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信心銘 現代語訳

目次


概要
.
佛祖統紀(三祖僧璨)
.
信心銘 (現代語訳)
.
その他経典



6月中旬 蓮華の花

概略

信心銘(しんじんめい)
四言 一四六句からなる漢詩です

鎌倉時代の末から室町時代の
日本において
(永嘉真覚大師)証道歌
(住鼎州梁山廓庵和尚)十牛図
坐禅儀

と共に
一つの書物にまとめられ
刊行されました

この書物を
禅宗 四部録(しぶろく)と言います
※編者は不明


禅宗 四部録(しぶろく)は
禅僧や修行者が
携行して学ぶものとされてきました



伝統的に
信心銘は
中国禅宗の第三祖
僧璨(そうさん)禅師
(生年不詳 ~大業2/606年)が
著したものと伝えられてきました
そのため
信心銘は
三祖大師 信心銘とも呼ばれます


しかし
近年の研究により
学者の間では
信心銘は
唐の時代(618 – 907年)に
著されたものであり
第三祖 僧璨(そうさん)禅師が
著したものでは無いと
認識されているようです


また
信心銘と大変似ている書物が存在します
それは
禅宗の宗派の一つ牛頭宗を開かれた
牛頭法融(ごずほうゆう)594–657年
という禅師が著した
牛頭山初祖 法融禅師 心銘
略して
心銘(しんめい)という書物です



はたして
誰が信心銘を著したのか?
信心名と心銘はどんな関係なのか?
などなど
今後の研究が待たれます


6月中旬 花菖蒲(淡路島)の写真



佛祖統紀(三祖僧璨) 現代語訳

ここでは
仏祖統紀(ぶっそとうき)から
第三祖 僧璨(そうさん)禅師の伝記を
紹介します

仏祖統紀は
中国 天台宗の立場から編纂された
仏教史書で
南宋の僧志磐により
1269年に撰されました





三祖僧璨 初以白衣見二祖 問曰

第三祖師 僧璨(そうさん)は
白衣(俗世間の人が着る衣)で
第二祖師慧可(えか)に初めて会見した
そして このように尋ねた




弟子身纒風疾 請師懺罪

弟子である私の身体には
病(リュウマチや通風)が 纒(まとい)ついてます
師よ 罪を懺悔し
許しを請いたいと願っています




祖曰
將罪來與汝懺


二祖 慧可(えか)は言った
懺悔の心と共に
罪をここに持って来なさい




師曰
覓罪了不可得


私が師 僧璨(そうさん)は言った
罪を求め持ち出すことなど不可能です




祖曰
與汝懺罪竟
宜依佛法僧


二祖 慧可(えか)は言った
あなた自身と共に 罪の懺悔を竟(きわ)めたいなら
仏陀・法・僧伽に依(よ)るべきです




師曰
今見和上已知是僧
未審何以名佛法


私が師 僧璨(そうさん)は言った
私は今 慧可和尚に謁見して知った
これこそ仏門に入って修行する僧侶であると
(ただ) 未だにはっきり分かりません
何をもって仏法と名付けるのでしょうか




祖曰
是心是佛 是心是法
法佛無二 僧寶亦然


二祖 慧可(えか)は言った
この心こそ仏陀であり この心こそ法である
法と仏陀は一体であり 唯一無二
(仏法僧 三宝の一つ)僧の宝もそうである




師曰
今日始知罪性不在内外中間
其心亦然
佛法無二


私が師 僧璨(そうさん)は言った
今日、初めて知った
罪の本性は内外やその中間に存在しないと
その心もそうであり
仏法は唯一無二であると




祖大器之
即爲鬀髮
具戒已畢


二祖 慧可(えか)は これを大器であるとして
即座に 三祖 僧璨(そうさん)の
髪を剃らせ
涅槃に近づくための戒律を
授けおえた




復告之曰
達磨大師以正法眼藏密授於吾
吾今付汝
及以信衣
汝當護持


そして復た これに告げ このように言った
達磨大師は 正しい教え(正法眼蔵)
密かに私に授けられたが
私は今 貴方に付(あた)えることにする
 および 信心の衣(袈裟)も
貴方は護持していくべきである」と




屬周武廢教
往來司空山積十餘年


北周武帝の治世(560 – 578年)
仏教が廃されたとき(三武一宗の法難)
三祖 僧璨(そうさん)は
様々な場所に往来し 定住しなかったが
司空山(安徽省 安慶市 岳西県)で
十余り年という月日を積み重ねた




