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【作成中】金剛般若経 現代語訳

目次



はじめに


金剛経の概略


金剛経 現代語訳
法会因由分 第一
善現啓請分 第二
大乗正宗分 第三
妙行無住分 第四
如理実見分 第五
正信稀有分 第六(作成中)
無得無説分 第七(作成中)
依法出生分 第八(作成中)
一相無相分 第九(作成中)
荘厳浄土分 第十(作成中)
無為福勝分 第十一(作成中)
尊重正教分 第十二(作成中)
如法受持分 第十三(作成中)
離相寂滅分 第十四(作成中)
持経功徳分 第十五(作成中)
能浄業障分 第十六(作成中)
究竟無我分 第十七(作成中)
一体同観分 第十八(作成中)
法界通化分 第十九(作成中)
離色離相分 第二十(作成中)
非説所説分 第二十一(作成中)
無法可得分 第二十二(作成中)
浄心行善分 第二十三(作成中)
福智無比分 第二十四(作成中)
化無所化分 第二十五(作成中)
法身非相分 第二十六(作成中)
無断無滅分 第二十七(作成中)
不受不貪分 第二十八(作成中)
威儀寂静分 第二十九(作成中)
一合理相分 第三十(作成中)
知見不生分 第三十一(作成中)
応化非真分 第三十二(作成中)


経典 記事一覧





はじめに


現代語訳の公開にあたって

この度 光栄にも明石の禅寺 大蔵院様のご厚意を賜り
私が翻訳いたしました『金剛般若経』の現代語訳を
掲載させていただくこととなりました

私は 大蔵院様に深くご縁をいただいております
一人の在家信者(優婆塞)にすぎません

仏道の本質を重んじ 未熟な私の熱意と試みを温かく受け入れ
貴重な発表の場を提供してくださいました大蔵院の住職様には
深く心より御礼申し上げます

本訳は
かつて お経に関心はあるけど
何から手を付ければよいのか
全く分からずに 迷いの中にいた
昔の私自身の手助けとなるよう・・・
との思いから作成したものです

専門的な知識がなくても
お釈迦様と須菩提長老の温かい心の交流や
金剛経の奥深い教えが真っ直ぐ届くよう
一字一字に真心を込めて現代語に訳しました

なお 掲載にあたっては
住職様より多大なるご寛恕をいただいておりますが
翻訳における言葉の解釈や表現の全責任は
すべて訳者である私個人に帰するものであり
お寺様や特定の宗派としての公式な見解を
示すものではございません

お経の翻訳には
立場や視点によって
非常に多くの解釈が成立します

そのため 本訳はあくまで
一つの味わい方 一つの解釈の形として
提示させていただいているものであることを
何卒ご了承いただけますと幸いです

この現代語訳が
皆様と 仏法との尊い出会いの一助となれば
これに勝る喜びはありません

訳者(大蔵院 縁の在家信者)




金剛経の概略


金剛般若波羅蜜経の
サンスクリットの原本のタイトル(表題)は
  Vajra cchedikā
ヴァジュラッチェーディカー
prajñāpāramitā
プラジュニャーパーラミター
Sūtra
スートラ
です

Vajraは
稲妻(雷)、金剛、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器
古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つ
すべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」を原義とする
物質の中で最も硬く 決して傷つかない究極の強さ
「ダイヤモンドのように硬く、雷のように強力に切り裂く」
という二重の意味

cchedikāは
能断(能く断つ)、切断する、砕く

prajñāは
般若、道理を明らかに見抜く智慧

pāramitāは
波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成(性)

Sūtraは
経典、お釈迦様の教えを記した聖典

まとめると
インドラの雷のごとく(あらゆる迷いや執着を)砕く
究極の完成された 智慧の 経典
といった意味合いになります



これを
西域にあった亀茲国の僧 鳩摩羅什は
金剛般若波羅蜜経と漢訳しました

参照までに
他の漢訳タイトルを並べます

菩提流支(北魏を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

真諦(南朝梁を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

達磨笈多(唐を訪れたインド僧善無畏の師)訳
金剛能断般若波羅蜜経

玄奘(陸路でインドを訪れた唐の僧)訳
能断金剛般若波羅蜜多経(初回)
大般若波羅蜜多経(二回目)

義浄(海路でインドを訪れた唐の僧)訳
仏説能断金剛般若波羅蜜多経



金剛般若波羅蜜経は
金剛般若経・金剛般若・金剛経
また経の長さから 三百頌般若経
などと呼ばれます

『金剛経』成立と展開の歴史年表


大乗仏教が起こってから
漢訳金剛経が出来るまでの
年表は以下の通りです


■紀元前1世紀〜紀元後1〜2世紀頃
大乗仏教および『般若経』の発生

インドで
「出家者だけでなく すべての人の救済」を目指す
大乗仏教運動が始まり
その初期聖典として『般若経』の編纂が進む



■紀元後2〜4世紀頃
『金剛経』の原典成立

『般若経』のエッセンスを凝縮した独立経典として
インドで『金剛経』のサンスクリット原典が成立したと推定される



■344年
鳩摩羅什(くまらじゅう)誕生

亀茲国(クチャ)に生まれる(〜413年没)
後に中国へ仏教を伝える天才訳経僧となる



■384年頃
鳩摩羅什、中国(涼州)へ到着

前秦の将軍・呂光により涼州へ連行され、約17年間滞在
この間に高度な中国語の素養を身につける



■401〜402年頃
鳩摩羅什による『金剛経』の漢訳

都の長安にて『金剛般若波羅蜜経』を翻訳
現在最も読まれている名訳が誕生
当時は区切りのない1本の長い文章であった



■501年
昭明太子(蕭統)誕生

南朝・梁(りょう)の初代皇帝・武帝の
長男として生まれる(〜531年没)



