜおん
名 觀世音

世の中で最も尊い人よ
(お釈迦様の敬称・仏陀)
観世音菩薩は
どのような因縁から
観世音と名付けられたのですか




ぶつごう
佛告
むじにんに ぼさ
無盡意 菩薩
 ぜんなんし
善男子

仏陀(お釈迦様)は
無尽意菩薩に告げられた
仏法に帰依し 信仰を守る 善き男子よ




にゃくう むりょう ひゃくやくせんまんのく
若有 無量 百千萬億
しゅじょう
衆生
じゅしょ くのう
受諸 苦惱

もし無量の 百千万億の
衆生が有り
諸々の苦悩を受けていたとしても・・




もんぜ かんぜおんぼさ 
聞是 觀世音菩薩 
いっしん しょうみょう かんぜおん ぼさ
一心 稱名 觀世音 菩薩
そくじ かんご おんじょう
即時 觀其 音聲
かい とく げだつ
皆 得 解脱

是の観世音菩薩の名を聞いて
一心に観世音菩薩の名を称えるならば
(観世音菩産は)
即時に その音声を観じ
皆を 迷いの苦悩からぬけ出させ
自由の境地に導き入れるだろう




にゃくう じぜ
若有 持是
かんぜおん ぼさ みょうしゃ
觀世音 菩薩 名者 
せつにゅう だいか かふのう しょう
設入 大火 火不能 燒
ゆぜ ぼさ いじんりき こ
由是 菩薩 威神力 故

もし 是の観世音菩薩の名を
心に持ち続ければ
大火の中に入っても
火が 焼くことは出来ないだろう
なぜなら
是の菩薩の威神力が働くからだ




にゃくい だいすいしょひょう
若爲 大水所漂
しょう ごみょうごう
稱 其名號
 そくとく せんじょ
即得 淺處

もし大海を漂うことになろうと
其の名号を 称えれば
すぐに浅い所を得るだろう




にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう
若有 百千萬億 衆生
いぐ
為求
こん ごん るり
金 銀 瑠璃
しゃこ めのう さんご こはく
硨磲 瑪瑙 珊瑚 琥珀
しんじゅ とほう
真珠 等宝
にゅう おだいかい
入 於大海

もしも百千万億もの衆生
金 銀 ラピスラズリ
シャコガイ 瑪瑙 珊瑚 琥珀
真珠 等の宝を求め
大海に入り




けし こくふう すい
仮使 黒風
ごせんぽう
其船舫
ひょうだ らせっ きこく
飄堕 羅刹 鬼国

たとい 暴風が吹き荒れて
停泊していた其の船を 漂わせ
羅刹 鬼神の国に 堕とされようとも




ごちゅう にゃくう ないし いちにん
其中 若有 乃至 一人 
しょう かんぜおんぼさ みょうしゃ
 観世音菩薩 名者

その中に もし一人でも
観世音菩薩の名を称える者が居れば




ぜしょにんとう
是諸人等
かい とくげだつ
皆 得解脱
 らせつ しなん
羅刹 之難

是の諸々の人々は 皆
羅刹らの 苦悩や迷妄の束縛から開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




いぜ いんねん
以是 因縁
みょう かんぜおん
名 観世音

是のような因縁により
観世音と名を為すのである




にゃくぶ うにん
若復 有人
りんとう ひがい
臨当 被害
しょう かんぜおんぼさ みょうしゃ
称 観世音菩薩 名者

もしまた 人がいて
まさに害を被ろうとする時に 臨んでも
観世音菩薩の名を称えれば




ひしょ しゅうとうじょう
彼所 執刀杖
 じんだんだんえ
尋段段壊
に とくげだつ 
而 得解脱

彼(加害者)が執るところの 刀や杖は
ばらばらに壊れ
苦悩や迷妄の束縛から 開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




にゃく さんぜんだいせんこくど
若 三千大千国土
まんちゅう やしゃ らせつ
満中 夜叉 羅刹
よくらい のうにん
欲来 悩人 

もし 三千大千もの広大無辺の世界に
 夜叉や羅刹が充満し
人々を悩せることを欲して 到来しても




もん ごしょう
聞 其称
かんぜおんぼさみょうしゃ
観世音菩薩名 者
ぜしょあっき しょうふの
是諸悪鬼 尚不能 
いあくげん じし
以悪眼 視之
きょう ぶかがい
況復 加害