隋開皇初居皖公山
傳法道信 優游江國


王朝の最初の年号である開皇の最初の年(581年)
舒州の皖公山(安徽省 安慶市 潜山市)に
居住した
四祖 道信に法を伝えた後
長江周辺の国土を 心のままに旅した





大業二年復還舊山
爲衆説法
合掌儼立而逝
葬於山谷寺


大業2(606)年 旧知の山に復た帰還し
群衆の為に説法した
合掌すると 厳然と立ったまま逝去し
山谷寺(現 三祖寺)に葬られた





唐玄宗朝
追諡鏡智禪師


唐王朝玄宗皇帝の治世(712-756年)に
鏡智(がんち)禅師という
諡(おくりな)を贈られた(追諡





佛祖統紀(ぶっそとうき)
卷第三 二十九
宋景定四明東湖沙門志磐撰



6月中旬 紫陽花の写真2


信心銘 現代語訳



漢文

書き下し文

現代語訳





至道無難

至道(しどう) 無難(ぶなん)

至高の道は 難しく無い





唯嫌揀擇

唯(ただ) 揀擇(けんじゃく)を嫌(きら)う

ただ 選んだり 分別することを嫌うだけ





但莫憎愛

但(た)だ 憎愛(ぞうあい)莫(な)ければ

ただ 憎悪や愛着が莫(な)くなれば





洞然明白

洞然(とうねん)として
明白(めいはく)なり

ぽっかりと空いた洞穴の様に
明白なことなのだ





毫釐有差

毫釐(ごうり)も 差(さ)有(あ)れば

(ただし)
細い毛ほどのごく僅かでも
差別する心が有れば





天地懸隔

天地(てんち) 懸(はる)かに隔(へだ)たる
 
天と地ほど はるかに
懸(か)け離れてしまう(懸隔)





欲得現前

現前(げんぜん)せんと欲得(ほっ)すれば

(至高の道を)目の前に現(あらわ)したいと
欲するなら





莫存順逆

順逆(じゅんぎゃく)を存(そん)すること
莫(な)かれ

順逆など(選んだり分別する心)に
依存しないように





違順相爭

違順(いじゅん) 相(あ)い争(あらそ)う

合っている いや反している
などと争い合う





是為心病

是(こ)れを心病(しんびょう)と為(な)す

これを 心の病気とする





不識玄旨

玄旨(げんし)を 識(し)らざれば

深遠な意味を 識(し)らなければ





徒勞念靜

徒(いたず)らに
念静(ねんじょう)に労(ろう)す

ただひたすら
心を静めようとしても無駄なこと





圓同太虛

円(まど)かなること太虛(たいきょ)に同じ

(至高の道の)まるい様(さま)は  
大空や虚空(こくう)と同じであり





無欠無餘

欠(か)くること無く 余(あま)ること無し

欠けることも無ければ
余ることも無い





良由取捨

良(まこと)に取捨(しゅしゃ)に由(よ)る

まことに(世間の人々は)
 取ったり捨てたり(選り好み分別)する心を
よりどころとしている





所以不如

所以(ゆえ)に 不如(ふにょ)なり

だから
あるがまま(真如:しんにょ)で無いのだ





莫逐有緣

有縁(うえん)を 逐(お)うこと莫(なか)れ

実体(自我・霊魂)は有る」とする
見方である
常見(じょうけん)
逐(お)うことがないように





勿住空忍

空忍(くうにん)に住(じゅう)すること
勿(なか)れ

空(くう)に執着した空見(くうけん)
因果を無視して死ねば滅する見方である
断見(だんけん)
住(とど)まることのないように





一種平懷

一種(いっしゅ) 平懷(へいかい)なれば

(心を)一様に 平等に懐(いだ)けば






泯然自盡

泯然(みんねん)として
自(おのず)から盡(つ)く

(常見や空見・断見などの邪見は)
泯(ほろ)ぶべくして
自然に尽(つ)きてしまう





心動歸止

心(しん)動(うご)いて 止(し)に帰(き)すれば

静止していた心が動いたときに
静止した状態に帰そうとすれば





止更彌動

止(し) 更(さら)に弥(いよいよ) 動(どう)ず

静止させようと(意図)して
心は 更にいよいよ 動いてしまう





唯滯兩邊

唯(た)だ 両辺(りょうへん)に滞(とどこお)る

ひたすら
相対の世界の 対立した概念(両辺)に
滞(とどこお)る





寧知一種

寧(なん)ぞ 一種(いっしゅ)を知(し)らんや

(そんな状態で)
どうやって
万物は一如であると悟る無分別智(一種)を
知るだろうか (いや、知ることはない)






