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【作成中】金剛般若経 現代語訳

目次



はじめに


金剛経の概略


金剛経 現代語訳
法会因由分 第一
善現啓請分 第二
大乗正宗分 第三
妙行無住分 第四
如理実見分 第五
正信稀有分 第六
無得無説分 第七
依法出生分 第八
一相無相分 第九
荘厳浄土分  第十 (作成中)
無為福勝分 第十一(作成中)
尊重正教分 第十二(作成中)
如法受持分 第十三(作成中)
離相寂滅分 第十四(作成中)
持経功徳分 第十五(作成中)
能浄業障分 第十六(作成中)
究竟無我分 第十七(作成中)
一体同観分 第十八(作成中)
法界通化分 第十九(作成中)
離色離相分 第二十(作成中)
非説所説分 第二十一(作成中)
無法可得分 第二十二(作成中)
浄心行善分 第二十三(作成中)
福智無比分 第二十四(作成中)
化無所化分 第二十五(作成中)
法身非相分 第二十六(作成中)
無断無滅分 第二十七(作成中)
不受不貪分 第二十八(作成中)
威儀寂静分 第二十九(作成中)
一合理相分 第三十(作成中)
知見不生分 第三十一(作成中)
応化非真分 第三十二(作成中)


経典 記事一覧





はじめに


現代語訳の公開にあたって

この度 光栄にも明石の禅寺 大蔵院様のご厚意を賜り
私が翻訳いたしました『金剛般若経』の現代語訳を
掲載させていただくこととなりました

私は 大蔵院様に深くご縁をいただいております
一人の在家信者(優婆塞)にすぎません

仏道の本質を重んじ 未熟な私の熱意と試みを温かく受け入れ
貴重な発表の場を提供してくださいました大蔵院の住職様には
深く心より御礼申し上げます

本訳は
かつて お経に関心はあるけど
何から手を付ければよいのか
全く分からずに 迷いの中にいた
昔の私自身の手助けとなるよう・・・
との思いから作成したものです

専門的な知識がなくても
お釈迦様と須菩提長老の温かい心の交流や
金剛経の奥深い教えが真っ直ぐ届くよう
一字一字に真心を込めて現代語に訳しました

なお 掲載にあたっては
住職様より多大なるご寛恕をいただいておりますが
翻訳における言葉の解釈や表現の全責任は
すべて訳者である私個人に帰するものであり
お寺様や特定の宗派としての公式な見解を
示すものではございません

お経の翻訳には
立場や視点によって
非常に多くの解釈が成立します

そのため 本訳はあくまで
一つの味わい方 一つの解釈の形として
提示させていただいているものであることを
何卒ご了承いただけますと幸いです

この現代語訳が
皆様と 仏法との尊い出会いの一助となれば
これに勝る喜びはありません

訳者(大蔵院 縁の在家信者)




金剛経の概略


金剛般若波羅蜜経の
サンスクリットの原本のタイトル(表題)は
  Vajra cchedikā
ヴァジュラッチェーディカー
prajñāpāramitā
プラジュニャーパーラミター
Sūtra
スートラ
です

Vajraは
稲妻(雷)、金剛、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器
古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つ
すべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」を原義とする
物質の中で最も硬く 決して傷つかない究極の強さ
「ダイヤモンドのように硬く、雷のように強力に切り裂く」
という二重の意味

cchedikāは
能断(能く断つ)、切断する、砕く

prajñāは
般若、道理を明らかに見抜く智慧

pāramitāは
波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成(性)

Sūtraは
経典、お釈迦様の教えを記した聖典

まとめると
インドラの雷のごとく(あらゆる迷いや執着を)砕く
究極の完成された 智慧の 経典
といった意味合いになります



これを
西域にあった亀茲国の僧 鳩摩羅什は
金剛般若波羅蜜経と漢訳しました

参照までに
他の漢訳タイトルを並べます

菩提流支(北魏を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

真諦(南朝梁を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

達磨笈多(唐を訪れたインド僧善無畏の師)訳
金剛能断般若波羅蜜経

玄奘(陸路でインドを訪れた唐の僧)訳
能断金剛般若波羅蜜多経(初回)
大般若波羅蜜多経(二回目)

義浄(海路でインドを訪れた唐の僧)訳
仏説能断金剛般若波羅蜜多経



金剛般若波羅蜜経は
金剛般若経・金剛般若・金剛経
また経の長さから 三百頌般若経
などと呼ばれます

『金剛経』成立と展開の歴史年表


大乗仏教が起こってから
漢訳金剛経が出来るまでの
年表は以下の通りです


■紀元前1世紀〜紀元後1〜2世紀頃
大乗仏教および『般若経』の発生

インドで
「出家者だけでなく すべての人の救済」を目指す
大乗仏教運動が始まり
その初期聖典として『般若経』の編纂が進む



■紀元後2〜4世紀頃
『金剛経』の原典成立

『般若経』のエッセンスを凝縮した独立経典として
インドで『金剛経』のサンスクリット原典が成立したと推定される



■344年
鳩摩羅什(くまらじゅう)誕生

亀茲国(クチャ)に生まれる(〜413年没)
後に中国へ仏教を伝える天才訳経僧となる



■384年頃
鳩摩羅什、中国(涼州)へ到着

前秦の将軍・呂光により涼州へ連行され、約17年間滞在
この間に高度な中国語の素養を身につける



■401〜402年頃
鳩摩羅什による『金剛経』の漢訳

都の長安にて『金剛般若波羅蜜経』を翻訳
現在最も読まれている名訳が誕生
当時は区切りのない1本の長い文章であった



■501年
昭明太子(蕭統)誕生

南朝・梁(りょう)の初代皇帝・武帝の
長男として生まれる(〜531年没)



■520年頃
(後世の伝承)
達磨大師と
梁(りょう)の初代皇帝・武帝の対話

禅宗の伝承(普通元年)において
達磨が武帝の執着を
「無功徳」と一蹴したとされる有名な問答
歴史的な渡来時期には諸説あるが
禅の本質を示す



■525年頃
(後世の伝承)
昭明太子による「32章立て」の完成

鳩摩羅什の訳を
一般の人にも分かりやすくするため全32章に分類
すべての章に個別のタイトルを命名したと伝えられる
(第1章が「法会因由分第一」)



禅寺 大蔵院の写真
禅寺 大蔵院


金剛 般若波羅蜜経 現代語訳



1.ひらがな(臨済宗の読み方)
2.漢文(白文)
3.書き下し文
4.現代語
5.語句
という順番で 記しています




こんごう はらみつきょう

金剛 般若波羅蜜経

金剛(こんごう)般若(はんにゃ)波羅蜜(はらみつ)経(きょう)

(すべてを打ち砕く)インドラの雷で 迷いを打ち砕く
究極の完成された智慧の 経典

金剛:古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つすべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」が原義、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器、。般若:道理を明らかに見抜く智慧。波羅蜜:波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成。経:経典、聖典。




姚秦 三蔵法師 鳩摩羅什訳

姚秦(えうしん)三蔵法師(さんぞうほうし)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳(やく)

姚秦(後秦)の時代に 三蔵法師と称された鳩摩羅什が漢訳した

姚秦: 4〜5世紀、羌族の姚萇が建てた中国北方の王朝。三蔵法師:経・律・論の三蔵すべてに精通した高僧に贈られる尊称。鳩摩羅什: 〈梵〉Kumārajīva、亀茲国出身の訳経僧(父はインド系、母は亀玆国王の妹)、法華経などを美しい漢文に訳す。訳:翻訳のこと。








ほうえいんゆぶん だいいいち

法会因由分 第一

法会(ほうえ)因由(いんゆ)分(ぶん) 第一(だいいち)

法会が開かれるまでのいきさつの章 第一

法会(ほうえ):仏が教えを説くための集会、説法の場。因由(いんゆ):起こった理由・いきさつ・由縁・背景。分(ぶん):章・節・部分。第一(だいいち):第一章・最初の部分。




にょぜ がもん
如是 我聞

是(か)くの如(ごと)く 我(わ)れ聞(き)けり

私はこのように聞いた

如是:このように、以下に述べる内容が事実として伝え聞いたものであることを示す定型句。我:私、経典を編纂した結集の代表者(阿難)のこと。聞:耳に受けて聞いた、お釈迦様から直接教えを拝聴したという意味。




いちじ ぶつざい しゃえこく
一時 佛在 舍衞國
ぎじゅぎっ こどくおん
祇樹給 孤獨園
よ だいびくしゅ
與 大比丘衆
せんにひゃくごじうにん ぐ
千二百五十人 倶

一時(いちじ) 仏(ほとけ)は
舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に
大比丘衆(だいびくしゅ) 千二百五十人と
倶(とも)に 在(いま)したり

ある時 仏(お釈迦様)は
コーサラ国の都シュラーバスティー(舎衛国)にある
ジェータ王子の園林で
長者が寄進した 孤独な人に食事を提供する園(祇樹給孤独園)に
 1250人もの修行僧の大集団と共に滞在されていた

一時:ある時 釈迦がこの法を説いた時を表す。仏:悟りを開いた者 ここではお釈迦様を指す。在:滞在する そこにいることを表す。舍衞國:古代インド コーサラ国の都であるシュラーバスティーを漢字で音写した地名。祇樹給孤獨園:祇陀太子の林と 給孤独長者が寄進した園から成る寺院 釈迦が多くの経を説いた場所として知られる。祇樹:祇陀太子から寄進された林。給孤獨:孤独な人や貧しい人に食事や援助を施した長者の称号。園:庭園 修行や説法の場となった寺院の敷地。與:ともに 共にすることを表す。大:大勢、人数が多いこと。比丘:出家して戒律を受けた男性の修行者、僧。衆:多くの人々 集団。千二百五十人:釈迦に常に随従していた比丘たちの人数として、多くの経典に繰り返し現れる定型的な数字。倶:ともに 一緒に。






にじ せそん じきじ ぢゃくえ ぢはつ
爾時 世尊 食時 著衣 持鉢
にゅう しゃえいだいじょう こつじき
入 舍衞大城 乞食
お ごじょうちゅう しだい こっち
於 其城中 次第 乞已

その時(とき) 世尊(せそん)は 食時(じきじ)に 衣(ころも)を著(つ)け 鉢(はつ)を持(じ)し
舎衛(しゃえい)の大城(だいじょう)に入りて 食(じき)を乞(こ)う
その城中(じょうちゅう)において 次第(しだい)に乞(こ)い已(おわ)り

その時 この世で最も尊い方は 朝のうちに 衣をまとい 鉢を持ち
シュラーバスティーの大市街に入り 食糧を乞い歩かれた
その市街の中において 街中で順に食を乞い 托鉢を終えられ・・・