其の観世音菩薩の名を
称える声を聞けば
これら 諸々の悪鬼は
その悪い眼で以て これを見れなくなる
まして害を加えるなど
復た言うまでもない




せつぶうにん
設復有人
にゃくうざい にゃくむざい
若有罪 若無罪
ちゅうかいかさ
枷械枷鎖
けんげごしん 
検繋其身

復た 人がいて
有罪にせよ 無罪にせよ
手械や足枷などの刑具で
自由を奪われ
取り調べに身体を束縛されようと




しょう かんぜおん ぼさみょう しゃ
称 観世音 菩薩名 者
かいしつ だんえ
皆悉 断壊
そく とくげだつ
即 得解脱

観世音菩薩の名を称えれば
それらの道具は 皆 ことごとく断壊し
すぐに 苦悩や迷妄の束縛から開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




にゃく さんぜん だいせん こくど
若 三千 大千 国土
まんちゅう おんぞく
満中 怨賊
ういち しょうしゅ
有一 商主
しょうしょ しょうにん
将諸 商人
さいじ じゅうほう
斉持 重宝
 きょうか けんろ
経過 険路

もし三千大千もの 広大無辺の世界が
怨めしい盗賊で満ちている中
ある一人の商隊の主が有り
今まさに 諸々の商人達を率いて
貴重な宝を持ったまま
一斉に 険しい道を
通り過ぎるとき




ごちゅういちにん
其中一人
さぜしょごん
作是唱言
しょうぜんなんし
諸善男子
もっとくくふ
勿得恐怖

其の集団の中に 一人でも
是の唱えごとを作す者があれば
仏法に帰依した 諸々の善なる男子が
恐怖心を得る事はない




にょとうおうとう いっしんしょう
汝等応当 一心称
かんぜおんぼさ みょうごう
観世音菩薩 名号

汝らは 一心に称えるべきである
観世音菩薩の称号(名号)を




ぜぼさ のういむい 
是菩薩 能以無畏
せお しゅじょう
施於 衆生

是の菩薩は 畏れを無くす事が出来
(その能力を)衆生に施す




にょうとう にゃく しょうみょうしゃ
汝等 若 称名者
おしおんぞく
於此怨賊
とう とくげだつ
当 得解脱

汝らが もし この名を称えるなら
此の怨めしい盗賊のような場面に於いても
きっと 苦悩や迷妄の束縛から開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




しゅしょうにんもん ぐほっしょうごん
衆商人聞 倶発声言 
なむ かんぜおんぼさ
南無 観世音菩薩
しょうごみょうこ
称其名故
そく とくげだつ
即 得解脱

多くの商人は(これを)聞いて
倶に この言葉を声にして発するだろう
南無 観世音菩薩と
其の名を称えるが故に
即座に 苦悩や迷妄の束縛から開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