■520年頃
(後世の伝承)
達磨大師と
梁(りょう)の初代皇帝・武帝の対話

禅宗の伝承(普通元年)において
達磨が武帝の執着を
「無功徳」と一蹴したとされる有名な問答
歴史的な渡来時期には諸説あるが
禅の本質を示す



■525年頃
(後世の伝承)
昭明太子による「32章立て」の完成

鳩摩羅什の訳を
一般の人にも分かりやすくするため全32章に分類
すべての章に個別のタイトルを命名したと伝えられる
(第1章が「法会因由分第一」)



禅寺 大蔵院の写真
禅寺 大蔵院


金剛 般若波羅蜜経 現代語訳



1.ひらがな(臨済宗の読み方)
2.漢文(白文)
3.書き下し文
4.現代語
5.語句
という順番で 記しています




こんごう はらみつきょう

金剛 般若波羅蜜経

金剛(こんごう)般若(はんにゃ)波羅蜜(はらみつ)経(きょう)

(すべてを打ち砕く)インドラの雷で 迷いを打ち砕く
究極の完成された智慧の 経典

金剛:古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つすべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」が原義、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器、。般若:道理を明らかに見抜く智慧。波羅蜜:波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成。経:経典、聖典。




姚秦 三蔵法師 鳩摩羅什訳

姚秦(えうしん)三蔵法師(さんぞうほうし)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳(やく)

姚秦(後秦)の時代に 三蔵法師と称された鳩摩羅什が漢訳した

姚秦: 4〜5世紀、羌族の姚萇が建てた中国北方の王朝。三蔵法師:経・律・論の三蔵すべてに精通した高僧に贈られる尊称。鳩摩羅什: 〈梵〉Kumārajīva、亀茲国出身の訳経僧(父はインド系、母は亀玆国王の妹)、法華経などを美しい漢文に訳す。訳:翻訳のこと。





ほうえいんゆぶん だいいいち

法会因由分 第一

法会(ほうえ)因由(いんゆ)分(ぶん) 第一(だいいち)

法会が開かれるまでのいきさつの章 第一

法会(ほうえ):仏が教えを説くための集会、説法の場。因由(いんゆ):起こった理由・いきさつ・由縁・背景。分(ぶん):章・節・部分。第一(だいいち):第一章・最初の部分。




にょぜ がもん
如是 我聞

是(か)くの如(ごと)く 我(わ)れ聞(き)けり

私はこのように聞いた

如是:このように、以下に述べる内容が事実として伝え聞いたものであることを示す定型句。我:私、経典を編纂した結集の代表者(阿難)のこと。聞:耳に受けて聞いた、お釈迦様から直接教えを拝聴したという意味。




いちじ ぶつざい しゃえこく
一時 佛在 舍衞國
ぎじゅぎっ こどくおん
祇樹給 孤獨園
よ だいびくしゅ
與 大比丘衆
せんにひゃくごじうにん ぐ
千二百五十人 倶

一時(いちじ) 仏(ほとけ)は
舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に
大比丘衆(だいびくしゅ) 千二百五十人と
倶(とも)に 在(いま)したり

ある時 仏(お釈迦様)は
コーサラ国の都シュラーバスティー(舎衛国)にある
ジェータ王子の園林で
長者が寄進した 孤独な人に食事を提供する園(祇樹給孤独園)に
 1250人もの修行僧の大集団と共に滞在されていた

一時:ある時 釈迦がこの法を説いた時を表す。仏:悟りを開いた者 ここではお釈迦様を指す。在:滞在する そこにいることを表す。舍衞國:古代インド コーサラ国の都であるシュラーバスティーを漢字で音写した地名。祇樹給孤獨園:祇陀太子の林と 給孤独長者が寄進した園から成る寺院 釈迦が多くの経を説いた場所として知られる。祇樹:祇陀太子から寄進された林。給孤獨:孤独な人や貧しい人に食事や援助を施した長者の称号。園:庭園 修行や説法の場となった寺院の敷地。與:ともに 共にすることを表す。大:大勢、人数が多いこと。比丘:出家して戒律を受けた男性の修行者、僧。衆:多くの人々 集団。千二百五十人:釈迦に常に随従していた比丘たちの人数として、多くの経典に繰り返し現れる定型的な数字。倶:ともに 一緒に。






にじ せそん じきじ ぢゃくえ ぢはつ
爾時 世尊 食時 著衣 持鉢
にゅう しゃえいだいじょう こつじき
入 舍衞大城 乞食
お ごじょうちゅう しだい こっち
於 其城中 次第 乞已