爾時:その時、その折。世尊:仏の尊称。「世に最も尊ばれる方」という意味で、サンスクリット原典では Bhagavān に当たる。食時:食事の時。出家者が托鉢に出る朝の時間帯を指す。著衣:衣を身に着けること。出家者としての袈裟や法衣を着ることをいう。著:身に着ける、着用すること。衣:衣服。ここでは出家者の法衣を指す。持鉢:鉢を持つこと。托鉢に用いる食器を携えることをいう。持:手に持つ、携えること。鉢:食物を受けるための器。出家者が托鉢に用いる鉢。入:入る、中へ進むこと。舍衞:古代インドの都市シュラーバスティーの漢訳名。大城:大きな城郭都市。人口の多い主要な都市を指す。乞食:食物の施しを受けるために托鉢すること。生活のためではなく修行として行われた。乞:請い求めること。食:食物、食事。於:場所や対象を示す語。ここでは「〜において」の意味。其:その、その場所を指す語。城中:城郭都市の中、市街地の中。次第:順序に従って。一軒ずつ順番に行うこと。已:終わる、済むこと。ここでは托鉢を終えたことを表す。




げんし ほんじょ ぼんじき こっ
還至 本處 飯食 訖
しゅう えはつ せんぞく い
收 衣鉢 洗足 已
ふざ にざ
敷座 而坐

本処(ほんじょ)に還(かえ)り至(いた)り 飯食(ぼんじき)し訖(お)え
衣鉢(えはつ)を収(おさ)め 足(あし)を洗(あら)い已(お)わり
 座(ざ)を敷(し)きて 坐(ざ)したまえり

元いた場所へ帰られると 食事をすませ
鉢と衣を片付け 足を洗い
座を敷いて坐られた

還至:帰り至ること。本来いた場所へ戻ること。本處:もとの場所。本来の居所や滞在先を指す。飯食:食事をすること。訖:終える、完了すること。收:収める、片付けること。衣鉢:衣と鉢。出家者が常に携える法衣と托鉢用の鉢。洗足:足を洗うこと。当時のインドでは屋外を歩いた後の習わしでもあった。已:終わる、済むこと。敷座:座を敷くこと。坐るための敷物を整えること。座:座席、坐る場所。而:そして、その後に。前後の動作をつなぐ語。坐:坐ること。









ぜんげんけいしょうぶん だいに

善現啓請分 第二


善現(ぜんげん) 啓請(けいせい)の分(ぶん) 第二(だいに)

須菩提が教えを請い願う章 第二

善現:須菩提(しゅぼだい)のこと、釈迦の十大弟子の一人、善現・空生などと訳す。啓請:教えを請い願うこと、質問を申し上げること。分:章、品。




 じ ちょうろう しゅぼだい
時 長老 須菩提
ざい だいしゅちゅう
在 大衆中

時(とき)に 長老(ちょうろう)須菩提(しゅぼだい)は
大衆(だいしゅう)の中(なか)に在(あ)り

ちょうどその時 長老である須菩提(しゅぼだい)もまた
大勢の修行僧たちの中にいた

時:その時、その折を表す語。長老:徳と修行を積み、教団の中で敬われた年長の比丘への敬称。須菩提:サンスクリット名はスブーティ(Subhūti)、争うことがなかったところから無諍第一、空の理解の深かったことから解空第一と称された。在:いる、その場に居合わせること。大衆:多くの比丘や修行者の集まり。この場では法会に集った比丘僧団を指す。中:中、集まりの中。




そくじゅうざき へんだんうけん
即從座起 偏袒右肩
うしつぢゃくぢ がっしょうくぎょう
右膝著地  合掌恭敬
 にびゃくぶつごん
而白佛言

即(すなわ)ち座(ざ)より起(た)ち
ひとえに右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ
右(みぎ)の膝(ひざ)を地(ち)に著(つ)け
合掌(がっしょう)・恭敬(くぎょう)して
而(しか)して仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

すると すかさず 須菩提長老は座から立ち上がり
上衣を片方の肩に掛けて右肩をあらわにし
右の膝を地面につけ 手を合わせ うやうやしく礼拝し
それから 悟られた方(お釈迦様)に謹んで申し上げ こう言葉を発した

即:そこで、そのまま次の動作に移る様子を表す接続詞。從座起:自分が座っていた席から立ち上がること。偏袒右肩:インドの最高敬礼法の一つで、上衣を左肩に掛け右肩を露出すること。右膝著地:右の膝を地面につけること、尊者に対して深い敬意を示す姿勢。合掌:両手のひらを胸の前で合わせること、敬意や一心不乱の心の表れ。恭敬:心から相手をうやうやしく敬うこと。而:〜して、前の動作を受けて次の動作へと繋ぐ接続詞。佛:仏陀、悟った人。白:目上の人に対して申し上げる、告げるという意味。言:言うこと。




けう せそん
希有 世尊
にょらい ぜんごねん しょぼさつ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

希有(けう)なり 世尊(せそん)
如来(にょらい)は 善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)したまう

この世で最も尊い方よ 本当に素晴らしいことです
如来は 菩薩たちを深く心にかけて守り
菩薩たちに(仏の教えを)よく託しておられます

希有:非常にまれなこと。この上なく素晴らしく尊いことをたたえる言葉。世尊:仏の尊称。世に最も尊ばれる方という意味で、ここでは釈迦を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に。完全に行われていることを表す。護念:慈しみをもって心にかけ、見守り守護すること。諸:多くの、さまざまな。菩薩:悟りを求め、自ら修行するとともに人々を救おうとする修行者。付囑:大切な教えや使命を託し、任せること。付:授ける、託すこと。囑:頼む、任せること。




せそん
世尊
ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子善女人
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心

世尊(せそん)よ
善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の
心(しん)を発(ほっ)するに

この世で最も尊い方よ
仏道を求める男女が
至上なる正しい悟りを
求める
心を起こしたときには

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。発:起こす 生じさせるの意 発心(ほっしん)で一つの熟語となり悟りを求める心を起こすことを指す、熟語の一部のため心は音読みでしんと読む。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttara-samyak-sambodhi の音写、この上ない正しく完全な悟りの意。心:ここでは悟りを求めようとする心、菩提心のこと。




うんが おうぢゅう
云何 應住
うんが ごうぶく ごしん
云何 降伏 其心

云何(いか)んが応(まさ)に住(じゅう)すべき
云何(いか)んが其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべき

どのようにその境地にとどまり生活すべきでしょうか また
どのようにその迷いの心を従わせ静めればよいのでしょうか

云何:いかん、どのようにの意、疑問を表す語。応住:まさにどのように住すべきかの意、日々の生活や心の置き方を問う語。降伏:心の乱れや煩悩を制し鎮めること。其心:その心 発心した者自身の心を指す、熟語ではなく普通の言い回しなので訓読みでこころと読む。




ぶつごん
佛言
ぜんざい ぜんざい しゅぼだい
善哉 善哉 須菩提

仏(ほとけ)言(のたま)わく
善(よ)いかな 善(よ)いかな
須菩提(しゅぼだい)よ

仏は 次のように仰られた
まことに まことに(素晴らしいことだ)
須菩提よ

佛:仏、真理を悟った者、ここではお釈迦さまのこと。言:言葉を発して告げること。善哉:素晴らしい、実によいことだという感嘆や賛嘆を表す言葉。須菩提:お釈迦さまの十大弟子の一人、空の理解に最も秀でた解空第一と称される長老。




にょ にょしょせつ
如 汝所説
にょらい ぜんごねん しょぼさっ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

如(なんじ)の説(と)く所(ところ)の如(ごと)く
如来(にょらい)は善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)す

あなたの言うとおり
如来は よくよく菩薩たちを心にかけ 護(まも)り
よくよく菩薩たちに(仏の教え)託している

如:~のように、そのとおりに。汝:あなた、おまえ。ここでは須菩提を指す。所説:説いた内容、述べたこと。所:ところ、内容を表す語。説:説く、述べること。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に、すぐれて。護念:慈しみをもって心にかけ、護ること。諸:多くの、もろもろの。菩薩:悟りを求め、自他ともに救おうと修行する者、〈梵〉Bodhisattva。付囑:教えや使命を託し、受け継がせること。




にょこん たいちょう
汝今 諦聽
とう いにょせつ
當 爲汝説

汝(なんじ) 今(いま) 諦(あきら)かに聴(き)け
当(まさ)に汝(なんじ)が為(ため)に説(と)くべし

そなた 今こそ 心して聴くがよい
そなたのために説くこととしよう

汝:あなた、おまえ。今:今、この時。諦:つまびらかにする、よく確かめること。ここでは「十分に注意して」の意を表す。聽:聞く、耳を傾けること。當:まさに、これから当然そうすることを表す。爲:~のために。汝:あなた、おまえ。説:説く、教えを述べること。




ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子 善女人 發
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心
おう にょぜぢゅう
應 如是住
にょぜ ごうぶく ごしん
如是 降伏 其心

善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(しん)を発(ほっ)せば
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く住(じゅう)し
是(か)くの如(ごと)く其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

仏道を求める男女が
この上ない正しい悟りを求める心を起こしたならば
このように 日々を過ごすべきであると
このように その心を調えるべきであると

語句の説明 善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。發:起こす、生じさせること。阿耨多羅:〈梵〉Anuttara、この上ない、無上の。三藐:〈梵〉Samyak、正しい、完全な。三菩提:〈梵〉Saṃbodhi、完全な悟り。心:心、志、悟りを求める願い。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。其:その、それ。住:とどまる、安住すること、心を落ち着かせて日々の生活を送り行動すること。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其心:その心。




ゆいねん せそん
唯然 世尊
がんぎょう よくもん
願樂 欲聞

唯(い)い 然(しか)り 世尊よ
願(ねが)わくは楽(ねが)い欲(ほっ)して聞(き)かん

はい この世で最も尊い方よ
心からお聞きしたいと願っております

唯然:はい その通りです、目上の人の言葉に同意して素直に応答する返事の言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。願:心からねがうこと、希望すること。楽:ねがう、よろこんで〜したいと思う、サンスクリット語の「切に望む」というニュアンスを含む。欲:〜したいと強く思うこと。聞:教えを耳にして深く理解し受け入れること。








だいじょうしょうしゅうぶん だいさん 

大乗正宗分 第三


大乗(だいじょう正宗 (しょうしゅう) 分(ぶん) 第三(だいさん)

大乗の正しい教えについて説く章 第三

大乗:すべての人々の救いと悟りを目指す仏教の教え。正宗:経典の中心となる正しい教え、主要な教義。分:章、区分。第三:第三の章。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者、ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




しょぼさっ まかさっ
諸菩薩 摩訶薩
おう にょぜ ごうぶく ごしん
應 如是 降伏 其心

諸菩薩(しょぼさつ) 摩訶薩(まかさつ)は
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く
其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

諸々の菩薩たち 摩訶薩たちは
まさに このように
その心を調えるべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
摩訶薩:〈梵〉mahasattva の音写 偉大な菩薩 優れた修行者。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其:その。心:心、志。