むじんに
無尽意
かんぜおんぼさ まかさ
観世音菩薩 摩訶薩
いじんしりき ぎぎにょぜ
威神之力 巍巍如是

無尽意(菩薩)よ
観世音菩薩 摩訶薩
威神の力は 是のように 徳が高く 尊い




にゃく うしゅじょう
若 有衆生
たおいんよく
多於淫欲
じょうねんくぎょう かんぜおんぼさ
常念恭敬 観世音菩薩
べんとくりよく
便得離欲

もし 衆生が有り
淫欲(貪:とん)が多ければ
観世音菩薩を 常に念じ
恭(うやうや)しく 敬(うやま)うとよい
すぐにでも
淫欲(貪:とん)から離れ得るだろう




にゃく たしんに 
若 多瞋恚
じょうねんくぎょう かんぜおんぼさ
常念恭敬 観世音菩薩 
べんとくりしん
便得離瞋

もし 瞋恚(:じん)が多ければ
観世音菩薩を 常に念じ
恭(うやうや)しく 敬(うやま)うとよい
すぐにでも
瞋恚(:じん)から離れ得るだろう



にゃく たぐち
若多愚痴
じょうねんくぎょう かんぜおんぼさ
常念恭敬 観世音菩薩
べんとくりち
便得離癡

もし 愚痴(痴:ち)が多ければ
観世音菩薩を 常に念じ
恭(うやうや)しく 敬(うやま)うとよい
すぐにでも
愚痴(痴:ち)から離れ得るだろう 




むじんに
無尽意
かんぜおんぼさ
観世音菩薩
うにょぜとう だいいじんりき
有如是等 大威神力
たしょにょうやく
 多所饒益

無尽意(菩薩)よ
観世音菩薩には
是の様に 偉大な威神力があり
 慈悲の心で 利益を与えることが多い




ぜこ しゅじょう
是故 衆生
じょうおう しんねん
常応 心念

是れ故 衆生
常に 心に念ずべきである




にゃくうにょにん
若有女人
せっちょくぐなん
設欲求男
らいはいくよう かんぜおんぼさ
禮拝供養 観世音菩薩
べんしょう ふくとくちえしなん
便生 福徳智慧之男

もし女人が居たとして
男の子を もうけたいと欲するならば
 観世音菩薩を 礼拝・供養するとよい
福徳と智慧を備えた男の子を
難なく 生めることだろう




せっちょくぐにょ 
設欲求女 
べんしょうたんしょう うそうしにょ
便生端正 有相之女
しゅくじきとくほん
宿植徳本
しゅうにんあいきょう
衆人愛敬

女の子を もうけたいと欲するならば
姿・顔立ちが端正な女の子を
難なくも生めることだろう
前世に善根を植え付けられ(宿直
多くの人から愛され  敬われる子供を




むじんに
無尽意
かんぜおんぼさ うにょぜりき
観世音菩薩 有如是力

無尽意(菩薩)よ
観世音菩薩には 是の様な力がある




にゃくうしゅじょう くぎょう らいはい
若有衆生 恭敬 礼拝
かんぜおんぼさ
観世音菩薩
ふくふとうえん
福不唐捐

若し衆生が 恭しく敬い 礼拝すれば
観世音菩薩が
その福徳をいたずらに捨てることはない




ぜこしゅじょう
是故衆生
かいおうじゅじ
皆応受持
かんぜおんぼさ みょうごう
観世音菩薩 名号

是れ故 衆生
皆、心に念じ持ち続けるべきである
観世音菩薩の称号(名号)を




むじんに
無尽意
にゃくうにん じゅじ
若有人 受持
ろくじゅうにおく
六十二億
ごうがしゃ ぼさ みょうじ
恒河沙 菩薩 名字
ぶじんぎょう くよう
復尽形 供養
おんじき えぶく がぐ いやく
飲食 衣服 臥具 医薬

無尽意(菩薩)よ
もし人が有り
六十二億もの
ガンジス河の砂の数ほどの菩薩の名を
心に持ち
その形(命)が尽きるまで
飲食・衣服・臥具・医薬を
供養したとする




おにょい うんが
於汝意 云何
ぜぜんなんし ぜんにょにん
是善男子 善女人
くどく たふ
功徳 多不

汝はどう思う
是の仏法に帰依した 善き男子や女人の
功徳は多いか?少ないか?




むじんに ごん
無尽意 言 
じんた せそん
甚多 世尊

無尽意(菩薩)は 言った
甚だしく多いです
この世で最も尊き人(お釈迦様)よ




ぶつごん
仏言
にゃくぶ うにん
若復 有人
じゅじ かんぜおん ぼさ みょうごう
受持 観世音 菩薩 名号
ないしいちじ らいはいくよう
乃至一時 礼拝供養

仏陀(お釈迦様)は言った
若し復た 人が居たとする
(ある人は)
観世音菩薩の称号を 受持し続け
(ある人は)
一時だけ礼拝・供養した




ぜににんぷく
是二人福
しょうとうむい
正等無異
おひゃくせんまんのっこう
於百千萬億劫
 ふかぐうじん
不可窮尽

是の二人の福徳は
正に等しく 異なることなど無く
百千万億という年月を経ようと
極め尽くすことが出来ない




むじんに
無尽意
じゅじ かんぜおんぼさ みょうごう
受持 観世音菩薩 名号
とくにょぜ
得如是
むりょうむへん ふくとくしり
無量無辺 福徳之利

無尽意(菩薩)よ
観世音菩薩の名号を心に受持すれば
是のような無量無辺の
幸福と財産の利を得る




むじんにぼさ びゃくぶつごん
無尽意菩薩 白仏言
せそん
世尊

無尽意菩薩は 仏陀に向かい言った
この世で最も尊き人(お釈迦様)よ




かんぜおんぼさ
観世音菩薩
うんが
云何
ゆうししゃばせかい
遊此娑婆世界

観世音菩薩は
どのようにして
この世界(娑婆)を遊行されるのですか




うんが
云何
にいしゅじょう
而為衆生
せっぽう
説法

どのように
衆生の為に
説法されるのですか?




ほうべんしりき
方便之力
ごじうんが
其事云何
 
衆生を導く為の
臨機応変な智慧の働き
それらは どのようなものですか?