その時(とき) 世尊(せそん)は 食時(じきじ)に 衣(ころも)を著(つ)け 鉢(はつ)を持(じ)し
舎衛(しゃえい)の大城(だいじょう)に入りて 食(じき)を乞(こ)う
その城中(じょうちゅう)において 次第(しだい)に乞(こ)い已(おわ)り

その時 この世で最も尊い方は 朝のうちに 衣をまとい 鉢を持ち
シュラーバスティーの大市街に入り 食糧を乞い歩かれた
その市街の中において 街中で順に食を乞い 托鉢を終えられ・・・

爾時:その時、その折。世尊:仏の尊称。「世に最も尊ばれる方」という意味で、サンスクリット原典では Bhagavān に当たる。食時:食事の時。出家者が托鉢に出る朝の時間帯を指す。著衣:衣を身に着けること。出家者としての袈裟や法衣を着ることをいう。著:身に着ける、着用すること。衣:衣服。ここでは出家者の法衣を指す。持鉢:鉢を持つこと。托鉢に用いる食器を携えることをいう。持:手に持つ、携えること。鉢:食物を受けるための器。出家者が托鉢に用いる鉢。入:入る、中へ進むこと。舍衞:古代インドの都市シュラーバスティーの漢訳名。大城:大きな城郭都市。人口の多い主要な都市を指す。乞食:食物の施しを受けるために托鉢すること。生活のためではなく修行として行われた。乞:請い求めること。食:食物、食事。於:場所や対象を示す語。ここでは「〜において」の意味。其:その、その場所を指す語。城中:城郭都市の中、市街地の中。次第:順序に従って。一軒ずつ順番に行うこと。已:終わる、済むこと。ここでは托鉢を終えたことを表す。




げんし ほんじょ ぼんじき こっ
還至 本處 飯食 訖
しゅう えはつ せんぞく い
收 衣鉢 洗足 已
ふざ にざ
敷座 而坐

本処(ほんじょ)に還(かえ)り至(いた)り 飯食(ぼんじき)し訖(お)え
衣鉢(えはつ)を収(おさ)め 足(あし)を洗(あら)い已(お)わり
 座(ざ)を敷(し)きて 坐(ざ)したまえり

元いた場所へ帰られると 食事をすませ
鉢と衣を片付け 足を洗い
座を敷いて坐られた

還至:帰り至ること。本来いた場所へ戻ること。本處:もとの場所。本来の居所や滞在先を指す。飯食:食事をすること。訖:終える、完了すること。收:収める、片付けること。衣鉢:衣と鉢。出家者が常に携える法衣と托鉢用の鉢。洗足:足を洗うこと。当時のインドでは屋外を歩いた後の習わしでもあった。已:終わる、済むこと。敷座:座を敷くこと。坐るための敷物を整えること。座:座席、坐る場所。而:そして、その後に。前後の動作をつなぐ語。坐:坐ること。









ぜんげんけいしょうぶん だいに

善現啓請分 第二


善現(ぜんげん) 啓請(けいせい)の分(ぶん) 第二(だいに)

須菩提が教えを請い願う章

善現:須菩提(しゅぼだい)のこと、釈迦の十大弟子の一人、善現・空生などと訳す。啓請:教えを請い願うこと、質問を申し上げること。分:章、品。




 じ ちょうろう しゅぼだい
時 長老 須菩提
ざい だいしゅちゅう
在 大衆中

時(とき)に 長老(ちょうろう)須菩提(しゅぼだい)は
大衆(だいしゅう)の中(なか)に在(あ)り

ちょうどその時 長老である須菩提(しゅぼだい)もまた
大勢の修行僧たちの中にいた

時:その時、その折を表す語。長老:徳と修行を積み、教団の中で敬われた年長の比丘への敬称。須菩提:サンスクリット名はスブーティ(Subhūti)、争うことがなかったところから無諍第一、空の理解の深かったことから解空第一と称された。在:いる、その場に居合わせること。大衆:多くの比丘や修行者の集まり。この場では法会に集った比丘僧団を指す。中:中、集まりの中。




そくじゅうざき へんだんうけん
即從座起 偏袒右肩
うしつぢゃくぢ がっしょうくぎょう
右膝著地  合掌恭敬
 にびゃくぶつごん
而白佛言

即(すなわ)ち座(ざ)より起(た)ち
ひとえに右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ
右(みぎ)の膝(ひざ)を地(ち)に著(つ)け
合掌(がっしょう)・恭敬(くぎょう)して
而(しか)して仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

すると すかさず 須菩提長老は座から立ち上がり
上衣を片方の肩に掛けて右肩をあらわにし
右の膝を地面につけ 手を合わせ うやうやしく礼拝し
それから 悟られた方(お釈迦様)に謹んで申し上げ こう言葉を発した

