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【作成中】金剛般若経 現代語訳

目次



はじめに


金剛経の概略


金剛経 現代語訳
法会因由分 第一
善現啓請分 第二
大乗正宗分 第三
妙行無住分 第四
如理実見分 第五
正信稀有分 第六
無得無説分 第七
依法出生分 第八
一相無相分 第九
荘厳浄土分  第十
無為福勝分 第十一
尊重正教分 第十二
如法受持分 第十三
離相寂滅分 第十四
持経功徳分 第十五
能浄業障分 第十六
究竟無我分 第十七
一体同観分 第十八
法界通化分 第十九(作成中)
離色離相分 第二十(作成中)
非説所説分 第二十一(作成中)
無法可得分 第二十二(作成中)
浄心行善分 第二十三(作成中)
福智無比分 第二十四(作成中)
化無所化分 第二十五(作成中)
法身非相分 第二十六(作成中)
無断無滅分 第二十七(作成中)
不受不貪分 第二十八(作成中)
威儀寂静分 第二十九(作成中)
一合理相分 第三十(作成中)
知見不生分 第三十一(作成中)
応化非真分 第三十二(作成中)


経典 記事一覧





はじめに


現代語訳の公開にあたって

この度 光栄にも明石の禅寺 大蔵院様のご厚意を賜り
私が翻訳いたしました『金剛般若経』の現代語訳を
掲載させていただくこととなりました

私は 大蔵院様に深くご縁をいただいております
一人の在家信者(優婆塞)にすぎません

仏道の本質を重んじ 未熟な私の熱意と試みを温かく受け入れ
貴重な発表の場を提供してくださいました大蔵院の住職様には
深く心より御礼申し上げます

本訳は
かつて お経に関心はあるけど
何から手を付ければよいのか
全く分からずに 迷いの中にいた
昔の私自身の手助けとなるよう・・・
との思いから作成したものです

専門的な知識がなくても
お釈迦様と須菩提長老の温かい心の交流や
金剛経の奥深い教えが真っ直ぐ届くよう
一字一字に真心を込めて現代語に訳しました

なお 掲載にあたっては
住職様より多大なるご寛恕をいただいておりますが
翻訳における言葉の解釈や表現の全責任は
すべて訳者である私個人に帰するものであり
お寺様や特定の宗派としての公式な見解を
示すものではございません

お経の翻訳には
立場や視点によって
非常に多くの解釈が成立します

そのため 本訳はあくまで
一つの味わい方 一つの解釈の形として
提示させていただいているものであることを
何卒ご了承いただけますと幸いです

この現代語訳が
皆様と 仏法との尊い出会いの一助となれば
これに勝る喜びはありません

訳者(大蔵院にご縁がある在家信者)




金剛経の概略


金剛般若波羅蜜経の
サンスクリットの原本のタイトル(表題)は
  Vajra cchedikā
ヴァジュラッチェーディカー
prajñāpāramitā
プラジュニャーパーラミター
Sūtra
スートラ
です

Vajraは
稲妻(雷)、金剛、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器
古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つ
すべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」を原義とする
物質の中で最も硬く 決して傷つかない究極の強さ
「ダイヤモンドのように硬く、雷のように強力に切り裂く」
という二重の意味

cchedikāは
能断(能く断つ)、切断する、砕く

prajñāは
般若、道理を明らかに見抜く智慧

pāramitāは
波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成(性)

Sūtraは
経典、お釈迦様の教えを記した聖典

まとめると
インドラの雷のごとく(あらゆる迷いや執着を)砕く
究極の完成された 智慧の 経典
といった意味合いになります



これを
西域にあった亀茲国の僧 鳩摩羅什は
金剛般若波羅蜜経と漢訳しました

参照までに
他の漢訳タイトルを並べます

菩提流支(北魏を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

真諦(南朝梁を訪れたインド僧)訳
金剛般若波羅蜜経

達磨笈多(唐を訪れたインド僧善無畏の師)訳
金剛能断般若波羅蜜経

玄奘(陸路でインドを訪れた唐の僧)訳
能断金剛般若波羅蜜多経(初回)
大般若波羅蜜多経(二回目)

義浄(海路でインドを訪れた唐の僧)訳
仏説能断金剛般若波羅蜜多経



金剛般若波羅蜜経は
金剛般若経・金剛般若・金剛経
また経の長さから 三百頌般若経
などと呼ばれます

『金剛経』成立と展開の歴史年表


大乗仏教が起こってから
漢訳金剛経が出来るまでの
年表は以下の通りです


■紀元前1世紀〜紀元後1〜2世紀頃
大乗仏教および『般若経』の発生

インドで
「出家者だけでなく すべての人の救済」を目指す
大乗仏教運動が始まり
その初期聖典として『般若経』の編纂が進む



■紀元後2〜4世紀頃
『金剛経』の原典成立

『般若経』のエッセンスを凝縮した独立経典として
インドで『金剛経』のサンスクリット原典が成立したと推定される



■344年
鳩摩羅什(くまらじゅう)誕生

亀茲国(クチャ)に生まれる(〜413年没)
後に中国へ仏教を伝える天才訳経僧となる



■384年頃
鳩摩羅什、中国(涼州)へ到着

前秦の将軍・呂光により涼州へ連行され、約17年間滞在
この間に高度な中国語の素養を身につける



■401〜402年頃
鳩摩羅什による『金剛経』の漢訳

都の長安にて『金剛般若波羅蜜経』を翻訳
現在最も読まれている名訳が誕生
当時は区切りのない1本の長い文章であった



■501年
昭明太子(蕭統)誕生

南朝・梁(りょう)の初代皇帝・武帝の
長男として生まれる(〜531年没)



■520年頃
(後世の伝承)
達磨大師と
梁(りょう)の初代皇帝・武帝の対話

禅宗の伝承(普通元年)において
達磨が武帝の執着を
「無功徳」と一蹴したとされる有名な問答
歴史的な渡来時期には諸説あるが
禅の本質を示す



■525年頃
(後世の伝承)
昭明太子による「32章立て」の完成

鳩摩羅什の訳を
一般の人にも分かりやすくするため全32章に分類
すべての章に個別のタイトルを命名したと伝えられる
(第1章が「法会因由分第一」)



禅寺 大蔵院の写真
禅寺 大蔵院


金剛 般若波羅蜜経 現代語訳



1.ひらがな(臨済宗の読み方)
2.漢文(白文)
3.書き下し文
4.現代語
5.語句
という順番で 記しています




こんごう はらみつきょう

金剛 般若波羅蜜経

金剛(こんごう)般若(はんにゃ)波羅蜜(はらみつ)経(きょう)

(すべてを打ち砕く)インドラの雷で 迷いを打ち砕く
究極の完成された智慧の 経典

金剛:古代インド神話の最強の英雄神・インドラ(帝釈天)が放つすべての敵を打ち滅ぼす「雷(いかづち)」が原義、ダイヤモンド、最剛、堅固、最強の武器、。般若:道理を明らかに見抜く智慧。波羅蜜:波羅蜜多、涅槃の境地に達すること、完成。経:経典、聖典。




姚秦 三蔵法師 鳩摩羅什訳

姚秦(えうしん)三蔵法師(さんぞうほうし)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳(やく)

姚秦(後秦)の時代に 三蔵法師と称された鳩摩羅什が漢訳した

姚秦: 4〜5世紀、羌族の姚萇が建てた中国北方の王朝。三蔵法師:経・律・論の三蔵すべてに精通した高僧に贈られる尊称。鳩摩羅什: 〈梵〉Kumārajīva、亀茲国出身の訳経僧(父はインド系、母は亀玆国王の妹)、法華経などを美しい漢文に訳す。訳:翻訳のこと。








ほうえいんゆぶん だいいいち

法会因由分 第一

法会(ほうえ)因由(いんゆ)分(ぶん)
第一(だいいち)

法会が開かれるまでのいきさつについての章
第一

法会:仏が教えを説くための集会、説法の場。因由:起こった理由・いきさつ・由縁・背景。分:章・節・部分。第一:一番目。




にょぜ がもん
如是 我聞

是(か)くの如(ごと)く 我(わ)れ聞(き)けり

私はこのように聞いた

如是:このように、以下に述べる内容が事実として伝え聞いたものであることを示す定型句。我:私、経典を編纂した結集の代表者(阿難)のこと。聞:耳に受けて聞いた、お釈迦様から直接教えを拝聴したという意味。




いちじ ぶつざい しゃえこく
一時 佛在 舍衞國
ぎじゅぎっ こどくおん
祇樹給 孤獨園
よ だいびくしゅ
與 大比丘衆
せんにひゃくごじうにん ぐ
千二百五十人 倶

一時(いちじ) 仏(ほとけ)は
舎衛国(しゃえこく)の祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)に
大比丘衆(だいびくしゅ) 千二百五十人と
倶(とも)に 在(いま)したり

ある時 仏(お釈迦様)は
コーサラ国の都シュラーバスティー(舎衛国)にある
ジェータ王子の園林で
長者が寄進した 孤独な人に食事を提供する園(祇樹給孤独園)に
 1250人もの修行僧の大集団と共に滞在されていた

一時:ある時 釈迦がこの法を説いた時を表す。仏:悟りを開いた者 ここではお釈迦様を指す。在:滞在する そこにいることを表す。舍衞國:古代インド コーサラ国の都であるシュラーバスティーを漢字で音写した地名。祇樹給孤獨園:祇陀太子の林と 給孤独長者が寄進した園から成る寺院 釈迦が多くの経を説いた場所として知られる。祇樹:祇陀太子から寄進された林。給孤獨:孤独な人や貧しい人に食事や援助を施した長者の称号。園:庭園 修行や説法の場となった寺院の敷地。與:ともに 共にすることを表す。大:大勢、人数が多いこと。比丘:出家して戒律を受けた男性の修行者、僧。衆:多くの人々 集団。千二百五十人:釈迦に常に随従していた比丘たちの人数として、多くの経典に繰り返し現れる定型的な数字。倶:ともに 一緒に。






にじ せそん じきじ ぢゃくえ ぢはつ
爾時 世尊 食時 著衣 持鉢
にゅう しゃえいだいじょう こつじき
入 舍衞大城 乞食
お ごじょうちゅう しだい こっち
於 其城中 次第 乞已

その時(とき) 世尊(せそん)は 食時(じきじ)に 衣(ころも)を著(つ)け 鉢(はつ)を持(じ)し
舎衛(しゃえい)の大城(だいじょう)に入りて 食(じき)を乞(こ)う
その城中(じょうちゅう)において 次第(しだい)に乞(こ)い已(おわ)り

その時 世尊は 朝のうちに 衣をまとい 鉢を持ち
シュラーバスティーの大市街に入り 食糧を乞い歩かれた
その市街の中において 街中で順に食を乞い 托鉢を終えられ・・・

爾時:その時、その折。世尊:仏の尊称。「世に最も尊ばれる方」という意味で、サンスクリット原典では Bhagavān に当たる。食時:食事の時。出家者が托鉢に出る朝の時間帯を指す。著衣:衣を身に着けること。出家者としての袈裟や法衣を着ることをいう。著:身に着ける、着用すること。衣:衣服。ここでは出家者の法衣を指す。持鉢:鉢を持つこと。托鉢に用いる食器を携えることをいう。持:手に持つ、携えること。鉢:食物を受けるための器。出家者が托鉢に用いる鉢。入:入る、中へ進むこと。舍衞:古代インドの都市シュラーバスティーの漢訳名。大城:大きな城郭都市。人口の多い主要な都市を指す。乞食:食物の施しを受けるために托鉢すること。生活のためではなく修行として行われた。乞:請い求めること。食:食物、食事。於:場所や対象を示す語。ここでは「〜において」の意味。其:その、その場所を指す語。城中:城郭都市の中、市街地の中。次第:順序に従って。一軒ずつ順番に行うこと。已:終わる、済むこと。ここでは托鉢を終えたことを表す。




げんし ほんじょ ぼんじき こっ
還至 本處 飯食 訖
しゅう えはつ せんぞく い
收 衣鉢 洗足 已
ふざ にざ
敷座 而坐

本処(ほんじょ)に還(かえ)り至(いた)り 飯食(ぼんじき)し訖(お)え
衣鉢(えはつ)を収(おさ)め 足(あし)を洗(あら)い已(お)わり
 座(ざ)を敷(し)きて 坐(ざ)したまえり

元いた場所へ帰られると 食事をすませ
鉢と衣を片付け 足を洗い
座を敷いて坐られた

還至:帰り至ること。本来いた場所へ戻ること。本處:もとの場所。本来の居所や滞在先を指す。飯食:食事をすること。訖:終える、完了すること。收:収める、片付けること。衣鉢:衣と鉢。出家者が常に携える法衣と托鉢用の鉢。洗足:足を洗うこと。当時のインドでは屋外を歩いた後の習わしでもあった。已:終わる、済むこと。敷座:座を敷くこと。坐るための敷物を整えること。座:座席、坐る場所。而:そして、その後に。前後の動作をつなぐ語。坐:坐ること。









ぜんげんけいしょうぶん だいに

善現啓請分 第二


善現(ぜんげん)啓請(けいせい)の分(ぶん)
第二(だいに)

須菩提が教えを請い願う章
第二

善現:須菩提(しゅぼだい)のこと、釈迦の十大弟子の一人、善現・空生などと訳す。啓請:教えを請い願うこと、質問を申し上げること。分:章、品。第二:二番目。




 じ ちょうろう しゅぼだい
時 長老 須菩提
ざい だいしゅちゅう
在 大衆中

時(とき)に 長老(ちょうろう)須菩提(しゅぼだい)は
大衆(だいしゅう)の中(なか)に在(あ)り

ちょうどその時 長老である須菩提(しゅぼだい)もまた
大勢の修行僧たちの中にいた

時:その時、その折を表す語。長老:徳と修行を積み、教団の中で敬われた年長の比丘への敬称。須菩提:サンスクリット名はスブーティ(Subhūti)、争うことがなかったところから無諍第一、空の理解の深かったことから解空第一と称された。在:いる、その場に居合わせること。大衆:多くの比丘や修行者の集まり。この場では法会に集った比丘僧団を指す。中:中、集まりの中。




そくじゅうざき へんだんうけん
即從座起 偏袒右肩
うしつぢゃくぢ がっしょうくぎょう
右膝著地  合掌恭敬
 にびゃくぶつごん
而白佛言

即(すなわ)ち座(ざ)より起(た)ち
ひとえに右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ
右(みぎ)の膝(ひざ)を地(ち)に著(つ)け
合掌(がっしょう)・恭敬(くぎょう)して
而(しか)して仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

すると すかさず 須菩提長老は座から立ち上がり
上衣を片方の肩に掛けて右肩をあらわにし
右の膝を地面につけ 手を合わせ うやうやしく礼拝し
それから 悟られた方(お釈迦様)に謹んで申し上げ こう言葉を発した

即:そこで、そのまま次の動作に移る様子を表す接続詞。從座起:自分が座っていた席から立ち上がること。偏袒右肩:インドの最高敬礼法の一つで、上衣を左肩に掛け右肩を露出すること。右膝著地:右の膝を地面につけること、尊者に対して深い敬意を示す姿勢。合掌:両手のひらを胸の前で合わせること、敬意や一心不乱の心の表れ。恭敬:心から相手をうやうやしく敬うこと。而:〜して、前の動作を受けて次の動作へと繋ぐ接続詞。佛:仏陀、悟った人。白:目上の人に対して申し上げる、告げるという意味。言:言うこと。




けう せそん
希有 世尊
にょらい ぜんごねん しょぼさつ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

希有(けう)なり 世尊(せそん)
如来(にょらい)は 善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)したまう

世尊よ 本当に素晴らしいことです
如来は 菩薩たちを深く心にかけて守り
菩薩たちに(仏の教えを)よく託しておられます

希有:非常にまれなこと。この上なく素晴らしく尊いことをたたえる言葉。世尊:仏の尊称。世に最も尊ばれる方という意味で、ここでは釈迦を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に。完全に行われていることを表す。護念:慈しみをもって心にかけ、見守り守護すること。諸:多くの、さまざまな。菩薩:悟りを求め、自ら修行するとともに人々を救おうとする修行者。付囑:大切な教えや使命を託し、任せること。付:授ける、託すこと。囑:頼む、任せること。




せそん
世尊
ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子善女人
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心

世尊(せそん)よ
善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の
心(しん)を発(ほっ)するに

世尊よ
仏道を求める男女が
至上なる正しい悟りを
求める
心を起こしたときには

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。発:起こす 生じさせるの意 発心(ほっしん)で一つの熟語となり悟りを求める心を起こすことを指す、熟語の一部のため心は音読みでしんと読む。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttara-samyak-sambodhi の音写、この上ない正しく完全な悟りの意。心:ここでは悟りを求めようとする心、菩提心のこと。




うんが おうぢゅう
云何 應住
うんが ごうぶく ごしん
云何 降伏 其心

云何(いか)んが応(まさ)に住(じゅう)すべき
云何(いか)んが其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべき

どのようにその境地にとどまり生活すべきでしょうか また
どのようにその迷いの心を従わせ静めればよいのでしょうか

云何:いかん、どのようにの意、疑問を表す語。応住:まさにどのように住すべきかの意、日々の生活や心の置き方を問う語。降伏:心の乱れや煩悩を制し鎮めること。其心:その心 発心した者自身の心を指す、熟語ではなく普通の言い回しなので訓読みでこころと読む。




ぶつごん
佛言
ぜんざい ぜんざい しゅぼだい
善哉 善哉 須菩提

仏(ほとけ)言(のたま)わく
善(よ)いかな 善(よ)いかな
須菩提(しゅぼだい)よ

仏は 次のように仰られた
まことに まことに(素晴らしいことだ)
須菩提よ

佛:仏、真理を悟った者、ここではお釈迦さまのこと。言:言葉を発して告げること。善哉:素晴らしい、実によいことだという感嘆や賛嘆を表す言葉。須菩提:お釈迦さまの十大弟子の一人、空の理解に最も秀でた解空第一と称される長老。




にょ にょしょせつ
如 汝所説
にょらい ぜんごねん しょぼさっ
如来 善護念 諸菩薩
ぜんふぞく しょぼさっ
善付囑 諸菩薩

如(なんじ)の説(と)く所(ところ)の如(ごと)く
如来(にょらい)は善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)を護念(ごねん)し
善(よ)く諸菩薩(しょぼさつ)に付囑(ふぞく)す

あなたの言うとおり
如来は よくよく菩薩たちを心にかけ 護(まも)り
よくよく菩薩たちに(仏の教え)託している

如:~のように、そのとおりに。汝:あなた、おまえ。ここでは須菩提を指す。所説:説いた内容、述べたこと。所:ところ、内容を表す語。説:説く、述べること。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。善:よく、十分に、すぐれて。護念:慈しみをもって心にかけ、護ること。諸:多くの、もろもろの。菩薩:悟りを求め、自他ともに救おうと修行する者、〈梵〉Bodhisattva。付囑:教えや使命を託し、受け継がせること。




にょこん たいちょう
汝今 諦聽
とう いにょせつ
當 爲汝説

汝(なんじ) 今(いま) 諦(あきら)かに聴(き)け
当(まさ)に汝(なんじ)が為(ため)に説(と)くべし

そなた 今こそ 心して聴くがよい
そなたのために説くこととしよう

汝:あなた、おまえ。今:今、この時。諦:つまびらかにする、よく確かめること。ここでは「十分に注意して」の意を表す。聽:聞く、耳を傾けること。當:まさに、これから当然そうすることを表す。爲:~のために。汝:あなた、おまえ。説:説く、教えを述べること。




ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子 善女人 發
あのくたらさんみゃくさんぼだい しん
阿耨多羅三藐三菩提 心
おう にょぜぢゅう
應 如是住
にょぜ ごうぶく ごしん
如是 降伏 其心

善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(しん)を発(ほっ)せば
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く住(じゅう)し
是(か)くの如(ごと)く其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

仏道を求める男女が
この上ない正しい悟りを求める心を起こしたならば
このように 日々を過ごすべきであると
このように その心を調えるべきであると

語句の説明 善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。發:起こす、生じさせること。阿耨多羅:〈梵〉Anuttara、この上ない、無上の。三藐:〈梵〉Samyak、正しい、完全な。三菩提:〈梵〉Saṃbodhi、完全な悟り。心:心、志、悟りを求める願い。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。其:その、それ。住:とどまる、安住すること、心を落ち着かせて日々の生活を送り行動すること。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其心:その心。




ゆいねん せそん
唯然 世尊
がんぎょう よくもん
願樂 欲聞

唯(い)い 然(しか)り 世尊よ
願(ねが)わくは楽(ねが)い欲(ほっ)して聞(き)かん

はい 世尊よ
心からお聞きしたいと願っております

唯然:はい その通りです、目上の人の言葉に同意して素直に応答する返事の言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。願:心からねがうこと、希望すること。楽:ねがう、よろこんで〜したいと思う、サンスクリット語の「切に望む」というニュアンスを含む。欲:〜したいと強く思うこと。聞:教えを耳にして深く理解し受け入れること。








だいじょうしょうしゅうぶん だいさん 

大乗正宗分 第三


大乗(だいじょう正宗 (しょうしゅう) 分(ぶん)
第三(だいさん)

大乗の正しい教えについて説く章
第三

大乗:すべての人々の救いと悟りを目指す仏教の教え。正宗:経典の中心となる正しい教え、主要な教義。分:章、区分。第三:三番目。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者、ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




しょぼさっ まかさっ
諸菩薩 摩訶薩
おう にょぜ ごうぶく ごしん
應 如是 降伏 其心

諸菩薩(しょぼさつ) 摩訶薩(まかさつ)は
応(まさ)に是(か)くの如(ごと)く
其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべし

諸々の菩薩たち 摩訶薩たちは
まさに このように
その心を調えるべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
摩訶薩:〈梵〉mahasattva の音写 偉大な菩薩 優れた修行者。應:まさに~すべき、当然そうあるべきこと。如是:このように、このとおりに。降伏:心をよく調え、迷いや執着を静めること。其:その。心:心、志。




しょう いっさい しゅじょう しるい
所有 一切 衆生 之類

所有(あらゆ)る一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)の類(たぐい)

あらゆる一切の生きとし生けるものすべて

所有:あらゆる、すべての。一切:すべて、残らず。所有一切:あらゆるすべて。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では輪廻するあらゆる生きものを指す。之:~の、これ。類:たぐい、種類。




にゃくらんしょう にゃくたいしょう
若卵生 若胎生
にゃくしっしょう にゃくけしょう
若濕生 若化生

若(も)しくは卵生(らんしょう)
若(も)しくは胎生(たいしょう)
若(も)しくは濕生(しっしょう)
若(も)しくは化生(けしょう)

もしくは卵から生まれたものでも
もしくは母胎から生まれたものでも
もしくは湿り気から生まれたものでも
もしくは変化によって生まれたものでも

若:もしくは、あるいは。卵生:卵から生まれる生きもの。胎生:母胎の中で育ち、生まれる生きもの。濕生:湿り気や水分のある環境から生まれると考えられた生きもの。化生:親や卵によらず、変化によってただちに生まれるもの。天人や地獄の衆生などがこれに含まれるとされる。※四生: 仏語、生物をその生まれ方から四種に分類したもの、胎生・卵生・湿生・化生。




にゃくうしき にゃくむしき
若有色 若無色

若(も)しくは有色(うしき)
若(も)しくは無色(むしき)

もしくは形あるものでも
もしくは形のないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。色:ここでは物質的な身体や形を表す。無:ない、持たないこと。




にゃくうそう にゃくむそう
若有想 若無想


若(も)しくは有想(うそう)
若(も)しくは無想(むそう)

もしくは認識するはたらきがあるものでも
もしくは認識するはたらきがないものでも

若:もしくは、あるいは。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




にゃくひうそう にゃくひむそう
若非有想 若非無想

若(も)しくは非有想(ひうそう)
若(も)しくは非無想(ひむそう)

もしくは認識するはたらきがある ともいえないものでも
もしくは認識するはたらきがない ともいえないものでも

若:もしくは、あるいは。非:~ではない、単純には当てはまらないこと。有:ある、備えていること。想:表象作用、見たり聞いたりしたことを心の中で思い浮かべ、「これは何か」と認識する心のはたらき。無:ない、持たないこと。




がかい りょうにゅう むよねはん
我皆 令入 無餘涅槃
に めつど し
而 滅度 之

我(われ)は皆(みな)を 無餘涅槃(むよねはん)に入(い)れ
而(しか)して 之(これ)を滅度(めつど)せしむ

私はそれらすべてのものを 無余涅槃に導き
その上で これらを永遠の平安の境地へ至らせる

我:私、ここでは修行者自身や救おうと決意する主体のこと。皆:すべて、余すところなく。令:〜させる、使役や意志を表す言葉。入:入らせる、そこへ導き入れること。無餘涅槃:煩悩や執着が完全に尽きた究極の涅槃。余すところのない完全な安らぎの境地。而:そして、そのうえで。滅度:〈梵〉nirvāṇaの訳、音訳は涅槃、煩悩や苦しみを滅し尽くし 迷いの世界を渡り終えること。之:これ、それ、ここでは前述の一切衆生を指す。




にょぜ めつど
如是 滅度
むりょう むしゅ むへん しゅじょう
無量 無數
 無邊 衆生

是(か)くの如(ごと)く 
無量(むりょう)無数(むしゅ)無辺(むへん)の衆生(しゅじょう)を
滅度(めつど)せしめども・・・

このように
量れないほど 数え切れないほど 限りないほど多くの
生きとし生けるものを
永遠の平安の境地へ至らせたとしても・・・

如是:このように、このような方法で。無量:量ることのできないほど多いこと。無數:数え切れないほど多いこと。無邊:限りがないこと、果てしなく広いこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu、命あるすべてのもの、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。




じつむ しゅじょう とく めつどしゃ
實無 衆生 得 滅度者

がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

実(じつ)に 衆生(しゅじょう)の滅度(めつど)を得(う)る者 無(な)し
何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)にか 須菩提(しゅぼだい)よ

実際には 生きとし生けるものであって
永遠の平安の境地へ導かれたものは 一人もいない
なぜかというと 須菩提よ

實無:実際には全くないこと。衆生:〈梵〉sattva・jantu。命あるすべてのもの。仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。得:得る、到達する。滅度者:滅度した者、永遠の平安の境地へ至った者。何以故:なぜならば、どうしてかというと。須菩提:釈尊の十大弟子の一人。智慧に優れ、「空」の理解に最も秀でた弟子として知られる。




にゃく ぼさっ う
若 菩薩 有
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相

若(も)し 菩薩(ぼさつ)に
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう)
 有(あ)らば

もし 菩薩に
自分という実体があるという見方
他者という実体があるという見方
生きとし生けるものという実体があるという見方
生き続ける主体や永続する自己という実体があるという見方
があるなら