しょう いっさい しゅじょう しるい
所有 一切 衆生 之類

所有(あらゆ)る一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)の類(たぐい)

あらゆる一切の生きとし生けるものすべて

所有:あらゆる、すべての。一切:すべて、残らず。所有一切:あらゆるすべて。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では輪廻するあらゆる生きものを指す。之:~の、これ。類:たぐい、種類。




にゃくらんしょう にゃくたいしょう
若卵生 若胎生
にゃくしっしょう にゃくけしょう
若濕生 若化生

若(も)しくは卵生(らんしょう)
若(も)しくは胎生(たいしょう)
若(も)しくは濕生(しっしょう)
若(も)しくは化生(けしょう)

もしくは卵から生まれたものでも
もしくは母胎から生まれたものでも
もしくは湿り気から生まれたものでも
もしくは変化によって生まれたものでも

若:もしくは、あるいは。卵生:卵から生まれる生きもの。胎生:母胎の中で育ち、生まれる生きもの。濕生:湿り気や水分のある環境から生まれると考えられた生きもの。化生:親や卵によらず、変化によってただちに生まれるもの。天人や地獄の衆生などがこれに含まれるとされる。※四生: 仏語、生物をその生まれ方から四種に分類したもの、胎生・卵生・湿生・化生。




にゃくうしき にゃくむしき
若有色 若無色

若(も)しくは有色(うしき)
若(も)しくは無色(むしき)

もしくは形あるものでも
もしくは形のないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。色:ここでは物質的な身体や形を表す。無:ない、持たないこと。




にゃくうそう にゃくむそう
若有想 若無想


若(も)しくは有想(うそう)
若(も)しくは無想(むそう)

もしくは認識するはたらきがあるものでも
もしくは認識するはたらきがないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




にゃくひうそう にゃくひむそう
若非有想 若非無想

若(も)しくは非有想(ひうそう)
若(も)しくは非無想(ひむそう)

もしくは認識するはたらきがある ともいえないものでも
もしくは認識するはたらきがない ともいえないものでも

若:もしくは、あるいは。非:~ではない、単純には当てはまらないこと。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




がかい りょうにゅう むよねはん
我皆 令入 無餘涅槃
に めつど し
而 滅度 之

我(われ)は皆(みな)を 無餘涅槃(むよねはん)に入(い)れ
而(しか)して 之(これ)を滅度(めつど)せしむ

私はそれらすべてのものを 無余涅槃に導き
その上で これらを永遠の平安の境地へ至らせる

我:私、ここでは修行者自身や救おうと決意する主体のこと。皆:すべて、余すところなく。令:〜させる、使役や意志を表す言葉。入:入らせる、そこへ導き入れること。無餘涅槃:煩悩や執着が完全に尽きた究極の涅槃。余すところのない完全な安らぎの境地。而:そして、そのうえで。滅度:〈梵〉nirvāṇaの訳、音訳は涅槃、煩悩や苦しみを滅し尽くし 迷いの世界を渡り終えること。之:これ、それ、ここでは前述の一切衆生を指す。




にょぜ めつど
如是 滅度
むりょう むしゅ むへん しゅじょう
無量 無數
 無邊 衆生

是(か)くの如(ごと)く 
無量(むりょう)無数(むしゅ)無辺(むへん)の衆生(しゅじょう)を
滅度(めつど)せしめども・・・

このように
量れないほど 数え切れないほど 限りないほど多くの
生きとし生けるものを
永遠の平安の境地へ至らせたとしても・・・

如是:このように、このような方法で。無量:量ることのできないほど多いこと。無數:数え切れないほど多いこと。無邊:限りがないこと、果てしなく広いこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu、命あるすべてのもの、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。




じつむ しゅじょう とく めつどしゃ
實無 衆生 得 滅度者

がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

実(じつ)に 衆生(しゅじょう)の滅度(めつど)を得(う)る者 無(な)し
何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)にか 須菩提(しゅぼだい)よ

実際には 生きとし生けるものであって
永遠の平安の境地へ導かれたものは 一人もいない
なぜかというと 須菩提よ

實無:実際には全くないこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。得:得る、到達する。滅度者:滅度した者、永遠の平安の境地へ至った者。何以故:なぜならば、どうしてかというと。須菩提:釈尊の十大弟子の一人。智慧に優れ、「空」の理解に最も秀でた弟子として知られる。




にゃく ぼさっ う
若 菩薩 有
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相

若(も)し 菩薩(ぼさつ)に
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう)
 有(あ)らば

もし 菩薩に
自分という実体があるという見方
他者という実体があるという見方
生きとし生けるものという実体があるという見方
生き続ける主体や永続する自己という実体があるという見方
があるなら

若:もし、仮に。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
有:ある、持つ、存在する。ここでは「そのような見方を持つ」の意。我相:自分という固定的な実体(自我)があると執着する見方。人相:他者という固定した実体があると執着する見方。衆生相:生きとし生けるものという固定した実体があると執着する見方。壽者相:生き続ける主体や永続する自己(〈梵〉jīva)という固定した実体があると執着する見方。




そく ひぼさっ
即 非菩薩

即(すなわ)ち 菩薩(ぼさつ)に 非(あら)ざればなり

もはや 菩薩ではないからだ

即:すなわち、それゆえに。非:~ではない。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。








みょうぎょうむじゅうぶん だいし 

妙行無住分 第四


妙行無住分(みょうぎょうむじゅうぶん) 第四(だいし)

とらわれることなく行う優れた実践を説く章 第四

妙行:巧みで優れた実践や行い 執着を離れた清らかな行いを指す。無住:とらわれのないこと 何ものにも心をとどめずこだわらないことを指す。分:ぶん 経典を内容ごとに分けた章立ての単位。




ぶじ しゅぼだい
復次 須菩提

復(ま)た次(つぎ)に 須菩提(しゅぼだい)よ
ところで また 須菩提よ

復次:再び話題を進める時や、新しい内容を説き始める時に用いる語。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称えられる。





ぼさつ おほう
菩薩 於法
おう むしょじゅう ぎょうお ふせ
應 無所住 行於 布施

菩薩(ぼさつ)は 法(ほう)に於(お)いて
応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)なくして
布施(ふせ)を行(ぎょう)ずべし

菩薩は 何ものにも
とらわれることなく 施しを行うべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながらすべての人々を救おうとする修行者。於:〜において、〜に。法:〈梵〉dharma。教え、事物、現象など広い意味を持つ語。ここでは執着の対象となるあらゆるものを指す。応:まさに〜すべし、当然〜すべきである。無所住:執着してとどまる場所がないこと、何ものにもとらわれないこと。行:行う、実践する。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




しょい  ふぢゅう しき ふせ
所謂 不住 色 布施

所謂(いわゆ)る 色(しき)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)し

具体的には 形に
とらわれることなく 施しをすべきである

所謂:説明を具体化する接続詞。漢文では「ここで言うところの」「その内容とは」を意味し、現代語訳では「具体的には」と表す。不住:執着してとどまらないこと、とらわれないこと。色:〈梵〉rūpa、目に見える姿や形、物質的な存在。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




ふぢゅう しょうこうみそくほう ふせ
不住 聲香味觸法 布施


色(しき) 聲(しょう) 香(こう) 味(み) 觸(そく) 法(ほう)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)するなり

声や香りや味や触れられるもの 心の対象に
とらわれることなく 施しをすべきである

声:耳で聞く音、音声。香:鼻で嗅ぐ香り、におい。味:舌で味わう味覚。触:身体で触れる触感、肌触り。法:〈梵〉dharma、仏教の真理や教え、あるいは認識の対象となるすべての事象やモノ。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




ぼさっ おうにょぜ ふせ
菩薩 應如是 布施
ふぢゅう おそう
不住 於相

菩薩(ぼさつ)は まさに 是(か)くの如(ごと)く 布施(ふせ)し
相(そう)に於(お)いて 住(じゅう)せざるべし

菩薩は このように布施を行い
固定した見方にとらわれてはならない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。應:まさに~すべきである。当然そうあるべきことを示す語。如是:このように。前に説かれた教えのとおりにという意味。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。不住:何ものにも執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語 ここでは固定した実体があるという見方や あらゆる執着の対象を指す。※三輪 清浄(さんりん しょうじょう)の理:布施が行われる際は与える者・受ける者・布施される者の三者(三輪)いづれもがあらゆる執着を離れて行うべきである という布施の心構え、三輪空寂三輪体空三事皆空。




がいこ
何以故


何以(なにをもっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なぜならば、どういう理由によるのかを示す語。





にゃく ぼさつ ふぢゅうそう ふせ
若 菩薩 不住相 布施

若(も)し菩薩(ぼさつ)
相(そう)に住(じゅう)せずして布施(ふせ)せば

もし菩薩が
固定した見方にとらわれることなく 施しをするなら

若:もし、仮定を表す語。菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。不住:執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語、ここでは固定した実体があるという見方や 執着の対象を指す。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。




ごふくとく ふかしりょう
其福徳 不可思量

其(そ)の福徳(ふくとく)は
思量(しりょう)すべからざればなり

その福徳は
計り知ることができないほど大きいからだ

其:その、それ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福のもと。不可:できない、不可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい)よ
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に
須菩提よ あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。意:心、考え、判断。於意:どう思うか、あなたの考えではという問いかけ。云何:どうであるか、どのように思うかと問いかける語。




とうぼう こくう かしりょう ふ
東方 虚空 可思量 不


東方(とうほう)の 虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 不(いな)や

東の方角の 果てしなく広がる空は
計り知ることができるだろうか

東方:東の方角。虚空:空間、大空、果てしなく広がる空。可:できる、可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。不:否定を表す語。ここでは「~ではないか」と問いかける語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不(いな)なり 世尊(せそん)よ

いいえ この世で最も尊い方よ

不也:いいえ、そのようなことはありませんという否定の返答。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提


須菩提よ

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




なんざい ほつぽう しゆい じょうげ こくう
南西 北方 四維
上下 虚空
かしりょう ふ
可思量 不

南(なん)西(ざい)北(ほっ)方(ぽう)四維(しい)
上下(じょうげ)の虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 否(いな)や

南や西や北や 東西南北の中間にある四つの方角
上や下の 果てしなく広がる空の広さは
計り知ることが出来るだろうか

南西北方:南と西と北の方角。四維:東西南北の中間にある四つの方角(北東・南東・南西・北西)。上下:上方と下方。仏教では空間のすべての方向を表す。虚空:果てしなく広がる空。仏教では限りなく広大で境界のない空間のたとえとして用いられる。思量:考えによって推し量ること。ここでは大きさや広さを計り知ること。