一種不通

一種(いっしゅ)通(つう)ぜざれば

万物は一如であると悟る無分別智(一種)に
通じていなければ





兩處失功

両処(りょうしょ)に功(こう)を失(うしな)う

(有無・是非・善悪などと分別する)
相対の世界で
すぐれた働きは 失(うしな)われる





遣有沒有

有(ゆう)を遣(やら)えば 有(ゆう)を没(もっ)し

実体は有る」とする常見
追い払おうとすれば
かえって 常見に没入することになり





從空背空

空(くう)に従(したが)えば
空(くう)に背(そむ)く

空(くう)に従(したが)い 空に執着すれば
空(くう)を実体化させる結果を
招くことになり(無見
かえって 空(くう)に背(そむ)く





多言多慮

多言(たごん)多慮(たりょ)

言葉が多いほど 思慮が多いほど





轉不相應

転(うた)た 相(あい)応(おう)せず

ますます 呼応しなくなる





絕言絕慮

絶言(ぜつごん)絶慮(ぜつりょ)

言葉を根絶するほど 思慮を根絶するほど





無處不通

処(ところ)として通(つう)せざる無(な)し

( 根本に通じることになり
  枝葉の如き世間の事象に )
通じないところが無くなる





歸根得旨

根(ね)に帰(き)すれば旨(し)を得(う)

根本に帰りつけば
仏の教えの宗旨を得ることになり





隨照失宗

照(しょう)に随(したが)えば
宗(しゅう)を失(しっ)す

(鏡などに)照らし出される幻影に従えば
仏の教えの宗旨を失うことになる





須臾返照

須臾(しゅゆ)も返照(へんしょう)すれば

(外へ向かっているものを)
少しでも 内なる自分自身の方へと
照(てら)し返せば(回光返照





勝卻前空

前空(ぜんくう)に勝却(しょうきゃく)す

前に述べた因果を無視する
誤った空の思想(断見:だんけん)に
勝(まさ)り 却(しりぞ)ける





前空轉變

前空(ぜんくう)の転変(てんぺん)

前にも述べた 因果を無視する
誤った空の思想(断見:だんけん)が
たびたび変わるのは





皆由妄見

皆(みな) 妄見(もうけん)に由(よ)る

皆すべて 間違った見解に由(よ)るからだ





不用求真

真(しん)を求(もと)むることを用(もち)いず

真理を求めることに固執した心を
用(もち)いずに





唯須息見

唯(た)だ須(すべか)らく
見(けん)を息(や)むべし

ただひたすら
価値判断すること(見解:けんかい)
息(や)めるべきだ





二見不住

二見(にけん)に住(じゅう)せず

有るとか(有見常見) 無いとか(無見断見
相対する立場に 住(とど)まることなく





慎勿追尋

慎(つつし)んで
追尋(ついじん)すること勿(なか)れ

注意深く 気を配り
追い求めることがないように





纔有是非

才(わず)かに 是非(ぜひ)有(あ)れば

わずかでも
是非や善悪など分別する心が有れば





紛然失心

紛然(ふんぜん)として 心(しん)を失(しっ)す

ゴタゴタと入り混じり 本心を失ってしまう





二由一有

二(に)は一(いち)に由(よ)って有(あ)り

相対的二元論
絶対的一元論が由来となり
存在している





一亦莫守

一(いち)も亦(ま)た守(まも)ること莫(なか)れ

(とはいえ)
絶対的一元論にも また固守してはいけない





一心不生

一心(いっしん)生(しょう)ぜざれば

一つの思いが 生じなければ





萬法無咎

万法(ばんぽう) 咎(とが)無(な)し


あらゆる現象や存在から
過(あやま)ちがなくなる






無咎無法

咎(とが)無(な)ければ 法(ほう)無(な)し

過(あやま)ちが無くなれば
現象や存在が無くなる





不生不心

生(しょう)ぜざれば 心(しん)ならず

(価値判断や分別が)生じなければ
心は存在しない





能隨境滅

能(のう)は
境(きょう)に隨(したが)って滅(めっ)し

対象を認識する主観(能取:のうしゅ)は
認識される対象(六境:ろっきょう)に従い
消滅し





境逐能沉

境(きょう)は能(のう)を逐(お)って沈(しず)む

認識される対象(六境)は
対象を認識する主観(能取)を逐(お)って
消え失せる(消沈)