若:もし、仮に。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。
有:ある、持つ、存在する。ここでは「そのような見方を持つ」の意。我相:自分という固定的な実体(自我)があると執着する見方。人相:他者という固定した実体があると執着する見方。衆生相:生きとし生けるものという固定した実体があると執着する見方。壽者相:生き続ける主体や永続する自己(〈梵〉jīva)という固定した実体があると執着する見方。




そく ひぼさっ
即 非菩薩

即(すなわ)ち 菩薩(ぼさつ)に 非(あら)ざればなり

もはや 菩薩ではないからだ

即:すなわち、それゆえに。非:~ではない。菩薩:〈梵〉bodhisattva の音写 悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。








みょうぎょうむじゅうぶん だいし 

妙行無住分 第四


妙行無住分(みょうぎょうむじゅうぶん)
第四(だいし)

とらわれることなく行う優れた実践についての章
第四

妙行:巧みで優れた実践や行い 執着を離れた清らかな行いを指す。無住:とらわれのないこと 何ものにも心をとどめずこだわらないことを指す。分:ぶん 経典を内容ごとに分けた章立ての単位。第四:四番目の意。




ぶじ しゅぼだい
復次 須菩提

復(ま)た次(つぎ)に 須菩提(しゅぼだい)よ
ところで また 須菩提よ

復次:再び話題を進める時や、新しい内容を説き始める時に用いる語。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称えられる。





ぼさつ おほう
菩薩 於法
おう むしょじゅう ぎょうお ふせ
應 無所住 行於 布施

菩薩(ぼさつ)は 法(ほう)に於(お)いて
応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)なくして
布施(ふせ)を行(ぎょう)ずべし

菩薩は 何ものにも
とらわれることなく 施しを行うべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながらすべての人々を救おうとする修行者。於:〜において、〜に。法:〈梵〉dharma。教え、事物、現象など広い意味を持つ語。ここでは執着の対象となるあらゆるものを指す。応:まさに〜すべし、当然〜すべきである。無所住:執着してとどまる場所がないこと、何ものにもとらわれないこと。行:行う、実践する。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




しょい  ふぢゅう しき ふせ
所謂 不住 色 布施

所謂(いわゆ)る 色(しき)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)し

具体的には 形に
とらわれることなく 施しをすべきである

所謂:説明を具体化する接続詞。漢文では「ここで言うところの」「その内容とは」を意味し、現代語訳では「具体的には」と表す。不住:執着してとどまらないこと、とらわれないこと。色:〈梵〉rūpa、目に見える姿や形、物質的な存在。布施:〈梵〉dāna、他者に財物や教えを施すこと、見返りを期待せず純粋な心で与える修行。




ふぢゅう しょうこうみそくほう ふせ
不住 聲香味觸法 布施


色(しき) 聲(しょう) 香(こう) 味(み) 觸(そく) 法(ほう)に
住(じゅう)せずして 布施(ふせ)するなり

声や香りや味や触れられるもの 心の対象に
とらわれることなく 施しをすべきである

声:耳で聞く音、音声。香:鼻で嗅ぐ香り、におい。味:舌で味わう味覚。触:身体で触れる触感、肌触り。法:〈梵〉dharma、仏教の真理や教え、あるいは認識の対象となるすべての事象やモノ。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




ぼさっ おうにょぜ ふせ
菩薩 應如是 布施
ふぢゅう おそう
不住 於相

菩薩(ぼさつ)は まさに 是(か)くの如(ごと)く 布施(ふせ)し
相(そう)に於(お)いて 住(じゅう)せざるべし

菩薩は このように布施を行い
固定した見方にとらわれてはならない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。應:まさに~すべきである。当然そうあるべきことを示す語。如是:このように。前に説かれた教えのとおりにという意味。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。不住:何ものにも執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語 ここでは固定した実体があるという見方や あらゆる執着の対象を指す。
※三輪 清浄(さんりん しょうじょう)の理
布施が行われる際は与える者・受ける者・布施される者の三者(三輪)いづれもがあらゆる執着を離れて行うべきである という布施の心構え、三輪空寂・三輪体空・三事皆空




がいこ
何以故


何以(なにをもっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なぜならば、どういう理由によるのかを示す語。





にゃく ぼさつ ふぢゅうそう ふせ
若 菩薩 不住相 布施

若(も)し菩薩(ぼさつ)
相(そう)に住(じゅう)せずして布施(ふせ)せば

もし菩薩が
固定した見方にとらわれることなく 施しをするなら

若:もし、仮定を表す語。菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。不住:執着してとどまらないこと。相:姿や形 特徴を意味する語、ここでは固定した実体があるという見方や 執着の対象を指す。布施:見返りを求めずに財物や教え 思いやりなどを与える仏教の基本的な修行。




ごふくとく ふかしりょう
其福徳 不可思量

其(そ)の福徳(ふくとく)は
思量(しりょう)すべからざればなり

その福徳は
計り知ることができないほど大きいからだ

其:その、それ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福のもと。不可:できない、不可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




とうぼう こくう かしりょう ふ
東方 虚空 可思量 不


東方(とうほう)の 虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 不(いな)や

東の方角の 果てしなく広がる空は
計り知ることができるだろうか

東方:東の方角。虚空:空間、大空、果てしなく広がる空。可:できる、可能である。思量:思い巡らして計ること、推し量ること。不:否定を表す語。ここでは「~ではないか」と問いかける語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不(いな)なり 世尊(せそん)よ

いいえ 世尊よ

不也:いいえ、そのようなことはありませんという否定の返答。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提


須菩提よ

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。




なんざい ほつぽう しゆい じょうげ こくう
南西 北方 四維
上下 虚空
かしりょう ふ
可思量 不

南(なん)西(ざい)北(ほっ)方(ぽう)四維(しい)
上下(じょうげ)の虚空(こくう)は
思量(しりょう)すべきや 否(いな)や

南や西や北や 東西南北の中間にある四つの方角
上や下の 果てしなく広がる空の広さは
計り知ることが出来るだろうか

南西北方:南と西と北の方角。四維:東西南北の中間にある四つの方角(北東・南東・南西・北西)。上下:上方と下方。仏教では空間のすべての方向を表す。虚空:果てしなく広がる空。仏教では限りなく広大で境界のない空間のたとえとして用いられる。思量:考えによって推し量ること。ここでは大きさや広さを計り知ること。




ほっちゃ せそん
不也 世尊


不也(いな)なり 世尊(せそん)
いいえ できません 世尊よ

不:否定の語、〜ではない。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ むぢゅうそう ふせ ふくとく
菩薩 無住相 布施 福徳
やくぶ にょぜ ふかしりょう
亦復 如是 不可思量

菩薩(ぼさつ)の 相(そう)に住(じゅう)すること無(な)き
布施(ふせ)の 福徳(ふくとく)も
亦(また)復(ま)た 是(か)くの如(ごと)く
思量(しりょう)すべからず

菩薩が とらわれることなく 施しを行う福徳も
また同じように 計り知ることは出来ない

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。無住相:相に執着しないこと、固定した見方やとらわれに住着しないこと。相:外に現れた姿や形、ここでは固定した実体があるとする見方や とらわれを指す。布施:〈梵〉dāna、見返りを求めず 他者のために施しを行うこと、仏教で最も基本的な実践の一つ。福徳:善い行いによって得られる功徳や幸福の因となる徳。亦復:また 同じように、前に述べた内容を重ねて示す語。如是:このように、このとおり。思量:思い巡らして量ること、考えてその大きさや限りを推し量ること。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぼさっ たんおう にょしょ きょうぢゅう
菩薩 但應 如所 教住

菩薩(ぼさつ)は 但(ただ)まさに
教(おし)うる所(ところ)の如(ごと)く 住(じゅう)すべし

菩薩は ただ
教えられたとおりに 実践すべきである

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。但應:ただまさに、ただひたすら〜すべきであることを示す語。如所:教えられたとおり、そのとおりに。教:教えること、ここでは仏の教えを指す。住:心を保ち そのあり方を実践し続けること。








にょりじつけんぶん だいご

如理実見分 第五

如理(にょり)実見(じっけん)分(ぶん)
第五(だいご)

真理を正しく見ることについての章
第五

如理:真理にかなうこと、理(ことわり)のままであること。実見:うそ偽りのない真実の姿を見抜くこと、正しく認識すること。分:文章の区切り、章、節。第五:五番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




かい しんそう けんにょらい ふ
可以 身相 見如來 不


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)るべきや 否(いな)や

身体的な特徴によって
如来を見るべきだろうか

可:〜してよいか 〜すべきかという可能・許可・適否を問う助字。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す前置詞。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。見:見る 認識する 見極めるという意味。ここでは如来を外見によって判断することをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不也(いな)なり 世尊(せそん)

いいえ 世尊よ

不:否定を表す語。〜ではないの意。也:断定や語調を整える助字。ここでは「不也」で「いいえ そうではありません」という応答を表す。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




ふか い しんそう とく けん にょらい
不可 以 身相 得 見 如來


身相(しんそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)る事(こと)を得(う)べからず

身体的な特徴によって
如来を見てはならない

不可:〜してはならない 〜することはできないという禁止や不可能を表す語。以:〜によって 〜を用いてという意味を表す語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。得:〜できる〜し得る という可能を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味。ここでは如来を身体的な特徴によって捉えることをいう。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何:何か なぜかを表す疑問詞。ここでは理由を問う「なぜ」の意味で用いられる。以:〜をもって 〜によってという意味を表す語。ここでは「何をもって」の形で理由や根拠を導く。故:理由 わけ 原因を意味する語。




にょらい しょせつ しんそう
如來 所説 身相
そく ひしんそう
即 非身相

如来(にょらい)の説(と)きたまえる所(ところ)の身相(しんそう)は
即(すなわ)ち 身相(しんそう)に非(あら)ざればなり

如来が説かれた身体的な特徴は
身体的な特徴ではないからです

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。所説:説かれたこと 教えられた内容を意味する語。身相:身体に現れた姿や特徴 仏典では特に仏の優れた身体的特徴(相好)を指すことが多い。即:すなわち そのまま ただちにという意味を表す語。ここでは前後の内容を結びつける働きをする。非:〜ではないと否定する語。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提


仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に 告(つ)げたまわく

仏は須菩提に告げられた

仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。告: 告げる、語りかける、教えを説くという意味。ここでは相手に向かって話しかけることを表す。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。お釈迦様の弟子の一人で、解空第一(空の教えを最もよく理解した人物)として知られる。




ぼんしょ うそう かいぜ こもう
凡所 有相 皆是 虚妄

凡(およ)そ 有相(うそう)は
皆(みな)是(こ)れ 虚妄(こもう)なり

およそ 形あるものは
すべて虚妄である

凡: およそ すべて 一般にという意味を表す語。所: 〜するところの 〜であるものを表す語。ここでは「有相」と結び付き「相あるもの」を意味する。有相: 形や特徴を備えたもの 外見や性質によって捉えられるものをいう。皆: すべて ことごとくという意味。是: これ このようであるという断定を表す語。虚妄:〈梵〉mṛṣāの訳。実体のないものを実体があるかのように思い込む誤った認識・見方。




にゃくけん しょそう ひそう
若見 諸相 非相
そく けんにょらい
即 見如來

若(も)し 諸相(しょそう)は 相(そう)に非(あら)ずと見(み)るときは
即(すなわ)ち 如来(にょらい)を見(み)る

もし 相(あらゆる姿・あり方)を非相(固定したものではない)と見るならば
そのとき 如来を見る


若:もし ある条件を示す仮定を表す語。見:見る 認識する 理解するという意味、文脈によっては真実を見極める意も表す。諸:さまざまな あらゆる すべてのという意味を表す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñāなどに対応する漢訳。姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語。文脈によって身体的特徴 対象の現れ 心が抱く固定的な見方など異なる意味で用いられる。非:〜ではないと否定する語。即:前の内容を受けて その結果そうなることを表す語。文脈により「すなわち」「そのとき」「ただちに」などと訳す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。








しょうしんけうぶん だいろく

正信稀有分 第六

正信(しょうしん)稀有(けう)分(ぶん)
第六(だいろく)

正しい信心を持つことは 稀であることについての章
第六

正信:偽りのない正しい信心、真理を素直に信じる心。稀有:めったにないこと、きわめて稀で尊いこと。分:文章の区切り、章、節。第六:六番目。




しゅぼだい びゃくぶつごん 
須菩提 白佛言

須菩提(しゅぼだい)
仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

須菩提は
仏に申し上げた

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の十大弟子の一人で 解空第一と称された弟子。仏:〈梵〉Buddhaの音写、悟った人 智者。白:申し上げること、目上の者に対して敬意をもって述べること。




せそん
世尊
はう しゅじょう とくもん にょぜ
頗有 衆生 得聞 如是
ごんぜつ しょうく しょう じっしん ふ
言説 章句 生 實信 不

世尊(せそん)
頗(すこぶ)る衆生(しゅじょう)の有(あ)りて
是(か)くの如(ごと)き
言説(ごんぜつ)章句(しょうく)を聞(き)き得(え)て
實信(じっしん)を生(しょう)ずるや不(いな)や

世尊よ
はたして 生きとし生けるものは
このような経典の言葉を聞いて
真実の信心を
生じるでしょうか それとも生じないでしょうか

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。頗:はたして、いったい、疑問を表して問いかける語。衆生:〈梵〉sattva・jantu、命あるすべてのもの、仏教では迷いの世界で生死を繰り返すすべての存在を指す。得聞:聞くことを得ること、教えを聞く機会を得ること。如是:このように、そのような。言説章句:説かれた教えの文章や句、経典の言葉。實信:真実の信心、疑いなく正しく信じる心。生:生じること、起こすこと。不:〜であるか否かを問う語、疑問を表す。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




まくさ ぜせつ
莫作 是説

是(こ)の説(せつ)を作(な)すこと莫(なか)れ

そのようなことを言ってはならない

莫:〜してはならないことを表す禁止の語。作:なす、行う、述べること。是:この、そのような。説:言葉、意見、考え、説く内容。




にょらい めつご ご ごひゃくさい
如來 滅後 後 五百歳

如来(にょらい)の滅後(めつご)の後(のち)の
五百歳(ごひゃくさい)に

如来が入滅された後の
のちの五百年の時代にも

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。滅後:如来が入滅された後、仏がこの世を去った後。後五百歳:如来の入滅後 後の五百年の時代を指す語 仏滅後の時代を五百年ごとに区分する考え方の一つで 後の末法思想の成立にも影響を与えたとされる。




うぢかいしゅうふくしゃ おししょうく
有持戒修福者 於此章句
のうしょうしんじん いしいじつ
能生信心 以此爲實

持戒(じかい)し 修福(しゅふく)する者(もの)有(あ)りて
此(こ)の章句(しょうく)に於(お)いて
能(よ)く信心(しんじん)を生(しょう)じ
此(こ)れを以(もっ)て実(じつ)と為(な)さん

戒律を守り 善い行いを積む者がいて
この教えの言葉に触れて
信心を生じることができ
これを真実であると受け止めるであろう

有:ある、いる、存在すること。持戒:戒律を守り 正しい行いを実践すること。修福:善行を積み 福徳を養うこと。者:人、もの、事柄を指す語。ここでは「〜する人」の意味。於:〜において、〜について、〜に対しての意。此:この、これ、このことを指す語。章句:経典の文章や句。能:よく〜することができる、能力や可能を表す語。生:生じる、起こすこと。信心:仏の教えを疑いなく信じる心。以:〜をもって、〜によって、〜を用いての意。為:〜とする、〜と認めること。實:真実であること、真理であること。




とうち ぜにん ふお
當知 是人 不於
いちぶつ にぶつ さんしご ぶつ
一佛 二佛 三四五佛
にしゅ ぜんごん
而種 善根

當(まさ)に知(し)るべし 是(こ)の人(ひと)は
一佛(いちぶつ) 二佛(にぶつ) 三四五佛(さんしごぶつ)に於(お)いて
善根(ぜんごん)を種(う)えしのみにあらず

まさに知るべきである この人は
一人や二人 あるいは三人 四人 五人の仏のもとで
善い行いの種を積んできただけではない

當:まさに〜すべし、当然そう理解すべきことを表す語。知:知る、理解すること。是:この、そのような。人:人、ここでは前文の「信心を生じる人」を指す。不:〜ではない、否定を表す語。於:〜において、〜のもとで、〜についての意。一佛:一人の仏。二佛:二人の仏。三四五佛:三人 四人 五人の仏。少数ではないことを表す。而:〜して、〜し、そのうえに続く動作をつなぐ語。種:植える、育てること。善根:善い行いによって積まれる悟りの因となる功徳。




いお むりょう せんまん ぶっしょ
已於 無量千萬 佛所
しゅしょ ぜんごん
種諸 善根

已(すで)に無量(むりょう)千萬(せんまん)の
佛所(ぶっしょ)に於(お)いて
諸(もろもろ)の善根(ぜんごん)を種(う)う

すでに数え切れないほど多くの仏のもとで
数々の善い行いを積み重ねてきたのだ

已:すでに、以前から。於:〜において、〜のもとで、〜についての意。無量:数え切れないほど多いこと。千萬:非常に大きな数を表し、数え切れないほど多いことのたとえ。佛所:仏のもと、仏がおられるところ。種:植える、育てること。諸:多くの、さまざまな。善根:善い行いによって積まれる悟りの因となる功徳。




もんぜ しょうく ないし
聞是 章句 乃至
いちねん しょう じょうしん じゃ
一念 生 淨信 者

是(こ)の章句(しょうく)を聞(き)きて 乃至(ないし)
一念(いちねん)に淨信(じょうしん)を生(しょう)ずる者(もの)
このような経典の言葉を聞き あるいは
たとえそれが一瞬であっても 清らかな信心を生じる人なのだ

聞:聞く、教えを耳にすること。是:この、そのような。章句:経典の文章や句。乃至:さらには、ここでは「たとえ〜であっても」の意。一念:ほんの一瞬に起こる心、一刹那の思い。生:生じる、起こること。淨信:疑いや執着のない清らかな信心。者:人、もの、事柄を指す語。




しゅぼだい
須菩提
にょらい しっち しっけん
如來 悉知 悉見

須菩提(しゅぼだい)よ
如来(にょらい)は
悉(ことごと)く知(し)り 悉(ことごと)く見(み)るなり

須菩提よ
如来は ことごとく知り ことごとく見ている

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。悉:ことごとく すべて残らずの意。知:しる 理解することを指す。見:みる 見て取ることを指す。




ぜしょ しゅじょう とく
是諸 衆生得
にょぜ むりょう ふくとく
如是 無量 福徳

是(こ)の諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)
是(か)くの如(ごと)き無量(むりょう)の福徳(ふくとく)を得(う)

これらの生きとし生けるものは
このような無量の福徳を得るのである

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:生きとし生けるもの、あらゆる命あるもの。得:得る、自らのものとなること。如是:このように、このとおり。無量:計り知れないほど多いこと。福徳:善行によって積まれる幸いと功徳。





がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




ぜしょ しゅじょう むぶ
是諸 衆生 無復
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相

是(こ)の諸(もろもろ)の衆生(しゅじょう)には  復(また)
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう) 無(な)く・・・

これらの生きとし生けるものには もはや
自分を固定して捉える想い
他者を固定して捉える想い
生きとし生けるものを固定して捉える想い
永続する自己を固定して捉える想いも無く

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:〈梵〉sattva に対応する語。生きとし生けるもの、生命ある存在を意味する。無復:もはや再び〜ない、もはや〜ない。人相:他者を固定して捉える想い。独立した人という存在があると思い込み、それにとらわれる心の働き。衆生相:生きとし生けるものを固定して捉える想い。生命ある存在を固定したものと思い込み、それにとらわれる心の働き。壽者相:永続する自己を固定して捉える想い。生まれ変わりを通じても変わらず存続する生命の主体があると思い込み、それにとらわれる心の働き。




む ほうそう やく む ひほうそう
無法相 亦 無 非法相


法相(ほうそう)無(な)く 亦(また)
非法相(ひほうそう)も 無(な)ければなり

物事を固定して捉える想いも無く また
物事は何もないと固定して捉える想いも無いからである

法(dharma):存在、具体的なモノ、あるいは「教え・真理」のこと。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳。姿・形・特徴・現れ・観念などを表す語。金剛般若経では、対象を心の中で固定して捉える働きや、そのように固定して捉える想いを表す。単なる見方ではなく、「これはこういうものだ」と決めつけ、とらわれる心の働きを指す。法相:物事を固定して捉える想い。あらゆる存在や教えを固定したものとして捉え、それにとらわれる心の働き。亦:また、そのうえ。非法相:物事は何もないと固定して捉える想い。有への執着だけでなく「物事は何もない」という考えに執着する心の働きをいう。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




ぜしょ しゅじょう
是諸 衆生


是(こ)の諸(もろもろ)の衆(しゅ)生(じょう)

これらの生きとし生けるものが・・・

是:この、そのような。諸:多くの、さまざまな。衆生:生きとし生けるもの、あらゆる命あるもの。ここでは、この経を聞いて信心を生じる人々を指す。




にゃく しん しゅそう
若 心 取相
そく いぢゃく
即 爲著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し心(こころ)に相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれるということだからだ

若:もし、もし〜ならば、仮定を表す語。心:こころ。思考・感情・認識など、あらゆる心の働きを指す。取:取る、とらえる、執着する。ここでは心に生じた想いを握りしめ、とらわれることを意味する。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳。姿・形・特徴・現れ・観念などを表す語。金剛般若経では、対象を心の中で固定して捉える働きや、そのように固定して捉える想いを表す。単なる見方ではなく、「これはこういうものだ」と決めつけ、とらわれる心の働きを指す。即:すなわち、そのとき、そのまま。前後の内容が直結していることを表す語。爲:〜となる、〜である。ここでは結果としてそうなることを表す。著:執着する、とらわれる、離れられなくなること。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我を意味する。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。人:〈梵〉pudgala に対応する語。個人、人、人格的な存在を意味する。金剛般若経では、独立した人という存在があるという想いを指す。壽者:〈梵〉jīva に対応する語。生命あるもの、生命主体を意味する。金剛般若経では、生まれ変わりを通じても変わらず存続する自己や生命の主体があるという想いを指す。




にゃく しゅほうそう
若 取 法相
そくぢゃく
即著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し 法(ほう)に 相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で物事を固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれているということだからである

法:ほう 物事や現象を指す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳 姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語 金剛般若経では 対象を心の中で固定して捉える働きや そのように固定してみる想いを表す 単なる見方ではなく これはこういうものだと決めつけ とらわれる心の働きを指す。即:すなわち そのままそれはの意 直前の内容を受けて結論づける語。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに。「それは何故かというと」「なぜならば」の意。




にゃく しゅ ひほう そう
若 取 非法 相
そくぢゃく
即著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者

若(も)し 非法(ひほう) に相(そう)を取(と)らば
即(すなわ)ち
我(が)・人(にん)・衆生(しゅじょう)・壽者(じゅしゃ)に
著(じゃく)すればなり

もし心の中で物事は何もないと固定して捉える想いを抱くならば
すなわち
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己を固定して捉える想いに
とらわれているということだからである
非法:ひほう 物事は存在しないということを指す語。




ぜこ
是故
 ふおう しゅほう
不應 取法
ふおう しゅひほう
不應 取非法

是(こ)の故(ゆえ)に
まさに法(ほう)をも取(と)るべからず
まさに非法(ひほう)をも取(と)るべからず

だからこそ
物事を固定して捉える想いに とらわれてはならない
物事は何もないと固定して捉える想いにも とらわれてはならない

是故:それゆえに、だからこそ。前述の内容を受けて理由や結論を導く語。不應:〜してはならない、〜すべきではない。戒めや教えを表す語。法:〈梵〉dharma に対応する語。教え、物事、存在、現象など幅広い意味をもつ。金剛般若経では、あらゆる物事や存在を指し、この箇所では、それらを固定したものとして捉える対象を意味する。取:取る、とらえる、執着する。ここでは心に生じた想いを握りしめ、とらわれることを意味する。非法:〈梵〉adharma に対応する語。「法ではないもの」という意味であるが、金剛般若経では、物事を「何も存在しない」と一方的に決めつける立場や、そのように固定して捉える想いを指す。般若の空は、有ることにも無いことにも執着しない立場であり、虚無論とは異なる。




いぜ ぎこ にょらい じょうせつ
以是 義故 如來 常説

是(こ)の義(ぎ)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
如来(にょらい)は常(つね)に説(と)けり

このような道理であるから
如来は常にこのように説いている

是:これ 前に述べられた内容を指す語。義:ぎ 道理 意味 趣旨を指す。以:もって〜によっての意を表す語。故:ゆえ 理由を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。常:つねに いつもの意。説:とく 教えを述べ説き明かすことを指す。




にょとう びく
汝等 比丘
ちが せっぽう にょ ばつゆしゃ
知我 説法 如 筏喩者

汝等(なんだち)比丘(びく)
我(わ)が説法(せっぽう)
筏(いかだ)の喩(たとえ)の如(ごと)しと知(し)る者(もの)は

あなた方 比丘よ
私の説法は 筏のたとえのようなものだと知ってる者は

汝等:なんじら、あなたたちの意、複数の相手を指す語。比丘:〈梵〉bhikṣu の音写 出家して戒律を守り修行する男性の修行者を指す。知:しる、承知すること、心得ることを指す。我:われ、一人称、ここでは釈尊自身を指す。説法:教えを説き示すことを指す。筏喩:筏の喩え、川を渡るために使った筏を渡り終えたら手放すように 教えも目的を達したら執着せず手放すべきであるという喩え。者:もの 〜であるものを指す語。




ほうしょう おうしゃ
法尚 應捨
がきょう ひほう
何況 非法
 
法(ほう)尚(なお)應(まさ)に捨(す)つべし
何(いか)に況(いわ)んや非法(ひほう)をや

法でさえ 手放すべきである
まして非法は なおさらである

法:〈梵〉dharma に対応する語 仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語 金剛般若経では文脈により 仏の教えを指す場合や 物事を固定して捉える対象を指す場合があり この箇所では両方の意味を持つ この一節では 教えそのものを否定している訳ではなく それを固定的に捉え執着する心を離れることを示している。尚:なお、さらに、それでも、という意味を表す語。ここでは「法でさえ」という強調の意味で用いられる。應:まさに〜すべきである、当然〜するべきである、という意味を表す語。捨:捨てる、手放す、離れるという意味を表す語。金剛般若経では、対象そのものを否定するのではなく、それに執着する心を手放す意味で用いられる。何況:まして〜はなおさら、という比較を表す語。前の事柄よりも後の事柄がさらに当てはまることを示す。
非法:〈梵〉adharma に対応する語。字義では「法ではないもの」を意味する。金剛般若経では、「法」が仏の教えを指す場合は教えでないもの(仏の教えとは異なる考えや誤った教え)を指し、「法」が物事を指す場合は物事が何もないこと(この世にあるものはすべて存在しないと決めつける考え)を表す。この一節では 正しい法でさえ固定して捉え執着する心を離れるべきであるならば 非法への執着はなおさら離れるべきであることを示している。