ほっちゃ せそん
不也 世尊


不也(いな)なり 世尊(せそん)
いいえ できません この世で最も尊い方よ

不:否定の語、〜ではない。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ むぢゅうそう ふせ ふくとく
菩薩 無住相 布施 福徳
やくぶ にょぜ ふかしりょう
亦復 如是 不可思量

菩薩(ぼさつ)の 相(そう)に住(じゅう)すること無(な)き
布施(ふせ)の 福徳(ふくとく)も
亦(また)復(ま)た 是(か)くの如(ごと)く
思量(しりょう)すべからず

菩薩が とらわれることなく 施しを行う福徳も
また同じように 計り知ることは出来ない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。無住相:相に執着しないこと、固定した見方やとらわれに住着しないこと。相:外に現れた姿や形、ここでは固定した実体があるとする見方や とらわれを指す。布施:〈梵〉dāna、見返りを求めず 他者のために施しを行うこと、仏教で最も基本的な実践の一つ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福の因となる徳。亦復:また 同じように、前に述べた内容を重ねて示す語。如是:このように、このとおり。思量:思い巡らして量ること、考えてその大きさや限りを推し量ること。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ たんおう にょしょ きょうぢゅう
菩薩 但應 如所 教住

菩薩(ぼさつ)は 但(ただ)まさに
教(おし)うる所(ところ)の如(ごと)く 住(じゅう)すべし

菩薩は ただ
教えられたとおりに 実践すべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。但應:ただまさに、ただひたすら〜すべきであることを示す語。如所:教えられたとおり、そのとおりに。教:教えること、ここでは仏の教えを指す。住:心を保ち そのあり方を実践し続けること。








にょりじつけんぶん だいご

如理実見分 第五

如理(にょり)実見(じっけん)分(ぶん) 第五(だいご)

真理を正しく見ることを説く章 第五

如理:真理にかなうこと、理(ことわり)のままであること。実見:うそ偽りのない真実の姿を見抜くこと、正しく認識すること。分:文章の区切り、章、節。第五:五番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)よ 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現 相手に考えや判断を問いかける際に用いられる。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。仏典では相手の理解を確かめるための定型表現として頻繁に用いられる。




かい しんそう けんにょらい ふ
可以 身相 見如來 不


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)るべきや 否(いな)や

身体的な特徴によって
如来を見るべきだろうか

可:〜してよいか 〜すべきかという可能・許可・適否を問う助字。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す前置詞。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。見:見る 認識する 見極めるという意味。ここでは如来を外見によって判断することをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不也(いな)なり 世尊(せそん)よ

いいえ この世で最も尊い方よ

不:否定を表す語。〜ではないの意。也:断定や語調を整える助字。ここでは「不也」で「いいえ そうではありません」という応答を表す。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




ふか い しんそう とく けん にょらい
不可 以 身相 得 見 如來


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)る事(こと)を得(う)べからず

身体的な特徴によって
如来を見てはならない

不可:〜してはならない 〜することはできないという禁止や不可能を表す語。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。得:〜できる〜し得る という可能を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味。ここでは如来を身体的な特徴によって捉えることをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何:何か なぜかを表す疑問詞。ここでは理由を問う「なぜ」の意味で用いられる。以:〜をもって 〜によってという意味を表す語。ここでは「何をもって」の形で理由や根拠を導く。故:理由 わけ 原因を意味する語。




にょらい しょせつ しんそう
如來 所説 身相
そく ひしんそう
即 非身相

如来(にょらい)の説(と)きたまえる所(ところ)の身相(しんそう)は
即(すなわ)ち 身相(しんそう)に非(あら)ざればなり

如来が説かれた身体的な特徴は
身体的な特徴ではないからです

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。所説:説かれたこと 教えられた内容を意味する語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。即:すなわち そのまま ただちにという意味を表す語。ここでは前後の内容を結びつける働きをする。非:〜ではないと否定する語。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提


仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に 告(つ)げたまわく

仏は須菩提に告げられた

仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。告: 告げる、語りかける、教えを説くという意味。ここでは相手に向かって話しかけることを表す。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で、解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。




ぼんしょ うそう かいぜ こもう
凡所 有相 皆是 虚妄

凡(およ)そ 有相(うそう)は
皆(みな)是(こ)れ 虚妄(こもう)なり

およそ 形あるものは
すべて虚妄である

凡: およそ すべて 一般にという意味を表す語。所: 〜するところの 〜であるものを表す語。ここでは「有相」と結び付き「相あるもの」を意味する。有相: 形や特徴を備えたもの 外見や性質によって捉えられるものをいう。皆: すべて ことごとくという意味。是: これ このようであるという断定を表す語。虚妄:〈梵〉mṛṣāの訳。実体のないものを実体があるかのように思い込む誤った認識・見方。




にゃくけん しょそう ひそう
若見 諸相 非相
そく けんにょらい
即 見如來

若(も)し 諸相(しょそう)は 相(そう)に非(あら)ずと見(み)るときは
即(すなわ)ち 如来(にょらい)を見(み)る

もし あらゆる姿や形あるものが 姿や形ではないと見るときは
すなわち 如来を見る

若:もし ある条件を示す仮定を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味、文脈によっては真実を見極める意も表す。諸:さまざまな あらゆる すべてのという意味を表す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñāなどに対応する漢訳。姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語。文脈によって身体的特徴 対象の現れ 心が抱く固定的な見方など異なる意味で用いられる。非:〜ではないと否定する語。即:前の内容を受けて その結果そうなることを表す語。文脈により「すなわち」「そのとき」「ただちに」などと訳す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。








しょうしんけうぶん だいろく

正信稀有分 第六

正信(しょうしん)稀有(けう)分(ぶん) 第六(だいろく)

正しい信心を持つことは 稀であることを説く章 第六

正信:偽りのない正しい信心、真理を素直に信じる心。稀有:めったにないこと、きわめて稀で尊いこと。分:文章の区切り、章、節。第六:六番目。




しゅぼだい びゃくぶつごん 
須菩提 白佛言

須菩提(しゅぼだい)
仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

須菩提は
仏に申し上げた

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の十大弟子の一人で 解空第一と称された弟子。仏:〈梵〉Buddhaの音写、悟った人 智者。白:申し上げること、目上の者に対して敬意をもって述べること。




せそん
世尊
はう しゅじょう とくもん にょぜ
頗有 衆生 得聞 如是
ごんぜつ しょうく しょう じっしん ふ
言説 章句 生 實信 不

世尊(せそん)
頗(すこぶ)る衆生(しゅじょう)の有(あ)りて
是(か)くの如(ごと)き
言説(ごんぜつ)章句(しょうく)を聞(き)き得(え)て
實信(じっしん)を生(しょう)ずるや不(いな)や

この世で最も尊い方よ
はたして 生きとし生けるものは
このような経典の言葉を聞いて
真実の信心を
生じるでしょうか それとも生じないでしょうか

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。頗:はたして、いったい、疑問を表して問いかける語。衆生:〈梵〉sattva・jantu、命あるすべてのもの、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。得聞:聞くことを得ること、教えを聞く機会を得ること。如是:このように、そのような。言説章句:説かれた教えの文章や句、経典の言葉。實信:真実の信心、疑いなく正しく信じる心。生:生じること、起こすこと。不:〜であるか否かを問う語、疑問を表す。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




まくさ ぜせつ
莫作 是説

是(こ)の説(せつ)を作(な)すこと莫(なか)れ

そのようなことを言ってはならない

莫:〜してはならないことを表す禁止の語。作:なす、行う、述べること。是:この、そのような。説:言葉、意見、考え、説く内容。




にょらい めつご ご ごひゃくさい
如來 滅後 後 五百歳

如来(にょらい)の滅後(めつご)の後(のち)の
五百歳(ごひゃくさい)に

如来が入滅された後の
のちの五百年の時代にも

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。滅後:如来が入滅された後、仏がこの世を去った後。後五百歳:如来の入滅後 後の五百年の時代を指す語 仏滅後の時代を五百年ごとに区分する考え方の一つで 後の末法思想の成立にも影響を与えたとされる。




うぢかいしゅうふくしゃ おししょうく
有持戒修福者 於此章句
のうしょうしんじん いしいじつ
能生信心 以此爲實

持戒(じかい)し 修福(しゅふく)する者(もの)有(あ)りて
此(こ)の章句(しょうく)に於(お)いて
能(よ)く信心(しんじん)を生(しょう)じ
此(こ)れを以(もっ)て実(じつ)と為(な)さん

戒律を守り 善い行いを積む者がいて
この教えの言葉に触れて
信心を生じることができ
これを真実であると受け止めるであろう

有:ある、いる、存在すること。持戒:戒律を守り 正しい行いを実践すること。修福:善行を積み 福徳を養うこと。者:人、もの、事柄を指す語。ここでは「〜する人」の意味。於:〜において、〜について、〜に対しての意。此:この、これ、このことを指す語。章句:経典の文章や句。能:よく〜することができる、能力や可能を表す語。生:生じる、起こすこと。信心:仏の教えを疑いなく信じる心。以:〜をもって、〜によって、〜を用いての意。為:〜とする、〜と認めること。實:真実であること、真理であること。




とうち ぜにん ふお
當知 是人 不於
いちぶつ にぶつ さんしご ぶつ
一佛 二佛 三四五佛
にしゅ ぜんごん
而種 善根

當(まさ)に知(し)るべし 是(こ)の人(ひと)は
一佛(いちぶつ) 二佛(にぶつ) 三四五佛(さんしごぶつ)に於(お)いて
善根(ぜんごん)を種(う)えしのみにあらず

まさに知るべきである この人は
一人や二人 あるいは三人 四人 五人の仏のもとで
善い行いの種を積んできただけではない

當:まさに〜すべし、当然そう理解すべきことを表す語。知:知る、理解すること。是:この、そのような。人:人、ここでは前文の「信心を生じる人」を指す。不:〜ではない、否定を表す語。於:〜において、〜のもとで、〜についての意。一佛:一人の仏。二佛:二人の仏。三四五佛:三人 四人 五人の仏。少数ではないことを表す。而:〜して、〜し、そのうえに続く動作をつなぐ語。種:植える、育てること。善根:善い行いによって積まれる悟りの因となる功徳。




いお むりょう せんまん ぶっしょ
已於 無量千萬 佛所
しゅしょ ぜんごん
種諸 善根

已(すで)に無量(むりょう)千萬(せんまん)の
佛所(ぶっしょ)に於(お)いて
諸(もろもろ)の善根(ぜんごん)を種(う)う

すでに数え切れないほど多くの仏のもとで
数々の善い行いを積み重ねてきたのだ

已:すでに、以前から。於:〜において、〜のもとで、〜についての意。無量:数え切れないほど多いこと。千萬:非常に大きな数を表し、数え切れないほど多いことのたとえ。佛所:仏のもと、仏がおられるところ。種:植える、育てること。諸:多くの、さまざまな。善根:善い行いによって積まれる悟りの因となる功徳。