即:そこで、そのまま次の動作に移る様子を表す接続詞。從座起:自分が座っていた席から立ち上がること。偏袒右肩:インドの最高敬礼法の一つで、上衣を左肩に掛け右肩を露出すること。右膝著地:右の膝を地面につけること、尊者に対して深い敬意を示す姿勢。合掌:両手のひらを胸の前で合わせること、敬意や一心不乱の心の表れ。恭敬:心から相手をうやうやしく敬うこと。而:〜して、前の動作を受けて次の動作へと繋ぐ接続詞。佛:仏陀、悟った人。白:目上の人に対して申し上げる、告げるという意味。言:言うこと。




けう せそん
希有 世尊
にょらい ぜんごねん しょぼさつ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

希有(けう)なり 世尊(せそん)
如来(にょらい)は 善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)したまう

この世で最も尊い方よ 本当に素晴らしいことです
如来は 菩薩たちを深く心にかけて守り
菩薩たちに(仏の教えを)よく託しておられます

希有:非常にまれなこと。この上なく素晴らしく尊いことをたたえる言葉。世尊:仏の尊称。世に最も尊ばれる方という意味で、ここでは釈迦を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に。完全に行われていることを表す。護念:慈しみをもって心にかけ、見守り守護すること。諸:多くの、さまざまな。菩薩:悟りを求め、自ら修行するとともに人々を救おうとする修行者。付囑:大切な教えや使命を託し、任せること。付:授ける、託すこと。囑:頼む、任せること。




せそん
世尊
ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子善女人
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心

世尊(せそん)よ
善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の
心(しん)を発(ほっ)するに

この世で最も尊い方よ
仏道を求める男女が
至上なる正しい悟りを
求める
心を起こしたときには

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。発:起こす 生じさせるの意 発心(ほっしん)で一つの熟語となり悟りを求める心を起こすことを指す、熟語の一部のため心は音読みでしんと読む。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttara-samyak-sambodhi の音写、この上ない正しく完全な悟りの意。心:ここでは悟りを求めようとする心、菩提心のこと。




うんが おうぢゅう
云何 應住
うんが ごうぶく ごしん
云何 降伏 其心

云何(いか)んが応(まさ)に住(じゅう)すべき
云何(いか)んが其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべき

どのようにその境地にとどまり生活すべきでしょうか また
どのようにその迷いの心を従わせ静めればよいのでしょうか

云何:いかん、どのようにの意、疑問を表す語。応住:まさにどのように住すべきかの意、日々の生活や心の置き方を問う語。降伏:心の乱れや煩悩を制し鎮めること。其心:その心 発心した者自身の心を指す、熟語ではなく普通の言い回しなので訓読みでこころと読む。




ぶつごん
佛言
ぜんざい ぜんざい しゅぼだい
善哉 善哉 須菩提

仏(ほとけ)言(のたま)わく
善(よ)いかな 善(よ)いかな
須菩提(しゅぼだい)よ

仏は 次のように仰られた
まことに まことに(素晴らしいことだ)
須菩提よ

佛:仏、真理を悟った者、ここではお釈迦さまのこと。言:言葉を発して告げること。善哉:素晴らしい、実によいことだという感嘆や賛嘆を表す言葉。須菩提:お釈迦さまの十大弟子の一人、空の理解に最も秀でた解空第一と称される長老。




にょ にょしょせつ
如 汝所説
にょらい ぜんごねん しょぼさっ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

如(なんじ)の説(と)く所(ところ)の如(ごと)く
如来(にょらい)は善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)す

あなたの言うとおり
如来は よくよく菩薩たちを心にかけ 護(まも)り
よくよく菩薩たちに(仏の教え)託している

如:~のように、そのとおりに。汝:あなた、おまえ。ここでは須菩提を指す。所説:説いた内容、述べたこと。所:ところ、内容を表す語。説:説く、述べること。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に、すぐれて。護念:慈しみをもって心にかけ、護ること。諸:多くの、もろもろの。菩薩:悟りを求め、自他ともに救おうと修行する者、〈梵〉Bodhisattva。付囑:教えや使命を託し、受け継がせること。




にょこん たいちょう
汝今 諦聽
とう いにょせつ
當 爲汝説

汝(なんじ) 今(いま) 諦(あきら)かに聴(き)け
当(まさ)に汝(なんじ)が為(ため)に説(と)くべし

そなた 今こそ 心して聴くがよい
そなたのために説くこととしよう

汝:あなた、おまえ。今:今、この時。諦:つまびらかにする、よく確かめること。ここでは「十分に注意して」の意を表す。聽:聞く、耳を傾けること。當:まさに、これから当然そうすることを表す。爲:~のために。汝:あなた、おまえ。説:説く、教えを述べること。




ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子 善女人 發
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心
おう にょぜぢゅう
應 如是住
にょぜ ごうぶく ごしん
如是 降伏 其心

善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(しん)を発(ほっ)せば
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く住(じゅう)し
是(か)くの如(ごと)く其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

仏道を求める男女が
この上ない正しい悟りを求める心を起こしたならば
このように 日々を過ごすべきであると
このように その心を調えるべきであると

語句の説明 善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。發:起こす、生じさせること。阿耨多羅:〈梵〉Anuttara、この上ない、無上の。三藐:〈梵〉Samyak、正しい、完全な。三菩提:〈梵〉Saṃbodhi、完全な悟り。心:心、志、悟りを求める願い。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。其:その、それ。住:とどまる、安住すること、心を落ち着かせて日々の生活を送り行動すること。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其心:その心。