【補足】筏(いかだ)のたとえ

仏の教えを筏にたとえた譬え
川を渡るためには筏が必要であるが
渡り終えた後に筏を担いで歩む必要はないように
教えは悟りへ至るための手段であり
教えそのものに執着してはならないことを示す

< 出典 >
初期仏教・部派仏教系統
『中阿含経』「筏喩経」、パーリ経典『中部経典』第22経「蛇喩経」
大乗仏教
『金剛般若波羅蜜経』の「法尚應捨 何況非法」の説示として知られる

< 教えの違い >
初期仏教・部派仏教では
教えは苦しみから離れるための手段であり
修行の後にはその教えへの執着を離れるべきであることを説く
大乗仏教では
その考えをさらに発展させ 教えだけでなく
あらゆる物事を固定して捉える
心そのものへの執着を離れることを説く









むとくむせつぶん だいしち

無得無説分 第七

無得(むとく)無説(むせつ)分(ぶん)
第七(だいしち)

得るものも説くものも無いことについての章
第七

無得:悟りや真理を固定的な所有物として手に入れることはできないこと。無説:真理は言葉で完全に固定して説き表すことができないこと。分:文章の区切り、章、節。第七:七番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




にょらいとく
如來 得
あのくたらさんみゃくさんぼだい や
阿耨多羅三藐三菩提 耶
にょらい う しょせっぽう や
如來有 所説法 耶


如来(にょらい)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得(え)たること 有(あ)りや
如来(にょらい)の説(と)く所(ところ)の法(ほう)
有(あ)りや

如来は この上ない正しい悟りを得たということが
あるだろうか
如来が説くところの法というものが
あるのだろうか

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。得:得ること、到達すること。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttara-samyak-saṃbodhi の音写。この上ない正しい完全な悟りを意味する。耶:疑問を表す助字。「〜であろうか」「〜だろうか」の意味。説:説き示すこと、教えを示すこと。所説:説かれたもの、説き示された内容を意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。金剛般若経では文脈により、仏の教えを指す場合や、物事を固定して捉える対象を指す場合がある。この箇所では、如来が説く教えという意味で用いられているが、それを固定したものとして捉え執着することを離れることが示されている。有:あること、存在すること。




しゅぼだい ごん
須菩提 言


須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく

須菩提は言った

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。漢文では発言を始める際に「言わく」と訓読する。




せそん
世尊
にょがげ ぶっしょせつぎ
如我解 佛所説義

世尊(せそん)
我(われ) 仏(ほとけ)の説(と)く所(ところ)の義(ぎ)を
解(げ)する如(ごと)くんば

世尊よ
私が仏の説かれた意味を理解するところによれば

世尊:〈梵〉Bhagavat。世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。如:〜のように、〜ごとく。我:自分、私を意味する一人称。仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。所説:説かれたところ、説き示された内容を意味する語。義:意味、道理、教えの内容。解:理解すること、悟ること。




むう じょうほう みょう
無有 定法 名
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提

定(さだ)んだる法(ほう)にして
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と
名(な)づくるものは
有(あ)ること無し

固定的な法(事柄・存在・事象)として
この上ない正しい悟りと名前がつけられているものは
ありません

無有:「有ること無し」という意味。単に存在を否定するのではなく、この箇所では固定して定められるようなものはないことを示す。定:定まったこと 固定されたことを意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語。この箇所では、固定したものとして捉えられる対象を指す。名:名づけること、名称を与えること。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):〈梵〉anuttarā-samyak-saṃbodhi の音写。「この上ない正しい悟り」の意。




や むう じょうほう にょらい かせつ
亦 無有 定法 如來 可説

亦(また) 定(さだ)んだる法(ほう)の
如来(にょらい)に説(と)かる可(べ)きものは
有(あ)ること無し

また 固定的な法として
如来によって説かれるものは
何もありません

亦:また、同じくの意。定:定まったこと、固定されたことを意味する。法:〈梵〉dharma に対応する語、仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。この箇所では固定したものとして捉えられる対象を指す。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。説:教えを述べ説き明かすこと。可:〜できる、〜すべきの意を表す語。有:存在するの意。無:なし 存在しないの意。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それはなぜかというと
何以故:なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




にょらい しょ せっぽう かい
如來 所 説法 皆
 ふかしゅ ふかせつ
不可取 不可説

如来(にょらい)の説(と)く所(ところ)の法(ほう)は
皆(みな)
取(と)るべからず 説(と)くべからず

如来によって教え示された法は

固定したものとして捉えることもできず
固定した言葉によって説明することもできません

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。所:〜するところ、〜されたものを表す語。説:説くこと、教え示すこと、言葉によって表すこと。法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え、真理、物事、存在などを意味する多義的な語。皆:すべて、ことごとくという意味。不:〜しない、〜ではないことを表す否定の語。可:〜することができる、可能であることを表す語。取:取ること、対象を心で掴むこと。




ひほう ひ ひほう
非法 非 非法

法(ほう)に非(あら)ず
非法(ひほう)にも非(あら)ざればなり

それは法でもなく
非法でもないからです

法:〈梵〉dharma に対応する語。仏の教え 真理 物事 存在などを意味する多義的な語。この箇所では、固定したものとして捉えようとする対象を指す。非:あらず。「〜ではない」という否定を表す語。非法:〈梵〉adharma に対応する語。字義では「法ではないもの」を意味する。金剛般若経では、「法」が仏の教えを指す場合は「教えでないもの」を指し、「法」が物事を指す場合は「物事が何もないとする否定的な対象」を指す。




しょいしゃが
所以者何


所以(ゆえん)は如何(いか)に

それはなぜかというと

所以:理由、わけを指す語。者何:どうしてかの意、理由を問う疑問の句法。




いっさい けんしょう かい
一切 賢聖 皆
い むいほう にう しゃべつ
以 無爲法 而有 差別

一切(いっさい)の 賢聖(けんしょう)は 皆(みな)
無為(むい)の法(ほう)を以(もっ)て
差別(しゃべつ)有(あ)ればなり

すべての賢者や聖者たちは 皆
無為の法を基として
それぞれの違いがあるからです

一切:すべて、あらゆるものという意味。賢聖:賢者(悪を離れた修行者)と 聖者(煩悩を断ち切り悟りに至った者)を指す。以:〜をもって、〜によってという意味。
無為法:〈梵〉asaṃskṛta-dharmaに対応する語。因縁(原因と条件)によって作られたり変化したりするものではない法を意味する。仏教では、生滅変化する世の中の現象(有為法:ういほう)を超えた真理のあり方や、涅槃(ねはん)のような迷いや苦しみを離れた境地を指す。この箇所では、無為の法すらも「絶対的な実体」として固定して捉えることを避け、固定した見方への執着を離れる意味で用いられている。
因縁(原因と条件)によって作られたものではない、固定された限定や変化のない真理(空・悟りの境地)。而:しかも そしての意 前後の内容をつなぐ語 書き下し文では読み下さず省略している。有:ある 存在するの意。差別:違い、区別という意味。優劣や差別的な意味ではなく、それぞれの違いを表す。




〈補足解説〉無為法をめぐる仏教思想の展開
伝統的な部派仏教(アビダルマ)では 世界のあり方を大きく有為法と無為法に分けて考えました 特に有力な部派である説一切有部(せついっさいうぶ)では 有為法と無為法を分類し それぞれを次のように整理しました
有為法(ういほう)
因縁(原因と条件)によって生じ 変化していくもの 私たちが経験する現象世界などがこれにあたります
無為法(むいほう)
因縁によって作られたものではなく 生滅変化しないもの 涅槃のような迷いや苦しみを離れた境地もこの無為に含まれます

部派仏教では
修行とは 煩悩に縛られ変化し続ける有為のあり方から離れ 涅槃という無為の境地を実現することとして理解されました
大乗仏教の般若思想では
この有為・無為という分類そのものも「空」の観点から見つめ直します
つまり 有為法だけでなく 無為法についても 「これが永遠不変の実体である」と固定して捉えることを避けます
これは 無為法や涅槃の存在を否定するものではありません むしろ 無為法を認めながらもそれを絶対的な実体として掴み取り執着することを離れるという考え方です
般若思想では
有為だけが空なのではなく 無為もまた空であると考えます そのため「これが真理である」「これが悟りそのものだ」「これが絶対的な法である」と固定して捉えることを避けます これは『金剛般若経』第七章の無有定法 (定んだる法 あること無し)という考え方とも一致します つまり『金剛般若経』が否定しているのは「法」そのものではなく 法を 固定された実体として捉え執着する心なのだと理解できます








えほうしゅっしょうぶん だいはち

依法出生分 第八

依法(えほう)出生(しゅっしょう)分(ぶん)
第八(だいはち)

法によって生じることについての章


依法:法(教え・真理)によること、法をよりどころとすること。出生:生み出すこと、生じること。この章では、悟りや功徳が法によって生じることを表す。分:章、節、区分を表す語。第八:第八番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




にゃく にんまん さんぜんだいせんせかい
 若 人滿 三千大千世界

 しっぽう いゆう ふせ
七寶 以用 布施

若(も)し人(ひと)
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を満(み)たす
七寶(しっぽう)を以(もっ)て
布施(ふせ)に用(もち)いんに

もしある人が
この広大な宇宙を満たす
七種類の宝を布施に用いたなら

若:もし、仮に。人:〈梵〉pudgala に対応する語。個人、人、人格的な存在を意味する。三千大千世界:古代インド仏教の世界観で説かれる広大な世界を表す語。滿:満たすこと、いっぱいにすること。七寶:仏典で尊い宝とされる七種の宝物。最高の財宝の象徴として用いられる。以:〜をもって、〜によって。布施:〈梵〉dāna に対応する語。見返りを求めず財物や教えなどを施すこと。仏教で最も基本となる実践の一つ。用:用いる、使う。




ぜにん しょとく ふくとく にょうい たふ
是人 所得 福徳 寧爲 多不

是(こ)の人(ひと)の得(え)る所(ところ)の福徳(ふくとく)は
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)す不(や)

この人が得る福徳は
はたして多いと言えるだろうか

是(こ)の人(ひと)の得(え)る所(ところ)の福徳(ふくとく)は
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)す不(や)

是:この、その。人:個人、人、人格的な存在を意味する。得:得ること、受けること。所:動詞の後に添えて、その内容や対象を名詞化する語。福徳:善い行いによって得られる幸福の因となる徳。布施などの善行によって積まれる功徳を指す。寧:はたして、むしろ。ここでは問いかけの語気を強める語。多:多い、豊かであること。為:〜とする、〜とみなす。不:〜ではないか、〜だろうかを表す疑問の語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
じんた せそん
甚多 世尊

須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
甚(はなは)だ多(おお)し 世尊(せそん)

須菩提は言った
まことに多いです 世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の弟子の一人で、空の教えを最もよく理解したとされる。言:言う、答えること。甚:はなはだ、非常に、とても。多:多い、豊かであること。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにゆえのゆえに、どういう理由からか。理由や原因を問う言葉。




ぜふくとく そく ひふくとくしょう
是福徳 即 非福徳性
ぜこ にょらいせっ ふくとくた
是故 如來説 福徳多

是(こ)の福徳(ふくとく)は 即(すなわ)ち
福徳(ふくとく)の性(しょう)に非(あら)ざればなり
是(こ)の故(ゆえ)に
如来(にょらい)は 福徳(ふくとく)多(おお)しと説(と)く

この福徳は
固定したものとして捉えられる福徳ではないからです
だからこそ
如来は「福徳が多い」と説かれるのです

是:この、その。福徳:善い行いによって得られる徳や幸福の因となるもの。即:すなわち、つまり。同一視や説明を示す語。非:あらず、〜ではないことを表す否定の語。性:本質、性質、本来のあり方を意味する語。この箇所では、福徳が固定した本性として存在するという見方を指す。故:理由、わけ。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。説:説く、教え示すこと。多:多い、広大であること。

〈補足〉この一節の要点
私は この一節では「福徳」と「非福徳」を通して 福徳そのものの存在を否定しているのではなく
「これこそが福徳である」と固定したものとして捉える見方を否定しているように思います
これは 『金剛般若経』全体を貫いて説かれている
「法そのものを否定するのではなく 法を固定的に捉え執着する心を離れる」
という教えと一致しているように思います




にゃくぶうにん おしきょうちゅう
若復 有人 於此經中

じゅうぢ ないし しくげとう
受持 乃至 四句偈等
ゐ たにん せつ
爲他人説

若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて
此(こ)の経(きょう)の中(なか)に於(お)いて
乃至(ないし)四句(しく)の偈(げ)等(とう)を受持(じゅじ)し
他人(たにん)の為(ため)に説(と)かば

もしまた ある人が
この経の中の
わずか四句からなる詩句だけでも受け入れて心に保ち
他の人のために説くならば

若(じゃく):もし。仮定を表す語。復(ぶ):また。再び。有(う):ある。存在する。人(にん):人。人間。於(お):~において。場所や対象を示す語。此(し):この。このものを指す語。經(きょう):〈梵〉sūtra。経典。仏の説いた教えを記したもの。中(ちゅう):内側。内部。その範囲の中。受持(じゅじ):受け持つこと。仏の教えを受け入れ、心に保ち続けること。乃至(ないし):~に至るまで。ここでは「わずか~ほどでも」という意味。四(し):四つ。数字の四。句(く):文章や詩句の一区切り。偈(げ):〈梵〉gāthā。仏教の教えを詩の形式で表したもの。詩句。等(とう):など。それに類するもの。為(い):~のために。目的や対象を示す語。他(た):ほか。他のもの。人(にん):人。ここでは他の人。説(せつ):説く。教えを示し伝える。




ごふく しょうひ
其福 勝彼


其(そ)の福(ふく)は 彼(かれ)よりも勝(すぐ)れたり

その福徳は 先に述べた人よりも勝れています

其(き):その。それを指す語。福(ふく):福徳。善い行いによって得られる良い結果。勝(しょう):勝る。優れる。まさる。彼(ひ):かれ。先に述べたものや人。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
須菩提(しゅぼだい)

それはなぜかというと
須菩提よ

何(なに):何。疑問を表す語。以(い):もって。手段・理由を示す語。故(ゆえ):理由。原因。須菩提(しゅぼだい):〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の名。智慧第一の弟子と称される。




いっさい しょぶつ ぎょう
 一切 諸佛 及
しょぶつ あのくたらさんみゃくさんぼだい ほう
諸佛 阿耨多羅三藐三菩提 法
かいじゅう しきょうしゅつ
皆從 此經出

一切(いっさい)の 諸佛(しょぶつ)及(およ)び
諸佛(しょぶつ)の
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の法(ほう)は
皆(みな) 此(こ)の經(きょう)より 出(い)でたるなり

一切の仏たち および
仏たちの
この上ない正しい悟りの法は
すべて この経の教えから生じたものである

一切(いっさい):すべて。全部。一つ残らず。諸(しょ):もろもろの。多くのものを表す語。佛(ぶつ):〈梵〉Buddha。覚者。真理に目覚めた者。悟った人。及(およ)び:~と。ならびに。二つ以上のものを並べる語。阿耨多羅(あのくたら):〈梵〉Anuttara。「無上」「この上ない」の意。三藐(さんみゃく):〈梵〉samyak。「正しい」「完全な」の意。三菩提(さんぼだい):〈梵〉saṃbodhi。「完全な悟り」「正しい覚り」の意。法(ほう):〈梵〉Dharma。真理。教え。仏の説いた道理。皆(みな):すべて。ことごとく。從(より):~から。~に従って。起点や根拠を示す語。此(こ)の:この。このものを指す語。經(きょう):〈梵〉sūtra。経典。仏の教えを記したもの。出(い)ず:出る。生じる。現れる。
【補足解説】
「此經(この経)」と般若波羅蜜
般若経典群では、般若波羅蜜(般若の智慧)は 過去・現在・未来のあらゆる仏を生み出す母(仏母)であるという思想が説かれています ここでいう「母」とは肉体的な意味ではなく 諸仏が悟りを得るための根本原因となる智慧という意味です そのため 般若経では 般若波羅蜜を諸仏を生み出す母・仏が依るべき根本の法・悟りを成立させる智慧として表現します したがって 一切諸佛及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法 皆從此經出という文は 「この書物としての金剛般若経から、過去・現在の仏が生まれた」という時間的な意味ではないと思います ここでの「此經(この経)」とは単なる文字として記された経典だけではなく そこに示される般若波羅蜜の智慧 その根本の法を指していると思います つまり この文は 一切の仏たちと その無上正等覚の法は すべて般若波羅蜜という根本の智慧によって成立するという般若経独特の表現として理解するのが適切だと判断しました





しゅぼだい
須菩提

しょい ぶっぽうしゃ
所謂 佛法者
そくひ ぶっぽう
即非 佛法

須菩提(しゅぼだい)
所謂(いわゆ)る 佛法(ぶっぽう)とは
即(すなわ)ち 佛法(ぶっぽう)に非(あら)ざればなり

須菩提(しゅぼだい)よ
いわゆる 仏法というものは
仏法ではないからである

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。所謂:いわゆる すなわちの意 前の内容を言い換えて示す語。仏法:ぶっぽう 仏の教えを指す。即:すなわち そのままそれはの意 直前の内容を受けて結論づける語。非:あらず〜ではないの意 否定を表す語。
補足解説】
即非(そくひ)の論理」について
「即非の論理」とは A即非A という構造で表される考え方です Aであるが そのAを固定した実体として捉えることはできない
という意味です 所謂佛法者 即非佛法 という表現は 仏法そのものを 否定しているわけではなく 仏法というものが 固定した実体として存在するという捉え方を否定しています 般若経では あらゆるものを固定した存在として把握することを離れます そのため 仏法であるが 固定された仏法というものではない という形で仏法に対する固定的な見方を離れさせています 般若経の「即非」は単なる否定や虚無を意味するものではありません 仏法を否定し 無くしてしまうのではなく 仏法を一つの固定した形に縛りつけることなく 正しく理解するための 智慧を示しています つまり 仏法は存在しないということではなく 固定された一つの実体として捉えることはできない という意味だと思います








いっそうむそうぶん だいきゅう

一相無相分 第九

一相(いっそう)無相(むそう)分(ぶん)
第九(だいく)

一つの相と相がないことについての章
第九

一相:一つの相 一つの姿形やあり方のこと。無相:相がないこと 特定の姿形やあり方がないこと。分: ぶん、章・節を意味する語。第九:九番目。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




しゅだをん のうさ ぜねん
須陀洹 能作 是念
がとく しゅだをんが ふ
我得 須陀洹果 不

須陀洹(しゅだおん)は 能(よ)く 是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ)須陀洹果(しゅだおんか)を得(え)たり
とするや不(いな)や

須陀洹は
私は須陀洹という成果に達しているのだ
とする想いを起こすだろうか

須陀洹:〈梵〉srota-āpanna の音写、四向四果の最初の悟りの段階、預流・入流と訳され、悟りへ至る流れに入った者を意味する。能:よく、〜することができる、可能であることを表す語。作:なす、起こす、生じさせることを意味する。念:心に思い浮かべること、考え、想いを意味する。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我を意味する。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。果:〈梵〉phala に対応する語。結果、実りを意味する。仏教では因果の道理を説き、「因」によって生じた「結果」を表す語である。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ 世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




しゅだをん
須陀洹
みょうい にゅうる
名爲 入流
に むしょにゅう
而 無所入

須陀洹(しゅだおん)は
名(な)づけて入流(にゅうる)と為(な)す
而(しか)も入(い)る所(ところ)無(な)ければなり

須陀洹(聖者の流れに入った者)は
名前がつけられ 入流とされています
しかし 入るようなものは何もないからです

須陀洹:〈梵〉Srotāpannaの音写、四果(悟りの段階)の第一、預流・入流と訳され、聖者の流れに入った者を意味する。名:なづく、呼ぶ、名付ける。為:なす、〜とされる、〜となる。入流:聖者の流れ(永遠の平安に至る道)に入ること。須陀洹の意訳。而:しかも、しかし。逆接や順接を表す接続詞。所入:入るところ、入り込む対象や実体。無:なし、存在しないこと。




ふにゅう
不入
しき しょう こう み そく ほう
色聲香味觸法


色(しき) 声(しょう) 香(こう) 味(み) 触(そく) 法(ほう)に
入(い)らざればなり

形・音・香り・味・触れるもの・心の対象といったものに
深く入り込むことがないからです

入:ある対象や状態の中に入ることを意味する。色:〈梵〉rūpa に対応する語。形あるもの、目で認識される対象。声:〈梵〉śabda に対応する語。音、耳で認識される対象。香:〈梵〉gandha に対応する語。香り、鼻で認識される対象。味:〈梵〉rasa に対応する語。味、舌で認識される対象。触:〈梵〉sparśa に対応する語。触れるもの、身体で認識される対象。法:〈梵〉dharma に対応する語。この箇所では、意識によって認識される対象。




ぜみょう しゅだをん
是名 須陀洹


是(こ)れ 須陀洹(しゅだおん)と名(な)づく

(だからこそ)
これに 須陀洹という名前がつけられているのです

是:これ、このことを意味する指示語。前に述べた内容を受ける語。名:名づけること。須陀洹:〈梵〉srota-āpanna に対応する音写。声聞の修行段階の一つで、「聖者の流れに入った者」を意味する名称。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




しだごん のうさ ぜねん
斯陀含 能作 是念
がとく しだごんが ふ
我得 斯陀含果 不

斯陀含(しだごん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 斯陀含(しだごん)の果(か)を得(え)たり
とするや 不(いな)や

斯陀含(梵語:もう一度だけ生まれ変わり悟る者)が
私は斯陀含という成果に達したのだ
とする想いを起こすだろうか

斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、一来と漢訳される。四果(悟りの段階)の第二。もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切り悟るに至る者。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。果:か、悟りの到達点や成果、果位。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ 世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




しだごん みょういちおうらい
斯陀含 名一往來
にじつ むおうらい
而實 無往來

斯陀含(しだごん)を 一往来(いちおうらい)と名(な)づく
而(しか)れども 実(じつ)は 往来(おうらい)無(な)し

斯陀含(梵語:もう一度だけ生まれ変わり悟る者)は
一往来(漢訳:一度だけ行って還る者)という名前がつけられています
しかし 実際には 往来するようものはありません



斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、四果(悟りの段階)の第二、一来・一往来と訳され、もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切る者。名:なづく、呼ぶ、名付ける。一往来:〈梵〉sakṛdāgāmin の意味を訳した語。一度だけ生まれ変わり、この世へ戻ることを表す。而:しかれども、しかしながら。逆接の接続詞。実:じつは、実際は、真実。往来:ゆききすること、往復すること。無:存在しない。




ぜみょう しだごん
是名 斯陀含


是(こ)れ 斯陀含(しだごん)と 名(な)づく

(だからこそ)
これに 斯陀含という名前がつけられているのです


是:これ、このことを意味する指示語。前に述べた内容を受ける語。名:名づけること。斯陀含:〈梵〉Sakṛdāgāminの音写、四果(悟りの段階)の第二、一来・一往来と訳され、もう一度 人間界や天界に生まれ変わって迷いを断ち切る者。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




あなごん のうさ ぜねん
阿那含 能作 是念
がとく あなごんが ふ
我得 阿那含果 不

阿那含(あなごん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 阿那含(あなごん)の 果(か)を 得(え)たり
と するや不(いな)や

阿那含(梵語:もう二度と迷いの世界へ生まれ変わってこない者)が
私は阿那含という成果に達したのだ
とする想いを起こすだろうか

阿那含:〈梵〉anāgāminの音写。四果(悟りの段階)の第三。欲界の迷いを断ち切り二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。果:か、悟りの到達点や成果、果位。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊


須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ 世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




あなごん みょうい ふらい
 阿那含 名爲 不來
にじつ むふらい
而實 無不來

阿那含(あなごん)を名(な)づけて
不来(ふらい)と為(な)す
而(しか)れども 実(じつ)は不来(ふらい)無(な)し

阿那含(梵語:二度と生まれ変わってこない者)は
不来(漢訳:還ってこない者) という名前がつけられています
しかし実際には  不来というようなものは ありません

阿那含:〈梵〉Anāgāminの音写。四果(悟りの段階)の第三。欲界の迷いを断ち切り二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。名:なづく、呼ぶ、名付ける。為:なす、〜とする。不来:ふらい、還ってこないこと、戻らないこと。不還(ふげん)とも訳される。而:しかれども、しかしながら。逆接の接続詞。実:じつは、実際は、真実。無:なし、存在しない。




ぜこ みょう あなごん
是故 名 阿那含


是(こ)れ故(ゆえ) 阿那含(あなごん)と名(な)づくるなり

これゆえ 阿那含という名前がつけられているのです

是故:これゆえに、それゆえに、だからこそ、理由や結論を導く接続語。名:呼ぶ、名付ける。阿那含:〈梵〉Anāgāminの音写、四果の第三、二度と欲界に還ってこない者。不還と訳される。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




あらかん のうさ ぜねん
阿羅漢 能作 是念
がとく あらかんどう ふ
我得 阿羅漢道 不

阿羅漢(あらかん)は 能(よ)く是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ) 阿羅漢道(あらかんどう)を得(え)たりとするや いなや

阿羅漢(梵語:尊敬されるべき人)となった者は
私は阿羅漢の道を得たという想いを起こすでしょうか

阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者。応供(おうぐ)と訳される。能:よく、〜できる。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。阿羅漢道:あらかんどう、阿羅漢としての悟りの境地や到達点。得:える、到達する、獲得する。不:いな、〜か否か。疑問を表す助辞。




しゅぼだい ごん
須菩提 言
ほっちゃ せそん
不也 世尊

須菩提(しゅぼだい)言(い)わく
否(いな)なり 世尊(せそん)

須菩提は言った
いいえ 世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。解空第一の弟子。言:言う。不:いな、いいえ。否定や打ち消しを表す言葉。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

それは何故かというと

何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




じつ むう ほうみょう あらかん
無有 法名 阿羅漢

実(じつ)に 法(ほう)として
阿羅漢(あらかん)と名(な)づくるもの
有(あ)ること無し

実際には (固定的な)事柄として
阿羅漢という名前がつけられる事柄は
ないからです

実:じつは、実際は、真実。無有:有ることがない、存在しない。法:ほう〈梵〉dharma に対応する語 仏の教え 真理 物事 現象や存在などを意味する多義的な語 ここでは固定したものとして捉えられる対象を指す。名:なづく、呼ぶ、名付ける。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者、応供(おうぐ)と訳される。