もんぜ しょうく ないし
聞是 章句 乃至
いちねん しょう じょうしん じゃ
一念 生 淨信 者

是(こ)の章句(しょうく)を聞(き)きて 乃至(ないし)
一念(いちねん)に淨信(じょうしん)を生(しょう)ずる者(もの)
このような経典の言葉を聞き あるいは
たとえそれが一瞬であっても 清らかな信心を生じる人なのだ

聞:聞く、教えを耳にすること。是:この、そのような。章句:経典の文章や句。乃至:さらには、ここでは「たとえ〜であっても」の意。一念:ほんの一瞬に起こる心、一刹那の思い。生:生じる、起こること。淨信:疑いや執着のない清らかな信心。者:人、もの、事柄を指す語。




しゅぼだい
須菩提
にょらい しっち しっけん
如來 悉知 悉見

須菩提(しゅぼだい)よ
如来(にょらい)は
悉(ことごと)く知(し)り 悉(ことごと)く見(み)るなり

須菩提よ
如来は ことごとく知り ことごとく見ている

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。悉:ことごとく すべて残らずの意。知:しる 理解することを指す。見:みる 見て取ることを指す。




ぜしょ しゅじょう とく
是諸 衆生得
にょぜ むりょう ふくとく
如是 無量 福徳

是(こ)の諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)
是(か)くの如(ごと)き無量(むりょう)の福徳(ふくとく)を得(う)

これらの生きとし生けるものは
このような無量の福徳を得るのである

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:生きとし生けるもの、あらゆる命あるもの。得:得る、自らのものとなること。如是:このように、このとおり。無量:計り知れないほど多いこと。福徳:善行によって積まれる幸いと功徳。





がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




ぜしょ しゅじょう むぶ
是諸 衆生 無復
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相

是(こ)の諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)には  復(また)
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう) 無(な)く・・・

これらの生きとし生けるものには もはや
自分を固定して捉える想い
他者を固定して捉える想い
生きとし生けるものを固定して捉える想い
永続する自己を固定して捉える想いも無く

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:〈梵〉sattva に対応する語。生きとし生けるもの、生命ある存在を意味する。無復:もはや再び〜ない、もはや〜ない。人相:他者を固定して捉える想い。独立した人という存在があると思い込み、それにとらわれる心の働き。衆生相:生きとし生けるものを固定して捉える想い。生命ある存在を固定したものと思い込み、それにとらわれる心の働き。壽者相:永続する自己を固定して捉える想い。生まれ変わりを通じても変わらず存続する生命の主体があると思い込み、それにとらわれる心の働き。




む ほうそう やく む ひほうそう
無法相 亦 無 非法相


法相(ほうそう)無(な)く 亦(また)
非法相(ひほうそう)も 無(な)ければなり

物事を固定して捉える想いも無く また
物事は何もないと固定して捉える想いも無いからである

法(dharma):存在、具体的なモノ、あるいは「教え・真理」のこと。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳。姿・形・特徴・現れ・観念などを表す語。金剛般若経では、対象を心の中で固定して捉える働きや、そのように固定して捉える想いを表す。単なる見方ではなく、「これはこういうものだ」と決めつけ、とらわれる心の働きを指す。法相:物事を固定して捉える想い。あらゆる存在や教えを固定したものとして捉え、それにとらわれる心の働き。亦:また、そのうえ。前の内容に続けて付け加える語。非法相:物事は何もないと固定して捉える想い。有への執着だけでなく、「物事は何もない」という考えに執着する心の働きをいう。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




ぜしょ しゅじょう
是諸 衆生


是(こ)の諸(もろもろ)の衆(しゅ)生(じょう)

これらの生きとし生けるものが・・・

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:生きとし生けるもの、あらゆる命あるもの。ここでは、この経を聞いて信心を生じる人々を指す。




にゃく しん しゅそう
若 心 取相
そく いぢゃく
即 爲著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し心(こころ)に相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれるということだからだ

若:もし、もし〜ならば、仮定を表す語。心:こころ。思考・感情・認識など、あらゆる心の働きを指す。取:取る、とらえる、執着する。ここでは心に生じた想いを握りしめ、とらわれることを意味する。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳。姿・形・特徴・現れ・観念などを表す語。金剛般若経では、対象を心の中で固定して捉える働きや、そのように固定して捉える想いを表す。単なる見方ではなく、「これはこういうものだ」と決めつけ、とらわれる心の働きを指す。即:すなわち、そのとき、そのまま。前後の内容が直結していることを表す語。爲:〜となる、〜である。ここでは結果としてそうなることを表す。著:執着する、とらわれる、離れられなくなること。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我を意味する。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。人:〈梵〉pudgala に対応する語。個人、人、人格的な存在を意味する。金剛般若経では、独立した人という存在があるという想いを指す。壽者:〈梵〉jīva に対応する語。生命あるもの、生命主体を意味する。金剛般若経では、生まれ変わりを通じても変わらず存続する自己や生命の主体があるという想いを指す。




にゃく しゅほうそう
若 取 法相
そくぢゃく
即著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し 法(ほう)に 相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で物事を固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれているということだからである

法:ほう 物事や現象を指す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳 姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語 金剛般若経では 対象を心の中で固定して捉える働きや そのように固定してみる想いを表す 単なる見方ではなく これはこういうものだと決めつけ とらわれる心の働きを指す。即:すなわち そのままそれはの意 直前の内容を受けて結論づける語。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




にゃく しゅ ひほう そう
若 取 非法 相
そくぢゃく
即著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し 非法(ひほう) に相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で物事は何もないと固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれているということだからである
非法:ひほう 物事は存在しないということを指す語。




ぜこ
是故
 ふおう しゅほう
不應 取法
ふおう しゅひほう
不應 取非法

是(こ)の故(ゆえ)に
まさに法(ほう)をも取(と)るべからず
まさに非法(ひほう)をも取(と)るべからず

だからこそ
物事を固定して捉える想いに とらわれてはならない
物事は何もないと固定して捉える想いにも とらわれてはならない

是故:それゆえに、だからこそ。前述の内容を受けて理由や結論を導く語。不應:〜してはならない、〜すべきではない。戒めや教えを表す語。法:〈梵〉dharma に対応する語。教え、物事、存在、現象など幅広い意味をもつ。金剛般若経では、あらゆる物事や存在を指し、この箇所では、それらを固定したものとして捉える対象を意味する。取:取る、とらえる、執着する。ここでは心に生じた想いを握りしめ、とらわれることを意味する。非法:〈梵〉adharma に対応する語。「法ではないもの」という意味であるが、金剛般若経では、物事を「何も存在しない」と一方的に決めつける立場や、そのように固定して捉える想いを指す。般若の空は、有ることにも無いことにも執着しない立場であり、虚無論とは異なる。




いぜ ぎこ にょらい じょうせつ
以是 義故 如來 常説

是(こ)の義(ぎ)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
如来(にょらい)は常(つね)に説(と)けり

このような道理であるから
如来は常にこのように説いている

是:これ 前に述べられた内容を指す語。義:ぎ 道理 意味 趣旨を指す。以:もって〜によっての意を表す語。故:ゆえ 理由を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。常:つねに いつもの意。説:とく 教えを述べ説き明かすことを指す。




にょとう びく
汝等 比丘
ちが せっぽう にょ ばつゆしゃ
知我 説法 如 筏喩者

汝等(なんだち)比丘(びく)
我(わ)が説法(せっぽう)
筏(いかだ)の喩(たとえ)の如(ごと)しと知(し)る者(もの)は

あなた方 比丘よ
私の説法は 筏のたとえのようなものだと知ってる者は

汝等:なんじら、あなたたちの意、複数の相手を指す語。比丘:〈梵〉bhikṣu の音写 出家して戒律を守り修行する男性の修行者を指す。知:しる、承知すること、心得ることを指す。我:われ、一人称、ここでは釈尊自身を指す。説法:教えを説き示すことを指す。筏喩:筏の喩え、川を渡るために使った筏を渡り終えたら手放すように 教えも目的を達したら執着せず手放すべきであるという喩え。者:もの 〜であるものを指す語。




ほうしょう おうしゃ
法尚 應捨
がきょう ひほう
何況 非法
 
法(ほう)尚(なお)應(まさ)に捨(す)つべし
何(いか)に況(いわ)んや非法(ひほう)をや

法でさえ 手放すべきである
まして非法は なおさらである

法:〈梵〉dharma に対応する語 仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語 金剛般若経では文脈により 仏の教えを指す場合や 物事を固定して捉える対象を指す場合があり この箇所では両方の意味を持つ この一節では 教えそのものを否定している訳ではなく それを固定的に捉え執着する心を離れることを示している。尚:なお、さらに、それでも、という意味を表す語。ここでは「法でさえ」という強調の意味で用いられる。應:まさに〜すべきである、当然〜するべきである、という意味を表す語。捨:捨てる、手放す、離れるという意味を表す語。金剛般若経では、対象そのものを否定するのではなく、それに執着する心を手放す意味で用いられる。何況:まして〜はなおさら、という比較を表す語。前の事柄よりも後の事柄がさらに当てはまることを示す。
非法:〈梵〉adharma に対応する語。字義では「法ではないもの」を意味する。金剛般若経では、「法」が仏の教えを指す場合は教えでないもの(仏の教えとは異なる考えや誤った教え)を指し、「法」が物事を指す場合は物事が何もないこと(この世にあるものはすべて存在しないと決めつける考え)を表す。この一節では 正しい法でさえ固定して捉え執着する心を離れるべきであるならば 非法への執着はなおさら離れるべきであることを示している。




【補足】筏(いかだ)のたとえ

仏の教えを筏にたとえた譬え
川を渡るためには筏が必要であるが
渡り終えた後に筏を担いで歩む必要はないように
教えは悟りへ至るための手段であり
教えそのものに執着してはならないことを示す

< 出典 >
初期仏教・部派仏教系統
『中阿含経』「筏喩経」、パーリ経典『中部経典』第22経「蛇喩経」
大乗仏教
『金剛般若波羅蜜経』の「法尚應捨 何況非法」の説示として知られる

< 教えの違い >
初期仏教・部派仏教では
教えは苦しみから離れるための手段であり
修行の後にはその教えへの執着を離れるべきであることを説く
大乗仏教では
その考えをさらに発展させ 教えだけでなく
あらゆる物事を固定して捉える
心そのものへの執着を離れることを説く









むとくむせつぶん だいしち

無得無説分 第七

無得(むとく)無説(むせつ)分(ぶん) 第七(だいしち)

得るものも説くものも無いという教えを説く章 第七

無得:悟りや真理を固定的な所有物として手に入れることはできないこと。無説:真理は言葉で完全に固定して説き表すことができないこと。分:文章の区切り、章、節。第七:七番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。意:心、考え、判断。於意:どう思うか、あなたの考えではという問いかけ。云何:どうであるか、どのように思うかと問いかける語。