ゆいねん せそん
唯然 世尊
がんぎょう よくもん
願樂 欲聞

唯(い)い 然(しか)り 世尊よ
願(ねが)わくは楽(ねが)い欲(ほっ)して聞(き)かん

はい この世で最も尊い方よ
心からお聞きしたいと願っております

唯然:はい その通りです、目上の人の言葉に同意して素直に応答する返事の言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。願:心からねがうこと、希望すること。楽:ねがう、よろこんで〜したいと思う、サンスクリット語の「切に望む」というニュアンスを含む。欲:〜したいと強く思うこと。聞:教えを耳にして深く理解し受け入れること。








だいじょうしょうしゅうぶん だいさん 

大乗正宗分 第三


大乗(だいじょう正宗 (しょうしゅう) 分(ぶん) 第三(だいさん)

大乗の正しい教えについて説く章

大乗:すべての人々の救いと悟りを目指す仏教の教え。正宗:経典の中心となる正しい教え、主要な教義。分:章、区分。第三:第三の章。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者、ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




しょぼさっ まかさっ
諸菩薩 摩訶薩
おう にょぜ ごうぶく ごしん
應 如是 降伏 其心

諸菩薩(しょぼさつ) 摩訶薩(まかさつ)は
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く
其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

諸々の菩薩たち 摩訶薩たちは
まさに このように
その心を調えるべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
摩訶薩:〈梵〉mahasattva の音写 偉大な菩薩 優れた修行者。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其:その。心:心、志。




しょう いっさい しゅじょう しるい
所有 一切 衆生 之類

所有(あらゆ)る一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)の類(たぐい)

あらゆる一切の生きとし生けるものすべて

所有:あらゆる、すべての。一切:すべて、残らず。所有一切:あらゆるすべて。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では輪廻するあらゆる生きものを指す。之:~の、これ。類:たぐい、種類。




にゃくらんしょう にゃくたいしょう
若卵生 若胎生
にゃくしっしょう にゃくけしょう
若濕生 若化生

若(も)しくは卵生(らんしょう)
若(も)しくは胎生(たいしょう)
若(も)しくは濕生(しっしょう)
若(も)しくは化生(けしょう)

もしくは卵から生まれたものでも
もしくは母胎から生まれたものでも
もしくは湿り気から生まれたものでも
もしくは変化によって生まれたものでも

若:もしくは、あるいは。卵生:卵から生まれる生きもの。胎生:母胎の中で育ち、生まれる生きもの。濕生:湿り気や水分のある環境から生まれると考えられた生きもの。化生:親や卵によらず、変化によってただちに生まれるもの。天人や地獄の衆生などがこれに含まれるとされる。※四生: 仏語、生物をその生まれ方から四種に分類したもの、胎生・卵生・湿生・化生。




にゃくうしき にゃくむしき
若有色 若無色

若(も)しくは有色(うしき)
若(も)しくは無色(むしき)

もしくは形あるものでも
もしくは形のないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。色:ここでは物質的な身体や形を表す。無:ない、持たないこと。




にゃくうそう にゃくむそう
若有想 若無想


若(も)しくは有想(うそう)
若(も)しくは無想(むそう)

もしくは認識するはたらきがあるものでも
もしくは認識するはたらきがないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




にゃくひうそう にゃくひむそう
若非有想 若非無想

若(も)しくは非有想(ひうそう)
若(も)しくは非無想(ひむそう)

もしくは認識するはたらきがある ともいえないものでも
もしくは認識するはたらきがない ともいえないものでも

若:もしくは、あるいは。非:~ではない、単純には当てはまらないこと。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




がかい りょうにゅう むよねはん
我皆 令入 無餘涅槃
に めつど し
而 滅度 之

我(われ)は皆(みな)を 無餘涅槃(むよねはん)に入(い)れ
而(しか)して 之(これ)を滅度(めつど)せしむ

私はそれらすべてのものを 無余涅槃に導き
その上で これらを永遠の平安の境地へ至らせる

我:私、ここでは修行者自身や救おうと決意する主体のこと。皆:すべて、余すところなく。令:〜させる、使役や意志を表す言葉。入:入らせる、そこへ導き入れること。無餘涅槃:煩悩や執着が完全に尽きた究極の涅槃。余すところのない完全な安らぎの境地。而:そして、そのうえで。滅度:〈梵〉nirvāṇaの訳、音訳は涅槃、煩悩や苦しみを滅し尽くし 迷いの世界を渡り終えること。之:これ、それ、ここでは前述の一切衆生を指す。




にょぜ めつど
如是 滅度
むりょう むしゅ むへん しゅじょう
無量 無數
 無邊 衆生

是(か)くの如(ごと)く 
無量(むりょう)無数(むしゅ)無辺(むへん)の衆生(しゅじょう)を
滅度(めつど)せしめども・・・

このように
量れないほど 数え切れないほど 限りないほど多くの
生きとし生けるものを
永遠の平安の境地へ至らせたとしても・・・

如是:このように、このような方法で。無量:量ることのできないほど多いこと。無數:数え切れないほど多いこと。無邊:限りがないこと、果てしなく広いこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu、命あるすべてのもの、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。