境由能境

境(きょう)は
能(のう)に由(よ)って境(きょう)たり

認識される対象(六境)は
対象を認識する主観(能取)に
由来するからこそ
認識される対象(六境)として存在する





能由境能

能(のう)は境(きょう)に由(よ)って能(のう)たり

対象を認識する主観(能取)は
認識される対象(六境)に由来するからこそ
対象を認識する主観(能取)として存在する





欲知兩段

両段(りょうだん)を知(し)らんと欲(ほっ)せば

(相対する)両(ふた)つを
知りたいと欲したところで





元是一空

元(もと) 是(こ)れ一空(いっくう)

もともと(元来)
これらは 実体が無い空(くう)なのだ





一空同兩

一空(いっくう)は両(りょう)に同(おな)じ

「一切の存在や現象は 実体というものが無い
因縁によって生じた仮のものにすぎない」
という
空(くう)の教えは
他との関係の中で存在が成立している
相対(両)と同じであり





齊含萬象

斉(ひと)しく 万象(ばんしょう)を含(ふく)む

( 空の教えは )同列に 平等に
あらゆる存在・現象を 含んでいるのだ





不見精麤

精麤(せいそ)を見(み)ず

精密や粗雑(麤)といって
相対を見ることはない






寧有偏黨

寧(なん)ぞ 偏党(へんとう)有(あ)らんや

どうして
相対する一方に偏(かたよ)ったまま
有(あ)るというのか





大道體寬

大道(だいどう)は 体(たい)寬(ひろ)く

大乗仏教の道は
それ自体が 寬(ひろ)いものであり





無易無難

易(えき)無(な)く 難(なん)無(な)し

容易ということも無ければ
困難ということも無い





小見狐疑

小見(しょうけん)は 狐疑(こぎ)

視野が狭い小さな見解は 疑うもの





轉急轉遲

転(うた)た急(きゅう)なれば
転(うた)た遅(おそ)し

ますます急(せ)いて ますます遅れる





執之失度

之(これ)を執(しゅう)すれば 度(ど)を失(しっ)し

これらに執着すれば 心の平静を失い





必入邪路

必(かなら)ず邪路(じゃろ)に入(い)る

必ず 邪(よこしま)な道に入る





放之自然

之(これ)を放(はな)てば 自然(じねん)にして

これを解(と)き放(はな)てば
本来のありのままの状態である





體無去住

体(たい)に去住(こじゅう)無(な)し

ありのままの本性・本体(当体)
去ったり 住(とど)まったりしない





任性合道

性(しょう)に任(まか)せて 道(みち)に合(ごう)し

法性(諸法本性)に任せれば 道と合致し





逍遙絕惱

逍遙(しょうよう)として
悩(のう)を絶(ぜっ)す

自在に 煩悩を越(こ)える





繫念乖真

繫念(けねん)すれば 真(しん)に乖(そむ)き

なにかしらの対象に思いを巡らせれば
真理に乖(そむ)くことになり





昏沉不好

昏沈(こんちん)して 不好(ふこう)なり

心身がふさぎこんで 良いことはない





不好勞神

不好(ふこう)なれば神(しん)を労(ろう)す

良いことはないから
精神に 無駄な苦労をかけることになる





何用疏親

何(なん)ぞ 疏親(そしん)を用(もち)いん

どうして疏(うと)んだり 親(した)しんだりと
選り好みする心を用いるのか





欲取一乘

一乗(いちじょう)を取(と)らんと欲(ほっ)せば

唯一で絶対の真実への乗り物(教え)を
取得したいと欲するなら





勿惡六塵

六塵(ろくじん)を悪(にく)むこと勿(な)かれ

煩悩を起こしたり 心を汚す
六境
(眼・耳・鼻・舌・身・意が認識する対象)を
悪(にく)む





六塵不惡

六塵(ろくじん)を 悪(にく)まざれば

眼・耳・鼻・舌・身・意が認識する
対象(六境)を
悪(にく)まなければ





還同正覺

還(かえ)って 正覚(しょうがく)に同(おな)じ

源にかえって 仏の悟りと同じである





智者無為

智者(ちしゃ)は無為(むい)なり

智慧がある人は 作為(さくい)が無い





愚人自縛

愚人(ぐじん)は自縛(じばく)す

愚かな人は 自分を縛る





法無異法

法(ほう)に異法(いほう)無(な)し

法(dharma)に 異なる法(dharma)など無い





妄自愛著

妄(みだ)り
自(みずか)ら愛著(あいじゃく)