にょらいとく
如來 得
あのくたらさんみゃくさんぼだい や
阿耨多羅三藐三菩提 耶
にょらい う しょせっぽう や
如來有 所説法 耶


如来(にょらい)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得(え)たること 有(あ)りや
如来(にょらい)の説(と)く所(ところ)の法(ほう)
有(あ)りや

如来は この上ない正しい悟りを得たということが
あるだろうか
如来が説くところの法というものが
あるのだろうか

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。得:得ること、到達すること。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttara-samyak-saṃbodhi の音写。この上ない正しい完全な悟りを意味する。耶:疑問を表す助字。「〜であろうか」「〜だろうか」の意味。説:説き示すこと、教えを示すこと。所説:説かれたもの、説き示された内容を意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。金剛般若経では文脈により、仏の教えを指す場合や、物事を固定して捉える対象を指す場合がある。この箇所では、如来が説く教えという意味で用いられているが、それを固定したものとして捉え執着することを離れることが示されている。有:あること、存在すること。




しゅぼだい ごん
須菩提 言


須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく

須菩提は言った

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。漢文では発言を始める際に「言わく」と訓読する。




せそん
世尊
にょがげ ぶっしょせつぎ
如我解 佛所説義

世尊(せそん)
我(われ) 仏(ほとけ)の説(と)く所(ところ)の義(ぎ)を
解(げ)する如(ごと)くんば
この世で最も尊い方よ
私が仏の説かれた意味を理解するところによれば

世尊:〈梵〉Bhagavat。世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。如:〜のように、〜ごとく。我:自分、私を意味する一人称。仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。所説:説かれたところ、説き示された内容を意味する語。義:意味、道理、教えの内容。解:理解すること、悟ること。




むう じょうほう みょう
無有 定法 名
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提

定(さだ)んだる法(ほう)にして
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と
名(なづ)くるものは
有(あ)ること無し

固定的な法として
「この上ない正しい悟り」と名づけられるものは
何もありません

無有:「有ること無し」という意味。単に存在を否定するのではなく、この箇所では固定して定められるようなものはないことを示す。定:定まったこと 固定されたことを意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語。この箇所では、固定したものとして捉えられる対象を指す。名:名づけること、名称を与えること。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):〈梵〉anuttarā-samyak-saṃbodhi の音写。「この上ない正しい悟り」の意。




や むう じょうほう にょらい かせつ
亦 無有 定法 如來 可説

亦(また) 定(さだ)んだる法(ほう)の
如来(にょらい)に説(と)かる可(べ)きものは
有(あ)ること無し

また 固定的な法として
如来によって説かれるものは
何もありません

亦:また、同じくの意。定:定まったこと、固定されたことを意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語、仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。この箇所では固定したものとして捉えられる対象を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。説:教えを述べ説き明かすこと。可:〜できる、〜すべきの意を表す語。有:存在するの意。無:なし 存在しないの意。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それはなぜかというと
何以故:なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




にょらい しょ せっぽう かい
如來 所 説法 皆
 ふかしゅ ふかせつ
不可取 不可説

如来(にょらい)の説(と)く所(ところ)の法(ほう)は
皆(みな)
取(と)るべからず 説(と)くべからず

如来によって教え示された法は

固定したものとして捉えることもできず
固定した言葉によって説明することもできません

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。所:〜するところ、〜されたものを表す語。説:説くこと、教え示すこと、言葉によって表すこと。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。皆:すべて、ことごとくという意味。不:〜しない、〜ではないことを表す否定の語。可:〜することができる、可能であることを表す語。取:取ること、対象を心で掴むこと。




ひほう ひ ひほう
非法 非 非法

法(ほう)に非(あら)ず
非法(ひほう)にも非(あら)ざればなり

それは法でもなく
非法でもないからです

法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語。この箇所では、固定したものとして捉えようとする対象を指す。非:あらず。「〜ではない」という否定を表す語。非法:〈梵〉adharma に対応する語。字義では「法ではないもの」を意味する。金剛般若経では、「法」が仏の教えを指す場合は「教えでないもの」を指し、「法」が物事を指す場合は「物事が何もないとする否定的な対象」を指す。




しょいしゃが
所以者何


所以(ゆえん)は如何(いか)に

それはなぜかというと

所以:理由、わけを指す語。者何:どうしてかの意、理由を問う疑問の句法。




いっさい けんしょう かい
一切 賢聖 皆
い むいほう にう しゃべつ
以 無爲法 而有 差別

一切(いっさい)の 賢聖(けんしょう)は 皆(みな)
無為(むい)の法(ほう)を以(もっ)て
差別(しゃべつ)有(あ)ればなり

すべての賢者や聖者たちは 皆
無為の法を基として
それぞれの違いがあるからです

一切:すべて、あらゆるものという意味。賢聖:賢者(悪を離れた修行者)と 聖者(煩悩を断ち切り悟りに至った者)を指す。以:〜をもって、〜によってという意味。
無為法:〈梵〉asaṃskṛta-dharmaに対応する語。因縁(原因と条件)によって作られたり変化したりするものではない法を意味する。仏教では、生滅変化する世の中の現象(有為法:ういほう)を超えた真理のあり方や、涅槃(ねはん)のような迷いや苦しみを離れた境地を指す。この箇所では、無為の法すらも「絶対的な実体」として固定して捉えることを避け、固定した見方への執着を離れる意味で用いられている。
因縁(原因と条件)によって作られたものではない、固定された限定や変化のない真理(空・悟りの境地)。而:しかも そしての意 前後の内容をつなぐ語 書き下し文では読み下さず省略している。有:ある 存在するの意。差別:違い、区別という意味。優劣や差別的な意味ではなく、それぞれの違いを表す。




〈補足解説〉無為法をめぐる仏教思想の展開

伝統的な部派仏教(アビダルマ)では
世界のあり方を大きく有為法と無為法に分けて考えました

特に有力な部派である説一切有部(せついっさいうぶ)では
有為法と無為法を分類し それぞれを次のように整理しました

有為法(ういほう)
因縁(原因と条件)によって生じ 変化していくものを指します
私たちが経験する現象世界などがこれにあたります

無為法(むいほう)
因縁によって作られたものではなく 生滅変化しないものを指します
涅槃のような迷いや苦しみを離れた境地もこの無為に含まれます

部派仏教では
修行とは 煩悩に縛られ変化し続ける有為のあり方から離れ
涅槃という無為の境地を実現することとして理解されました

一方 大乗仏教の般若思想では
この有為・無為という分類そのものも
「空」の観点から見つめ直します
つまり
有為法だけでなく 無為法についても
「これが永遠不変の実体である」と固定して捉えることを避けます

これは 無為法や涅槃の存在を否定するものではありません
むしろ 無為法を認めながらも
それを絶対的な実体として掴み取り執着することを
離れるという考え方です

般若思想では
有為だけが空なのではなく 無為もまた空であると考えます

そのため
「これが真理である」「これが悟りそのものだ」「これが絶対的な法である」と
固定して捉えることを避けます

これは
『金剛般若経』第七章の
無有定法 (定んだる法 あること無し)
という考え方とも一致します

つまり
『金剛般若経』が否定しているのは
「法」そのものではなく
法を 固定された実体として捉え
執着する心なのだと理解できます








えほうしゅっしょうぶん だいはち

依法出生分 第八

依法(えほう)出生(しゅっしょう)分(ぶん) 第八(だいはち)

法によって生じることを説く章 

依法:法(教え・真理)によること、法をよりどころとすること。出生:生み出すこと、生じること。この章では、悟りや功徳が法によって生じることを表す。分:章、節、区分を表す語。第八:第八番目の章。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか、どう考えるかと相手に問いかける語。




にゃく にんまん さんぜんだいせんせかい
 若 人滿 三千大千世界

 しっぽう いゆう ふせ
七寶 以用 布施

若(も)し人(ひと)
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を満(み)たす
七寶(しっぽう)を以(もっ)て
布施(ふせ)に用(もち)いんに

もしある人が
この広大な宇宙を満たす
七種類の宝を布施に用いたなら

若:もし、仮に。人:〈梵〉pudgala に対応する語。個人、人、人格的な存在を意味する。三千大千世界:古代インド仏教の世界観で説かれる広大な世界を表す語。滿:満たすこと、いっぱいにすること。七寶:仏典で尊い宝とされる七種の宝物。最高の財宝の象徴として用いられる。以:〜をもって、〜によって。布施:〈梵〉dāna に対応する語。見返りを求めず財物や教えなどを施すこと。仏教で最も基本となる実践の一つ。用:用いる、使う。




ぜにん しょとく ふくとく にょうい たふ
是人 所得 福徳 寧爲 多不

是(こ)の人(ひと)の得(え)る所(ところ)の福徳(ふくとく)は
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)す不(や)

この人が得る福徳は
はたして多いと言えるだろうか

是(こ)の人(ひと)の得(え)る所(ところ)の福徳(ふくとく)は
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)す不(や)

是:この、その。人:個人、人、人格的な存在を意味する。得:得ること、受けること。所:動詞の後に添えて、その内容や対象を名詞化する語。福徳:善い行いによって得られる幸福の因となる徳。布施などの善行によって積まれる功徳を指す。寧:はたして、むしろ。ここでは問いかけの語気を強める語。多:多い、豊かであること。為:〜とする、〜とみなす。不:〜ではないか、〜だろうかを表す疑問の語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
じんた せそん
甚多 世尊

須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
甚(はなは)だ多(おお)し 世尊(せそん)

須菩提は答えた
まことに多いです この世で最も尊い方よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の弟子の一人で、空の教えを最もよく理解したとされる。言:言う、答えること。甚:はなはだ、非常に、とても。多:多い、豊かであること。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにゆえのゆえに、どういう理由からか。理由や原因を問う言葉。




ぜふくとく そく ひふくとくしょう
是福徳 即 非福徳性
ぜこ にょらいせっ ふくとくた
是故 如來説 福徳多

是(こ)の福徳(ふくとく)は 即(すなわ)ち
福徳(ふくとく)の性(しょう)に非(あら)ざればなり
是(こ)の故(ゆえ)に
如来(にょらい)は 福徳(ふくとく)多(おお)しと説(と)く

この福徳は
固定したものとして捉えられる福徳ではないからです
だからこそ
如来は「福徳が多い」と説かれるのです

是:この、その。福徳:善い行いによって得られる徳や幸福の因となるもの。即:すなわち、つまり。同一視や説明を示す語。非:あらず、〜ではないことを表す否定の語。性:本質、性質、本来のあり方を意味する語。この箇所では、福徳が固定した本性として存在するという見方を指す。故:理由、わけ。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。説:説く、教え示すこと。多:多い、広大であること。