じつむ しゅじょう とく めつどしゃ
實無 衆生 得 滅度者

がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

実(じつ)に 衆生(しゅじょう)の滅度(めつど)を得(う)る者 無(な)し
何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)にか 須菩提(しゅぼだい)よ

実際には 生きとし生けるものであって
永遠の平安の境地へ導かれたものは 一人もいない
なぜかというと 須菩提よ

實無:実際には全くないこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。得:得る、到達する。滅度者:滅度した者、永遠の平安の境地へ至った者。何以故:なぜならば、どうしてかというと。須菩提:釈尊の十大弟子の一人。智慧に優れ、「空」の理解に最も秀でた弟子として知られる。




にゃく ぼさっ う
若 菩薩 有
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相

若(も)し 菩薩(ぼさつ)に
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう)
 有(あ)らば

もし 菩薩に
自分という実体があるという見方
他者という実体があるという見方
生きとし生けるものという実体があるという見方
生き続ける主体や永続する自己という実体があるという見方
があるなら

若:もし、仮に。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
有:ある、持つ、存在する。ここでは「そのような見方を持つ」の意。我相:自分という固定的な実体(自我)があると執着する見方。人相:他者という固定した実体があると執着する見方。衆生相:生きとし生けるものという固定した実体があると執着する見方。壽者相:生き続ける主体や永続する自己(〈梵〉jīva)という固定した実体があると執着する見方。




そく ひぼさっ
即 非菩薩

即(すなわ)ち 菩薩(ぼさつ)に 非(あら)ざればなり

もはや 菩薩ではないからだ

即:すなわち、それゆえに。非:~ではない。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。








みょうぎょうむじゅうぶん だいし 

妙行無住分 第四


妙行無住分(みょうぎょうむじゅうぶん) 第四(だいし)

とらわれることなく行う優れた実践を説く章 第四

妙行:巧みで優れた実践や行い 執着を離れた清らかな行いを指す。無住:とらわれのないこと 何ものにも心をとどめずこだわらないことを指す。分:ぶん 経典を内容ごとに分けた章立ての単位。




ぶじ しゅぼだい
復次 須菩提

復(ま)た次(つぎ)に 須菩提(しゅぼだい)よ
ところで また 須菩提よ

復次:再び話題を進める時や、新しい内容を説き始める時に用いる語。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称えられる。





ぼさつ おほう
菩薩 於法
おう むしょじゅう ぎょうお ふせ
應 無所住 行於 布施

菩薩(ぼさつ)は 法(ほう)に於(お)いて
応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)なくして
布施(ふせ)を行(ぎょう)ずべし

菩薩は 何ものにも
とらわれることなく 施しを行うべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながらすべての人々を救おうとする修行者。於:〜において、〜に。法:〈梵〉dharma。教え、事物、現象など広い意味を持つ語。ここでは執着の対象となるあらゆるものを指す。応:まさに〜すべし、当然〜すべきである。無所住:執着してとどまる場所がないこと、何ものにもとらわれないこと。行:行う、実践する。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




しょい  ふぢゅう しき ふせ
所謂 不住 色 布施

所謂(いわゆ)る 色(しき)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)し

具体的には 形に
とらわれることなく 施しをすべきである

所謂:説明を具体化する接続詞。漢文では「ここで言うところの」「その内容とは」を意味し、現代語訳では「具体的には」と表す。不住:執着してとどまらないこと、とらわれないこと。色:〈梵〉rūpa、目に見える姿や形、物質的な存在。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




ふぢゅう しょうこうみそくほう ふせ
不住 聲香味觸法 布施


色(しき) 聲(しょう) 香(こう) 味(み) 觸(そく) 法(ほう)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)するなり

声や香りや味や触れられるもの 心の対象に
とらわれることなく 施しをすべきである

声:耳で聞く音、音声。香:鼻で嗅ぐ香り、におい。味:舌で味わう味覚。触:身体で触れる触感、肌触り。法:〈梵〉dharma、仏教の真理や教え、あるいは認識の対象となるすべての事象やモノ。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




ぼさっ おうにょぜ ふせ
菩薩 應如是 布施
ふぢゅう おそう
不住 於相

菩薩(ぼさつ)は まさに 是(か)くの如(ごと)く 布施(ふせ)し
相(そう)に於(お)いて 住(じゅう)せざるべし

菩薩は このように布施を行い
固定した見方にとらわれてはならない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。應:まさに~すべきである。当然そうあるべきことを示す語。如是:このように。前に説かれた教えのとおりにという意味。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。不住:何ものにも執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語 ここでは固定した実体があるという見方や あらゆる執着の対象を指す。※三輪 清浄(さんりん しょうじょう)の理:布施が行われる際は与える者・受ける者・布施される者の三者(三輪)いづれもがあらゆる執着を離れて行うべきである という布施の心構え、三輪空寂三輪体空三事皆空。