(だから)
むやみやたらと 自分から
愛するものに執着する貪欲を起こしたりするのだ





將心用心

心(しん)を将(も)って 心(しん)を用(もち)う

(執着している)心を
(自分の)心として採用するだなんて





豈非大錯

豈(あ)に大錯(たいしゃく)に非(あら)ずや

どうして 大錯誤でないだろうか
(いや、大錯誤でないことはない)





迷生寂亂

迷(まよ)えば
寂乱(じゃくらん)を生(しょう)じ

迷えば 静寂や騒乱を生じるし





悟無好惡

悟(さと)れば 好悪(こうお)無(な)し

悟れば
好きや嫌いといった選り好みが無くなる





一切二邊

一切(いっさい)の 二辺(にへん)は

一切の
対立しながら互いに関連して存在するもの
(二辺)は





浪自斟酌

浪(みだ)りに 自(みずか)ら
斟酌(しんしゃく)

むやみやたらと 自分から
あれこれと照らし合わせ取捨分別している





夢幻空華

夢幻(むげん) 空華(こけ/くうげ)

夢、まぼろし、空中に浮かぶ花
(などの実体の無い 虚妄)を





何勞把捉

何(なん)ぞ 把捉(はそく)を労(ろう)せん

どうして 理解しようと苦労するのか





得失是非

得失(とくしつ) 是非(ぜひ)

得失や是非(といった分別)を





一時放卻

一時(いちどき)に 放却(ほうきゃく)せよ

(まとめて)一度に 打ち捨てよ





眼若不睡

眼(まなこ) 若(も)し睡(ねむ)らざれば

眼(まなこ)が もし睡(ねむ)らなければ





諸夢自除

諸夢(しょむ) 自(おのずから)から除(の)く

諸々の夢は 自然と除外される





心若不異

心(しん) 若(も)し異(い)ならざれば

心が もし異(こと)っていなければ





萬法一如

万法(ばんぽう) 一如(いちにょ)なり

すべての存在・現象は
絶対唯一のあるがままの状態(真如)となる





一如體玄

一如(いちにょ)体(たい) 玄(げん)なれば

絶対唯一の真如(しんにょ)の本体は
趣(おもむき)深く計り知れないもの(幽玄)
だから





兀爾忘緣

兀爾(こつじ)として 縁(えにし)を忘(ぼう)ず

高くそびえ立ち 因縁を忘れる





萬法齊觀

万法(ばんぽう) 斉(ひと)しく観(かん)ずれば

あらゆる存在・現象を 同じ様に観(み)るなら





歸復自然

帰復(きふく) 自然(じねん)なり

(事物の本性・根源に)復(ま)た帰りつくのは
自然なことである





泯其所以

其(そ)の所以(ゆえん)泯(みん)じ

そんな(苦しみや迷いの)原因などは
泯(ほろ)ぼしつくし





不可方比

方比(ほうひ)すべからず

比較などしないほうがいい





止動無動

動(どう)を止(と)むるに 動(どう)無(な)く

動いている状態を止めると
動いている状態では無くなり





動止無止

止(し)を動(どう)ずるに 止(し)無(な)し

静止している状態を動かすと
静止した状態で無くなる





兩既不成

両(ふた)つながら 既(すで)に成(な)らずんば

(相対することで存在が成立している)
二元論が
既に(それ自体で独立して)成立しない
ならば





一何有爾

一(いち) 何(なん)ぞ爾(しか)る有(あ)らん

(二元論に相対することで成立する)一元論も
どうして同じ様に
(それ自体で独立して)あるというのか





究竟窮極

究竟(くぎょう) 窮極(ぐごく)

(物事の)究極の所 究極に達した所に





不存軌則

軌則(きそく)を存(そん)せず

固定的な法則など存在しない





契心平等

心(しん)の平等(びょうどう)に契(かな)えば

心が 寂滅平等の法体と一致すれば(契合)