〈補足〉この一節の要点
私は この一節では「福徳」と「非福徳」を通して 福徳そのものの存在を否定しているのではなく
「これこそが福徳である」と固定したものとして捉える見方を否定しているように思います
これは 『金剛般若経』全体を貫いて説かれている
「法そのものを否定するのではなく 法を固定的に捉え執着する心を離れる」
という教えと一致しているように思います




にゃくぶうにん おしきょうちゅう
若復 有人 於此經中

じゅうぢ ないし しくげとう
受持 乃至 四句偈等
ゐ たにん せつ
爲他人説

若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて
此(こ)の経(きょう)の中(なか)に於(お)いて
乃至(ないし)四句(しく)の偈(げ)等(とう)を受持(じゅじ)し
他人(たにん)の為(ため)に説(と)かば

もしまた ある人が
この経の中の
わずか四句からなる詩句だけでも受け入れて心に保ち
他の人のために説くならば

若(じゃく):もし。仮定を表す語。復(ぶ):また。再び。有(う):ある。存在する。人(にん):人。人間。於(お):~において。場所や対象を示す語。此(し):この。このものを指す語。經(きょう):〈梵〉sūtra。経典。仏の説いた教えを記したもの。中(ちゅう):内側。内部。その範囲の中。受持(じゅじ):受け持つこと。仏の教えを受け入れ、心に保ち続けること。乃至(ないし):~に至るまで。ここでは「わずか~ほどでも」という意味。四(し):四つ。数字の四。句(く):文章や詩句の一区切り。偈(げ):〈梵〉gāthā。仏教の教えを詩の形式で表したもの。詩句。等(とう):など。それに類するもの。為(い):~のために。目的や対象を示す語。他(た):ほか。他のもの。人(にん):人。ここでは他の人。説(せつ):説く。教えを示し伝える。




ごふく しょうひ
其福 勝彼


其(そ)の福(ふく)は 彼(かれ)よりも勝(すぐ)れたり

その福徳は 先に述べた人よりも勝れています

其(き):その。それを指す語。福(ふく):福徳。善い行いによって得られる良い結果。勝(しょう):勝る。優れる。まさる。彼(ひ):かれ。先に述べたものや人。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
須菩提(しゅぼだい)

それはなぜかというと
須菩提よ

何(なに):何。疑問を表す語。以(い):もって。手段・理由を示す語。故(ゆえ):理由。原因。須菩提(しゅぼだい):〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の名。智慧第一の弟子と称される。




いっさい しょぶつ ぎょう
 一切 諸佛 及
しょぶつ あのくたらさんみゃくさんぼだい ほう
諸佛 阿耨多羅三藐三菩提 法
かいじゅう しきょうしゅつ
皆從 此經出

一切(いっさい)の 諸佛(しょぶつ)及(およ)び
諸佛(しょぶつ)の
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の法(ほう)は
皆(みな) 此(こ)の經(きょう)より 出(い)でたるなり

一切の仏たち および
仏たちの
この上ない正しい悟りの法は
すべて この経の教えから生じたものである

一切(いっさい):すべて。全部。一つ残らず。諸(しょ):もろもろの。多くのものを表す語。佛(ぶつ):〈梵〉Buddha。覚者。真理に目覚めた者。悟った人。及(およ)び:~と。ならびに。二つ以上のものを並べる語。阿耨多羅(あのくたら):〈梵〉Anuttara。「無上」「この上ない」の意。三藐(さんみゃく):〈梵〉samyak。「正しい」「完全な」の意。三菩提(さんぼだい):〈梵〉saṃbodhi。「完全な悟り」「正しい覚り」の意。法(ほう):〈梵〉Dharma。真理。教え。仏の説いた道理。皆(みな):すべて。ことごとく。從(より):~から。~に従って。起点や根拠を示す語。此(こ)の:この。このものを指す語。經(きょう):〈梵〉sūtra。経典。仏の教えを記したもの。出(い)ず:出る。生じる。現れる。

〈補足解説〉「此經(この経)」と般若波羅蜜

般若経典群では、般若波羅蜜(般若の智慧)は
過去・現在・未来のあらゆる仏を生み出す母(仏母)であるという思想が説かれています
ここでいう「母」とは
肉体的な意味ではなく 諸仏が悟りを得るための根本原因となる智慧という意味です
そのため
般若経では 般若波羅蜜を
諸仏を生み出す母
仏が依るべき根本の法
悟りを成立させる智慧
として表現します

したがって
一切諸佛及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法 皆從此經出という文は
「この書物としての金剛般若経から、過去・現在の仏が生まれた」
という時間的な意味ではないと思います
ここでの「此經(この経)」とは
単なる文字として記された経典だけではなく
そこに示される般若波羅蜜の智慧 その根本の法を指していると思います
つまり
この文は 一切の仏たちと その無上正等覚の法は
すべて般若波羅蜜という根本の智慧によって成立するという
般若経独特の表現として理解するのが適切だと判断しました





しゅぼだい
須菩提

しょい ぶっぽうしゃ
所謂 佛法者
そくひ ぶっぽう
即非 佛法

須菩提(しゅぼだい)
所謂(いわゆ)る 佛法(ぶっぽう)とは
即(すなわ)ち 佛法(ぶっぽう)に非(あら)ざればなり

須菩提(しゅぼだい)よ
いわゆる 仏法というものは
仏法ではないからである

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。所謂:いわゆる すなわちの意 前の内容を言い換えて示す語。仏法:ぶっぽう 仏の教えを指す。即:すなわち そのままそれはの意 直前の内容を受けて結論づける語。非:あらず〜ではないの意 否定を表す語。




〈補足解説〉「即非(そくひ)の論理」について

「即非の論理」とは A即非A という構造で表される考え方です

Aであるが そのAを固定した実体として捉えることはできない
という意味です

所謂佛法者 即非佛法 という表現は
仏法そのものを 否定しているわけではなく
仏法というものが 固定した実体として存在するという捉え方を
否定しています

般若経では
あらゆるものを固定した存在として把握することを離れます
そのため
仏法であるが 固定された仏法というものではない という形で
仏法に対する固定的な見方を離れさせています

般若経の「即非」は
単なる否定や虚無を意味するものではありません
仏法を否定し 無くしてしまうのではなく
仏法を一つの固定した形に縛りつけることなく
正しく理解するための 智慧を示しています
つまり
仏法は存在しないということではなく
固定された一つの実体として捉えることはできない
という意味だと思います








いっそうむそうぶん だいきゅう

一相無相分 第九

一相(いっそう)無相(むそう)分(ぶん) 第九(だいく)

一つの相(すがた・固定した見方)にも執着せず また
「相が全くない」という見方にも執着しないことを説く章 第九

一相: 一つの固定した相や見方を意味する。この章では、特定の相に執着することを表す。無相: むそう。固定した相がないことを意味する語。ただし『金剛般若経』では、「無相」という概念そのものに執着することも戒められている。分: ぶん、章・節を意味する語。第九:九番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現 相手に考えや判断を問いかける際に用いられる。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。仏典では相手の理解を確かめるための定型表現として頻繁に用いられる。




しゅだをん のうさ ぜねん
須陀洹 能作 是念
がとく しゅだをんが ふ
我得 須陀洹果 不

須陀洹(しゅだおん)は 能(よ)く 是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ)須陀洹果(しゅだおんか)を得(え)たり
とするや不(いな)や

須陀洹は
私は須陀洹という成果に達しているのだ
とする想いを起こすだろうか

須陀洹:〈梵〉srota-āpanna の音写、四向四果の最初の悟りの段階、預流・入流と訳され、悟りへ至る流れに入った者を意味する。能:よく、〜することができる、可能であることを表す語。作:なす、起こす、生じさせることを意味する。念:心に思い浮かべること、考え、想いを意味する。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我を意味する。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。果:〈梵〉phala に対応する語。結果、実りを意味する。仏教では因果の道理を説き、「因」によって生じた「結果」を表す語である。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ この世で最も尊い方よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




しゅだをん
須陀洹
みょうい にゅうる
名爲 入流
に むしょにゅう
而 無所入

須陀洹(しゅだおん)は
名(なづ)けて入流(にゅうる)と為(な)せども
而(しか)も入(い)る所(ところ)無(な)ければなり

須陀洹(聖者の流れに入った者)は
入流と名づけられているが
入るようなものは何もないからです

須陀洹:〈梵〉Srotāpannaの音写、四果(悟りの段階)の第一、預流・入流と訳され、聖者の流れに入った者を意味する。名:なづく、呼ぶ、名付ける。為:なす、〜とされる、〜となる。入流:聖者の流れ(永遠の平安に至る道)に入ること。須陀洹の意訳。而:しかも、しかし。逆接や順接を表す接続詞。所入:入るところ、入り込む対象や実体。無:なし、存在しないこと。




ふにゅう
不入
しき しょう こう み そく ほう
色聲香味觸法


色(しき) 声(しょう) 香(こう) 味(み) 触(そく) 法(ほう)に
入(い)らざればなり

形・音・香り・味・触れるもの・心の対象といったものに
深く入り込むことがないからです

入:ある対象や状態の中に入ることを意味する。色:〈梵〉rūpa に対応する語。形あるもの、目で認識される対象。声:〈梵〉śabda に対応する語。音、耳で認識される対象。香:〈梵〉gandha に対応する語。香り、鼻で認識される対象。味:〈梵〉rasa に対応する語。味、舌で認識される対象。触:〈梵〉sparśa に対応する語。触れるもの、身体で認識される対象。法:〈梵〉dharma に対応する語。この箇所では、意識によって認識される対象。




ぜみょう しゅだをん
是名 須陀洹


是(こ)れを須陀洹(しゅだおん)と名(な)づく

(だからこそ)
これを須陀洹(聖者の流れに入った者)と名づけるのです

是:これ、このことを意味する指示語。前に述べた内容を受ける語。名:名づけること。須陀洹:〈梵〉srota-āpanna に対応する音写。声聞の修行段階の一つで、「聖者の流れに入った者」を意味する名称。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




しだごん のうさ ぜねん
斯陀含 能作 是念
がとく しだごんが ふ
我得 斯陀含果 不

斯陀含(しだごん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 斯陀含(しだごん)の果(か)を得(え)たり
とするや 不(いな)や

斯陀含(梵語:もう一度だけ生まれ変わり悟る者)が
私は斯陀含という成果に達したのだ
とする想いを起こすだろうか

斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、一来と漢訳される。四果(悟りの段階)の第二。もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切り悟るに至る者。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。果:か、悟りの到達点や成果、果位。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ この世で最も尊い方よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