ぶつごう むじんにぼさ
仏告 無尽意菩薩
ぜんなんし
善男子
にゃくうこくどしゅじょう
若有国土衆生

仏陀は 無尽意菩薩に告げられた
仏法に帰依した善なる男子よ
もしも国土に衆生がいたとする




おうい
応以
ぶっしん
仏身
とくどしゃ
得度者
かんぜおんぼさ
観世音菩薩
そくげん ぶっしん
即現 仏身
にいせっぽう
而為説法


彼岸(悟りの境地)に渡るために
仏陀の身で
を説くのが相応しい者には
観世音菩薩は
仏陀の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
びゃくしぶっしん
辟支佛身
とくどしゃ
得度者
そくげん びゃくしぶっしん
即現 辟支佛身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
辟支佛の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
辟支佛の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
しょうもんしん
声聞身
とくどしゃ
得度者
そくげん しょうもんしん
即現 声聞身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
声聞の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
声聞の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
ぼんおうしん
梵王身
とくどしゃ
得度者
そくげん ぼんおうしん
即現 梵王身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
梵天の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
梵天の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く

  


おうい
応以
たいしゃくしん
帝釈身
とくどしゃ
得度者
そくげん たいしゃくしん
即現 帝釈身
にいせっぽう
而為説法

帝釈天の身を以て
彼岸(悟りの境地)に渡るために
梵天の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
帝釈天の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
じざいてんしん
自在天身
とくどしゃ
得度者
そくげん じざいてんしん
即現 自在天身
にいせっぽう
而為説法

自在天の身を以て
彼岸(悟りの境地)に渡るために
梵天の身で を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
自在天の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
だいじざいてんしん
大自在天身
とくどしゃ
得度者
そくげん だいじざいてんしん
即現 大自在天身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
大自在天の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
大自在天の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
てんだいしょうぐんしん
天大将軍身
とくどしゃ
得度者
そくげん てんだいしょうぐんしん
即現 天大将軍身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
天大将軍の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
天大将軍の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
びしゃもんしん
毘沙門身
とくどしゃ
得度者
そくげん びしゃもんしん
即現 毘沙門身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
毘沙門の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
毘沙門の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く



おうい
応以
しょうおうしん
小王身
とくどしゃ
得度者
そくげん しょうおうしん
即現 小王身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
小王の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
小王の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く



おうい
応以
ちょうじゃしん
長者身
とくどしゃ
得度者
そくげん ちょうじゃしん
即現 長者身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
長者の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
長者の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
こじしん
居士身
とくどしゃ
得度者
そくげん こじしん
即現 居士身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
居士の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
居士の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
さいかんしん
宰官身
とくどしゃ
得度者
そくげん さいかんしん
即現 宰官身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
宰官(役人)の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
宰官(役人)の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
ばらもんしん
婆羅門身
とくどしゃ
得度者
そくげん ばらもんしん
即現 婆羅門身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
婆羅門の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
婆羅門の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
びく びくに うばそく うばいしん
比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身
とくどしゃ
得度者
そくげん びく びくに うばそく うばいしん
即現 比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷の身で
即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
ちょうじゃ こじ さいかん ばらもん
長者 居士 宰官 婆羅門
ぶにょしん
婦女身
とくどしゃ
得度者
そくげん ぶにょしん
即現 婦女身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
長者居士や 宰官(役人)や 婆羅門の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
長者や 居士や 宰官や 婆羅門の
婦人の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く



おうい
応以
 どうなん どうにょしん
童男 童女身
とくどしゃ
得度者
そくげん どうなん どうにょしん
即現 童男 童女身
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
童男 童女の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
童男 童女の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く




おうい
応以
てん りゅう やしゃ けんだつば あしゅら
天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅
かるら きんなら まごらが
迦樓羅 緊那羅 摩睺羅伽
にんぴにんとうしん
人非人等身
とくどしゃ
得度者
そくかい げんし
即皆 現之
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
  夜叉 乾闥婆 阿修羅
迦樓羅 緊那羅 摩睺羅伽 人非人の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は これら)
すべての身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く



おうい
応以
しゅうこんごうじん
執金剛神
とくどしゃ
得度者
そくげん しゅうこんごうじん
即現 執金剛神
にいせっぽう
而為説法

彼岸(悟りの境地)に渡るために
執金剛神の身で
を説くのが相応しい者には
(観世音菩薩は)
執金剛神の身で 即座に現れ
その者に応じ 為になるようを説く

三十三身(さんじゅうさんじん)
仏身・辟支仏身・声聞身
梵王身・帝釈身・自在天身
大自在天身・天大将軍身・毘沙門身
小王身・長者身・居士身
宰官身・婆羅門身・比丘身
比丘尼身・優婆塞身・優婆夷身
長者婦女身・居士婦女身・宰官婦女身
婆羅門婦女身・童男身・童女身
天身・龍身・夜叉身
乾闥婆身・阿修羅身・迦楼羅身
緊那羅身・摩睺羅伽身・執金剛身