所作俱息

所作(しょさ)俱(とも)に息(や)む

人為的な行いが 俱(とも)に息(や)む





狐疑淨盡

狐疑(こぎ) 尽(ことごと)く浄(つ)きて

疑いは ことごとく尽き





正信調直

正信(しょうしん) 調直(ちょうじき)なり

正しい信仰が調(ととの)い 直(なお)る





一切不留

一切(いっさい) 留(とど)めず

あらゆる存在を留(とど)めることなく





無可記憶

記憶(きおく)すべき無(な)し

思い出すべきこともない





虛明自照

虚明(こめい)自(おのず)から照(て)らし

とらわれのない無心が
自然と照(て)らすから





不勞心力

心力(しんりき)を労(ろう)せず

精神の力を働かせることがない





非思量處

非思量(ひしりょう)の処

すべての相対的な観念を捨てた
無分別の境地は





識情難測

識情(しきじょう) 測(はか)り難(がた)し

(分別したり感情にとらわる)
迷いの心では
推測し難(がた)い





真如法界

真如(しんにょ) 法界(ほっかい)

一切の存在や現象の真理・本性は





無他無自

他(た)無(な)く 自(じ)無(な)し

相手(自分以外の者)も無いし 自分も無い






要急相應

急に 相応(そうおう)せんと要(よう)せば

急遽(きゅうきょ)
心と対象世界の結びつきを必要とするなら





唯言不二

唯(た)だ不二(ふに)と言(い)う

ただ不二同一
(相反する相対的対立を超えた絶対的平等)
とだけ言おう





不二皆同

不二(ふに)なれば皆(みな)な同(おな)じ

不二同一
(相反する相対的対立を超えた、絶対的平等)なら 皆同じで





無不包容

包容(ほうよう)せずということ無(な)し

包容しないことが無い





十方智者

十方(じっぽう)智者(ちしゃ)

世界中(すべての空間)の智慧ある者は





皆入此宗

皆(みな) 此(こ)の宗(しゅう)に入(い)る

皆 この根源に入る





宗非促延

宗(しゅう)は 促延(そくえん)に非(あら)ず

根源は
小さく(局促)させるものでも
延(のば)すものでもない





一念萬年

一念(いちねん) 万年(ばんねん)

一瞬の心の動きの中に
万もの年数が具(そなわ)





無在不在

在(ざい)と不在(ふざい)と無(な)く

存在するとか 存在しないとか
(相対的な対立)が無く





十方目前

十方(じっぽう)も目前(もくぜん)

あらゆる空間が 目の前にある





極小同大

極小(ごくしょう)は大(だい)に同(おな)じ

極めて小さいことが
大きいことと同じであり





忘絕境界

境界(きょうがい)を忘絶(もうぜつ)す

物事の境(さかい)を忘れ 超えている





極大同小

極大(ごくだい)は小(しょう)に同(おな)じ

極めて大きいことが
小さいことと同じであり





不見邊表

辺表(へんぴょう)を見(み)ず

その辺(はて)が表(あらわ)れることを 見ない





有即是無

有(う)は即(すなわ)ち是(こ)れ無(む)

有ることが 即座に 無いことになり





無即是有

無(む)は即(すなわ)ち是(こ)れ有(う)

無いことが 即座に 有ることになる





若不如此

若(も)し此(か)くの如(ごと)くならざれば

もし このよう(な境地)にならなければ





必不須守

必(かなら)ず守(まも)ることを須(もち)いざれ

必ずしも(現在 持ってるもの・今の状態を)
守り通す必要はない





一即一切

一(いち)即(そく) 一切(いっさい)

一つが即座に 一切(全て)であり





一切即一

一切(いっさい)即(そく) 一(いち)

一切(全て)が即座に 一つである





但能如是

但(た)だ 能(よ)く是(かく)の如(ごと)くならば

しかし このような境地(に到達すること)が
可能なら





何慮不畢

何(なん)ぞ
不(ふ)畢(ひつ)を慮(おもんばか)らん

どうして
終わらない・完了しないなどと
憂慮しようか





信心不二

信心(しんじん) 不二(ふに)

仏の教えを信じる心(悟り)こそ
(絶対的に平等な)不二同一であり





不二信心


不二(ふに) 信心(しんじん)

(絶対的に平等な)不二同一こそ
仏の教えを信じる心(悟り)である




言語道斷

言語(ごんご)道断(どうだん)

(それは)言葉で表現する道が
断たれたものであり





非去來今

去来(こらい)今(こん)に非(あら)ず

過去のものでも 未来のものでも
今のものでもない





6月中旬 紫陽花の写真2

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