がいこ
何以故


何以(なにをもっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なぜならば、どういう理由によるのかを示す語。





にゃく ぼさつ ふぢゅうそう ふせ
若 菩薩 不住相 布施

若(も)し菩薩(ぼさつ)
相(そう)に住(じゅう)せずして布施(ふせ)せば

もし菩薩が
固定した見方にとらわれることなく 施しをするなら

若:もし、仮定を表す語。菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。不住:執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語、ここでは固定した実体があるという見方や 執着の対象を指す。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。




ごふくとく ふかしりょう
其福徳 不可思量

其(そ)の福徳(ふくとく)は
思量(しりょう)すべからざればなり

その福徳は
計り知ることができないほど大きいからだ

其:その、それ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福のもと。不可:できない、不可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい)よ
意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に
須菩提よ あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。意:心、考え、判断。於意:どう思うか、あなたの考えではという問いかけ。云何:どうであるか、どのように思うかと問いかける語。




とうぼう こくう かしりょう ふ
東方 虚空 可思量 不


東方(とうほう)の 虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 不(いな)や

東の方角の 果てしなく広がる空は
計り知ることができるだろうか

東方:東の方角。虚空:空間、大空、果てしなく広がる空。可:できる、可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。不:否定を表す語。ここでは「~ではないか」と問いかける語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不(いな)なり 世尊(せそん)よ

いいえ この世で最も尊い方よ

不也:いいえ、そのようなことはありませんという否定の返答。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提


須菩提よ

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




なんざい ほつぽう しゆい じょうげ こくう
南西 北方 四維
上下 虚空
かしりょう ふ
可思量 不

南(なん)西(ざい)北(ほっ)方(ぽう)四維(しい)
上下(じょうげ)の虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 否(いな)や

南や西や北や 東西南北の中間にある四つの方角
上や下の 果てしなく広がる空の広さは
計り知ることが出来るだろうか

南西北方:南と西と北の方角。四維:東西南北の中間にある四つの方角(北東・南東・南西・北西)。上下:上方と下方。仏教では空間のすべての方向を表す。虚空:果てしなく広がる空。仏教では限りなく広大で境界のない空間のたとえとして用いられる。思量:考えによって推し量ること。ここでは大きさや広さを計り知ること。




ほっちゃ せそん
不也 世尊


不也(いな)なり 世尊(せそん)
いいえ できません この世で最も尊い方よ

不:否定の語、〜ではない。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ むぢゅうそう ふせ ふくとく
菩薩 無住相 布施 福徳
やくぶ にょぜ ふかしりょう
亦復 如是 不可思量

菩薩(ぼさつ)の 相(そう)に住(じゅう)すること無(な)き
布施(ふせ)の 福徳(ふくとく)も
亦(また)復(ま)た 是(か)くの如(ごと)く
思量(しりょう)すべからず

菩薩が とらわれることなく 施しを行う福徳も
また同じように 計り知ることは出来ない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。無住相:相に執着しないこと、固定した見方やとらわれに住着しないこと。相:外に現れた姿や形、ここでは固定した実体があるとする見方や とらわれを指す。布施:〈梵〉dāna、見返りを求めず 他者のために施しを行うこと、仏教で最も基本的な実践の一つ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福の因となる徳。亦復:また 同じように、前に述べた内容を重ねて示す語。如是:このように、このとおり。思量:思い巡らして量ること、考えてその大きさや限りを推し量ること。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ たんおう にょしょ きょうぢゅう
菩薩 但應 如所 教住

菩薩(ぼさつ)は 但(ただ)まさに
教(おし)うる所(ところ)の如(ごと)く 住(じゅう)すべし

菩薩は ただ
教えられたとおりに 実践すべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。但應:ただまさに、ただひたすら〜すべきであることを示す語。如所:教えられたとおり、そのとおりに。教:教えること、ここでは仏の教えを指す。住:心を保ち そのあり方を実践し続けること。








にょりじつけんぶん だいご

如理実見分 第五

如理(にょり)実見(じっけん)分(ぶん) 第五(だいご)

真理を正しく見ることを説く章 第五

如理:真理にかなうこと、理(ことわり)のままであること。実見:うそ偽りのない真実の姿を見抜くこと、正しく認識すること。分:文章の区切り、章、節。第五:五番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい)よ 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ あなたは心の中でどう思うか

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で 解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現 相手に考えや判断を問いかける際に用いられる。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。仏典では相手の理解を確かめるための定型表現として頻繁に用いられる。




かい しんそう けんにょらい ふ
可以 身相 見如來 不


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)るべきや 否(いな)や

身体的な特徴によって
如来を見るべきだろうか

可:〜してよいか 〜すべきかという可能・許可・適否を問う助字。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す前置詞。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。見:見る 認識する 見極めるという意味。ここでは如来を外見によって判断することをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不也(いな)なり 世尊(せそん)よ

いいえ この世で最も尊い方よ

不:否定を表す語。〜ではないの意。也:断定や語調を整える助字。ここでは「不也」で「いいえ そうではありません」という応答を表す。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