むじんに
無尽意
ぜかんぜおんぼさ
是観世音菩薩 
じょうじゅ にょぜくどく
成就 如是功徳

無尽意(菩薩)よ
是の観世音菩薩は
是の功徳の如く 成就させる




いしゅじゅぎょう
以種種形
ゆうしょ こくど 
遊諸国土
どだつ しゅじょう
度脱 衆生

種々の形を以て
諸々の国土を遊行し
衆生
迷いの世界から解脱させ
悟りの世界へ渡らせる




ぜこにょとう
是故汝等
おうとう いっしん
応当一心
くようかんぜおんぼさ
供養観世音菩薩

是れ故 汝らは
まさに 一心に
観世音菩薩を供養すべきである




ぜかんぜおん ぼさ まかさ
是観世音 菩薩 摩訶薩 
おふい きゅうなんしちゅう
於怖畏急難之中
のせむい
能施無畏

この観世音菩薩 摩訶薩
畏怖や危急の難の中に於いて
種々の畏怖を取り除く




ぜこ ししゃばせかい
是故 此娑婆世界
かいごうし いせむいしゃ
皆号之為 施無畏者

是れ故に 此の世(娑婆世界)では
皆が この観世音菩薩を
畏怖を無くす”布施”を行う者(施無畏者
号した




むじんにぼさ びゃくぶつごん 
無尽意菩薩 白佛言
せそん
世尊
がこんとうくよう
我今当供養
かんぜおんぼさ
観世音菩薩

無尽意菩薩は 仏陀の前で言った
この世で最も尊き人(お釈迦様)よ
私は今こそ
観世音菩薩に供養いたします




そくげきょう
即解頸
しゅ ほうしゅ ようらく
衆 宝珠 瓔珞
げじき ひゃくせんりょうごん
價直 百千両金

(無尽意菩薩は)
即座に
千両金の価値がある
もろもろの宝珠・瓔珞(装身具)を
首から解きはずすと




にいよし
而以與之
さぜごん
作是言

(観世音菩薩に)
これを與(あた)えようとして
是の言葉を言った




にんじゃ じゅし
仁者 受此
ほっせ ちんぼう ようらく
法施 珍宝 瓔珞

仁者よ お受取りください
此の法施の珍しい宝 瓔珞(装身具)を




じ かんぜおんぼさ
観世音菩薩
ふこう じゅし
不肯 受之

(しかし)その時 観世音菩薩は
之を受ることを 肯(がえん)じなかった




むじんに
無尽意
ぶびゃくかんぜおんぼさごん
復白観世音菩薩言
にんじゃ みんがとうこ
仁者 愍我等故
じゅし ようらく
受此瓔珞

無尽意(菩薩)は
復た 観世音菩薩に言った
仁者よ 我らを憐れみ
この瓔珞(装身具)をお受取りください




にじ ぶつごう かんぜおんぼさ
爾時 佛告 観世音菩薩

爾の時 仏陀は観世音菩薩に告げた




とうみんしむじんにぼさぎゅうししゅう
当愍 此無尽意菩薩 及 四衆
てん りゅう やしゃ けんだつば
天 龍 夜叉 乾闥婆
 あしゅら かるら きんなら
 阿修羅 迦樓羅 緊那羅
まごらか にんぴにんとうこ
摩睺羅伽 人非人等故
じゅ ぜようらく
受 是瓔珞

当に 此の無尽意菩薩及び四衆
  夜叉 乾闥婆
阿修羅 迦樓羅 緊那羅
摩睺羅伽 人非人などを憐れみ
是の瓔珞(装身具)を 受けるべきである




そくじ かんぜおんぼさ
即時 観世音菩薩
みんしょ ししゅう
愍諸 四衆
ぎゅうお てんりゅう にんぴにんとう
及於 天龍 人非人等
じゅ ごようらく
受 其瓔珞