せそん にゃく あらかん さぜねん
世尊 若 阿羅漢 作是念
がとく あらかんどう
我得 阿羅漢道

世尊(せそん) 若(も)し阿羅漢(あらかん)にして是(こ)の念(ねん)を作(な)し
我(われ)阿羅漢(あらかん)の道(みち)を得(え)たりと為(な)さば

世尊よ もしも阿羅漢が
私は阿羅漢の道を得たのだという想いを起こすのなら

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。若:もし、もしも。仮定を表す接続詞。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。供養と尊敬を受けるに値する者。応供(おうぐ)と訳される。作:なす、生じさせる、起こす。念:ねん、想い、意識、考え。阿羅漢道:あらかんどう、阿羅漢としての悟りの境地や到達点。得:える、到達する、獲得する。




そく いぢゃく
即 爲著
が にん しゅじょう じゅしゃ
我 人 衆生 壽者


即(すなわ)ち
我(が) 人(にん) 衆生(しゅじょう) 寿者(じゅしゃ)に
著(じゃく)することと為(な)る

それはつまり
自分や他者 生きとし生けるもの 永続する自己に
執着していることになるからです

即:すなわち、つまり。為:〜となる、〜になる。著:執着、とらわれ。我:自分、自我。人:他者、人。衆生:生きとし生けるもの。寿者:永続する自己。著:執着、とらわれ。




せそん ぶっせつがとく
世尊 佛説 我得
むじょうざんまい にんちゅうさいい
無諍三昧 人中最爲
だいいちぜだいいち りよくあらかん
第一是第一
 離欲阿羅漢

世尊(せそん) 仏(ほとけ)は我(われ)を
無諍三昧(むじょうざんまい)を得(え)たる人(ひと)の中(なか)にて
最(もっと)も第一(だいいち)と為(な)し
是(こ)れ第一(だいいち)の離欲(りよく)の阿羅漢(あらかん)なりと
説(と)きたまえども

世尊よ 仏は私を
「無諍三昧(安らかな境地)を得た人の中で
最も優れており
これは欲を離れた最高の阿羅漢である」とお説きになりましたが

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。我:わたし、自分。無諍三昧:むじょうざんまい、〈梵〉araṇā-samādhi。他者と争わず自分自身の心にも葛藤を生じさせない安らかな集中状態のこと。得:える、到達する、獲得する。人中:にんちゅう、人々の中で、修行者たちの間で。最:もっとも、一番。第一:だいいち、最高のもの、筆頭。為:なす、~とする、~と判定する。是:これ。指示代名詞。離欲:りよく、欲望や執着を離れること。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。四果(悟りの段階)の第四・最高位。説:とく、説明する、教えを語る。




せそん がふさ ぜねん
世尊 我不作 是念
がぜ りよく あらかん
我是 離欲 阿羅漢


世尊(せそん) 我(われ)は是(こ)の念(ねん)を作(な)さず
我(われ)是(こ)れ離欲(りよく)の阿羅漢(あらかん)なりと

世尊よ 私はこのような想いを起こしません
私は欲を離れた阿羅漢である というような想いを

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。我:わたし、自分。不:打ち消しの助字、〜しない。作:なす、生じさせる、起こす。是:これ、この。指示代名詞。念:ねん、想い、意識、考え。離欲:りよく、欲望や執着を離れること。阿羅漢:〈梵〉Arhatの音写。




せそん
世尊
がにゃく さぜねん がとく あらかんどう
我若 作是念 我得 阿羅漢道

世尊(せそん)よ 我(われ)もし 是(こ)の念(ねん)を作(な)して
我(われ) 阿羅漢道(あらかんどう)を得(え)たり とせば

世尊よ
もしも私が「私は阿羅漢に至る道を得た」
という想いを起こすのなら

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。我:〈梵〉ātman に対応する語。自分、自己、我。金剛般若経では、変わらない自己があるという想いを指す。若:もし、もしも。作:作る、起こす。是:これ、このこと。念:心に思い浮かべること、思い。得:得る、到達する。阿羅漢道:阿羅漢に至る道、阿羅漢に達するための道。




せそん そく ふせつ
世尊 即 不説


世尊(せそん) 即(すなわ)ち 説(と)きたまわざりしならん

世尊は つまり そのようには説かれなかったでしょう

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。即:すなわち、つまり。説:説く、教えを述べる。不:〜ない、否定を表す語。




しゅぼだい ぜぎょう あれんなぎょうしゃ
須菩提 是樂  阿蘭那行者

須菩提(しゅぼだい)是(こ)れ 阿蘭那(あれんな)の行(ぎょう)を楽(たの)しむ者(もの)なり

須菩提こそは 阿蘭那の行(静寂と平和であること)を楽しむ者です

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。仏の弟子の一人。是:これ、または「〜こそは」と強める語。樂:楽しむ、好む。阿蘭那:〈梵〉araṇyaの音写。争いや騒がしさから離れた静かなあり方。行:行い、実践、修行。




い しゅぼだい じつむしょぎょう
以 須菩提 實無所行
にみょう しゅぼだい ぜぎょう
而名 須菩提 是樂
 あれんなぎょう
阿蘭那行

須菩提(しゅぼだい)実(じつ)に所行(しょぎょう)無(な)きを以(もっ)て
而(しか)も 須菩提(しゅぼだい) 是(こ)れ
阿蘭那(あれんな)の行(ぎょう)を楽(たの)しむと名(な)づく

須菩提には 実のところ(固定的な)行いなど無い ということもって
須菩提こそ
阿蘭那の行(静寂と平和であること)を楽しむ者という名前がつけられているのです

以:〜をもって、〜によって。ここでは「〜ということをもって」の意味。須菩提:釈尊の弟子。實:実に、実際に。本当に。無:ない、存在しない。所行:行う事柄・行為・行い・しわざ。而:そして、しかも、順接逆接添加など文脈により働きが変わり現代語訳では省略することもある。名:名づける、〜と呼ぶ。是:これ、このようなもの。樂:楽しむ、好む。阿蘭那:〈梵〉araṇya、静寂で平和なこと。静かな修行の場を指す語。行:行い、実践。








しょうごんじょうどぶん だいじゅう

荘厳浄土分 第十

荘厳(しょうごん) 浄土(じょうど) 分(ぶん)
第十(だいじゅう)

浄土(仏の国土)を美しく飾り整えることについての章
第十

荘厳:〈梵〉alaṃkāra に対応する語。美しく飾り整えること。浄土:仏の国土、仏の住む清らかな世界。分:章、章段。経典の内容を区分した一節。第十:十番目。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




おい うんが
於意 云何

意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

心でどう思う

於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




にょらい しゃくざい ねんとぶっしょ
如來 昔在 然燈佛所
おほう うしょとくふ
於法 有所得不

如来(にょらい)昔(むかし)然燈仏(ねんとうぶつ)の所(ところ)に在(あ)しとき
法(ほう)に於(お)いて得(う)る所(ところ) 有る不(や)

如来が昔 然燈仏のもとにいた時
法において得たものが何かあったでしょうか

如来:〈梵〉Tathāgataの音写。真実から来た者、仏・お釈迦さまの尊称。昔:むかし、過去。在:ある、滞在する、居る。然燈仏:ねんとうぶつ、〈梵〉Dīpaṃkaraの音写。過去仏の一人でお釈迦さまに授記(将来仏になると保証すること)を与えた仏。所:ところ、場所、御もと。於:〜において、〜に対して。前置詞。法:ほう、〈梵〉Dharma。教え、真理、法。有:ある、存在する。得:える、獲得する、覚悟する。不:〜か、〜であるかと問いかける語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不(いな)なり 世尊(せそん)

いいえ 世尊よ

不:いな、いいえ。否定の返答。也:なり。断定や語調を整える助辞。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




にょらいざい ねんとうぶっしょ
如來在 然燈佛所
おほう じつ むしょとく
於法 實 無所得

如来(にょらい) 然燈仏(ねんとうぶつ)の所(ところ)に在(あ)りて
法(ほう)に於(お)いて 実(じつ)に 得(う)る所(ところ)無(な)し

如来が 然燈仏のもとにいた時
法において 実際には 得るものは何もありませんでした

如来:〈梵〉Tathāgataの音写。真実から来た者、仏・お釈迦さまの尊称。在:ある、滞在する、居る。

然燈仏:ねんとうぶつ、〈梵〉Dīpaṃkaraの音写。過去仏の一人でお釈迦さまに授記(将来仏になると保証すること)を与えた仏。所:ところ、場所、御もと。於:〜において、〜に対して。前置詞。法:ほう、〈梵〉Dharma。教え、真理、法。実:じつに、本当は、真実に。無:ない、存在しない。所得:しょとく、得るところのもの、獲得したもの。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




ぼさっ しょうごん ぶつど ふ
菩薩 莊嚴 佛土 不

菩薩(ぼさつ)は 仏土(ぶつど)を 荘厳(しょうごん)するや 否(いな)や

菩薩は 仏土を美しく飾り整えているでしょうか

菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。悟りを求め 自ら修行しながら すべての人々を救おうとする修行者。荘厳:〈梵〉alaṃkāra に対応する語。仏土を清らかに整え 美しく飾ること。仏土:仏の国土、仏の住む清らかな世界。不:〜か、〜であるかと問いかける語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊

不(いな)なり 世尊(せそん)

いいえ 世尊よ

不:いな、いいえ。否定の返答。也:なり。断定や語調を整える助辞。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




しょうごん ぶつどしゃ
莊嚴 佛土者
そく ひしょうごん
即 非莊嚴

仏土(ぶつど)を荘厳(しょうごん)するとは
即(すなわ)ち荘厳(しょうごん)に非(あら)ざればなり

仏の国土を美しく飾り整えるとは
つまり 美しく飾り整えることではないからです

荘厳:しょうごん、〈梵〉bhūṣaṇa等の訳。美しく飾り整えること。仏土:ぶつど、仏の住まいする国土、浄土。者:〜とは、〜というものは。提示を表す助辞。即:すなわち、まさに、そのまま。非:あらざる、〜ではない。打ち消し・否定を表す語。




ぜみょう しょうごん
是名 莊嚴


是(こ)れ 荘厳(しょうごん)と名(な)づくるなり

(だからこそ)
これに 美しく飾り整えるという名前がつけられているのです

是:これ、このこと。莊嚴:〈梵〉alaṃkāra に対応する語。美しく飾り整えること。名:名づける、呼ぶ。




ぜこ しゅぼだい
是故 須菩提


是(こ)れ故(ゆえ)に 須菩提(しゅぼだい)

だから 須菩提よ

是故:それだから、そのために。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈迦の弟子の名。




しょぼさっ まかさつ
諸菩薩 摩訶薩
おうにょぜ
應如是
しょう しょうじょうしん
生 清淨心

諸(もろもろ)の菩薩(ぼさつ)摩訶薩(まかさつ)は
応(まさ)に如是(かくの如く)
清浄(しょうじょう)の心(しん)を 生(しょう)ずべし

あらゆる求道者や偉大な求道者たちは
このように
清らかな心を起こすべきである

諸:あらゆる、すべての。菩薩:〈梵〉Bodhisattvaの音写。求道者。摩訶薩:〈梵〉Mahāsattvaの音写。偉大な求道者。応:まさに〜べし。〜すべきである。如是:このように。生:起こす、生じさせる。清浄心:清らかな心、執着のない心。




ふおう ぢゅうしき しょうしん
不應 住色 生心


応(まさ)に 色(しき)に住(じゅう)して
心(こころ)を 生(しょう)ずべからず

色(目に見える姿や形)にとらわれて
心を起こしてはならない

不応:まさに〜べからず。〜してはならない(禁止)。住:執着する、とらわれる。色:〈梵〉Rūpa。姿、形、目に見える物質。生:起こす、発生させる。心:意識、心の動き。




ふおうじゅう
不應住
しょう こう み そく ほう
聲 香 味 觸 法
しょうしん
生心


応(まさ)に
声(しょう)香(こう)味(み)触(そく)法(ほう)に住(じゅう)して
心(こころ)を 生(しょう)ずべからず

声(耳で聞く音)
香(鼻でかぐ匂い)
味(舌で味わう味)
触(肌で触れる感触)
法(心で思う概念)
にとらわれて
心を起こしてはならない

不応:まさに〜べからず。〜してはならない(禁止)。住:執着する、とらわれる。声:〈梵〉Śabda。耳で聞く音、声。香:〈梵〉Gandha。鼻で感じる香り、におい。味:〈梵〉Rasa。舌で感じる味。触:〈梵〉Sparśa。身体で感じる触れた感覚。法:〈梵〉Dharma。心に現れる対象、心の対象。生:起こす、発生させる。心:意識、心の動き。




おうむ しょじゅう
應無 所住
にしょう ごしん
而生 其心


応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)無(な)くして
而(しか)も 其(そ)の心(こころ)を生(しょう)ずべし

何ものにもとらわれず
そうして 心を起こすべきである

応: まさに〜べし。〜すべきである(当為)。無所住: とらわれる場所・執着する対象がないこと。而: しかも そして、前後の状況を繋ぐ接続詞。生: 起こす、発生させる、はたらかせる。其心: その心、執着から離れた本来の自由な心。

補足解説】
「応無所住而生其心」について
この一節は 金剛般若経の中でも特に有名な言葉です ここに関連するいくつかの話をまとめました

六祖慧能(六祖壇経)
薪売りをして暮らしていた若き慧能はある日 旅の僧が「応無所住而生其心」と唱えるのを聞き強く心を動かされました これをきっかけに五祖・弘忍のもとで厳しい修行を重ね あらためて師の弘忍からこの言葉を聞かされたとき慧能は大悟したと『六祖壇経』は伝えています

世阿弥(『風姿花伝』など)
芸道における「離見の見(客観的な眼)」や自由自在な演技の境地として通底しています 形や技にとらわれず 執着を離れたところで生み出される舞こそが観客の心を動かす「まことの花(生其心)」になると説きました

沢庵宗彭(不動智神妙録)
剣術の極意として「無所住」を説きました 敵の剣や体の動きに心を奪われ(住し)た瞬間に身がすくんで斬られるため どこにも心を留めず、水のように全身を巡らせる「無心・本心」の境地(不動智)を説いています




しゅぼだい
須菩提


須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈迦の弟子の名。




ひにょ うにんしん にょ しゅみせんのう
譬如 有人身 如 須彌山王


譬(たと)えば 人(ひと)有(あ)りて 身(み)は 須弥山(しゅみせん)王(おう)の如(ごと)しとせんに

たとえば ここに一人の人がいて その身体が山の王である須弥山のよう(に巨大)だったとする

譬如:たとえば もし〜のようにの意 例え話を導く語。有:存在するの意。人:ここでは例えとして挙げられる人物を指す。身:み 身体 体。須弥山王:しゅみせんおう〈梵〉Sumeru の音写 世界の中心にそびえるとされる巨大な山を指す。如:ごとし〜のようであるの意。




おい うんが
於意 云何

意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

心でどう思う

於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




ぜしん いだいふ
是身 爲大不


是(こ)の 身(しん)は 大(だい)と為(な)す不(や)

この身体は 大きいだろうか

是:前に述べられた内容を指す語。身:身体 体を指す。大:大きいこと。為:〜となす、〜とする。不:や〜であろうかそうでなかろうかの意 疑問を表す語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言


須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく

須菩提は言った

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。




じんだい せそん
甚大 世尊
がいこ
何以故


甚(はなは)だ大(だい)なり 世尊(せそん)
何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

とても大きいです 世尊よ
何故かというと

甚:はなはだ 非常に たいへんの意。大:だい 大きいことを指す。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。何以故:なにをもってのゆえに なぜならばの意 経典中に頻出する疑問の句法。




ぶっせつ
佛説
ひしん ぜみょう だいしん
非身 是名 大身


仏(ほとけ)説(と)きたまわく
非身(ひしん) 是(こ)れ 大身(だいしん)と名(な)づくと

仏が 説かれたからです
身体も(それだけで独立して存在する 固定的な実体として)存在しない
(だからこそ)これに大身という名前がつけられているのだと

仏:〈梵〉Buddhaの音写。悟った人、智者。説:教えを説き示すこと。非身:ひしん。「身に非ず」の意だが ここでは身体そのものが存在しないということではない。身体は 髪や皮膚 骨などさまざまな要素が集まり さらに多くの条件や関係によって仮に成り立っている現象である。そのため これこそが身体だと指させるような それ自体で独立した 変わらない一つの実体があるわけではない。つまり「身体という現象は存在していても それを固定的な実体として捉えることはできない」という意味で「非身」と説かれている。是:前に述べられた内容を指す語。名:名前をつけて呼ぶこと。大身:大きな身体。








むいふくしょうぶん だいじゅういち

無為福勝分 第十一

無為(むい)の福(ふく)の勝(すぐ)れたる分(ぶん)
第十一(だいじゅういち)

とらわれないこと(無為)による 福徳や功徳は 勝(すぐ)れていることを説く章
第十一

無為:とらわれのないこと。固定した実体にとらわれずに行うこと。福:善い行いや施しなどによって得られる福徳や功徳。勝:他よりも優れていること。分:章、区分。第十一:11番目。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈迦の弟子の名。




にょごうがちゅう しょうしゃしゅ
如恒河中 所有沙數
にょぜ しゃとうごうが
如是 沙等恒河

恒河(ごうが)の中(なか)に所有(あ)る沙(すな)の数(かず)の如(ごと)く
是(か)くの如(ごと)き沙(すな)に等(ひと)しき恒河(ごうが)ありとせんに

ガンジス川の中にあるすべての砂の数のように
その砂の数と等しいだけのガンジス川があったとしよう

如:ごとく(ごとし)〜のようであるの意。恒河:ごうが〈梵〉Gaṅgā の音写 インドを流れるガンジス川を指す。所有:あらゆる 存在するすべての「所(〜するところの)」+「有(ある)」で ここでは恒河の中にある限りのすべてのという意味。沙:砂を指す。数:数量を指す。如是:このようにの意 。等:同じ数量であることを指す。




おい うんが
於意 云何

意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

心でどう思う

於意:心の中で考えるならば という意味の漢文表現。云何:どのように思うか どう考えるかと相手に問いかける語。




ぜしょごうがしゃ にょういたふ
是諸恒河沙 寧爲多不

是(こ)の諸(もろもろ)の恒河(ごうが)の沙(すな)は
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)す不(や)

これらのガンジス川の砂は
はたして多いと言えるだろうか

是:前に述べられた内容を指す語。諸:多くのという意。恒河:〈梵〉Gaṅgā の音写 インドを流れるガンジス川を指す。沙:砂を指す。寧:はたしての意を表す語。多:おおし 数量が多いことを指す。為:なす〜であるとするの意。不:や〜であろうかそうでなかろうかの意 疑問を表す語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言

須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく

須菩提は言った

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。




じんた せそん
甚多 世尊
たんしょ ごうが しょうた
但諸 恒河 尚多
むしゅ
無數


甚(はなは)だ多(おお)し 世尊(せそん)
但(ただ)諸(もろもろ)の恒河(ごうが)すら尚(なお)多(おお)く
無数(むすう)なり

とても多いです 世尊よ
ただ それらのガンジス川の数だけでも なお多く
数えきれません

甚:非常に たいへんの意。多:数量が多いことを指す。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。但:ただ〜だけでもの意を表す語。諸:多くの という意。恒河:〈梵〉Gaṅgā の音写 インドを流れるガンジス川を指す。尚:なお〜でさえ さらにの意を表す語。無数:数えきれないほど多いことを指す。




がきょう ごしゃ
何況 其沙


何(なに)を況(いわん)や其(そ)の沙(すな)をや

ましてや その砂の数においては なおさらです

何況:まして〜は言うまでもないの意を表す語。其:前の内容を受けて指し示す語。沙:砂を指す。




しゅぼだい
須菩提


須菩提

須菩提(しゅぼだい)よ

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。釈尊の十大弟子の一人、智慧第一と称された。





がこん じつごん ごうにょ
我今 實言 告汝

我(われ)今(いま)実言(じつごん)もて汝(なんじ)に告(つ)げん

私は今あなたに真実の言葉を告げよう

我:私 自分 自己を意味する一人称の語。今:現在。實言:真実の言葉。告:告げる 伝える。汝:相手を指す二人称。




にゃくう ぜんなんし ぜんにょにん
若有 善男子 善女人
いしっぽうまんにしょ ごうがしゃしゅ
以七寶滿爾所 恒河沙數
さんぜんだいせんせかい
三千大千世界


若(も)し 善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん) 有(あ)りて
七宝(しっぽう)を以(もっ)て
爾所(そこばく)の恒河(ごうが)の沙(すな)の数(かず)程(ほど)の
三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を満(み)たし

もし仏道を求める信心篤い男女がいて
七種類の宝で
数え切れないほど広大なこの大宇宙のすみずみまでを
満たし尽くして

若:もし〜ならば 仮定を表す語。有:有る 存在する。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。七寶:金(こん) 銀(ごん) 瑠璃(るり) 玻璃(はり) 硨磲(しゃこ) 赤珠(しゃくしゅ) 瑪瑙(めのう)の七種類の宝物。滿:満たす 満ちる 隅々まで行き渡らせる。爾所:それだけの数 その程度の分量を表す語。恒河:〈梵〉Gaṅgā ガンジス河のこと 。沙:砂 川辺や河底にある細かい砂粒。數:数 数量。




いゆう ふせ とくふく たふ
以用 布施 得福 多不


以(もっ)て用(もち)いて 布施(ふせ)せんに
福(ふく)を得(う)ること 多(おお)からん不(や)

それを用いて布施をしたなら
多くの福徳を得ることになるだろうか

以:〜をもって、〜を用いて。用:用いる、使う。布施:〈梵〉dānaの訳。他者へ見返りを求めずに財物や教えを施し与えること。得:得る、手にいれる。福:仏道修行や善行によってもたらされる恵みや果報。多:多い、たくさんある。不:〜か、いなか。文末で疑問や反問を表す語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言


須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく

須菩提は言った

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。




じんた せそん
甚多 世尊

甚(はなは)だ多(おお)し
世尊(せそん)

非常に多いです
世尊よ

甚:はなはだ 非常に。多:多い 数が多いこと。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提

仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




にゃく ぜんなんし ぜんにょにん
若 善男子 善女人
お しきょう ちゅう 
於 此經 中
ないし じゅぢ しくげとう
乃至 受持
 四句偈等

若(も)し 善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん) 有(あ)りて
此(こ)の経(きょう)の中(うち)に於(お)いて
乃至(ないし) 四句の偈(しくげ)等(とう)を 受持(じゅじ)し

もし 仏道を求める男女がいて
この経典の中から
わずか四行の詩だけでも 心に受け止めて保ち続け・・・

若:もし〜ならば。仮定を表す接続詞。有:ある、存在する。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女。於:〜において、〜に。此:これ、この。經:仏の説いた教え、経典。中:うち、なか。乃至:〜から〜に至るまで。範囲や程度の広がりを示す語。転じて「少なくとも」「わずかでも」の意でも用いられる。受持:教えを心に受け入れ、深く記憶して忘れないよう保ち続けること。四句:四つの句、四つの行。偈:〈梵〉gāthāの音写。仏の教えや徳をたたえる詩句のこと。等:〜など。同類のものを例示する語。




いたにん せつ にし ふくとく
爲他人 説 而此 福徳
しょう ぜんふくとく
勝 前福徳


他人(たにん)の為(た)めに説(と)かば
此(こ)の福徳(ふくとく)は
前(まえ)の福徳(ふくとく)に勝(まさ)れたり

他者のために説くなら
この福徳は
前の福徳よりも 勝(すぐ)れているのだ

爲:〜のために、〜のために行う。他人:自分以外の存在、他者。説:教えを語り聴かせる、解き明かす。而:〜して、しかして。文と文をつなぐ接続詞。此:これ、この。福徳:善行や仏道修行によって得られる恵みや功徳。勝:他より優れている、上回る。前:まえ、先ほど。ここでは前に述べた七宝による布施の果報を指す。








そんぢゅうしょうきょうぶん だいじゅうに

尊重正教分 第十二

正教(せいきょう)を尊重(そんちょう)する分(ぶん)
第十二(だいじゅうに)

正しい教えを尊び重んじることについての章
第十二

尊:尊ぶ 敬いあがめる。重:重んじる 大切にする。正:正しい 正当な。教:教え 仏の説いた教法。分:章 段落 経典を区切る単位。第十二:十二番目。




ぶじ しゅぼだい
復次 須菩提

復(ま)た次(つぎ)に須菩提(しゅぼだい)

さらにまた 須菩提よ

復:再び、さらに。次:次の段階で、続いて。須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の名。




ずいせつ ぜきょう ないし しくげとう
隨説 是經 乃至 四句偈等


随(したが)って是(こ)の経(きょう)
乃至(ないし)四句(しく)の偈(げ)等(とう)を説(と)かば

あらゆる機縁に応じて
たとえ四句の詩だけであっても説くなら

随:人 根機 文章の長短 場所 時 人数などを限定せず その時々の機縁に応じて説くこと 古注に「随とは限定せざるの意なり」とある。是:前に述べた事柄を指し示す語。経:経典 仏の教えを記した書物。乃至:~から~に至るまで、あるいは、わずか~だけでも(下限や一部を提示して全体をカバーする言葉)。四句の偈:〈梵〉gāthā の音写である偈(詩句の形で教えを説いたもの)のうち四つの句からなる一区切り。等:同類のものを含めて示す語。説:語り聞かせる 教えを述べ伝える。




とうち ししょ  いっさい せけん
當知 此處  一切 世間
てん にん あしゅら かい
天 人 阿修羅 皆
おうくよう にょ ぶっとうびょう
應供養 如 佛塔廟


当(まさ)に知(し)るべし
此(こ)の処(ところ)は一切(いっさい)世間(せけん)の
天(てん) 人(にん) 阿修羅(あしゅら)  皆(みな)
応(まさ)に供養(くよう)すること
仏(ぶつ)の塔廟(とうびょう)の如(ごと)くなるべし

まさに知るべきである
この場所は あらゆる世界の
神々と人間と阿修羅たち 皆が
仏塔や仏廟に対するように
供養すべき場所であることを

当:まさに〜すべきである 当然そうあるべきさまを表す語。知:知る 理解する。此:これ この。処:場所 ところ。一切:すべて あらゆる。世間:世の中 この世界。天:天上界に住む神々のような存在。人:人間。阿修羅:〈梵〉asura の音写 常に闘争を好むとされる鬼神の一種 六道の一つ阿修羅道に住む存在。皆:みな すべて。応:まさに〜すべきである 当然のこととして。供養:〈梵〉pūjā の訳 仏や菩薩 仏塔などに香華や飲食などを捧げ敬い尊ぶこと。如:〜のようである 〜と同じである。仏:〈梵〉Buddha の音写 悟った人 智者。塔廟:仏の遺骨(舎利)や遺品を安置し供養するための建造物。