しだごん みょういちおうらい
斯陀含 名一往來
にじつ むおうらい
而實 無往來

斯陀含(しだごん)を 一往来(いちおうらい)と名(な)づく
而(しか)れども 実(じつ)は 往来(おうらい)無(な)し

斯陀含(梵語:もう一度だけ生まれ変わり悟る者)を名づけて
一往来(漢訳:一度だけ行って還る者)とします
しかし実際には 往来するようものは何もないからです

斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、四果(悟りの段階)の第二、一来・一往来と訳され、もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切る者。名:なづく、呼ぶ、名付ける。一往来:〈梵〉sakṛdāgāmin の意味を訳した語。一度だけ生まれ変わり、この世へ戻ることを表す。而:しかれども、しかしながら。逆接の接続詞。実:じつは、実際は、真実。往来:ゆききすること、往復すること。無:存在しない。




ぜみょう しだごん
是名 斯陀含


是(こ)れを 斯陀含(しだごん)と 名(な)づく

(だからこそ)
これを斯陀含((梵語:もう一度だけ生まれ変わり悟る者))と名付けているのです


是:これ、このことを意味する指示語。前に述べた内容を受ける語。名:名づけること。斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、四果(悟りの段階)の第二、一来・一往来と訳され、もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切る者。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




あなごん のうさ ぜねん
阿那含 能作 是念
がとく あなごんが ふ
我得 阿那含果 不

阿那含(あなごん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 阿那含(あなごん)の 果(か)を 得(え)たり
と するや不(いな)や

阿那含(梵語:もう二度と迷いの世界へ生まれ変わってこない者)が
私は阿那含という成果に達したのだ
とする想いを起こすだろうか

阿那含:〈梵〉anāgāminの音写。四果(悟りの段階)の第三。欲界の迷いを断ち切り二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。果:か、悟りの到達点や成果、果位。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ この世で最も尊い方よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




あなごん みょうい ふらい
 阿那含 名爲 不來
にじつ むふらい
而實 無不來

阿那含(あなごん)を名(な)づけて 不来(ふらい)と為(な)す
而(しか)れども 実(じつ)は不来(ふらい)無(な)し

阿那含(梵語:二度と生まれ変わってこない者)を名づけて
不来(漢訳:還ってこない者)とします
しかし実際には 「還ってこない」というようなものは何もないからです

阿那含:〈梵〉Anāgāminの音写。四果(悟りの段階)の第三。欲界の迷いを断ち切り二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。名:なづく、呼ぶ、名付ける。為:なす、〜とする。不来:ふらい、還ってこないこと、戻らないこと。不還(ふげん)とも訳される。而:しかれども、しかしながら。逆接の接続詞。実:じつは、実際は、真実。無:なし、存在しない。




ぜこ みょう あなごん
是故 名 阿那含


是(こ)れ故(ゆえ)に 阿那含(あなごん)と名(な)づくるなり

このゆえに 阿那含と名づけるのです

是故:これゆえに、それゆえに、だからこそ、理由や結論を導く接続語。名:呼ぶ、名付ける。阿那含:〈梵〉Anāgāminの音写、四果の第三、二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




あらかん のうさ ぜねん
阿羅漢 能作 是念
がとく あらかんどう ふ
我得 阿羅漢道 不

阿羅漢(あらかん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 阿羅漢道(あらかんどう)を得(え)たりとするや いなや

阿羅漢(梵語:尊敬されるべき人)となった者は
私は阿羅漢の道を得たという想いを起こすでしょうか

阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者。応供(おうぐ)と訳される。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。阿羅漢道:あらかんどう、阿羅漢としての悟りの境地や到達点。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊

須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ この世で最も尊い方よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




じつ むう ほうみょう あらかん
無有 法名 阿羅漢

実(じつ)に 法(ほう)として
阿羅漢(あらかん)と名(な)づくるもの
有(あ)ること無し

実際には 法(固定して捉えられるもの)として
阿羅漢と名づけられるものは
何もないからです

実:じつは、実際は、真実。無有:有ることがない、存在しない。法:ほう〈梵〉dharma に対応する語 仏の教え 真理 物事 現象や存在などを意味する多義的な語 ここでは固定したものとして捉えられる対象を指す。名:なづく、呼ぶ、名付ける。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者、応供(おうぐ)と訳される。




せそん にゃく あらかん さぜねん
世尊 若 阿羅漢 作是念
がとく あらかんどう
我得 阿羅漢道

世尊(せそん) 若(も)し阿羅漢(あらかん)にして是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ)阿羅漢(あらかん)の道(みち)を得(え)たりと為(な)さば

この世で最も尊い方よ もしも阿羅漢が
私は阿羅漢の道を得たのだという想いを起こすのなら

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。若:もし、もしも。仮定を表す接続詞。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者。応供(おうぐ)と訳される。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。阿羅漢道:あらかんどう、阿羅漢としての悟りの境地や到達点。得:える、到達する、獲得する。




そく いぢゃく
即 爲著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者


即(すなわ)ち
我(が) 人(にん) 衆生(しゅじょう) 寿者(じゅしゃ)に
著(じゃく)することと為(な)る

それはつまり
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己に
執着していることになるからです

即:すなわち、つまり。為:〜となる、〜になる。著:執着、とらわれ。我:自分、自我。人:他者、人。衆生:生きとし生けるもの。寿者:永続する自己。著:執着、とらわれ。




せそん ぶっせつがとく
世尊 佛説 我得
むじょうざんまい にんちゅうさいい
無諍三昧 人中最爲
だいいちぜだいいち りよくあらかん
第一是第一
 離欲阿羅漢

世尊(せそん) 仏(ほとけ)は我(われ)を
無諍三昧(むじょうざんまい)を得(え)たる人(ひと)の中(なか)にて
最(もっと)も第一(だいいち)と為(な)し
是(こ)れ第一(だいいち)の離欲(りよく)の阿羅漢(あらかん)なりと
説(と)きたまえども

この世で最も尊い方よ 仏は私を
「無諍三昧(安らかな境地)を得た人の中で
最も優れており
これは欲を離れた最高の阿羅漢である」とお説きになりましたが

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。我:わたし、自分。無諍三昧:むじょうざんまい、〈梵〉araṇā-samādhi。他者と争わず自分自身の心にも葛藤を生じさせない安らかな集中状態のこと。得:える、到達する、獲得する。人中:にんちゅう、人々の中で、修行者たちの間で。最:もっとも、一番。第一:だいいち、最高のもの、筆頭。為:なす、~とする、~と判定する。是:これ。指示代名詞。離欲:りよく、欲望や執着を離れること。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。説:とく、説明する、教えを語る。




せそん がふさ ぜねん
世尊 我不作 是念
がぜ りよく あらかん
我是 離欲 阿羅漢


世尊(せそん) 我(われ)は是(こ)の念(ねん)を作(な)さず
我(われ)是(こ)れ離欲(りよく)の阿羅漢(あらかん)なりと

この世で最も尊い方よ 私はこのような想いを起こしません
私は欲を離れた阿羅漢である というような想いを

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。我:わたし、自分。不:打ち消しの助字、〜しない。作:なす、生じさせる、起こす。是:これ、この。指示代名詞。念:ねん、想い、意識、考え。離欲:りよく、欲望や執着を離れること。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。




せそん
世尊
がにゃく さぜねん がとく あらかんどう
我若 作是念 我得 阿羅漢道

世尊(せそん)よ 我(われ)もし 是(こ)の念(ねん)を作(な)して
我(われ) 阿羅漢道(あらかんどう)を得(え)たり とせば

この世で最も尊い方よ
もしも私が「私は阿羅漢に至る道を得た」
という想いを起こすのなら

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。若:もし、もしも。作:作る、起こす。是:これ、このこと。念:心に思い浮かべること、思い。得:得る、到達する。阿羅漢道:阿羅漢に至る道、阿羅漢に達するための道。




せそん そく ふせつ
世尊 即 不説


世尊(せそん) 即(すなわ)ち 説(と)きたまわざりしならん

この世で最も尊い方は つまり そのようには説かれなかったでしょう

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。即:すなわち、つまり。説:説く、教えを述べる。不:〜ない、否定を表す語。




しゅぼだい ぜぎょう あれんなぎょうしゃ
須菩提 是樂  阿蘭那行者

須菩提(しゅぼだい)是(こ)れ 阿蘭那(あれんな)の行(ぎょう)を楽(たの)しむ者(もの)なり

須菩提こそは 阿蘭那の行(静寂と平和であること)を楽しむ者です

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。仏の弟子の一人。是:これ、または「〜こそは」と強める語。樂:楽しむ、好む。阿蘭那:〈梵〉araṇyaの音写。争いや騒がしさから離れた静かなあり方。行:行い、実践、修行。




い しゅぼだい じつむしょぎょう
以 須菩提 實無所行
にみょう しゅぼだい ぜぎょう
而名 須菩提 是樂
 あれんなぎょう
阿蘭那行

須菩提(しゅぼだい)実(じつ)に所行(しょぎょう)無(な)きを以(もっ)て
而(しか)も 須菩提(しゅぼだい) 是(こ)れ
阿蘭那(あれんな)の行(ぎょう)を楽(たの)しむと名(な)づく

須菩提には 実際には行うところが何もないからです
そして 須菩提は
阿蘭那の行を楽しむ者と名づけられているのです

以:もって〜によっての意を表す語 ここでは理由を導く働きをしており 現代語訳では ~からです という結びで反映している。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。實:実際に、真実には。無:ない、存在しない。所行:行うところ、行うこと。而:しかも、そして。名:名づける、呼ぶ。是:これ、または「〜こそは」と強める語。樂:楽しむ、好む。阿蘭那:争いや騒がしさから離れた静かなあり方。行:行い、実践、修行。








しょうごんじょうどぶん だいじゅう

荘厳浄土分 第十

(作成中)


無為福勝分 第十一

(作成中)


尊重正教分 第十二

(作成中)


如法受持分 第十三

(作成中)


離相寂滅分 第十四

(作成中)


持経功徳分 第十五

(作成中)


能浄業障分 第十六

(作成中)


究竟無我分 第十七

(作成中)


一体同観分 第十八

(作成中)


法界通化分 第十九

(作成中)


離色離相分 第二十

(作成中)


非説所説分 第二十一

(作成中)


無法可得分 第二十二

(作成中)


浄心行善分 第二十三

(作成中)


福智無比分 第二十四

(作成中)


化無所化分 第二十五

(作成中)


法身非相分 第二十六

(作成中)


無断無滅分 第二十七

(作成中)


不受不貪分 第二十八

(作成中)


威儀寂静分 第二十九

(作成中)


一合理相分 第三十

(作成中)


知見不生分 第三十一

(作成中)


応化非真分 第三十二

(作成中)




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大悲呪
開甘露門
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消災呪
仏頂尊勝陀羅尼
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信心銘
証道歌
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十牛図
坐禅儀
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中峰和尚座右の銘
興禅大燈国師遺戒
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白隠禅師坐禅和讃.
雲水和讃
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© 2025 kenkozan Daizoin

般若心経
大悲呪
昔の本堂の様子と 新本堂を再建する様子

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