 (すると)観世音菩薩は即時に
四衆
及び  人非人など
諸々を憐んで
其の瓔珞(装身具)を 受け取ると




ぶんさにぶん
分作二分
いちぶんぶ
一分奉
 しゃかむにぶつ
釈迦牟尼佛
いちぶんぶ
一分奉
たほうとうぶとう
多宝佛塔

瓔珞を)二つに分けた
(そして)
一つを
釈迦族の聖者(お釈迦様)に奉納し
もう一つを
多くの宝で飾られた仏塔に奉納した




むじんに
無尽意
かんぜおんぼさ
観世音菩薩
う にょぜ じざいじんりき
有 如是 自在神力
ゆうお しゃば せかい
遊於 娑婆 世界

無尽意(菩薩)よ
観世音菩薩には
是の様な自在な神力が有り
この世(娑婆世界)を遊行しているのだ




にじ むじんに ぼさ
爾時 無尽意 菩薩
いげ もんわつ
以偈 問曰

その時 無尽意菩薩は
(仏典における詩)を以て問うた

ご本尊(観音様)の写真

– – – 世尊偈 / 普門品偈 – – –



せそん みょうそうぐ
世尊 妙相具
がこんじゅうもんぴ
我今 重問彼
ぶっし がいんねん
佛子 何因縁 
みょうい かんぜおん
名為 観世音

霊妙な様相を具えられている
この世で最も尊き人(お釈迦様)よ
私(無尽意菩薩)は今 重ねて問います
彼の仏子は どのような因縁から
観世音という名を為しているのでしょう?




ぐそく みょうそうそん
具足 妙相尊 
げとう むじんに
偈答無盡意
にょちょう かんのんぎょう
汝聴観音行

ぜんのう しょほうしょ
善応 諸方所

霊妙な様相を具えらた
仏尊(お釈迦様)は
(仏典における詩)をもって
無尽意(菩薩)に答えた
汝、観音菩薩が
諸々の方面で 善く応じている
その行いを聴くがよい




ぐぜい じんにょかい
弘誓 深如海
りゃつこう ふしぎ
歴劫 不思議

(観世音菩薩が立てた)
衆生を救おうする
広大な誓願は 海のように深く
どれほど時を重ねても
計り知ることが出来ない




じた せんのくぶつ
侍多 千億佛
ほつ だいしょうじょう がん
発 大清浄 願


(観世音菩薩は)
千億のもの多くの仏に仕え
偉大で 清らかな願いを発している




がいにょ りゃくせつ
我為汝 略説
もんみょう ぎゅうけんしん
聞名 及見身
しんねん ふくうか
心念 不空過
のうめつ しょうく
能滅 諸有苦

私は 汝の為に 概略を簡単に説こう
その名を聞き その身姿を見よ
心に念じて 空しく時を過ごさなければ
諸々の苦しみが有ろうと
滅することが出来るだろう




けし こうがいい
假使 興害意 
すいらく だいかきょう
推落 大火坑
ねんび かんのんりき
念彼 観音力 
かきょう へんじょうち
火坑 変成池


たとい 人を害しようとする悪意により
巨大な火の穴に突き落とされようとも
彼の観音の力を念じれば
火の穴は 池へと変わるだろう




わく ひょうりゅう こがい
或 漂流 巨海 
りゅうぎょ しょき なん
龍魚 諸鬼 難
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
はろう ふのうもつ
波浪 不能没

或いは 巨大な海で漂流し
龍や魚や諸々の鬼から災難を受けようと
彼の観音の力を念じるならば
風浪もうねりも 沈めることは出来ない




わくざい しゅみぶ
或在 須弥峯
いにん しょすいだ
為人 所推堕
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
にょうにち こうくうじゅう
如日 虚空住

或いは(世界の中央にあるとされた偉大な山)
須弥山の峰から
人によって 突き落とされようとも
彼の観音の力を念じるならば
太陽のように
虚空に留まる事が出来るだろう




わくひ あくにん ちく
或被 悪人 逐
だらく こんごう せん
堕落 金剛 山
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
ふうのう そんいちもう
不能 損一毛

或いは 悪人に逐われて
金剛山から転落しようとも
彼の観音の力を念じるならば
毛の一本も損じることは無いだろう




わくち おんぞく にょう
或値 怨賊 繞
かくしゅう とうかがい
各執 刀加害
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
げんそく きいじいしん
咸即 起慈心


或いは 怨賊に囲まれ
その各々が刀を執り
危害が加えられようとしても
彼の観音の力を念じるならば
怨賊全員が 即座に
慈悲の心を起こすだろう




わくそう おうなんく
或遭 王難苦
りんぎょう よくじゅしゅう
臨刑 欲寿終
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
とうじん だんだんえ
刀尋 段段壊

或いは 王による苦難に遭い
刑罰を目前にして
寿命が尽きようとしても
彼の観音の力を念じるならば
刀が すぐにでも少しずつ壊れていくだろう




わくしゅう きんかさ
或囚 禁枷鎖
しゅそく ひちゅうかい
手足 被柱械
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
しゃくねん とくげだつ
釈然 得解脱