がきょう うにん
何況 有人
じんのう じゅじ どくじゅ 
盡能 受持 讀誦


何(いか)に況(いわ)んや 人(ひと) 有(あ)りて
盡(ことごと)く 能(よ)く受持(じゅじ)し讀誦(どくじゅ)せんをや

ましてや 人がいて
この教えを余すところなく受け持ち
読み唱えるならば
なおさらである

何況:ましてや〜はなおさらである。前に述べた事柄より、さらに程度の高い事柄を示す比較・強調の表現。有:有る 存在する。人:人間。尽:ことごとく、すべて、残らず。能:よく〜できる 〜する能力がある。受持:受け入れて心にとどめ保ち続けること。読誦:〈梵〉vācana などに対応する語 経典を声に出して読み唱えること。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūti の音写。釈尊の弟子の一人。




とうち ぜにん じょうじゅ
當知 是人 成就
さいじょうだいいち けうしほう
最上第一 希有之法


當(まさ)に知(し)るべし 是(こ)の人(ひと)は
最上(さいじょう)第一(だいいち)希有(けう)の法(ほう)を
成就(じょうじゅ)せんことを

知るべきである このような人は
この上なく優れた稀にみる教えを
成し遂げるに違いないことを

当:まさに〜すべきである 当然そうあるべきさまを表す語。知:知る 理解する。是:これ この。

人:人間。成就:物事を成し遂げること。最上:この上なく優れていること。第一:最も優れていること 一番。希有:〈梵〉āścarya などに通じる語 めったにないこと 極めて稀であること。之:〜の 連体修飾を示す語。法:〈梵〉dharma の訳 仏の教え 真理。




にゃくぜ きょうでん しょざい ししょ
若是 經典 所在 之處
そくい うぶつ にゃく そんじゅう でし
即爲 有佛 若 尊重 弟子


若(も)し是(こ)の経典(きょうてん)の所在(しょざい)する処(ところ)は
即(すなわ)ち
仏(ほとけ) 若(もし)くは 尊重(そんじゅう)せらるる弟子(でし)
有(あ)りと為(な)す

もし この経典がある処には
とりもなおさず
仏 もしくは尊ばれるべき弟子が
居ることになるのだ

若(1つ目):もし〜ならば 仮定を表す語。是:これ この。経典:仏の教えを記した書物。所在:物事がある場所 存在するところ。処:場所 ところ。即:すなわち とりもなおさず。為:〜とみなす 〜だとする。有:有る 存在する。仏:〈梵〉Buddha の音写 悟った人 智者。若(2つ目):あるいは もしくは 並列を示す語。尊重:尊ばれること 敬われること。弟子:師について教えを学ぶ者。








にょほうじゅぢぶん だいじゅうさん

如法受持分 第十三

法(ほう)の如(ごと)く受持(じゅじ)する分(ぶん)
第十三(だいじゅうさん)

法のとおりに信奉し持ち続けることについての章
第十三

如:〜のように。〜のとおりに。法:仏の教え。仏道の真理。受持:教えを信奉し持ち続けること。分:章。章立てされた一部分。第:順序を示す語。十三:十三番目。





にじ しゅぼだい
爾時 須菩提
びゃくぶつごん
白佛言


爾(そ)の時(とき) 須菩提(しゅぼだい)
仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

その時 須菩提は
仏に申し上げて言った

爾時:その時。その時点で。須菩提:仏の弟子の一人。白:申し上げる。目上の者に申し述べる。佛:悟りを完成した者。言:言う。述べる。




せそん とうがみょう しきょう
世尊 當何名 此經


世尊(せそん)
當(まさ)に何(なん)と 此(こ)の経(きょう)を 名(な)づけん

世尊よ
この経にどんな名前をつけますか

世尊:この世で最も尊い方。當:当然そうすべきことを示す語、ここでは「〜べき」と読む。何:どのようなものか、何と。名:名づける。名称をつける。此:これ。この。經:仏の教えを記した経典。




がとう うんが ぶぢ
我等 云何 奉持


我等(われら)
云何(いか)に奉持(ぶじ)すべきや

私たちは
どのように信奉し持ち続ければよいでしょうか

我:われ。話し手自身を指す語。等:など。複数を示す語。云何:どのように。どのような方法で。奉持:うやまい奉り、信奉して持ち続けること。





ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけることを指す。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の十大弟子の一人で解空第一と称される長老。




ぜきょう みょうい
是經 名爲
こんごうはんにゃはらみつ
金剛般若波羅蜜


是(こ)の経(きょう) 名(な)づけて
金剛(こんごう)般若(はんにゃ)波羅蜜(はらみつ)と為(な)す

この経典を
金剛般若波羅蜜と名づける

是:これ。この。經:仏の教えを記した経典。名:名づける。名称をつける。為:〜とする。〜とすること。金剛:〈梵〉vajra、インド神話では諸神の王インドラの武器である金剛杵を指し、いかなるものをも打ち砕く強大な力と鋭さを象徴する語。般若:智慧。物事の真実を見極める智慧。波羅蜜:彼岸に到ること。迷いの境地から悟りの境地に到ること。




いぜみょうじ にょとうぶじ
以是名字 汝當奉持


是(こ)の名字(みょうじ)を以(もっ)て
汝(なんじ)当(まさ)に奉持(ぶじ)すべし

この名をもって
あなたは信奉し持ち続けるのがよい

以:〜によって。〜をもって。是:これ。この。名字:名称。名前。汝:あなた。相手を指す語。當:当然そうすべきことを示す語。ここでは「〜べき」とする。奉持:うやまい奉り、信奉して持ち続けること。




しょいしゃが しゅぼだい
所以者何 須菩提


所以(ゆえん)は如何(いか)に
須菩提(しゅぼだい)

なぜかというと
須菩提よ

所以:理由。そうする理由。者:〜は。話題を示す語。何:何か。どのような理由か。須菩提:〈梵〉Subhūti の音写 釈迦の十大弟子の一人




ぶっせつ はんにゃはらみつ
佛説 般若波羅蜜
そく ひはんにゃはらみつ
即 非般若波羅蜜


仏(ほとけ)の説(と)く 般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)は
即(すなわ)ち 般若波羅蜜に非(あら)ざればなり

仏の説く 般若波羅蜜は
(それだけで独立して存在する 固定的な実体としての)
般若波羅蜜ではないからである

仏:〈梵〉Buddha の音写 悟った人 智者。説:説く 語り聞かせる 教えを述べ伝える。般若波羅蜜:〈梵〉prajñāpāramitā の訳 智慧の完成 悟りに至るための最高の智慧。即:すなわち とりもなおさず。非:〜ではない 否定を表す語。




しゅぼだい おい うんが
須菩提  於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




にょらい うしょ せっぽうふ
如來 有所 説法不


如来(にょらい)の説(と)く所(ところ)の法(ほう)
有(あ)りや不(いな)や

如来が説かれたところの
(それだけで独立して存在する 固定的な実体としての)
法というものが
何かあるのだろうか

如来:真如から来た者。仏の尊称。有:ある。存在することを示す語。所:〜するところ。動作の対象を示す語。説:説く。教えを説き示すこと。法:仏の教え。仏道の真理。不:〜か。文末に置かれ、疑問を示す語。




しゅぼだい びゃくぶつごん
須菩提 白佛言


須菩提(しゅぼだい)
仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

須菩提は
仏に申し上げて言った

須菩提:〈梵〉Subhūti の音写 釈迦の十大弟子の一人。白:申し上げる 目上の者に対して丁寧に言う。仏:〈梵〉Buddha の音写 悟った人 智者。言:言う 述べる。




せそん
世尊

にょらい むしょせつ
如來 無所説

世尊
如来の説く所無し

世尊よ
如来が説かれたところはありません

世尊:この世で最も尊い方。如来:真如から来た者。仏の尊称。無:無い。存在しないことを示す語。所:〜するところ。動作や行為を名詞化する語。説:説く。教えを説き示すこと。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




さんぜん だいせんせかい
三千 大千世界
しょうみじん
所有微塵
ぜいた ふ
是爲多 不


三千(さんぜん)大千(だいせん)世界(せかい)の
所有(あらゆ)る微塵(みじん)は
是(こ)れ多(おお)しと為(な)すや不(いな)や

この果てしなく広い大宇宙にある
あらゆる微細な塵は
多いだろうか

三千:三つの千。小千世界・中千世界・大千世界という三段階の世界を示す語。大千:大千世界。千の世界をさらに千集めた世界を示す語。世界:衆生が住む世界。所有:すべての。そこに存在するものを指す語。微塵:極めて細かな塵。微細な粒子。是:これ。ここでは「〜である」とする語。為:〜とする。〜とみなす。多:多い。数や量が多いこと。不:〜か。文末に置かれ、疑問を示す語。




しゅぼだい ごん
須菩提 言

じんた せそん
甚多 世尊


須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく
甚(はなは)だ多(おお)し 世尊(せそん)

須菩提は言った
非常に多いです
世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。言:言うこと、述べること。
甚:程度が非常に大きいことを示す語。多:。数や量が多いこと。世尊:この世で最も尊い方。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子の一人。




しょみぢん にょらいせつ びみぢん
諸微塵 如來説 非微塵

ぜみょう みぢん
是名 微塵


諸(もろもろ)の微塵(みじん)は 微塵(みじん)に非(あら)ずと
如来(にょらい)説(と)き 是(こ)れ 微塵(みじん)と名(な)づく

諸々の微塵は
(それだけで独立して存在する 固定的な実体としての)
微塵ではないと
如来は説かれている
(だからこそ)
これに 微塵という名前がつけられているのだと

諸:複数のものをまとめて指す語。微塵:極めて細かな塵。微細な粒子。如来:真如から来た者、仏の尊称。非:〜ではない。否定を示す語。説:説く。教えを説き示すこと。是:これ。ここでは前に述べた微塵を指す語。名:名づける。ある名称で呼ぶこと。




にょらいせつ せかい ひせかい
如來説 世界 非世界

ぜみょう せかい
是名 世界


世界(せかい)は世界(せかい)に非(あら)ずと
如来(にょらい) 説(と)き
是(こ)れ 世界(せかい)と名(な)づく

世界は
(それだけで独立して存在する 固定的な実体としての)世界ではないと
如来は説かれている
(だからこそ)
これに世界という名前がつけられていると




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




かい さんじゅうにそう けんにょらい ふ
可以 三十二相 見如來 不


三十二相(さんじゅうにそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)る可(べ)きや不(いな)や

三十二の特徴によって
如来を見分けることができるだろうか

可:〜することができることを示す語。以:〜によって。手段・方法を示す語。三十二相:仏や転輪聖王などの偉大な人物に備わるとされる三十二の身体的特徴。見:見る、見分ける。如来:真如から来た者。仏の尊称。不:〜か、〜ないか。疑問・反語を示す語。




ほっちゃ せそん
不也 世尊


不(いな)也(なり) 世尊(せそん)

いいえ 世尊よ

不:否定を表す語。也:〜である 断定を表す語。世尊:〈梵〉Bhagavat 世の中で最も尊いの意。




ふかい さんじゅうにそう
不可以 三十二相
とくけん にょらい
得見 如來

三十二相(さんじゅうにそう)を以(もっ)て
如来(にょらい)を見(み)ることを得(う)可(べ)からず

三十二相によって
如来を見分けることはできません

不可:不可能を表す語。以:〜を用いて 〜でもって、手段や方法を表す語。三十二相:〈梵〉dvātriṃśat mahāpuruṣa-lakṣaṇāni 偉大な人物(仏)に備わるとされる三十二種の身体的特徴。得:〜できる 〜し得る 可能を表す語。見:見る 見分ける。如来:〈梵〉Tathāgata 語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




にょらいせつ さんじゅうにそう そくぜひそう
如來説 三十二相 即是非相
ぜみょう さんじゅうにそう
是名 三十二相


三十二相(さんじゅうにそう)は即(すなわ)ち是(こ)れ相(そう)に非(あら)ずと
如来(にょらい)は説(と)き
是(こ)れ 三十二相(さんじゅうにそう)と名(な)づく

三十二相は すなわち
(それだけで独立して存在する 固定的な実体としての)
相ではないと
如来は説かれている
(だからこそ)
これに 三十二相という名前がつけられていると

如来:真如から来た者、仏の尊称。三十二相:仏や転輪聖王などの偉大な人物に備わるとされる三十二の身体的特徴。即:すなわち。ただちに。是:これ。非:〜ではない、否定を示す語。相:すがた。身体に現れる特徴・形相。説:説く。教えを説き示すこと。名:名づける。ある名称で呼ぶこと。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈迦仏の弟子。




にゃくう ぜんなんし ぜんにょにん
若有 善男子 善女人

い ごうがしゃとう しんみょう ふせ
以 恒河沙等 身命 布施


若(も)し善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)有(あ)りて
恒河(ごうが)の沙(すな)に等(ひと)しき身命(しんみょう)を以(もっ)て
布施(ふせ)せんに

もし仏道を求める信心篤い男女がいて
ガンジス河の砂の数に等しいほど幾度も
身命をもって布施したとしても

若:もし〜ならば 仮定を表す語。有:有る 存在する。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。恒河:〈梵〉Gaṅgā ガンジス河のこと。沙:砂 川辺や河底にある細かい砂粒。等:〜と等しい 同じ程度である。身命:身体と命 我が身と我が命。布施:〈梵〉dāna の訳 財物や教えを施し与えること。




にゃくぶうにん
若復有人
おしきょうちゅう
於此經中

ないしじゅじ しくげとう
乃至受持 四句偈等
いたにんせつ
爲他人説

若(も)し復(ま)た人(ひと)有(あ)りて
此(こ)の経(きょう)の中(うち)に於(お)いて
乃至(ないし)四句(しく)偈(げ)等(とう)を受持(じゅじ)し
他人(たにん)の為(ため)に説(と)かんに

もしまた人がいて
この経の中の四句の偈だけでも
信奉し持ち続け
他人のために説いたとすれば

若:もし〜ならば 仮定を表す語。復:再び 重ねて。有:有る 存在する。人:人間。於:〜において 〜に。此:これ この。経:経典 仏の教えを記した書物。中:中 内側。乃至:〜から〜に至るまで 範囲や程度の広がりを示す語 転じて最小限を許容する「たとえ〜であっても」の意でも用いられる。四句の偈:〈梵〉gāthā の音写である偈(詩句の形で教えを説いたもの)のうち四つの句からなる一区切り。等:など 同類のものを含めて示す語。受持:受け入れて心にとどめ保ち続けること。爲:〜のために 目的を示す語。他人:自分以外の人 他者。説:説く 語り聞かせる 教えを述べ伝える。




 ごふく じんた
其福 甚多

 其(そ)の福(ふく) 甚(はなは)だ多(おお)し

その福徳は 非常に多いのだ

其:それ その。福:福徳 幸福をもたらす善い果報。甚:はなはだ 非常に 程度が大きいさま。多:多い 数量が多いこと。








りそうじゃくめつぶん だいじゅうよん

離相寂滅分 第十四

相(そう)を離(はな)れて寂滅(じゃくめつ)する分(ぶん)
第十四(だいじゅうし)

相を離れて寂滅することについての章
第十四

相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñā などに対応する漢訳 姿 形 特徴 現れ 観念などを表す語 文脈によって身体的特徴 対象の現れ 心が抱く固定的な見方など異なる意味で用いられる。離:離れる 遠ざかる。寂滅:〈梵〉nirvāṇa の訳 煩悩の火が消え静まった安らかな境地。分:章 段落 経典を区切る単位。第十四:十四番目。




にじ しゅぼだい
爾時 須菩提
もんせつ ぜきょう じんげ ぎしゅ
聞説 是經 深解 義趣
ているい ひきゅう にびゃく ぶつごん
涕涙 悲泣 而白 佛言

爾(そ)の時(とき) 須菩提(しゅぼだい)
是(こ)の経(きょう)の説(と)かれるを聞(き)き
深(ふか)く義趣(ぎしゅ)を解(げ)し
涕涙(ているい)悲泣(ひきゅう)して
仏(ほとけ)に白(もう)して言(い)わく

その時 須菩提は
この経が説かれるのを聞いて
深く その意味・趣旨を理解し
涙を流し むせび泣きながら
仏に申し上げて言った

爾:その それ 指示を表す語。時:時間。須菩提:〈梵〉Subhūti の音写 釈迦の弟子。聞:聞く 耳にする。説:説く 語り聞かせる 教えを述べ伝える。是:これ この。経:経典 仏の教えを記した書物。深:深く 程度が大きいさま。解:理解する 解する。義趣:言葉に込められた意味や趣旨。涕涙:涙を流すこと。悲泣:悲しみ泣くこと 咽び泣くこと。白:申し上げる 目上の者に対して丁寧に言う。言:言う 述べる。




けう せそん
希有 世尊


希有(けう)なり 世尊(せそん)

なんと稀なことでしょう
世尊よ

希有:〈梵〉āścarya などに通じる語、極めて稀であること。世尊:〈梵〉Bhagavat 世の中で最も尊いの意 仏・お釈迦さまの敬称。




ぶっせつ にょぜ じんじん きょうでん
佛説 如是 甚深 經典


仏(ほとけ)は 是(かく)の如(ごと)き
甚深(じんじん)の経典(きょうてん)を説(と)きたもう

仏がこのように
非常に深い(内容の)経典を説かれましたが

仏:〈梵〉Buddha の音写 悟った人 智者。説:語り聞かせる 教えを述べ伝える。如:〜のようである 〜と同じである。是:これ この。甚深:非常に深いこと 奥深い道理を表す語。経典:仏の教えを記した書物。




がじゅう しゃくらい しょとく えげん
我從 昔來 所得 慧眼

みぞう とくもん にょぜ しきょう
未曾 得聞 如是 之經


我(われ) 昔(むかし)より来(このかた)得(え)たる所(ところ)の
慧眼(えげん)をもて
未(いま)だ曾(かつ)て
是(か)くの如(ごと)きの経(きょう)を聞(き)くことを得(え)ざり

私が昔から得てきた
智慧の眼をもってしても
いまだかつて
このような経を聞いたことがありません

我:自分 自己。從:〜より 〜から。昔:むかし 以前。來:このかた 以来。所得:得たところの 得たもの。慧眼:〈梵〉prajñā-cakṣus 物事の本質や真理を見通す優れた智慧の眼。未曾:いまだかつて〜ない これまで一度も〜ない。得聞:聞くことができる 聞き得る。如是:このような かくのごとき。之:〜の 連体修飾を示す語。経:経典 仏の教えを記した書物。






せそん にゃくぶうにん
世尊 若復有人 
とくもんぜきょう
得聞是經
しんじんしょうじょ
信心清淨

そくしょうじっそう
即生實相


世尊(せそん) 若(も)し復(ま)た人(ひと)有(あ)りて
是(こ)の経(きょう)を聞(き)くことを得(え)て
信心(しんじん)清浄(しょうじょう)ならば
即(すなわ)ち実相(じっそう)を生(しょう)ぜん

世尊よ もしまた人がいて
この経が説かれるのを聞き
信心(教えを信じる心)が清らかになれば
すなわち実相(真実のありのままの姿・あり方)が心に生じるでしょう

世尊:〈梵〉Bhagavat 世の中で最も尊いの意 仏・お釈迦さまの敬称。若:もし〜ならば 仮定を表す語。復:再び 重ねて。有:有る 存在する。人:人間。得聞:聞くことができる 聞き得る。是:これ この。経:経典 仏の教えを記した書物。信心:仏の教えを信じる心。清浄:〈梵〉śuddha などに対応する語 汚れがなく清らかであること。即:すなわち とりもなおさず。生:生じる 生まれる。實相:〈梵〉tattva・dharmatā などに対応する語 ものごとのありのままの真実の姿 真理そのもの。




とうちぜにん
當知是人
じょうじゅだいいち
成就第一

けうくどく
希有功徳

当(まさ)に知(し)るべし この人(ひと)は
第一(だいいち)希有(けう)の功徳(くどく)を
成就(じょうじゅ)せんことを

まさに知るべきなのです このような人は
最上にして きわめて稀な功徳を
成し遂げるに違いないことを

当:当然そうあるべきさまを表す語。知:知る 理解する。是:これ この。人:人間。成就:物事を成し遂げること。第一:最も優れていること。希有:〈梵〉āścarya などに通じる語、極めて稀であること。功徳:〈梵〉guṇa などに対応する語 善い行いによって得られる優れた徳やその果報。




せそん
世尊


世尊(せそん)

世尊よ

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




ぜじつそうしゃ そく ぜひそう
是實相者 即 是非相


是(こ)れ実相(じっそう)とは
即(すなわ)ち是(こ)れ非相(ひそう)なればなり

実相(真実のありのままの姿・あり方)であることは
非相(固定した特徴を持たない姿・あり方)であることです

是:〜である。〜とは〜であるという判断・断定を表す語。実相:真実のありのままの姿・あり方。物事の真実の姿やあり方を表す語。者:〜とは。前の語を受けて説明する語。即:すなわち。そのまま。非:〜ではない。否定を表す語。相:〈梵〉lakṣaṇa・nimitta・saṃjñāなどに対応する漢訳。姿・形・特徴・現れ・観念などを表す語。文脈によって身体的特徴・対象の現れ・心が抱く固定的な見方など異なる意味。




ぜこ にょらいせつ みょうじっそう
是故 如來説 名實相


是(こ)れ故(ゆえ)に 如来(にょらい)説(と)きて
実相(じっそう)と名(な)づく

だからこそ 如来は説いているのです
実相(真実のありのままの姿・あり方)という名前がつけられている と

是故:これゆえに このために 前の内容を理由として示す語。如来:〈梵〉Tathāgata 語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。説:説く 語り聞かせる 教えを述べ伝える。名:名づける 名前をつける。實相:真実のありのままの姿・あり方。物事の真実の姿やあり方を表す語。




せそん
世尊


世尊(せそん)

世尊よ

世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




がこんとくもん にょぜきょうでん
我今 得聞 如是經典
しんげ じゅぢ ふそく いなん
信解 受持 不足 爲難


我(われ)今(いま)
是(か)くの如(ごと)き経典(きょうてん)を聞(き)くことを得(え)て
信解(しんげ)し受持(じゅじ)するは
難(かた)しと為(な)すに足(た)らず

私は今
このような経典を聞くことができたので
その教えを信じて理解し 信奉し持ち続けることは
それほど難しいことではありませんが

我:自分、自分自身を指す語。今:現在、この時。得:得ること、〜することができる意にも用いられる。聞:聞くこと、教えなどを聞き知ること。如是:このような。經典:仏の教えを記した経典。信解:教えを信じて理解すること。受持:教えを信奉し持ち続けること。不足:〜するに足りない。〜するほどではない。為:〜とする。〜とみなす。難:難しいこと。容易でないこと。




にゃくとう らいせ ごごひゃくさい
若當 來世 後五百歳

ごう しゅじょう とくもん ぜきょう
其有 衆生 得聞 是經
しんげ じゅぢ
信解 受持


若(も)し当(まさ)に 来世(らいせ)の
後(ご)五百歳(ごひゃくさい)に
其(そ)の衆生(しゅじょう)有(あ)りて
是(こ)の経を聞くことを得(え)て
信解(しんげ)し受持(じゅじ)せば

もし これから来る世の 後の五百年の時代においても
心ある生きものがいて
この経を聞くことができ
教えを信じて理解し 信奉し持ち続け(る人がい)れば

若:もし〜ならば 仮定を表す語。当:まさに〜すべきである 当然そうあるべきさまを表す語。來世:来るべき世 未来の時代。後:のち あと。五百歳:五百年 五百年の期間。其:それ その。有:有る 存在する。衆生:〈梵〉sattva に対応する語 生きとし生けるもの 生命ある存在を意味する。得聞:聞くことができる 聞き得る。是:これ この。経:経典 仏の教えを記した書物。信解:教えを信じ理解すること。受持:教えを信奉し持ち続けること。




ぜにんそく い だいいち けう
是人即 爲 第一 希有


是(こ)の人(ひと)は即(すなわ)ち
第一(だいいち)の希有(けう)為(た)り

このような人こそ
最上にして きわめて稀な人なのです

是:これ この。人:人間。即:すなわち とりもなおさず。第一:最も優れていること 一番。希有:〈梵〉āścarya などに通じる語 めったにないこと 極めて稀であること。為:〜である 断定を表す語。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




しにん
此人
むがそう むにんそう
無我相 無人相
むしゅじょうそう むじゅしゃそう
無衆生相 無壽者相


此(こ)の人(ひと)は
我相(がそう)無(な)く
人相(にんそう)無(な)く
衆生相(しゅじょうそう)無(な)く
寿者相(じゅしゃそう)無(な)ければなり

このような人には
我相(自分という 固定した姿・あり方があるという思い込み)も
人相(他者という 固定した姿・あり方があるという思い込み)も
衆生相(心ある生きものという 固定した姿・あり方があるという思い込み)も
壽者相(永続する自己という 固定した姿・あり方があるという思い込み)も
無いからです

此:この 指示を表す語。人:人間。無:無い 存在しない。我相:〈梵〉ātma-saṃjñā 変わらない自己(我)があるという固定的な想い・とらわれ。人相:〈梵〉pudgala-saṃjñā 独立した個としての人(人格的な存在)があるという固定的な想い・とらわれ。衆生相:〈梵〉sattva-saṃjñā 固定した生きとし生けるものがあるという想い・とらわれ。壽者相:〈梵〉jīva-saṃjñā 生まれ変わりを通じても変わらず存続する自己や生命の主体があるという想い・とらわれ。




しょいしゃが
所以者何


所以(ゆえん)は如何(いか)に

なぜかというと

所以:理由。そうする理由。者:〜は。話題を示す語。何:何か。どのような理由か。




がそう そくぜ ひそう
我相 即是 非相


我相(がそう)は
即(すなわ)ち 是(こ)れ相(そう)に非(あら)ず

我相(自分という固定した姿・あり方があるという思い込み)は
すなわち 非相(固定した特徴を持たない姿・あり方)なのです

我相:〈梵〉ātma-saṃjñā。変わらない自己(我)があるという固定的な想い・とらわれ。即:すなわち。そのまま〜であることを示す語。是:これ。ここでは「〜である」と断定する働きをする語。非相:固定した特徴やあり方を持たない姿・あり方。




にんそう
人相
しゅじょうそう
衆生相
じゅうしゃそう
壽者相
そくぜ ひそう
即是 非相


人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
寿者相(じゅしゃそう)も
即(すなわ)ち是(こ)れ 非相(ひそう)なり

人相(他者という固定した姿・あり方があるという思い込み)も
衆生相(心ある生きものという固定した姿・あり方があるという思い込み)も
寿者相(永続する自己という固定した姿・あり方があるという思い込み)も
すなわち 非相(固定した特徴を持たない姿・あり方)なのです

人相:〈梵〉pudgala-saṃjñā。独立した個としての人(人格的な存在)があるという固定的な想い・とらわれ。衆生相:〈梵〉sattva-saṃjñā。固定した生きとし生けるものがあるという想い・とらわれ。寿者相:〈梵〉jīva-saṃjñā。生まれ変わりを通じても変わらず存続する自己や生命の主体があるという想い・とらわれ。即:すなわち。前の内容を受けて「そのまま〜である」と示す語。是:これ。ここでは「〜である」と断定する働きをする語。非相:固定した特徴やあり方を持たない姿・あり方。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