ふか い しんそう とく けん にょらい
不可 以 身相 得 見 如來


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)る事(こと)を得(う)べからず

身体的な特徴によって
如来を見てはならない

不可:〜してはならない 〜することはできないという禁止や不可能を表す語。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。得:〜できる〜し得る という可能を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味。ここでは如来を身体的な特徴によって捉えることをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何:何か なぜかを表す疑問詞。ここでは理由を問う「なぜ」の意味で用いられる。以:〜をもって 〜によってという意味を表す語。ここでは「何をもって」の形で理由や根拠を導く。故:理由 わけ 原因を意味する語。




にょらい しょせつ しんそう
如來 所説 身相
そく ひしんそう
即 非身相

如来(にょらい)の説(と)きたまえる所(ところ)の身相(しんそう)は
即(すなわ)ち 身相(しんそう)に非(あら)ざればなり

如来が説かれた身体的な特徴は
身体的な特徴ではないからです

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。所説:説かれたこと 教えられた内容を意味する語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。即:すなわち そのまま ただちにという意味を表す語。ここでは前後の内容を結びつける働きをする。非:〜ではないと否定する語。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提


仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に 告(つ)げたまわく

仏は須菩提に告げられた

仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。告: 告げる、語りかける、教えを説くという意味。ここでは相手に向かって話しかけることを表す。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で、解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。




ぼんしょ うそう かいぜ こもう
凡所 有相 皆是 虚妄

凡(およ)そ 有相(うそう)は
皆(みな)是(こ)れ 虚妄(こもう)なり

およそ 形あるものは
すべて虚妄である

凡: およそ すべて 一般にという意味を表す語。所: 〜するところの 〜であるものを表す語。ここでは「有相」と結び付き「相あるもの」を意味する。有相: 形や特徴を備えたもの 外見や性質によって捉えられるものをいう。皆: すべて ことごとくという意味。是: これ このようであるという断定を表す語。虚妄:〈梵〉mṛṣāの訳。実体のないものを実体があるかのように思い込む誤った認識・見方。




にゃくけん しょそう ひそう
若見 諸相 非相
そく けんにょらい
即 見如來

若(も)し 諸相(しょそう)は 相(そう)に非(あら)ずと見(み)るときは
即(すなわ)ち 如来(にょらい)を見(み)る

もし あらゆる姿や形あるものが 姿や形ではないと見るときは
すなわち 如来を見る

若:もし ある条件を示す仮定を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味、文脈によっては真実を見極める意も表す。諸:さまざまな あらゆる すべてのという意味を表す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñāなどに対応する漢訳。姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語。文脈によって身体的特徴 対象の現れ 心が抱く固定的な見方など異なる意味で用いられる。非:〜ではないと否定する語。即:前の内容を受けて その結果そうなることを表す語。文脈により「すなわち」「そのとき」「ただちに」などと訳す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。








しょうしんけうぶん だいろく

正信稀有分 第六

正信(しょうしん)稀有(けう)分(ぶん) 第六(だいろく)

正しい信心を持つことは 稀であることを説く章 第六

正信:偽りのない正しい信心、真理を素直に信じる心。稀有:めったにないこと、きわめて稀で尊いこと。分:文章の区切り、章、節。第六:六番目。




無得無説分 第七

無得(むとく)無説(むせつ)分(ぶん) 第七(だいしち)

得るものも説くものも無いという教えを説く章 第七

無得:悟りや真理を固定的な所有物として手に入れることはできないこと。無説:真理は言葉で完全に固定して説き表すことができないこと。分:文章の区切り、章、節。第七:七番目。






依法出生分 第八

(作成中)


一相無相分 第九

(作成中)


荘厳浄土分 第十

(作成中)


無為福勝分 第十一

(作成中)


尊重正教分 第十二

(作成中)


如法受持分 第十三

(作成中)


離相寂滅分 第十四

(作成中)


持経功徳分 第十五

(作成中)


能浄業障分 第十六

(作成中)


究竟無我分 第十七

(作成中)


一体同観分 第十八

(作成中)


法界通化分 第十九

(作成中)


離色離相分 第二十

(作成中)


非説所説分 第二十一

(作成中)


無法可得分 第二十二

(作成中)


浄心行善分 第二十三

(作成中)


福智無比分 第二十四

(作成中)


化無所化分 第二十五

(作成中)


法身非相分 第二十六

(作成中)


無断無滅分 第二十七

(作成中)


不受不貪分 第二十八

(作成中)


威儀寂静分 第二十九

(作成中)


一合理相分 第三十

(作成中)


知見不生分 第三十一

(作成中)


応化非真分 第三十二

(作成中)




明石の禅寺 大蔵院
経典 記事一覧

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金剛般若経
般若心経(大本・小本)梵語
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観音経
延命十句観音経
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大悲呪
開甘露門
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消災呪
仏頂尊勝陀羅尼
.
信心銘
証道歌
.
十牛図
坐禅儀
.
中峰和尚座右の銘
興禅大燈国師遺戒
.
白隠禅師坐禅和讃.
雲水和讃
.
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般若心経
大悲呪
昔の本堂の様子と 新本堂を再建する様子

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