或いは 枷鎖で囚えられ
禁固され 柱に縛られ
手足の自由を奪われたとしても
彼の観音の力を 念じるなら
わだかまること無く すっきりと
苦悩や迷妄の束縛から開放され
自由の境地を得ることが出来るだろう




しゅうそ しょどくやく
呪詛 諸毒薬
しょうよく がいしんしゃ
所欲 害身者
ねんぴ かんのんりき
念彼 観音力
げんじゃく おうほんにん
還著 於本人

呪咀や諸々の毒薬で
身を害されようとする者が居ても
彼の観音の力を念じるならば
呪った本人に その呪いは還るだろう




わくぐう あくらせつ
或遇 悪羅刹
どくりゅう しょうきとう
毒龍 諸鬼等
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
じいしっぷ うかんがい
時悉 不敢害

或いは 凶悪な羅刹
毒龍や諸々の鬼などに遭遇しても
彼の観音の力を念じれば
その時 悉くが 敢えて
害そうとする事はないだろう




にゃく あくじゅう いにょう
若 悪獣 圍繞
りげそう かふ
利牙爪 可怖
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
しっそう むへんぽう
疾走 無邊方


若しくは 凶悪な獣に取り囲まれ
牙や爪に恐怖を覚えても
彼の観音の力を念じれば
(悪獣は)非常な速さで
あちこち 彼方へと走り去るだろう




がんじゃ ぎゅうふっかつ
玩蛇 及蝮蠍
げえどく えんかねん
気毒 煙火燃
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
じんじょう じえこ
尋聲 自回去

蛇やサソリなどが
毒気がある煙や火を上げようと
彼の観音力を念じれば
(観世音の)声を聞いて
自分から 元の場所へと帰り去るだろう




うんらいく せいでん
雲雷鼓 掣電
ごうばく じゅうだいう
降雹 澍大雨
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
おうじ とくしょうさん
応時 得消散

雲が  雷を打ち鳴らして光らせ
雹を降らせて 大雨を注ごうとも
彼の観音の力を念じれば
すぐに消散させることが出来るだろう




しゅじょう ひこんにゃく
衆生 被困厄
むりょう くひっしん
無量 苦逼身
かんのん みょうちりき
観音 妙智力
のうぐ せけんく
能救 世間苦

衆生が困難を被り
無量の苦しみで 身動きが出来なくても
観世音の妙なる智力は
世間の苦しみから救うことが出来るだろう




ぐそく じんづうりき
具足 神通力
こうしゅう ちほうべん
廣修 智方便

じっぽう しょうこくど
十方 諸国土
むせつ ふげんしん
無刹 不現身


(観世音菩薩は)
神通力を備え
智慧・教化の方法を広く修めている
あらゆる方角の 諸々の国土において
身を現わさない場所は無い




しゅじゅ しょあくしゅ
種種 諸悪趣
じごく きちくしょう
地獄 鬼畜生
しょうろう びょうし く
生老 病死 苦
いぜん しつりょうめつ
以漸 悉令滅

種々の諸々の苦しみの世界
地獄・餓鬼・畜生
生老病死の苦しみを
少しずつだが
ことごとく消滅させるだろう




しんかん
真観

しょうじょうかん
清浄観
こうだい ちえかん
廣大 智慧観
ひかん
悲観

ぎゅう

じかん
慈観

真理を観じ(真観)
清浄に観じ(清浄観)
広く大きな智恵で観じており(広大智恵観)
人の苦しみを取り除こうと観じ(悲観)
そして
人に安らぎを与えようと観じている(慈観)

※観世音菩薩の五観




じょうがん じょうせんごう
常願 常瞻仰

むくしょうじょうこう
無垢 清浄光
えにち はしょあん
慧日 破諸闇


(だから 観世音菩薩を)