り いっさい しょそう
離 一切 諸相
そく みょう しょぶつ
即 名 諸佛

一切(いっさい)の諸相(しょそう)を離(はな)れたる
即(すなわ)ち 諸仏(しょぶつ)と名(な)づくればなり

すべての相(固定した姿やあり方)から離れ切ったことに
すなわち 諸仏という名前がつけられているからです

離:離れる 遠ざかる。一切:すべて あらゆる。諸相:もろもろの相 さまざまな固定的な姿 特徴 観念。即:すなわち とりもなおさず。名:名づける 名前をつける。諸佛:もろもろの仏 多くの仏たち。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者 ここではお釈迦様を指す。告:つげる 教え諭すように話しかけること。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




にょぜ にょぜ
如是 如是


是(か)くの如(ごと)し
是(か)くの如(ごと)し

その通りだ
その通りだ

如是:このようである、そのとおりであるという意味の語。




にゃくぶ うにん
若復 有人
とくもん ぜきょう
得聞 是經

ふきょう ふふ ふい
不驚 不怖 不畏

若(も)し復(ま)た人(ひと)有(あ)りて
是(こ)の経(きょう)を聞(き)くことを得(え)
驚(おどろ)かず 怖(おそ)れず 畏(おそ)れざれば

もしまた人がいて
この経を聞くことができ
驚かず 恐怖せず 畏れなければ

若:もし〜ならば 仮定を表す語。復:再び 重ねて。有:有る 存在する。人:人間。得:〜できる 〜し得る 可能を表す語。聞:聞く 耳にする。是:これ この。経:経典 仏の教えを記した書物。驚:驚く 動揺する。怖:怖れる おびえる 恐怖を感じる。畏:畏れる おそれかしこまる。




とうち ぜにん
當知 是人
じんに けう
甚爲 希有


当(まさ)に知(し)るべし 是(こ)の人(ひと)は
甚(はなは)だ希有(けう)と為(な)す

まさに知るべきなのだ このような人は
きわめて稀な人であることを

当:まさに〜すべきである 当然そうあるべきさまを表す語。知:知る 理解する。是:これ この。人:人間。甚:はなはだ 非常に 程度が大きいさま。爲:〜である 断定を表す語。希有:めったにないこと 極めて稀であること。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
須菩提(しゅぼだい)

何故かというと
須菩提よ

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




にょらいせつ だいいちはらみっ
如來説 第一波羅蜜
そくひ だいいちはらみっ
即非 第一波羅蜜

ぜみょう だいいちはらみつ
是名 第一波羅蜜

第一(だいいち)波羅蜜(はらみつ)は即(すなわ)ち
第一(だいいち)波羅蜜(はらみつ)に非(あら)ずと如来(にょらい)は説(と)き
是(こ)れ 第一(だいいち)波羅蜜(はらみつ)と名(な)づく

第一(最も優れた)波羅蜜(悟りへ至るための実践)は すなわち
(それだけで独立して存在する 固定したものとしての)
第一波羅蜜ではないと 如来は説かれている
(だからこそ)
これに 第一波羅蜜という名前がつけられているのだ

第一:最もすぐれたこと。波羅蜜:〈梵〉pāramitā。悟りの境地へ至るための修行・実践。即:すなわち、そのまま〜であること。非:〜ではない。如来:〈梵〉Tathāgata。真理に至った者、仏の尊称。説:説く、教えを示すこと。是:これ、前に述べたものを指す語。名:名づける、その名で呼ぶこと。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




にんにくはらみつ にょらいせっ
忍辱波羅蜜 如來説
ぴ にんにくはらみつ
非 忍辱波羅蜜
ぜみょう にんにく はらみつ
是名 忍辱 波羅蜜


忍辱(にんにく)波羅蜜(はらみつ)は 即(すなわ)ち
忍辱(にんにく)波羅蜜(はらみつ)に非(あら)ずと如来(にょらい)は説(と)き
是(こ)れ 忍辱(にんにく)波羅蜜(はらみつ)と名(な)づく

忍辱(苦難に耐え忍ぶ)波羅蜜(悟りへ至るための実践)は すなわち
(それだけで独立して存在する 固定したものとしての)
忍辱波羅蜜ではないと 如来は説かれている
(だからこそ)
これに 忍辱波羅蜜という名前がつけられているのだ

忍辱:〈梵〉kṣānti、苦しみや困難に耐え忍ぶこと。波羅蜜:〈梵〉pāramitā、悟りの境地へ至るための修行・実践。如来:〈梵〉Tathāgata、真理に至った者。仏の尊称。即:すなわち、前に述べたことを受けて同じ意味であることを示す語。非:〜ではない、否定を表す語。是:これ、前に述べたものを指す語。名:名づける、あるものをその名で呼ぶこと。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
須菩提(しゅぼだい)

何故かというと
須菩提よ

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




にょがしゃく い かりおう
如我昔 爲 歌利王
かっせつ しんたい
割截 身體


我(われ)昔(むかし) 歌利王(かりおう)の為(ため)に
身体(しんたい)を割截(かっせつ)せられたるが如(ごと)し

私が昔 歌利王によって
身体を切り取られたように

如:〜のように、前に述べた事柄と同じようであることを示す語。我:〈梵〉ātman、自分、自己、我を意味する語。昔:過去、以前。為:〜によって、受身の動作主を示す語。歌利王:釈迦の前世である忍辱仙人の身体を切り取ったとされる王。割截:身体を切り取ること。身體:身体、からだ。

【補足説明】
忍辱(にんにく)仙人説話(出典:ジャータカ物語)
お釈迦様が過去世で「忍辱(にんにく)仙人」という修行者であった時の物語です 忍辱仙人が山中で修行していたところ 狩りに来ていた歌利王が仙人を見咎め 怒りにまかせて手足や耳鼻を次々と切り落としました しかし仙人は少しも怒らず 恨みもせず ただ静かに耐え忍びました その様子を見た神々が驚いて王を戒めたため ついに王も自らの非を悟り 仙人に許しを請うたと伝えられています




がおにじ
我於爾時
むがそう むにんそう
無我相 無人相

むしゅじょうそう むじゅしゃそう
無衆生相 無壽者相


我(われ) 爾(そ)の時(とき)に於(お)いて
我相(がそう)無(な)く
人相(にんそう)無(な)く
衆生相(しゅじょうそう)無(な)く
壽者相(じゅしゃそう)無(な)かりき

私には その時
我相(自分という固定した姿 あり方があるという思い込み)も無く
人相(他者という固定した姿 あり方があるという思い込み)も無く
衆生相(心ある生きものという固定した姿 あり方があるという思い込み)も無く
壽者相(永続する自己という固定した姿 あり方があるという思い込み)も無かった

我:自分 自己。於:〜において 〜に。爾:その それ 指示を表す語。時:とき 時間。無:無い 存在しない。我相:〈梵〉ātma-saṃjñā 変わらない自己(我)があるという固定的な想い とらわれ。人相:〈梵〉pudgala-saṃjñā 独立した個としての人(人格的な存在)があるという固定的な想い とらわれ。衆生相:〈梵〉sattva-saṃjñā 固定した生きとし生けるものがあるという想い とらわれ。壽者相:〈梵〉jīva-saṃjñā 生まれ変わりを通じても変わらず存続する自己や生命の主体があるという想い とらわれ。




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




がお おうしゃく
我於 往昔
せつせつ しげじ
節節支解時

我(われ)往昔(おうじゃく)
節節(ふしぶし)を支解(しかい)されし時(とき)に

私が昔
身体を節々に切り離された時に

我:自分、自己、我を意味する語。於:〜において、〜に。往昔:遠い昔、以前。節節:身体の各部分、手足などの関節。支解:身体を手足などに分けて切り離すこと。時:その時、ある時点を表す語。




にゃくう
若有

がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相
 壽者相
おうしょう しんごん
應生 瞋恨

若(も)し
我相(がそう)
人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう)
壽者相(じゅしゃそう)
有(あ)らば
應(まさ)に瞋恨(しんこん)を生(しょう)ずべかりしならん

もし私に
我相(自分という 固定した姿・あり方があるという思い込み)
人相(他者という 固定した姿・あり方があるという思い込み)
衆生相(心ある生きものという 固定した姿・あり方があるという思い込み)
壽者相(永続する自己という 固定した姿・あり方があるという思い込み)
があったなら
きっと怒りや恨みの心が生じていたはずだからだ

若:もし、仮定を表す語。有:ある、存在する。我相:〈梵〉ātma-saṃjñā、自分という固定した姿・あり方があるという思い込み。人相:〈梵〉pudgala-saṃjñā、他者という固定した姿・あり方があるという思い込み。衆生相:〈梵〉sattva-saṃjñā、心ある生きものという固定した姿・あり方があるという思い込み。壽者相:〈梵〉jīva-saṃjñā、永続する自己という固定した姿・あり方があるという思い込み。應:当然〜するはずである、そうなることを示す語。生:生じる、起こる。瞋恨:怒りや恨みの心。








ぢきょうくどくぶん だいじゅうご

持経功徳分 第十五

経(きょう)を持(じ)する功徳(くどく)の分(ぶん)
第十五(だいじゅうご)

経を保ち続ける功徳についての章
第十五

持:たもつ、保ち続ける。経:経典、仏の教えを記した書物。功徳:〈梵〉guṇa などに対応する語、善い行いによって得られる優れた徳やその果報。分:章 段落 経典を区切る単位。第十五:十五番目の意。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。
須菩提よ




にゃくう ぜんなんし ぜんにょにん
若有 善男子 善女人

若(も)し 善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)有(あ)りて

もし 仏道を求める信心篤い男女がいて

若:もし。仮定を表す語。有:ある。いる。存在することを表す語。善男子 善女人:仏道を求める信心篤い男女への敬称。




しょにちぶん
初日分
い ごうがしゃ とうしん ふせ
以 恒河沙 等身 布施

初(はじ)めの日分(にちぶん)に
恒河(ごうが)の沙(すな)に等(ひと)しき
身(み)を以(もっ)て布施(ふせ)し

一日の最初の時分に
ガンジス河の砂の数に等しいほどの
身命をもって布施したとする

初日分:一日の時間を三分(初日分・中日分・後日分)したうちの最初の時分。早朝を指す。恒河:ガンジス川のこと。沙:砂。恒河沙でガンジス川の砂の意となり 非常に多い数のたとえ。等:等しい。同じ程度であること。身:身体、命。以:もって。それを用いてという意。布施:〈梵〉dāna。財物や身体などを他者に施すこと。




ちゅうにちぶんぶ
中日分復
い ごうがしゃ とうしん ふせ
以 恒河沙 等身 布施

中(なか)の日分(にちぶん)にも復(ま)た
恒河(ごうが)の沙(すな)に等(ひと)しき
身(み)を以(もっ)て布施(ふせ)し

昼の時分にもまた
ガンジス河の砂の数に等しいほどの
身命をもって布施したとする

中日分:一日を三分(初日分 中日分 後日分)した時のうちの中間の時分 昼を指す。復:再び 重ねて。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。恒河:〈梵〉Gaṅgā ガンジス河のこと 仏典では無数の数量を喩える際に用いられる。沙:砂 川辺や河底にある細かい砂粒。等:〜と等しい 同じ程度である。身:からだ 身体 命。布施:〈梵〉dāna の訳 財物や教えを施し与えること 仏教における六波羅蜜の一つ。




ごにちぶんやく
後日分亦
いごうがしゃ とうしん ふせ
以恒河沙 等身 布施

後(のち)の日分(にちぶん)にも亦(ま)た
恒河(ごうが)の沙(すな)に等(ひと)しき
身(み)を以(もっ)て布施(ふせ)し

夕方の時分にもまた
ガンジス河の砂の数に等しいほどの
身命をもって布施したとする

後日分:一日を三分(初日分 中日分 後日分)した時のうちの最後の時分 夕方を指す。亦:また 同様に。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。恒河:〈梵〉Gaṅgā ガンジス河のこと 仏典では無数の数量を喩える際に用いられる。沙:砂 川辺や河底にある細かい砂粒。等:〜と等しい 同じ程度である。身:からだ 身体 命。布施:〈梵〉dāna の訳 財物や教えを施し与えること 仏教における六波羅蜜の一つ。




にょぜ むりょう
如是 無量
ひゃくせんまんのく こう
百千萬億 劫
いしん ふせ
以身 布施

是(か)くの如(ごと)く無量(むりょう)の
百千万億(ひゃくせんまんおく)劫(こう)
身(み)を以(もっ)て布施(ふせ)せんに

このように 量れないほど
途方もなく長い間にわたり
身命をもって布施したとしても

如是:このような かくのごとき。無量:数えきれないこと 量ることができないほど多いこと。百千萬億:非常に大きな数を表す語。劫:〈梵〉kalpa の音写 極めて長い時間の単位 宇宙が生成し消滅するほどの長大な時間を指す。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。身:からだ 身体 命。布施:〈梵〉dāna の訳 財物や教えを施し与えること 仏教における六波羅蜜の一つ。




にゃくぶ うにん
若復 有人
もんし きょうでん
聞此 經典

しんじん ふぎゃく
信心 不逆

若(も)し復(ま)た人(ひと)有(あ)りて
此(こ)の経典(きょうでん)を聞(き)き
信心(しんじん)して逆(さか)らわざれば

もしまた人がいて
この経典を聞き
教えを信じて逆らわなければ

若:もし〜ならば 仮定を表す語。復:再び 重ねて。有:有る 存在する。人:人間。聞:聞く 耳にする。此:これ この。経典:仏の教えを記した書物。信心:仏の教えを信じる心。不:〜ない、否定を表す語。逆:逆らう、教えを受け入れず反発すること。




ごふく しょうひ
其福 勝彼

其(そ)の福(ふく)は
彼(かれ)に勝(まさ)れたり

その福徳は
それらの布施よりも勝っている

其:その、前に述べたものを指す語。福:〈梵〉puṇya、善い行いや布施などによって得られる功徳。勝:勝る。上回ること。彼:かのもの、それまでに述べたものを指す語。




がきょう
何況
しょしゃ じゅぢ どくじゅ
書寫 受持 讀誦

いにん げせつ
爲人 解説

何(いか)に況(いわ)んや
書写(しょしゃ)し 受持(じゅじ)し 読誦(どくじゅ)し
人(ひと)の為(ため)に解説(げせつ)せんをや

まして
書き写し 信奉し持ち続け 読み唱え
他者のために解き明かして説くのであれば
なおさらのことである

何況:まして〜なおさら 前の事柄よりもさらに程度が進むことを示す語。書寫:書き写すこと 経典などを書き写す修行の一つ。受持:教えを信奉し持ち続けること。讀誦:〈梵〉vācana などに対応する語 経典を声に出して読み唱えること。爲人:人のために 他者のために。解説:意味や内容を解き明かして説くこと。




しゅぼだい
須菩提
いよう ごんし
以要 言之

須菩提(しゅぼだい)
要(よう)を以(もっ)て之(こ)れを言(い)わば

須菩提よ
要点をもって これを言うならば

須菩提:〈梵〉Subhūti の音写 釈迦の弟子。以:〜を用いて 〜でもって 手段や方法を表す語。要:要点 かなめ 重要なところ。言:言う 述べる。之:これ 前に述べた事柄を指す語。




ぜきょう う
是經 有
ふかしぎ ふかしょうりょう
不可思議
 不可稱量
むへん くどく
無邊 功徳

是(こ)の経(きょう)は
不可思議(ふかしぎ) 不可称量(ふかしょうりょう)
無辺(むへん)の 功徳(くどく)有(あ)り

この経には
不可思議な 量ることもできない
限りない 功徳があるのだ

是:これ。經:仏の教えを記した経典。有:存在することを表す語。不可思議:思いや言葉では捉えられないこと。不可稱量:量ることができないこと。無邊:限りがない、果てがない。功徳:善い行いによって得られる優れた徳やその果報。




にょらい
如來
い ほつ だいじょうしゃ せつ
爲 發 大乘者 説
い ほつ さいじょうじょう しゃ せつ
爲 發 最上乘 者 説


如来(にょらい)
大乗(だいじょう)を発(ほっ)す者(もの)の為(ため)に説(と)き
最上乗(さいじょうじょう)を発す者の為に説けり

如来は
この上ない道に向かう者のために説かれ
最も優れた道に向かう者のために説かれた

如来:〈梵〉Tathāgata、語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。爲:〜のために、目的を示す語。發:発す、目覚める、心を起こす。大乘:〈梵〉mahāyāna、大きな乗り物の意、すべての生きとし生けるものを悟りへ導こうとする教えや実践。者:〜する者、〜する人。説:説く、語り聞かせる、教えを述べ伝える。最上乘:この上なく優れた乗り物、最も勝れた教えや道を意味する語。




にゃくうにん
若有人
のうじゅぢ どくじゅ
能受持 讀誦
こうい にんせつ
廣爲 人説

若(も)し人(ひと)有(あ)りて
能(よ)く受持(じゅじ)し 読誦(どくじゅ)し
広(ひろ)く人(ひと)の為(ため)に説(と)かば

もし人がいて
(この経を)よく受け持ち 読み唱え
広く他者のために説くならば

若:もし〜ならば、仮定を表す語。有:有る、存在する。人:人間。能:よく〜できる、〜する能力がある。受持:教えを信奉し持ち続けること。讀誦:経典を声に出して読み唱えること。廣:広く、あまねく。爲:〜のために、目的を示す語。説:説く、語り聞かせる、教えを述べ伝える。




にょらい
如來
しっち ぜにん
悉知 是人
しっけん ぜにん
悉見 是人

如来(にょらい)
悉(ことごと)く是(こ)の人(ひと)を知(し)り
悉く是の人を見(み)る

如来は
ことごとく このような人を知り
ことごとく このような人を見ている

如来:〈梵〉Tathāgata。悉:ことごとく、すべてを表す語。知:知る、物事を認識すること。是:これ、このようなものを指す語。人:他者、ここではそのような人を指す語。見:見る、目で捉えること。




かいとく じょうじゅ
皆得 成就
ふかりょう ふかしょう
不可量 不可稱

 むうへん ふかしぎ くどく
無有邊 不可思議 功徳

皆(みな)
不可量(ふかりょう) 不可称(ふかしょう)
辺(へん)有(あ)ること無(な)き
不可思議(ふかしぎ)の功徳(くどく)を
成就(じょうじゅ)するを得(え)ん

(だからこそ これらの人は)

量り知れず 言い表すこともできず
限りのない
不可思議な功徳を(積むことを)
成し遂げることになるだろうし・・・

皆:みな、すべて。得:〜できる、〜し得る。成就:完璧に成し遂げること、達成すること。不可量:量ることができないこと。不可稱:称えることができないこと、言い尽くすことができないこと。無有邊:果てがないこと、限りがないこと。不可思議:〈梵〉acintya、心で思いはかることも言葉で表すこともできないこと。功徳:善い行いによって得られる優れた徳やその果報。




にょぜ にんとう そくい かたん にょらい
如是 人等 即爲 荷擔 如來
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提

如(かく)の如(ごと)きの人(ひと)等(ら)は
即(すなわ)ち 如来(にょらい)の
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
荷担(かたん)すと為(な)す

このような人らは
すなわち 如来の
この上なく正しい完全な悟りを
自らの肩に担うことになるのだ

如是:このような、かくのごとき。人:人間。等:ら、〜たち、複数を表す語。即:すなわち、とりもなおさず。爲:〜である、断定を表す語。荷擔:荷物を担うこと、転じて重い責任や使命を自ら背負うこと。如来:〈梵〉Tathāgata、語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttarā-samyak-saṃbodhi、仏の覚りの境地・智慧。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に
須菩提(しゅぼだい)

何故かというと
 須菩提よ

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




にゃく ぎょう しょうほうしゃ ぢゃく
若樂 小法者著
がけん にんけん
我見 人見
しゅじょうけん じゅしゃけん
衆生見 壽者見

若(も)し小法(しょうほう)を楽(ねが)う者(もの)は
我見(がけん)
人見(にんけん)
衆生見(しゅじょうけん)
寿者見(じゅしゃけん)に
著(じゃく)す

もし小さな教えを望む者は
我見(自分に対する固定した見解)
人見(他者に対する固定した見解)
衆生見(生きとし生けるものに対する固定した見解)
壽者見(永続する自己に対する固定した見解)
に執着しているのだ

若:もし〜ならば、仮定を表す語。小法:小さな教え、狭い視野に基づく劣った教え。樂:ねがう、望む、好む。者:〜する者、〜する人。著:とらわれる、執着する。我見:自分という固定した見方、とらわれ。人見:他者という固定した見方、とらわれ。衆生見:生きとし生けるものという固定した見方、とらわれ。壽者見:永続する自己という固定した見方、とらわれ。



そく おしきょう ふのう
即 於此經 不能
ちょうじゅ どくじゅ
聽受  讀誦
いにん げせつ
爲人 解説

即(すなわ)ち此(こ)の経(きょう)に於(お)いて
聴受(ちょうじゅ)し 読誦(どくじゅ)し
人(ひと)の為(ため)に解説(げせつ)すること 能(あた)わず

すなわち この経を
聞き受け入れ 読み唱え
他者のために解き明かして説くことが できないのだ

即:すなわち、とりもなおさず。於:〜において、〜に。此:これ、この。経:経典、仏の教えを記した書物。聽受:聞いて受け入れること。讀誦:経典を声に出して読み唱えること。爲:〜のために、目的を示す語。人:人間、他者。解説:意味や内容を解き明かして説くこと。能:〜できる、〜する能力がある。




しゅぼだい
須菩提


須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:〈梵〉Subhuti の音写 お釈迦様の弟子の一人。




ざいざい しょしょ
在在 處處
にゃくう しきょう
若有 此經

在在処処(ざいざいしょしょ)に
若(も)し 此(こ)の経(きょう)有(あ)らば

どのような場所であれ
もし この経があるならば

在在處處:あらゆる場所、至る所。若:もし〜ならば、〜という場合。有:存在する、置かれている。此:この、これ。經:経典、仏の教えを記した言葉。




いっさい せけん
一切 世間
てん にん あしゅら
天 人
 阿修羅
しょおう くよう
所應 供養

一切(いっさい)世間(せけん)の
天(てん) 人(にん) 阿修羅(あしゅら)の
応(まさ)に供養(くよう)すべき所(ところ)なり

(そこは)
すべての世界の
天人 人間 阿修羅が
供養すべきところなのだ

一切:すべて、あらゆる。世間:世の中、この世界。天:〈梵〉deva、天部に生まれた衆生。人:〈梵〉pudgala、人間。阿修羅:〈梵〉asura、闘争を好む鬼神の一種。所:〜するところ、動作の対象を示す語。應:まさに〜すべきである、当然そうあるべきさまを表す語。供養:仏や菩薩、仏塔などに香華や飲食などを捧げ敬い尊ぶこと。




とうち ししょ そくい ぜとう
當知 此處 即爲 是塔
かいおう くぎょう さらい いにょう
皆應 恭敬 作禮 圍繞
いしょ げこう にさん ごしょ
以諸 華香 而散 其處

当(まさ)に知(し)るべし
此(こ)の処(ところ)は 即(すなわ)ち 是(こ)れ塔(とう)と為(な)し
皆(みな) 応(まさ)に 恭敬(くぎょう)し
作礼(さらい)し 囲繞(いにょう)し
諸々(もろもろ)の華香(けこう)を以(もっ)て
其(そ)の処(ところ)に散(さん)ずべし

知るべきである
この(経典がある)場所は すなわち塔であり
皆が うやうやしく敬い
礼拝し 右回りに巡り
さまざま花や香を その場所に
散らすべきであることを

當:当、まさに〜すべきである、当然そうあるべきさまを表す語。知:知る、理解する。此:これ、この。処:場所、ところ。即:すなわち、とりもなおさず。是:これ、この。塔:仏の遺骨や遺品を安置し供養するための建造物。皆:みな、すべて。應:まさに〜すべきである、当然そうあるべきさまを表す語。恭敬:うやうやしく敬うこと。作禮:礼拝すること、頭を下げて敬うこと。圍繞:周りを取り囲むこと、右回りに巡り歩くこと。以:〜を用いて、〜でもって、手段や方法を表す語。諸:もろもろ、多くの、さまざまな。華香:花と香、供養に用いる花や香。而:そして、〜て、前後をつなぐ接続の語。散:まき散らすこと、供養として花などを散らすこと。其:それ、その。








のうじょうごつしょうぶん だいじゅうろく

能浄業障分 第十六

能(よく)業障(ごうしょう)を浄(きよ)むる分(ぶん)
第十六(だいじゅうろく)

過去の行いによる報いをよく清めることについての章
第十六

能:よく、十分に。浄:清める、汚れや障りを取り除く。業障:過去の行為によって生じる障り。分:章、教えを区分した一部分。第十六:十六番目の意。




ぶし しゅぼだい
復次 須菩提

復(ま)た次(つぎ)に須菩提(しゅぼだい)

また次に 須菩提よ

復:また、さらに。次:次に、続いて。須菩提:釈迦仏の弟子。




にゃく ぜんなんし ぜんにょにん
若 善男子 善女人
じゅぢ どくじゅ しきょう
受持 讀誦 此經

若(も)し善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
この経(きょう)を受持(じゅじ)し 讀誦(どくじゅ)せば

もし仏道を求める信心篤い男女が
この経を受け持ち 読誦すれば

若:もし、仮に。善男子:仏道を求める信心篤い男性。善女人:仏道を求める信心篤い女性。受持:教えを受けて保ち続けること。讀誦:経典を読み、声に出して唱えること。此:この、これ。經:経典。




にゃく いにん きょうせん
若 爲人 輕賤

若(も)し人(ひと)の為(ため)に
軽賤(きょうせん)せらるるときは

もし人から
軽んじられたり 辱められたりしても

若:もし、仮に。為:〜によって、〜のために。人:他者、人。輕賤:軽んじる、見下す。




ぜにん せんせ ざいごう おうだ あくどう
是人 先世 罪業 應墮 惡道

是人(このひと) 先世(せんぜ)の罪業(ざいごう)にて
応(まさ)に悪道(あくどう)に墮(お)つべきを

このような人は 前の世の罪業によって
本来なら悪道に堕ちるはずだったが

是:この、これ。人:他者、人。先世:前の世、過去の世。罪業:罪となる行い、その行いによって生じる罪。應:〜すべきである、〜のはずである。墮:落ちる、堕ちる。惡道:悪い行いの結果として生まれる苦しみの世界、悪趣。




い こんせ にんきょうせん こ
以 今世 人輕賤 故

今世(こんぜ)に 人(ひと)より
軽賤(きょうせん)せらるる 故(ゆえ)を以(もっ)て

今の世で 人から
軽んじられることにより

以:〜によって、〜をもって。今世:現在の世、この世。人:他者、人。輕賤:軽んじる、見下す。故:理由、わけ。




せんせ ざいごう そくい しょうめつ
先世 罪業 即爲 消滅

先世(せんぜ)の罪業(ざいごう)
即(すなわ)ち消滅(しょうめつ)を為(な)す

前世の罪深い行いの報いは
そのまま消滅し

先世:前の世、過去の世。罪:道理に反する悪い行い。業:〈梵〉karma(カルマ)の漢訳、行為やその結果を生む働きを指す語。即:すなわち、そのまま。為:〜される、〜となる。消滅:消えてなくなること。




とうとく
當得
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提

當(まさ)に
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)べし

まさに 得ることになるのだ
この上なく完全な悟りを

當:まさに、〜すべきである。得:得る、手に入れる。阿耨多羅三藐三菩提:この上なく完全な悟り、仏の悟りを意味する語。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈迦仏の弟子。




がねん かこ むりょう あそうぎ こう
我念 過去 無量 阿僧祇 劫

我(われ)念(おも)う
過去(かこ)無量(むりょう)阿僧祇(あそうぎ)劫(こう)に

私は思い出すのだ
計り知れないほど数え切れないほどの はるかな過去に

我:自分、自分自身。念:思う、心に思い起こす。過去:過ぎ去った時、以前の時。無量:量ることができないほど多いこと。阿僧祇:数え切れないほどの非常に大きな数を表す語。劫:非常に長い時間を表す仏教の時間単位。




お ねんとうぶつ ぜん
於 然燈佛 前

然燈仏(ねんとうぶつ)の前(まえ)に於(お)いて

然燈仏の前で

於:〜において、〜のところで。然燈佛:〈梵〉Dīpaṃkara(ディーパンカラ)の漢訳、過去世において釈尊に成仏の予言を授けたとされる仏。前:前、前方。




とくち
得値
はっぴゃく しせん まんのく
八百 四千 萬億
なゆた しょぶつ
那由他 諸佛

八百四千万億(はっぴゃくしせんまんおく)
那由他(なゆた)の諸仏(しょぶつ)に
値(あ)うことを得(え)て

八百四千万億那由他
という 数え切れないほどの
さまざまな仏に出会えて

得:〜することができるという意。値:あう、めぐり合うこと。八百四千萬億:具体的な数を挙げ数量の膨大さを強調する表現。那由他:〈梵〉nayuta(ナユタ)の音写、極めて大きな数の単位。諸佛:多くの仏がた。




しっかい
悉皆
くよう じょうじ
供養 承事
む くうかしゃ
無 空過者

悉(ことごと)く皆(みな)
供養(くよう)し 承事(じょうじ)して
空(むな)しく過(す)ごす者(もの)無(な)かりしことを

ことごとく すべてに
捧げては敬い そばに仕えては敬い
空しく過ごすことはなかったことを

悉皆:ことごとく、すべて。供養:仏などに物を捧げ、敬うこと。承事:そばに仕えて、世話をすること。無:ない、存在しない。空過:空しく過ごすこと、無駄に過ごすこと。者:人、〜する者。




にゃくぶ うにん おご まつせ
若復 有人 於後 末世

若(も)し復(また)人(ひと)有(あ)りて
後(のち)の末世(まっせ)に於(お)いて

もしまた 後の末世に人がいて

若:もし、仮に。復:また、さらに。有:ある、いる。人:他者、人。後:後の、後に。末世:後の時代、末法の世。於:〜において、〜のところで。




のう じゅうぢ どくじゅ しきょう
能 受持 讀誦 此經
しょとく くどく
所得 功徳

此(こ)の経(きょう)を
能(よ)く 受持(じゅじ)し 読誦(どくじゅ)して
得(う)る所(ところ)の功徳(くどく)は

この経を
受け保ち読み唱えることができれば
得る功徳は

能:〜できるという意。受持:教えを受け保ち続けること。讀誦:文章を読み声に出して唱えること。此:これ、この。經:〈梵〉sūtra(スートラ)の漢訳、仏の教え。所得:得られるもの、得るところのもの。功徳:善い行いで得られる果報。




おがしょ くよう しょぶつ くどく
於我所 供養 諸佛 功徳
ひゃくぶん ふぎゅう いち
百分 不及 一

我(われ)が諸仏(しょぶつ)を
供養(くよう)せし所(ところ)の功徳(くどく)
百分(ひゃくぶん)の一(いち)にも及(およ)ばず

私が諸仏を供養したことよる功徳など
百分の一にも及ばないし

於:〜において、比較や対象を示す語。我:われ、自分。所:〜するところの、〜した事柄。供養:仏や尊い者に物や心を捧げ敬うこと。諸佛:多くの仏がた。功徳:善い行いで得られる果報。百分:百等分。一:一つ、ここでは百分の一を表す。不:〜ない、否定を表す語。及:及ぶ、達する。




せんまんのくぶん
千萬億分
ないし さんじゅ ひゆ
乃至 算數 譬喩
しょふのうぎゅう
所不能及

千万億分(せんまんおくぶん)
乃至(ないし) 算数(さんじゅ) 譬喩(ひゆ)も
及(およ)ぶ能(あた)わざる所(ところ)なり

千万億分の一にも及ばない
また 計算によっても 譬えをもってしても
及ぶことができないほどである

千萬億分:全体を千万億に分けた一分、極めて小さい割合を表す。乃至:また、あるいは。また、〜に至るまでの意。算數:数を数えること、計算すること。譬喩:他のものにたとえて示すこと、たとえ。所不能及:及ぶことができないところ、及ぶことができないほどの意。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈迦仏の弟子。




にゃく ぜんなんし ぜんにょにん
 若 善男子 善女人
おご まつせ
於後 末世
う じゅぢ どくじゅ しきょう
有 受持 讀誦 此經
しょとく くどく
所得 功徳
が にゃく ぐせつしゃ
我 若 具説者
わくうにん もん
或有人 聞

若(も)し善男子(ぜんなんし)善女人(ぜんにょにん)
後(のち)の末世(まっせ)に於(お)いて
此(こ)の経(きょう)を受持(じゅじ)し読誦(どくじゅ)して
得(う)る所(ところ)の功徳(くどく)有(あ)らんに
我(われ)若(も)し具(つぶ)さに説(と)き
或(あ)る人(ひと)聞(き)けば

もし 仏道を求める男女が
後の末世において
この経を受け保ち読み唱えて
得る功徳があり
私がもしそれを詳しく説いたとして
ある人が聞いたら

若:もし、仮に。善男子:仏道を求める信心篤い男性。善女人:仏道を求める信心篤い女性。於:〜において。後:のち、あと。末世:のちの世、時代が下ったのちの世。有:存在する、〜がある。受持:経を受けて保ち続けること。讀誦:経典を読み唱えること。此:この、これ。經:仏の教えを記した経典。所得:得るところ、得られるもの。功徳:善い行いによって生じる功徳、善い行いの果報。我:自分、自分自身。若:もし、仮に。具:つぶさに、詳しく。説:説く、説明する。者:前の内容を受けて、条件や事柄をまとめる語。ここでは「〜としたら」「〜なら」の意。或:ある、特定しない人や物を指す語。有:存在する、〜がある。人:他者、人。聞:聞く、耳にする。




しんそく
心即
おうらん こぎ ふしん
狂亂 狐疑 不信

心(こころ)即(すなわ)ち
狂乱(きょうらん)し 狐疑(こぎ)して 信(しん)ぜざらん

心はたちまち
乱れ 疑い 信じなくなるだろう

心:心、精神。即:すぐに、たちまち。狂亂:心が乱れること。狐疑:疑い迷うこと。不信:信じないこと。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:お釈迦様の弟子。




とうち
當知
ぜきょうぎ ふかしぎ
 是經義 不可思議
かほう やく ふかしぎ
果報 亦 不可思議

當(まさ)に知(し)るべし
此(こ)の経(きょう)の義(ぎ)は 不可思議(ふかしぎ)にして
果報(かほう)も亦(ま)た不可思議(ふかしぎ)なり

まさに知るべきである
この経の意義は不可思議であり
果報もまた不可思議だということを

當:まさに、当然そうすべきだという意。知:知る、理解すること。是:これ、この。經:〈梵〉sūtra(スートラ)の漢訳、仏の教え。義:意義、意味内容。不可思議:思いや考えの及ばないこと、通常の理解を超えていること。果報:行いの結果として受ける報い。亦:また、同じくの意。








くぎょうむがぶん だいじゅうしち

究竟無我分 第十七

究竟(くきょう)は我(が)無しの分(ぶん)
第十七(だいじゅうなな)

究極的には我というものは無いことについての章
第十七

究竟:物事を突き詰めた最終的なところ 突き詰めれば・結局はという意味。無:ないこと。我:〈梵〉ātman(アートマン)に対応する語 恒常不変とされる自己の本体や霊魂のこと。分:ここでは経典の章・段落を意味する語。第十七:十七番目の意。




にじ しゅぼだい
爾時 須菩提
びゃくぶつごん
白佛言

爾時(そのとき) 須菩提(しゅぼだい)
白(もう)して言(い)わく

その時 須菩提は
仏に申し上げて言った

爾時:その時 その時点を指す語。須菩提:〈梵〉Subhūti、釈迦仏の弟子の名。白:目上の者に申し上げること。佛:仏、悟りを得た者。言:言う、述べる。




せそん
世尊
ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子善女人
あのくたらさんみゃくさんぼだいしん
阿耨多羅三藐三菩提 心

世尊(せそん)
善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)心(しん)を発(ほっ)するに

世尊よ
仏道を求める信心篤い男女が
この上なく完全な悟りを 求める心を起こしたら

世尊:この世で最も尊い方。善男子:仏道を求める信心篤い男性。善女人:仏道を求める信心篤い女性。發:心を起こす、発する。阿耨多羅三藐三菩提:この上なく完全な悟り。心:心、心の働き。




うんが おうじゅう
云何 應住
うんが ごうぶく ごしん
云何 降伏 其心

云何(いかん)が
応(まさ)に住(じゅう)すべきや
云何(いかん)が
其(そ)の心(こころ)を降伏(ごうぶく)すべきや

どのように
日々を過ごせばよいのでしょうか
どのように
この心を調えればよいのでしょうか

云何:どのように、どういうふうに。應:当然そうする、〜すべきである。住:とどまる、安住する。其:その、それ。心:心、心の働き。降伏:心の乱れを静め、心を調えること。




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)げたもう

仏は須菩提に告げられた

仏:さとりを開いた者。告:つげる 教え諭すように話しかけること。須菩提:お釈迦様の弟子。




ぜんなんし ぜんにょにん ほつ
善男子 善女人
あのくたらさんみゃくさんぼだい しんしゃ
阿耨多羅三藐三菩提 心者

善男子(ぜんなんし) 善女人(ぜんにょにん)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)心(しん)を発(ほっ)せし者(もの)は

仏道を求める男女で
この上なく正しい完全な悟りを求める心を
起こした者は

善男子:仏道を求める男性。善女人:仏道を求める女性。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttarā samyaksaṃbodhiの音写、この上ない正しく完全な悟り。心:こころ、思いや意志の働き。發:おこす、心や意志を起こし生じさせること。者:もの、〜する人、〜である人。




とうしょう にょ ぜしん
當生 如 是心

當(まさ)に是(かく)の如(ごと)き心(こころ)を生(しょう)ずべし

まさに このような心を起こすべきである

當:当然そうすべきだという意。生:生じさせる、起こす。如是:かくのごとし、このような、次のような。心:こころ、思いや意志の働き。




がおう めつど いっさい しゅじょう
我應 滅度 一切 衆生

我(われ)まさに 一切(いっさい)衆生(しゅじょう)を
滅度(めつど)せしむべし

私はまさに 生きとし生けるものすべてを
永遠の平安の境地へ至らせなければならない

我:われ、自分、私。應:まさに、当然そうすべきだという意。滅度:〈梵〉nirvāṇa、迷いや煩悩の火が消えた永遠の平安の境地。一切:すべて、残らず。衆生:〈梵〉sattva、生きとし生けるもの。




めつど いっさい しゅじょう い
滅度 一切 衆生 已

一切(いっさい)衆生(しゅじょう)を
滅度(めつど)し已(おわ)りても

(更に) 生きとし生けるものを
永遠の平安の境地へ至らせおえても

滅度:〈梵〉nirvāṇa(ニルヴァーナ)の漢訳、迷いや煩悩の火が消えた永遠の平安の境地。一切:いっさい、すべて、残らず全部という意。衆生:〈梵〉sattva(サットヴァ)の漢訳、生命あるものすべて、生きとし生けるもの。已:おわる、物事が終わり尽きること。




に むう いっしゅじょう じつ めつどしゃ
而 無有 一衆生 實 滅度者

而(しか)れども 一(いち)衆生(しゅじょう)も
実(じつ)には 滅度(めつど)する者(もの)
有(あ)ること無(な)しと

しかしながら 誰一人として
実際には 永遠の平安の境地へ至った者など
いないのだと

而:しかも、そのうえの意。ここでは文脈上、現代語訳では省略。無有:存在しない、無い。一衆生:一人の生きとし生けるもの、一人の衆生。實:実際に、真実に。滅度:永遠の平安の境地へ至らせること。者:人、〜する者。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。





にゃく ぼさっう
若 菩薩有
がそう にんそう
我相 人相
しゅじょうそう じゅしゃそう
衆生相 壽者相
そく ひぼさつ
即 非菩薩

若(も)し菩薩(ぼさつ)に
我相(がそう) 人相(にんそう)
衆生相(しゅじょうそう) 寿者相(じゅしゃそう)有(あ)らば
即(すなわ)ち 菩薩(ぼさつ)に非(あら)ず

もし菩薩に
我相(自分という 固定した姿・あり方があるという思い込み)
人相(他者という 固定した姿・あり方があるという思い込み)
衆生相(心ある生きものという 固定した姿・あり方があるという思い込み)
壽者相(永続する自己という 固定した姿・あり方があるという思い込み)があれば
もはや 菩薩ではないからだ

若:もし、仮定の意。菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写、自らの悟りを求めるとともに他者の救済も目指す者。有:ある、いる、存在すること。我相:〈梵〉ātma-saṃjñā、自分という固定した姿・あり方があるという思い込み。人相:〈梵〉pudgala-saṃjñā、他者という固定した姿・あり方があるという思い込み。衆生相:〈梵〉sattva-saṃjñā、心ある生きものという固定した姿・あり方があるという思い込み。壽者相:〈梵〉jīva-saṃjñā、永続する自己という固定した姿・あり方があるという思い込み。卽:すなわち、そのままの意で結果を示す語。非:あらず、〜でないこと。




しょい しゃが しゅぼだい
所以 者何 須菩提


所以(ゆえん)は如何(いか)に
須菩提(しゅぼだい)

なぜかというと
須菩提よ

所以:理由。そうする理由。者:〜は。話題を示す語。何:何か。どのような理由か。須菩提:釈迦の十大弟子の一人。




じつ むうほう
實 無有法
ほつ あのくたらさんみゃくさんぼだい しんしゃ
發 阿耨多羅三藐三菩提 心者

実(じつ)に
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心(こころ)を発(ほっ)す者(もの)は
法(ほう)として 有(あ)ること無(な)し

実に
この上ない正しく完全な悟りを求める心を起こす者という
(固定的な)事柄は 無いのだ

實:じつに、まことに、実際には。無有:存在しない、無い。法:〈梵〉dharma(ダルマ)、事物や存在そのものを指す語。發:おこす、心や意志を起こし生じさせること。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しく完全な悟り。心:こころ、思いや意志の働き。者:もの、〜する人、〜である人。【補足説明】仏教では、あらゆるものは縁起によって仮に集合したものであり、永遠に固定したものではないとする。この一節は、「事柄を永遠に不変で独立して存在するものと認識すること」を否定している。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何

須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūti。於意:心の中で考えるならば という意味。云何:どのように思うか どう考えるか。




にょらい を ねんとうぶつしょ
如來 於 然燈佛 所
う ほうとく
有 法得
あのくたらさんみゃくさんぼだい ふ
阿耨多羅三藐三菩提 不


如来(にょらい) 然燈仏(ねんとうぶつ)の所(ところ)に於(お)いて
法(ほう)として
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得(え)たること 有(あ)るや不(いな)や

如来が 然燈仏のもとにおいて
(固定的な)事柄として
この上ない正しく完全な悟りを
得たという事柄があるのか

如來:〈梵〉tathāgata、真理のままに来た者。於:〜において。然燈佛:〈梵〉Dīpaṃkara、過去世で釈尊に成仏を予言したとされる仏。所:ところ、場所。有:ある、存在すること。法:〈梵〉dharma、事物や存在を指す語。得:える、手に入れること。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttarā samyaksaṃbodhi、この上ない正しく完全な悟り。不:いなや、疑問を表す語。【補足説明】仏教では、あらゆるものは縁起によって仮に集合したものであり、永遠に固定したものではないとする。この一節は、「事柄を永遠に不変で独立して存在するものと認識すること」を否定している。




ほっちゃ せそん
不也 世尊
にょ がげ ぶっしょ せつぎ
如 我解 佛所 説義

不(いな)なり 世尊(せそん)
我(われ) 仏(ほとけ)の説(と)きたもう所(ところ)の
義(ぎ)を解(げ)する如(ごと)きは

いいえ 世尊よ
私が 仏の説かれたところの
意味を理解している限りでは

不:否定を表す語。也:断定を表す語。世尊:この世で最も尊い方。我:自分。解:理解すること。仏:仏を指す語。説:教えを説き示すこと。義:意味 内容。




ぶつを ねんとうぶっしょ むう ほうとく
佛 於 然燈佛 所 無有 法得
あのくたらさんみゃくさんぼだい 
阿耨多羅三藐三菩提


仏(ほとけ)は 然燈仏(ねんとうぶつ)の所(ところ)において
法(ほう)として
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たるもの
有(あ)ること無し

仏が然燈仏のもとで
(固定的な)事柄として
この上ない正しい悟りを得たという事柄は
有りません

仏:仏を指す語。於:〜において。然燈仏:過去世の仏の名。所:場所。無:存在しないこと。有:存在すること。法:事物や存在そのものを指す語。得:得ること。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。





ぶつごん
佛言
にょぜ にょぜ しゅぼだい
如是 如是 須菩提


仏(ほとけ)言(い)わく
是(かく)の如(ごと)し 是(かく)の如(ごと)し 須菩提(しゅぼだい)

仏は言われた
そのとおりだ そのとおりだ 須菩提よ

仏:仏を指す語。言:言うこと。如:〜のように、〜のごとく。是:これ、このようなもの。文脈により「かく」と読んで「このように」の意味を表す。須菩提:釈尊の弟子。




じつ むう ほう にょらい とく
實 無有 法 如來 得
あのくたらさんみゃくさんぼだい 
阿耨多羅三藐三菩提


実(じつ)に 法(ほう)として 如来(にょらい)
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)ること
有(あ)ること無(な)し

実に (固定的な)事柄として 如来が
この上ない正しい悟りを得たという事柄は
無いのだ

實:実に、まことに。無:ない、存在しないこと。有:ある、存在すること。法:事物や存在そのものを指す語。如来:真如から来た者、仏の称号。得:得ること。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。




しゅぼだい にゃく うほう にょらい とく 
須菩提 若 有法 如來 得
あのくたらさんみゃくさんぼだい しゃ
阿耨多羅三藐三菩提 者

須菩提(しゅぼだい) 若(も)し法(ほう)として
如来(にょらい)阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得(う)る者(もの)有(あ)りとせば

須菩提よ もし(固定的な)事柄として
如来が この上ない正しい悟りを
得たという事柄があれば

須菩提:釈尊の弟子の名。若:もし、仮に。有:ある、存在する。法:事物や存在そのものを指す語。如来:真如から来た者、仏の称号。得:得る、手に入れる。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。者:〜するもの、〜すること。




ねんとうぶつ そく
然燈佛 即
ふよが じゅうき
不與我 受記

にょ お らいせ とうとく さぶつ
汝 於 來世 當得 作佛
ごう しゃかむに
號 釋迦牟尼


然燈仏(ねんとうぶつ) 即(すなわ)ち
汝(なんじ) 来世(らいせ)に於(お)いて
当(まさ)に仏(ほとけ)と作(な)ることを得(え)て
釈迦牟尼(しゃかむに)と号(ごう)すべしとの
受記(じゅき)を 我(われ)に与(あた)えざりしならん

然燈仏は すなわち
あなたは来世で
まさに仏となることを得て
釈迦牟尼(釈迦族の聖者)と名乗るべきであるという
受記(将来仏になるという予言)を私に与えなかっただろう

然燈仏:過去世の仏の名。釈尊が前世に修行していたときに授記を与えた仏。即:すなわち、そのまま。不:〜ない、〜ず。與:与える、授ける。我:自分、自分自身。受記:仏が弟子などに、将来仏になることを予言し証明すること。汝:あなた、相手を指す語。:〜において、〜で。來世:次の世、未来の世。當:まさに〜すべし、きっと〜するはずである。作:作る、なる。佛:悟りを完成した者。號:名づける、名乗る。釋迦:〈梵〉Śākya、釈尊が属した部族の名。牟尼:〈梵〉muni、聖者、聖人。
為:する、なす。




い じつ むう ほうとく
以 實 無有 法得
あのくたらさんみゃくさんぼだい 
阿耨多羅三藐三菩提

実(じつ)に 法(ほう)として
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)ること
有(あ)ること無(な)きを以(もっ)て

実に (固定的な)事柄として
この上ない正しい悟りを得たという事柄は
無いのだから

以:〜をもって、〜によって。實:実に、本当に。無:ない、存在しない。有:ある、存在する。法:〈梵〉dharma(ダルマ)、事物や存在そのものを指す語。得:得る、手に入れる。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。




ぜこ ねんとうぶつ
是故 然燈佛
よが じゅき さ ぜごん
與我 受記 作 是言

この故(ゆえ)に 然燈仏(ねんとうぶつ)
我(われ)に受記(じゅき)を与(あた)え
是(こ)の言(ことば)を作(な)す

だからこそ 然燈仏は
私に受記(将来 仏になるという予言)を与え
このような言葉を述べられたのだ

是:これ、このことを指す語。故:理由、わけ。然燈仏:過去世の仏の名。釈尊が前世に修行していたときに授記を与えた仏。與:与える、授ける。我:自分、自分自身。受記:仏が弟子などに、将来仏になることを予言し証明すること。作:なす、「作る」から転じて「ある行為をする」の意。言:言葉、発言。


にょ を らいせ
汝 於 來世
とうとく さぶつ
當得
 作佛
ごう しゃかむに
號 釋迦牟尼

汝(なんじ)来世(らいせ)に於(お)いて
当(まさ)に釈迦牟尼(しゃかむに)と号(ごう)すべき
仏(ほとけ)と作(な)ることを得(え)ん と

あなたは来世において
釈迦牟尼(釈迦族の聖者)という名の
仏になれるだろう と

汝:あなた。於:〜において。來世:未来の世、次の生。當:まさに、当然そうすべきだという意。得:〜することができるという意。作佛:仏となること、最高の悟りを開くこと。號:名乗ること。釋迦:〈梵〉Śākya、釈尊が属した部族の名。牟尼:〈梵〉muni、聖者、聖人。

「 汝は 来世において まさに 仏となることを得て 釈迦牟尼と号すべし 」と

「 若者よ あなたは未来の世に
シャーキヤムニ(Śākyamuni釈迦族の聖者)
という名の如来・尊敬されるべき人・
正しく目覚めた人となるだろう 」
と 予言されたのだ




がいこ
何以故

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




にょらい しゃそく しょほう にょぎ
如來 者 即 諸法 如義

如来(にょらい)とは 即(すなわ)ち
諸法(しょほう)如(にょ)なり
の義(ぎ)なればなり

如来というのは すなわち
あらゆるものごとの変わることのない真実そのもの
という意味だからだ

如來:〈梵〉tathāgata、真理のままに来た者。者:〜とは、〜というものは。卽:すなわち、そのままの意。諸法:あらゆる事物、すべての存在。如:〈梵〉tathatā、あるがままの真実の姿、真如。義:意義、意味内容。




にゃく うにん ごん にょらい とく
若 有人 言 如來 得
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提


若(も)し 人(ひと) 有(あ)りて
如来(にょらい) 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を
得(え)たりと言(い)わば

もし人がいて
如来がこの上ない正しい悟りを
得たと言うなら

若:もし、仮に。有:ある、存在する。人:他者、人。言:言う、述べる。如来:真如から来た者という意味を持つ仏の称号。得:得る、手に入れる。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈尊の弟子。






じつ むう ほう ぶつとく
實 無有 法 佛得
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提

実(じつ)に法(ほう)として
仏(ほとけ)の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(え)たること
有(あ)ること無(な)し

実に (固定的な)事柄として
仏が阿耨多羅三藐三菩提を得るという事柄など
無いのだ

実:まことに、本当に。無有:あることがない、存在しない。法:〈梵〉dharma、事物や存在そのもの。仏:悟りを完成した者。得:得る、手に入れる。阿耨多羅三藐三菩提:この上ない正しい悟り。

実に 法として
仏の阿耨多羅三藐三菩提を得たるもの
有ること無し

その人は 誤りを言ったコトになる
彼は真実では無いことに 執着し
私を謗(そし)っているコトことになる




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈尊の弟子。




にょらい しょとく
如來 所得
あのくたらさんみゃくさんぼだい
阿耨多羅三藐三菩提
を ぜちゅう むじつ むこ
於 是中 無實 無虚


如来(にょらい)得(う)る所(ところ)の
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)は
是(こ)の中(なか)に於(お)いて
実(じつ)も無(な)く 虚(きょ)も無し(な)し

如来が得たとされる
この上ない正しい悟りには
この中において
真実もなく虚偽もない

如來:〈梵〉tathāgata、真理のままに来た者。得:手に入れること。所:〜するところの。阿耨多羅三藐三菩提:〈梵〉anuttarā samyaksaṃbodhi、この上ない正しく完全な悟り。於:〜において。是:これ、この。中:なか、内側。無:ない、存在しないこと。實:真実、まこと。虚:うそ、いつわり。




ぜこ にょらい せつ
是故 如來 説
いっさいほう かいぜ ぶっぽう
一切法 皆是 佛法

是(こ)の故(ゆえ)に 如来(にょらい)説(と)く
一切(いっさい)の法(ほう)は
皆(みな)是(こ)れ仏法(ぶっぽう)なりと

このような理由で 如来は説くのだ
あらゆる事柄は
すべて仏の法(道理・教え・事柄)であると

是故:このゆえに、それゆえに。如來:〈梵〉tathāgata、真理のままに来た者。説:とく、説明すること。一切:すべて、あらゆるもの。法:〈梵〉dharma、事物や存在そのもの。皆:みな、すべて。是:これ、この。佛法:仏の説いた教え。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈尊の弟子。