常に念願し 常にあおぎ 尊びなさい
汚れ無き清浄な光 智慧の太陽は
諸々の闇を破る




のうぶく さいふうか
能伏 災風火
ふみょう しょうせけん
普明 照世間

災難の風や火を 屈伏させることが出来
あまねく明るく 世の中を照らす




ひたいかい
悲體戒

らいしん
雷震
じい
慈意

みょうだいうん
妙大雲

慈悲の体である戒めは
雷が震えるように偉大であり
慈愛の意(こころ)は
神妙な大雲のように大きい




じゅん

かんろ
甘露
ほうう
法雨
めつじょ ぼんのう えん
滅除 煩悩 焔

よい時期に降る 慈しみの雨
涅槃にいたる甘い水(甘露
あまねく衆生を救う雨(法雨)は
煩悩の炎を 滅し除く




じょうしょう きょうかんじょ
諍訟 経官処
ふい ぐんじんちゅう
怖畏 軍陣中
ねんび かんのんりき
念彼 観音力
しゅうおん しったいさん
衆怨 悉退散

諍訟により官庁で時を経るときでも
恐れを覚える軍陣の中に居るときでも
彼の観音力を念じるなら
人々の怨みは ことごとく退散する




みょうおん かんぜおん
妙音 観世音

ぼんのん
梵音

かいちょうおん
海潮音
しょうひ せけんのん
勝彼 世間音


とても美しい観世音の音声は
(五種清浄の音を発する)
梵天の王の音 梵音であり
衆生を導き恵みを与える)
海潮音であり
彼の世間の音よりも 勝れている




ぜこ しゅじょうねん
是故 須常念

ねんねん もつしょうぎ
念念 勿生疑


是れ故
常に念じるべきである
一瞬一瞬(絶えることなく)
疑いを生じるな




かんぜおん じょうしょう
観世音 浄聖
おうく のうしやく
於苦 悩死厄
のうい さえこ
能為 作依怙


観世音は 清浄で 神聖である
苦悩や死や厄災において
能く心の頼りとなる




ぐ いっさい くどく
具 一切 功徳
じげん じ しゅじょう
慈眼 視 衆生

ふくじゅ かいむりょう
福聚 海無量


一切の善行を備え
慈悲の眼で衆生を見る
(観世音菩薩の元には)
幸せをもたらす功徳が
海のように量(はか)り知れないほど
聚(あつ)まる




ぜこ おう ちょうらい
是故 応 頂礼

是れ故
(観世音菩薩に対し)
最高の敬意を表すべきである




にじ じじ ぼさ
爾時 持地 菩薩

そくじゅう ざき
即従 座起
ぜんびゃく ぶつごん
前白 佛言

その時 持地菩薩は
即座に 座から立ち起きると
仏陀(お釈迦様)の前に進み こう言った




せそん
世尊

にゃくう しゅじょう
若有 衆生
もん ぜ かんぜおんぼさ ほん
聞 是 観世音菩薩 品
じいざいしごう ふもんじげん
自在之業 普門示現

 じんづうりきしゃ
神通力者

この世で最も尊き人(お釈迦様)よ
もし衆生
是の観世音菩薩品の自由自在の業
種々の形体で現じる
超人的な能力者の話を 聞けば 




とうちぜにん
当知是人

くどくふしょう
功徳不少

当に知るべきです
是の(聞いた)人に影響を与える
功徳が 決して少なくないコトを




ぶっせつ ぜふもんぼんじ
佛説 是普門品時
しゅうちゅう はちまんしせんしゅじょう
衆中 八萬四千衆生
かいほつ
皆発
むとうどう

無等等
あのくたらさんみゃくさん ぼだいしん
阿耨多羅三藐三 菩提心

仏陀(お釈迦様)が

是の普門品を説いた時
大勢の人々 八万四千の衆生
皆が発した
等しいものが無
無上の 正しく完全な
悟りの智慧を
求める心を
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明石の禅寺 大蔵院
経典 記事一覧

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金剛般若経
般若心経(大本・小本)梵語
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観音経
延命十句観音経
.
大悲呪
開甘露門
.
消災呪
仏頂尊勝陀羅尼
.
坐禅儀
証道歌
.
中峰和尚座右の銘
興禅大燈国師遺戒
.
白隠禅師坐禅和讃.
雲水和讃
.
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妙法蓮華経二十八品一覧

法華経は 以下のように
28品(章節)で構成されています

前半十四品(迹門)

第一  序品
第二 方便品
第三 譬喩品
第四 信解品
第五 薬草喩品
第六 授記品
第七 化城喩品
第八 五百弟子受記品
第九 授学無学人記品
第十 法師品
第十一 見宝塔品
第十二 提婆達多品
第十三 勧持品
第十四 安楽行品
.
後半十四品(本門)
.
第十五 従地湧出品
第十六 如来寿量品
第十七 分別功徳品
第十八 随喜功徳品
第十九 法師功徳品
第二十 常不軽菩薩品
第二十一 如来神力品
第二十二 嘱累品
第二十三 薬王菩薩本事品
第二十四 妙音菩薩品
第二十五 観世音菩薩普門品
第二十六 陀羅尼品
第二十七 妙荘厳王本事品
第二十八 普賢菩薩勧発品

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般若心経
大悲呪
昔の本堂の様子と 新本堂を再建する様子

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