しょごん いっさい ほうしゃ
所言 一切 法者
そく ひいっさい ほう
即 非 一切 法

言(い)う所(ところ)の一切(いっさい)の法(ほう)とは
即(すなわ)ち 一切(いっさい)の法(ほう)に非(あら)ず

いわゆる すべての事柄というものは
すなわち すべての(固定的な)事柄ではない

所:〜するところの。言:言葉を述べる。一切:いっさい、すべて、残らず全部。法:〈梵〉dharma、事物や存在そのものを指す語。者:〜とは、〜というものは。卽:すなわち、そのままの意。非:あらず、〜でないこと。




ぜこ みょう いっさい ほう
是故 名 一切 法

是(こ)の故(ゆえ)に 一切(いっさい)の法(ほう)と名(な)づくるなり

このような理由から あらゆる事柄という名前がつけられているのだ

是:これ、このこと。故:ゆえ、理由。名:名づける、そのように呼ぶ。一切:すべて、あらゆるもの。法:〈梵〉dharma、事物や存在そのもの。




しゅぼだい
須菩提
ひにょ にんしん ちょうだい
譬如 人身 長大

須菩提(しゅぼだい)
譬(たと)えば 人身(にんしん)の
長大(ちょうだい)なるが如(ごと)し

須菩提よ
たとえるならば
人の身体が大きい というようなものである

須菩提:〈梵〉Subhūti(スブーティ)、仏の弟子の一人。譬:たとえ、たとえること。如:ごとし、〜のようであること。人身:人のからだ。長大:おおきいこと。




しゅぼだい ごん せそん
須菩提 言 世尊

須菩提(しゅぼだい) 言(い)わく
世尊(せそん)

須菩提は言った
世尊よ

須菩提:〈梵〉Subhūti。釈尊の弟子。言:言うこと、述べること。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。




にょらい せつ にんしん ちょうだい
如來説 人身 長大
そくい ひだいしん
即爲 非大身
ぜみょう だいしん
是名 大身


如来(にょらい) 人身(にんしん)長大(ちょうだい)なりと説(と)きたまえるは
即(すなわ)ち 大身(だいしん)に非(あら)ずと為(な)す
是(こ)れ 大身(だいしん)と名(な)づく

如来が説かれた人の身体が大きいというのは
すなわち大きな身体(という固定された事柄)ではありません
(だからこそ)これに 大きな身体という名前がつけられているのです

如來:〈梵〉tathāgata、真理のままに来た者。説:とく、説明すること。人身:人のからだ。長大:おおきいこと。卽:すなわち、そのままの意で結果を示す語。爲:なす、〜になる、〜となること。非:あらず、〜でないこと。大身:大きい身体。是:これ、この。名:なづく、名づける、そのように呼ぶ。




しゅぼだい ぼさっ やく にょぜ
須菩提 菩薩 亦 如是

須菩提(しゅぼだい)
菩薩(ぼさつ)もまた かくの如(ごと)し

須菩提よ
菩薩もまた このようなものだ

須菩提:仏の弟子の一人。菩薩:〈梵〉bodhisattva、菩提薩埵の略、自らの悟りを求めるとともに他者の救済も目指す者。亦:また、同じく。如:〜のようである、〜に似ている。是:これ、このようなもの。




にゃく さ ぜごん
若 作 是言
がとう めつど むりょう しゅじょう
我當 滅度 無量 衆生
そく ふみょう ぼさっ
即 不名 菩薩

若(も)し 我(われ)当(まさ)に
無量(むりょう)の衆生(しゅじょう)を滅度(めつど)せしむべし と
是(こ)の言(げん)を作(な)せば
即(すなわ)ち 菩薩(ぼさつ)と名(な)づけざるなり

もし 私はまさに 数え切れないほど多くの生きとし生けるものを
永遠の平安の境地へ至らせなければならない と
このように言ったならば
すなわち 菩薩という名前で呼ぶことはできないのだ

若:もし、仮定の意。我:われ、自分。當:まさに、当然そうすべきだという意。滅度:〈梵〉nirvāṇa、迷いや煩悩の火が消えた永遠の平安の境地。無量:はかり知れないほど多いこと。衆生:〈梵〉sattva、生命あるものすべて、生きとし生けるもの。是:これ、このようなもの。言:言葉、発言。作:なす、「作る」から転じて「ある行為をする」の意。卽:すなわち、そのままの意。不:〜ない、〜しない。否定を表す語。名:名づける、そのように呼ぶ。菩薩:〈梵〉bodhisattva、菩提薩埵の略。




がいこ しゅぼだい
何以故 須菩提

何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。

 


じつ むう ほうみょう い ぼさつ
實 無有 法名 爲 菩薩

実(じつ)に 法(ほう)として
名(な)づけて菩薩(ぼさつ)と為(な)すもの
有(あ)ること無(な)ければなり

実に (固定的な)事柄として
菩薩という名前がつけられている事柄は
無いのだ

實:まことに、本当に。無有:存在しない、無い。法:〈梵〉dharma、事物や存在を指す語、ここでは固定的な実体としての事柄。名:なづく、そう呼ぶこと。爲:なる、となること。菩薩:〈梵〉bodhisattva、自らの悟りとともに他者の救済も目指す者。




ぜこ ぶっせつ いっさい ほう
是故 佛説 一切 法
むが むにん むしゅうじょう むじゅしゃ
無我 無人 無衆生 無壽者

是(こ)の故(ゆえ)に仏(ほとけ) 説(と)けり
 一切(いっさい)の法(ほう)に
我(われ) 無(な)く 人(ひと) 無(な)く
衆生(しゅじょう) 無(な)く 寿者(じゅしゃ) 無(な)し と

だから仏は説かれるのだ
あらゆる事柄には
自己という固定した実体も無く
他者という固定した実体も無く
生きとし生けるものという固定した実体も無く
永続する自己という固定した実体も無いと

是:これ、このこと。故:ゆえ、理由。佛:悟りを完成した者。説:説く、教えを述べる。一切:すべて、あらゆるもの。法:〈梵〉dharma、事物や存在そのもの。無:ない、存在しない。我:自分、自分自身。人:他者、人を指す語。衆生:生きとし生けるもの。あらゆる生命あるものを指す。壽者:〈梵〉jīva・pudgalaなどに対応する語。生命を持つ永続する自己を想定する見方を指す。





しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈尊の弟子。




にゃく ぼさつ さぜごん
若 菩薩 作是言
がとう しょうごん ぶつど
我當 莊嚴 佛土

若(も)し 菩薩(ぼさつ)にして
是(こ)の言(ごん)を作(な)し
我(われ)当に仏土(ぶつど)を荘厳(しょうごん)すべし とせば

もし 菩薩が
私はまさに仏の国土を厳かに美しく築き上げるつもりです と
このように言ったとすれば

若:もし、仮定の意。菩薩:自らの悟りを求めるとともに他者の救済も目指す者。作:なす、「作る」から転じて「ある行為をする」の意。是:これ、このようなもの。言:言葉、発言。我:われ、自分。當:まさに、当然そうすべきだという意、または必ず〜するつもりだという意志を表す。莊嚴:仏の国土を美しく厳かに築き整えること。佛土:仏の住む清浄な国土。
【補足説明】
この一節はサンスクリット語では「私は国土を建設する」という意味合いですが 鳩摩羅什は「莊嚴佛土」と漢訳しました しかし莊嚴を仏教語通り国土を飾るとすると意味が通じにくいため荘(端正でうやうやしいさま)厳(犯しがたい威厳があるさま)という漢字本来の意味とサンスクリット語訳の建設のニュアンスを踏まえ厳かに美しく築き上げると訳しました




ぜ ふみょう ぼさつ
是 不名 菩薩


是(こ)れ 菩薩(ぼさつ)と名(な)づけず

これを 菩薩という名前で呼べないのだ

是:これ、この。不:〜ない、否定を表す語。名:名づける、そのように呼ぶ。菩薩:〈梵〉bodhisattvaの音写。




がいこ
何以故


何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




にょらい せつ しょうごん ぶつど しゃ
如來 説 莊嚴 佛土 者
そくひ しょうごん
即非 莊嚴

如来(にょらい) 仏土(ぶつど)を荘厳(しょうごん)すと説(と)くは
即(すなわ)ち 荘厳(しょうごん)に非(あら)ず

如来が 仏の国土を厳かに美しく築き上げると 説くのは
すなわち 厳かに美しく築き上げるという(固定的な)事柄ではない

如來:真理のままに来た者。説:説明すること。莊嚴:本来は仏の国土を美しく飾り整えること。佛土:仏の住む清浄な国土。者:〜とは、〜というものは。卽:すなわち、そのままの意で結果を示す語。非:あらず、〜でないこと。




ぜ みょう しょうごん
是 名 莊嚴

是(こ)れ 荘厳(しょうごん)と名(な)づくるなり

(だからこそ)これに 荘厳という名前がつけられているのだ

是:これ、このこと。莊嚴:〈梵〉alaṃkāra に対応する語。美しく飾り整えること。名:名づける、呼ぶ。




しゅぼだい
須菩提

須菩提(しゅぼだい)

須菩提よ

須菩提:釈尊の弟子。




にゃく ぼさつ つうだつ むがほうしゃ
若 菩薩 通達 無我法者


若(も)し菩薩(ぼさつ)にして
無我(むが)の法(ほう)に 通達(つうだつ)する者(もの)あらば

もし菩薩で
我は無いとする法(道理・教え・事柄)に 深く通じる者がいれば

若:もし、仮定の意。菩薩:自らの悟りを求めるとともに他者の救済も目指す者。通達:物事の道理に深く通じ理解すること。無:ない、存在しないこと。我:〈梵〉ātman、それ自体で独立し永遠に変わらず存在するとされる固定的な自己の実体。仏教はこのような我の存在を否定する(諸法無我)。法:道理、教え、事柄などを表す語。文脈により、物事や存在そのものなど、さまざまな意味に訳される。者:もの、〜する人。




にょらい せつ
如來 説
みょう しんぜ ぼさつ
名 眞是 菩薩


如来(にょらい)説(と)けり
真(しん)に是(こ)れ 菩薩(ぼさつ)と名(な)づくと

如来は説かれるのだ
まことにこれこそ 菩薩という名前で呼べるのだ と

如來:真理のままに来た者。説:教えを説き示すこと。名:なづく、名づける、そのように呼ぶ。眞:まことに、本当に。是:これ、この。菩薩:自らの悟りを求めるとともに他者の救済も目指す者。








いったいどうかんぶん だいじゅうはち

一体同観分 第十八

一体(いったい)を同(おな)じく観(み)るの分(ぶん)
第十八(だいじゅうはち)

(すべてのものを)一つのものとして
同じように見ることについての章
第十八

一体:すべてのものを一つのものとして捉えること。同観:同じように観ること。分:ここでは経典の章・段落を意味する語。第十八:十八番目の意。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何
須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写の音写。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょらい う にくげん ふ
如來 有 肉眼 不


如来(にょらい) 肉眼(にくげん)有(あ)りや不(いな)や

如来には 肉眼(肉体の目、形あるものを見る眼)があるだろうか

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。有:あり、存在する、持っている。肉眼:〈梵〉māṃsa-cakṣus に対応する語。肉体に備わる通常の眼を意味する。仏教では五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)の一つであり、目に見える世界を認識する働きを指す。不:いな、〜か否か。疑問・反語を表す助辞。




にょぜ せそん にょらい う にくげん
如是 世尊 如來 有 肉眼


是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん) 如来(にょらい) 肉眼(にくげん) 有(あ)り

その通りです 世尊よ
如来には肉眼(肉体の目、形あるものを見る眼)があります

是:かく、これ。指示代名詞。如:ごとし、〜のようである、その通りである。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。肉眼:肉体の目のこと、人間が生まれつき持つ身体的な視覚器官。有:あり、存在する、持っている。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何
須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写の音写。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょらい う てんげん ふ
如來 有 天眼 不


如来 天眼有りや不(いな)や

如来には 天眼(神々・天人の目、遠くのものや生死を見通す眼)が 有るだろうか

如来:〈梵〉Tathāgata。語義には「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。有:あり、存在する、持っている.天眼:〈梵〉divya-cakṣus に対応する語。五眼の第二。天上界の存在が持つとされる眼であり、肉眼では見ることのできない遠くのものや、隠れているものまで見通す働きを指す。不:いな、〜か否か。疑問・反語を表す助辞。




にょぜ せそん にょらい う てんげん
如是 世尊 如來 有 天眼


是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん)
如来(にょらい)に天眼(てんげん)有(あ)り

その通りです 世尊よ
如来には 天眼(神々・天人の目、遠くのものや生死を見通す眼)があります

是:かく これの意 前の内容を指し示す語。如:ごとし〜のようであるの意。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意、仏・お釈迦さまの敬称。如来:〈梵〉Tathāgata、「真理のままに来た者」「真理へ至った者」など複数の解釈がある。有:ある 存在するの意。天眼:てんげん〈梵〉divya-cakṣus に対応する語 五眼の一つで天上界の神々が持つとされる眼。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何
須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写の音写。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。



にょらい う えげん ふ
如來 有 慧眼 不

如来(にょらい) 慧眼(えげん)有(あ)りや不(いな)や

如来には慧眼(智慧の目、物事の本質である空を見抜く眼)が有るだろうか

如来:真如(あるがままの真実)から来た者という意。慧眼:物事の本質である空を見抜く智慧の眼。五眼(肉眼 天眼 慧眼 法眼 仏眼)の一つ。有:存在すること、備わっていること。不:文末に置かれて疑問を表す語。~であるかないか、の意。




にょぜ せそん にょらい う えげん
如是 世尊 如來 有 慧眼

是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん)
如来(にょらい)に慧眼(えげん)有(あ)り

そのとおりです 世尊よ
如来には慧眼(智慧の目、物事の本質である空を見抜く眼)が有ります

如:そのようである、比況を表す。是:これ、それ、前の内容を指し示す。世尊:この上なく尊い者、仏を指す尊称。如来:真如(あるがままの真実)から来た者、仏を指す尊称。慧眼:物事の本質である空を見抜く智慧の眼、五眼(肉眼 天眼 慧眼 法眼 仏眼)の一つ。有:存在すること、備わっていること。
かくの如し 世尊 如来に 慧眼 有り

スプーディは答えた
師よ そのとおりです
如来には
慧眼(智慧の目、物事の本質である空を見抜く眼)が 有ります




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何
須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写の音写。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょらい う ほうげん ふ
如來 有 法眼 不

如来(にょらい) 法眼(ほうげん)有(あ)りや不(いな)や

如来には法眼(慈悲の目、衆生の性質や機根を見極める眼)が有るだろうか

如来:真如(あるがままの真実)から来た者、仏を指す尊称。法眼:生きとし生けるものの性質や能力を見極める智慧の眼、五眼(肉眼 天眼 慧眼 法眼 仏眼)の一つ。有:存在すること、備わっていること。不:文末に置かれて疑問を表す、~であるかないかの意。




にょぜ せそん にょらい う ほうげん
如是 世尊 如來 有 法眼

是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん)
如来(にょらい)に法眼(ほうげん)有(あ)り

そのとおりです 世尊よ
如来には法眼(慈悲の目、衆生の性質や機根を見極める眼)が有ります

如:〜のように。是:これ、このこと。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意。如来:真如から来た者の意。真理を体得した仏を表す。有:存在する。備えている。法眼:仏法の道理を見極める智慧の眼。不:〜でない。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何
須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の弟子。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょらい う ぶつげん ふ
如來 有 佛眼 不


如来(にょらい) 仏眼(ぶつげん)有(あ)りや不(いな)や

如来に仏眼(仏の目、すべてのものを完全に見通す眼)が有るだろうか

如来:真如から来た者の意、真理を体得した仏を表す。有:存在すること、備えていることを表す。仏眼:仏の智慧の眼、すべてのものを完全に見通す眼を表す。不:〜でないこと、〜かどうかを問う疑問の働きをする。
如来に 仏眼有りや いなや




にょぜ せそん にょらい う ぶつげん
如是 世尊 如來 有 佛眼

是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん)
如来(にょらい)に仏眼(ぶつげん)有(あ)り

そのとおりです 世尊よ
如来には仏眼(仏の目、すべてのものを完全に見通す眼)が有ります

如:〜のように。是:これ、このこと。世尊:〈梵〉Bhagavat、世の中で最も尊いの意。如来:真如から来た者の意、真理を体得した仏を表す。有:存在すること、備えていること。仏眼:仏の智慧の眼、すべてのものを完全に見通す眼。




しゅぼだい おい うんが
須菩提 於意 云何


須菩提(しゅぼだい) 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ 心でどう思う

須菩提:釈迦の弟子。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょ ごうがちゅう しょうしゃ
如 恒河中 所有沙
ぶっせつ ぜしゃ ふ
佛説 是沙 不

恒河(ごうが)の中(なか)の所有(あらゆる)沙(すな)の如(ごと)き是(こ)の沙(すな)を
仏(ほとけ)は説(と)くや不(いな)や

ガンジス川の中にあるすべての砂それほど多くの砂について
仏は説いたことがあるだろうか

恒河:ガンジス川。中:~の中に。所有:あらゆる、存在する限りの。沙:すな。如:〜のように。是:これ、この。仏:真理を覚った者。説:言葉によって示す、教えを説く。不:文末に置き疑問を表す、~であるかないかの意。




にょぜ せそん
如是 世尊

是(かく)の如(ごと)し 世尊(せそん)

そのとおりです 世尊よ

是:これ、それ、前の内容を指し示す。如:~ようである、~のとおりである。世尊:この上なく尊い者、仏を指す尊称。
かくの如し 世尊よ




にょらい せつ ぜしゃ
如來 説 是沙


如来(にょらい) 是(こ)の沙(すな)を説(と)けり

如来は その砂について説きました

如来:真如(あるがままの真実)から来た者、仏を指す尊称。是:これ、それ、前の内容を指し示す。沙:すな。説:言葉で述べ伝える。




しゅぼだい おいうんが
須菩提 於意云何


須菩提(しゅぼだい)
 意(こころ)に於(お)いて 云何(いか)に

須菩提よ
心でどう思う

須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈尊の弟子。於:~において。意:こころ、考え。云何:どのように、どうであるか。




にょ いちごうがちゅう しょうしゃ う
如 一恒河中 所有沙 有
にょぜ しゃとう ごうが
如是 沙等 恒河

一(いち)恒河(ごうが) の中(なか)の所有(あらゆる)沙(すな)の如(ごと)く
是(かく)の如(ごと)き沙(すな)に等(ひと)しき恒河(ごうが)有(あ)らば

一つのガンジス河の中にあるすべての砂と同じだけ
このような砂に等しい数のガンジス河があるとして

一:ひとつの。恒河:ガンジス河のこと。中:~の中に。所有:あらゆる、存在する限りの。沙:すな。如:~のように、~と同じだけ、比較を表す語。等:ひとしい、同じ数量である。有:存在すること、備わっていること。




ぜ しょごうが しょう しゃしゅ
是 諸恒河 所有 沙數
ぶっせかい にょぜ にょう いた ふ
佛世界 如是 寧 爲多 不

是(こ)の諸(もろもろ)の恒河(ごうが)の
所有(あらゆる)沙(すな)の數(かず)
是(かく)の如(ごと)き仏世界(ぶっせかい)
寧(むし)ろ多(おお)しと為(な)すや不(いな)や

これら数多くのガンジス河にある
すべての砂の数
これらと同じだけの仏の世界があるとしたら
いったい多いと言えるだろうか

是:これ、それ、前の内容を指し示す。諸:もろもろの、多くの。恒河:ガンジス河のこと。所有:あらゆる、存在する限りの。沙:すな。數:かず、数量。如:~のように、~と同じだけ、比較を表す語。仏世界:仏が教えを説く国土、世界。寧:むしろ、疑問を強め「いったい」「はたして」のような意味を表す副詞。為:~とする、~と見なす。不:文末に置かれて疑問を表す、~であるかないかの意。




じんた せそん
甚多 世尊


甚(はなは)だ多(おお)し 世尊(せそん)

非常に多いです 世尊よ

甚:程度がはなはだしいさま。多:数量が多いこと。世尊:この上なく尊い者。
甚(はなは)だ多し 世尊よ

スブーティは答えた
師よ そのとおりです
幸ある人よ そのとおりです
それらの世界は 多いでありましょう




ぶつごう しゅぼだい
佛告 須菩提
仏(ほとけ) 須菩提(しゅぼだい)に告(つ)ぐ

仏は須菩提に告げた

仏:さとりを開いた者。告:つげる。須菩提:〈梵〉Subhuti、お釈迦様の弟子。




にしょ こくどちゅう しょう しゅじょう
爾所 國土中  所有 衆生
にゃくかんしゅう しん にょらい しっち
若干種 心  如來 悉知

爾所(にしょ)の國土(こくど)中(ちゅう)
所有(あらゆる)衆生(しゅじょう)の
若干種(にゃっかんしゅ)の心(こころ)を
如来(にょらい)悉(ことごと)く知(し)る

それらの国土の中にある
あらゆる生きとし生けるもの の
様々な心を
如来は ことごとく知っているのだ

爾所:それほどの数の、それらの、伝統的には「そこばく」と読まれている。國土:国土、世界。中:~の中に。所有:あらゆる、存在する限りの。衆生:生きとし生けるもの。若干:いくつもの、さまざまな。種:種類。心:こころ、心の働き。如来:真如(あるがままの真実)から来た者、仏を指す尊称。悉:ことごとく、すべて。知:しる、知っている。




がいこ
何以故
何(なに)を以(もっ)ての故(ゆえ)に

何故かというと

何:なに、どのようなこと。以:〜をもって、〜によって。故:理由、わけ。




にょらい せつ しょしん かいい ひいしん
如來 説 諸心 皆爲 非心
ぜみょう いしん
是名 爲心

如来(にょらい) 諸(もろもろ)の心(こころ)を説(と)く
皆(みな)非心(ひしん)と為(な)すと
是(これ)を名(なづ)けて心(こころ)と為(な)すと

如来は さまざまな心について説いている
それらはすべて(独立して存在する永遠不変な事柄としての)心ではないと
(だからこそ)心という名前がつけられていると

如来:真如(あるがままの真実)から来た者、仏を指す尊称。諸:もろもろの、多くの。心:こころ、心の働き。説:とく、言葉で述べ伝える。皆:みな、すべて。非心:独立して存在する永遠不変な実体としての心ではないこと。為:~とする、~と見なす。是:これ、それ、前の内容を指し示す。名:なづける、~と呼ぶ。
【補足解説】
(独立して存在する永遠不変な事柄としての)について
これは お釈迦様の教え「諸法無我」に基づく表現です つまり 諸法無我を あらゆるものは それだけで独立して存在しているのではなく、さまざまな原因や条件が関わり合うこと(縁起)によって生じたり消えたりする また 様々な原因や条件が関わり合う中(縁起)で 一時的に集まって成り立っていると とらえたものです




しょい しゃが しゅぼだい
所以 者何 須菩提


所以(ゆえん)は如何(いか)に
須菩提(しゅぼだい)

なぜかというと
須菩提よ

所以:そうする理由。者:〜は。何:何か。須菩提:〈梵〉Subhūtiの音写、釈迦の弟子。




かこしん ふかとく
過去心 不可得

げんざいしん ふかとく
現在心 不可得
みらいしん ふかとく
未來心 不可得

過去心(かこしん)不可得(ふかとく)
現在心(げんざいしん)不可得(ふかとく)
未来心(みらいしん)不可得(ふかとく)

過去の心(やその働き)は
(その一瞬・その一面だけを取り出し 認識の対象として 固定的に)
把握することができない
現在の心(やその働き)は
(その一瞬・その一面だけを取り出し 認識の対象として 固定的に)
把握することができない
未来の心(やその働き)は
(その一瞬・その一面だけを取り出し 認識の対象として 固定的に)
把握することができない
だからだ

過去:過ぎ去った時。現在:今、この瞬間の時。未來:これから先の時。心:認識・思考・感情や心の働き。ここでは特に、対象を認識し→そこに名前をつけ→固定的なものとして捉えるという、心の一連の働きを意味すると思われる。不:~ではない、打ち消しを表す語。可:~できる、可能を表す語。得:得る、手に入れる。

【補足説明1】
(その一瞬・その一面だけを取り出し 認識の対象として 固定的に)を入れた理由
仏教では「あらゆるものは縁起によって仮に成り立っている」「あらゆるものは生滅を繰り返し絶えず変化し続けている」と考えます 心もこの例外ではありません たとえば川の流れを思い浮かべてください 今そこを流れている水をすくうことはできます しかし「川の流れそのもの」を手でぎゅっと握って持ち帰ることはできません 川の流れは そもそも一つの物体として握りしめて持ち続けることができないものだからです 心もこれと同じです「今怒っている」「今悲しい」のように その時々の心の動きを感じ取ること自体はできますが その一瞬だけを切り取って「これが心だ」と物のように握りしめたり 固定して認識しようとしても それはできません また 怒りや悲しみなど 心の一つの面だけを取り出して それを心そのものとして捉えることもできません 心は川の流れのように絶えず変化していくものであり 一瞬や一面だけを切り取って 固定したものとして捉えるという扱い方そのものが成り立たないのです また 漢訳の「不可得」は サンスクリット語原典においてはnopalabhyate(得る・捉える・認識することができない)という言葉が使われています そのため漢文だけを見て 単に「心を認識できない」という意味に受け取ることがないよう「その一瞬・その一面だけを取り出し 認識の対象として 固定的に」という言葉を補いました なお この括弧内の表現は原文に直接書かれている言葉ではなく「不可得」の意味を 仏教の縁起・無常の考え方から補足して説明したものです

【補足説明2】
この一節にまつわる 徳山和尚と餅売りの老婆の問答の故事が伝わっている 無門慧開禅師は これを『無門関』の第二十八則「久嚮龍潭」で取り上げています 道元禅師も『正法眼蔵』の「心不可得」で取り上げています








ほっかいつうかぶん だいじゅうく

法界通化分 第十九

法界(ほっかい)を通化(つうけ)する分(ぶん)
第十九(だいじゅうく)

すべての世界に あまねく教えをひろめ 導くことについての章
第十九

法界:意識の対象となるすべてのもの 因果の理に支配される全宇宙 また一切の現象の本質的な姿(真如 実相)を指す語。通化:仏の教えをひろめ衆生を教化すること。分:章・段落。第十九:十九番目の意。

(作成中)


離色離相分 第二十

(作成中)


非説所説分 第二十一

(作成中)


無法可得分 第二十二

(作成中)


浄心行善分 第二十三

(作成中)


福智無比分 第二十四

(作成中)


化無所化分 第二十五

(作成中)


法身非相分 第二十六

(作成中)


無断無滅分 第二十七

(作成中)


不受不貪分 第二十八

(作成中)


威儀寂静分 第二十九

(作成中)


一合理相分 第三十

(作成中)


知見不生分 第三十一

(作成中)


応化非真分 第三十二

(作成中)




明石の禅寺 大蔵院
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